53.兄弟喧嘩
ダグとオットー王子、その場に取り残されたふたり。
どちらにとっても、思ってもみない状況に困惑しますが……。
オットー王子は困惑より混乱の方が、上回っているようです。
緊張感を漂わせながら見つめ合うダグとオットー王子、ふたりの異母兄弟。
オットー王子は目を瞬かせる。
会わなければならない相手だった。どうしても会って話をし、和解しなければいけなかった。
そのため森の神殿にまでおもむいたが、ダグはオットー王子らを拒絶した。
声だけを聞かせて、決して会おうとはしなかったはずである。
それなのに、なぜか目の前に、ダグがひとり黙って立っている。
幻だろうか?
陽に透けると輝くような白金の髪も、感情のない神秘的な琥珀色の瞳も、幼い顔立ちにうかぶ6歳には不相応な諦観も、まちがいなくダグのものだ。
その表情はさらに硬く、打ち解けた様子は微塵もないが、立ち去ろうとする気配もない。
見つめていると、先に視線を反らせたのはダグだった。
オットー王子は「はっ」として、そこで始めて我に返る。
慌てて落ち葉から身を起こし辺りを見渡すが、状況がまるで分からない。
ラナメールの姿はなく、大巫女ザンネや武官イグノジャー、その他の兵士たちはもちろん、ゴブリンキングの手下たちの姿もない。
木々がなぎ倒され、まるで踏み荒らされた跡のようなこの場所にいるのは、オットー王子とダグだけだった。
魔熊男にさらわれたり、巨大エリュシオンの鼻先に乗っけられたり、なんだかヒドイ目にあったせいか記憶が混乱しているが……。
とりあえず──それら全ては一旦ワキに置いて、ダグへと集中する。
話をしなければならない。話をして和解しなければならない。
そう思っていて、その相手を前にした今、しかしオットー王子はなかなか口を開くことができなかった。
ダグのほうは何も話すつもりがないのか、もうオットー王子を見ようともしない。
オットー王子は立ち上がると、軽く体についた落ち葉や土を払い、目標をダグに見定めて一歩、二歩と歩み出す。
そして足を踏ん張って立ち止まると、グッと拳を握りしめ、思い切って声を出す。
「……ダグっ!」
噛み付くような声音に、ダグの体がわずかに身じろぎする。
「すまなかった……」
続けて絞り出した声はかすれる。聞き取りにくかったのか、ダグはいぶかしげな顔になる。だからもう一度、はっきりと言葉にする。
「すまないことをした。悪かったと思っている。おまえに謝罪する」
「なぜ……」
視線は反らしたまま、思わずと言った様子でダグは声を出す。
「なぜ、あなたが謝るのです」
相容れない存在と言うだけで、オットー王子がダグに何かしたことはない。
何かするどころか、遠くから眺めるか、たまたますれ違ったくらいで、直接会話したこともなかったのだ。
ダグは本当に、オットー王子が謝っている理由が分からなかった。
「おまえを森にやって、死なせてしまいそうになった。ボクが命じたことじゃないが、知っていて何もしなかった」
「それは……。逆に感謝しています。おかげ様で、ボクはこの森で暮らせるのですから」
言葉通りに受けとるには、ダグの表情はあまりにも硬く冷淡すぎた。
静かに責めるような響きを感じ、オットー王子はひるみそうになるが言葉をかけ続ける。
「それだけではない。これまでお前をまったく気づかってやれなかった。離宮にいるときも、神殿に移ってからも」
「あなたの気遣いなど、最初から望んでいませんし期待もしていません。あなたの立場なら当然でしょう。謝罪されることは何もありません」
オットー王子は愕然とする。
何とも思われてなくて、信用もされていない──。
まさしくその言葉に尽きる。
オットー王子が歩み寄ろうとしても、返される言葉は6歳とは思えない鋭い切り口を持っている。つなごうとする関係を断ち切ろうとする刃に、とりつくしまもない。
謝罪が受けとられない──。
謝罪すら否定されるなど、オットー王子は思いもしなかった。いっそのこと「許さない」と言われたなら罪悪感を抱けるのに、許しを請うことすら必要とされない。
なぜそんなふうに、何もなかったような顔をして、済ませようとするのか。
これまでのつらい思いを全て、本当に納得して済ませられるものなのか。
文句の一つも言わず、過去のうらみつらみを切り捨てられるなど、オットー王子には信じられなかった。
「だったら、ボクは何も悪くないということか? そのいい方だと、ボクも父上も神官ゲルガーも、だれも何も悪くないということになるな。
それにしては、おまえの態度は最悪じゃないか。ボクの顔すらまともに見ようとしない。
言いたいことがあるなら、はっきり言えばいい。言えばいいじゃないか。
ボクのことが嫌いだろう? 王家のことを憎んでいるんだろっ!」
息せき切って喋るオットー王子に、ダグはくしゃりと顔を歪める。
「知らないっ! そんなのどうでもいいっ。本当にどうでもいいっ! もう放っておいて! ボクに関わらないで!」
身をこわばらせて叫ぶダグを、オットー王子はマジマジと凝視する。
まるでいくら拒んでも追いかけてくる、幽霊か魔物を見るような目をしている。
恐怖と怒りの混じったその目を見て、ようやく理解する。
オットー王子はダグにとって、話しの通じないバケモノと同じなのだ──。
「ダグ王子っ! オットー王子!」
その場に澄んだ高い声が響き渡り、ふたりはパッと声のした方向へ目をやる。
こちらへと駆けてくるのは、淡い桃色の髪を肩の上ではずませる少女──。
息を弾ませ、悪い足場をものともせず、今にも泣き出しそうな、それでいてとても嬉しそうな顔をしている。
ふたりのもとに駆けよって来ると、その勢いのまま、いきなりダグの首に左腕を絡ませて抱き寄せてくる。
小柄なダグは驚きのまま引っぱられてよろめき、ラナメールはさらにグイッと右手を伸ばして、反対側のオットー王子の首までも抱き寄せる。
そうしてふたりの少年の首を胸元に抱き寄せると、グスズッと盛大に鼻を鳴らして「うううっ」と声をもらす。
「よがったあぁぁ。ふだりともぶじで、よがったあぁぁ!
ほんとうに、生きてて……よがったああぁよおおぉぉ!!!」
何のてらいもなく、ありのまま素直にそう叫ぶ、鼻水混じりのラナメールは、戸惑う少年たちを置いてけぼりにして、もう離すまいとひっしとその首を抱き寄せる。
ついには「うわああぁぁぁん」と、その格好のまま号泣しはじめる。
非力な少女のものとは思えないその腕の強さに、オットー王子などは「淑女じゃなかったのか?」と内心で思うが、それを力づくで引き剥がそうとは思わなかった。
ダグにしても「白々しい」と皮肉に思う前に、その号泣に毒気を抜かれていた。
かつて夜が迫る雨の森に棄てられ、自分は死ぬのだと思った。
このまま生きていても、いいことなどない。女神ジュリアロスのもとへ行けるのなら、そのまま死んでもいいと思っていた。
でも、あのまま死んで、それで本当に女神ジュリアロスに出会えただろうか。
ジュリアロスは生きていた。この森で颯爽と生きていたのだ。
もし死後の世界に、実際に女神がいたとしても、それはたぶんヴィヴィアンじゃない。
ならば、ダグは生きていたからこそ、女神ジュリアロス──ヴィヴィアンと出会えたのだ。
だったら、生きていてよかった──。
その言葉はそのままダグの心に溶けていく。
この突拍子もない少女に半ば強引に抱きしめられながら、その温もりと鼓動を感じながら、伝わってくる「生きていてよかった」というその気持ちは、確かにホンモノだと思えた。
ラナメールがどんなつもりで言ったにしろ、彼女が心から心配した気持ちが、おのずと伝わってくる。
そこにオットー王子が含まれているのは、少し納得がいかなかったが……。
実はオットー王子のほうも、死にそうなほど大変な目に遭いながら、ここにたどり着いたのだが──。
そんなことは知らないダグは、ただラナメールの優しさに報いるためだけに、すぐそこのオットー王子の気配をガマンしつづけていた。
「ラナメール……。分かったから落ち着け。おまえこそ無事でよかった。ケガはしてないんだな?」
その背をポンポンと叩いてあやしたのは、オットー王子だった。
向かい合わせのダグが、小さく息を飲む。
オットー王子はそれには気づかず、ラナメールにハンカチを差し出そうとして、ポケットからなくなっていることに気がつく。
魔熊男にさらわれる際のドサクサで、なくしてしまったらしい。
「良かったら、これを使って。それから……。もう、ボクのために、そんなに泣かないで、ラナメール」
小さな手が差し出したハンカチに、ラナメールは真っ赤な目を瞬かせ、今度はオットー王子が「なっ」と声をもらす。
「ダグ……。ありがとうっ。そっ、それから……ごっめんね? きっ、気づくの、遅すぎて、あっ、あなたを助けて、あげられ、なかった。ヒック! 守って、あげられ、なかった……。ううっ……。
それっ、なのに、こんなに優しくて、こんなにいい子で……。本当に、ごめんっ……ね……」
涙腺崩壊が止まらないラナメールに、ダグはゆっくりと左右に首を振る。
「謝ることは何もない。ラナメールが悪くないのは分かっている。
だけど泣いていたら、せっかくの美人がだいなしだよ?」
オットー王子の時とは打って変わり、とても穏やかな優しい声音でダグはそう言うと、ラナメールの濡れた頬にハンカチをあてがう。
「ふえっ? 何? これ……? すごくフワフワしてて……、すごくいいにおいがする」
身を起こしてパッとふたりの首を解放し、ラナメールは驚いたようにダグが頬に押し当ててくる、光沢のある美しいハンカチに手をやる。
「女神様からいただいたハンカチだからね」
優しくほほ笑むダグに、ラナメールは「女神様っ!」と叫んで瞳をパアッと輝かせる。
そしてさらに近づきそうになったふたりの間に割り込み、「んんっ」と咳払いをして、体をねじ込ませるオットー王子。
ダグから引き離すと、やや強引にラナメールを後ろに下がらせて、その前に立つ。
「おまえ、ボクの時とはずいぶん態度が違うな。ラナメールには、やけに優しいじゃないか」
ラナメールと引き離されたダグは、あからさまに眉をしかめてみせる。
「ボクは、優しさには優しさを返す主義です。ラナメールは優しい人ですから、当然のことでしょう」
「それだと、ボクは優しくない人間だと言うのか?」
眉根を寄せるオットー王子に対し、うっすら笑みを浮かべてみせる琥珀色の瞳が「ちがいましたか?」と問いかけてくる。
「お、おまえは……。なんだその意味ありげな顔は。言いたいことがあるなら、はっきり言えよ。そんな奥歯に物が挟まったような顔、城の侍従たちでたくさんだ」
なんとなく険悪な雰囲気を感じて、ラナメールが口を挟む。
「あらら? オットー王子は威張りん坊で怒りん坊で、ちょっと雰囲気が読めない所があるけど……。
優しいところも、ちゃんとたくさんあるのよ。
ほら。えーっと……。うーんと……」
しかしとっさに口を出したので、うまく続きが出てこない。
オットー王子に優しさがあるのは本当だったが、何と言えば伝わるのか分からない。
言いよどむラナメールに、ダグは「やっぱり」と冷めた瞳になり、オットー王子は「おい」と責めるような視線になる。
「だって……。そうよっ! ここにいるじゃない」
「「は?」」
ダグとオットー王子の声が重なる。
「城を出て、ここまで来たわっ! オットー王子はわたしのお願いを聞いて、ダグに会うために、ダグを助けるためにここまで来たの。
子どもをひとり森に追い出すなんて、絶対にあってはならないことよ。しかも人身御供だなんて、許されるはずがないわ」
「……ひとみごくう?」
「だからオットー王子はすごく頑張って、無理を通してくれたのよ。わたしをここへ連れてきてくれたの。
わたしたちはあなたのことが心配で、助けたくって、ごめんなさいを言いたくって……。
今、ここにいるの──」
ダグの瞳が揺れる。
思いもしなかったところで思われ、気づかわれていたことに戸惑う。
そしてダグは女神様に仕えろと言われたはずだった。けれど人身御供だと言うラナメールの言葉に、そうだったのかと改めて思いながら、どこか知らない場所がザックリと傷つくのを感じていた。
王国がダグをどうするつもりだったのか、ハッキリと理解できた気がした。受けとらなかった謝罪の意味が、さらに深みを増していく……。
「だからオットー王子は優しい人よ。優しくて、強くて、頼りになる人なの」
ラナメールがそう告げると、今度はオットー王子の顔が赤くなってくる。
まんざらでもない様子で、当然だと胸を張って立っているが、緩んだ口元が照れを隠しきれていない。
対するダグは、伏せ目がちになり考え込んでいた。自分がこの森に追い出された意味を。その本当の理由について……。
「その話、もう少し詳しく聞かせてもらおうか──」
そんなところに、ふと新たな人の声が割って入ってくる。
振り向いたオットー王子とラナメールは、そこに立つ人物に呆然とする。
ダグはそれまでの憂鬱そうな顔がウソみたいな、パッと晴れやかな笑顔をその人物に向けてつぶやく。
「ヴィー」
と。
自分が人身御供だったと告げられ、ショックを受けるダグ。
ラナメールの何気ないそのひとことが、胸に突き刺さります。
次回『54.女神の使徒たち』
そこへ現れたのは「ヴィー」と奇妙な仲間たち。
そのなかには、なにげにあの人も加わっています。




