42.護衛──ヒュー
異様な気配をまとって現れた『ゴブリンキング』。
そこから王族ふたりを連れて、逃げだしたヒューですが……。
目の前には、新たな敵が現れます。
「ふたりとも、こっちへ……」
ヒューは少しでも手薄な方向へとうながすが、ふたりともその場に凍り付いたかのように動かない。
現れた者たちの異様な姿を目にして心が萎縮し、体の自由が利かなくなったのだ。
うながしたヒューの声が、その耳に届いたかどうかもアヤシイ。
この状況ではさもあらん。ヒューですら絶望したくなるような場面なのだ。身がすくんで動けなくなるのも、致し方ない。
だが、幼い王族ふたりに生き残ってもらうためには、ここで心折れてもらっては困るのだ。
取り囲む者たちから視線を反らさず、ヒューはオットー王子の腕を、乱暴に掴んでグイッと引き寄せる。
少し屈んでその耳元に、抑えた鋭い口調でささやく。
「動けっ! 行動せいっ! 動かへんかったら、ここでおしまいや!」
オットー王子の体がビクリと反応する。
「思い出すんや! 何しにここまで来た! このくらいでへばりよって、甘ったれんな! 今、自分が動かれへんと、大事なものを失うことになるんやぞ!」
その力強い言葉に、オットー王子は「はっ」としたようにラナメールを振り返る。ラナメールもブルリと身を震わせて、オットー王子を見つめる。
ふたりはお互いに見つめ合い、不安なその瞳に相手の姿のみを映し合う。
『大事なものを失うことになる……』
それはイヤだと、見開かれたラナメールの淡い草色の瞳がうるむのを見て、オットー王子も同じ気持ちだと、いやそれ以上の気持ちで、絶対に失いたくないと思う。
乱暴に鼓舞するヒューの、ゆるぎなく力強い叱責に、金縛りから解かれて現実が戻ってきたようだった。
大切なことを思い出し、失いたくないと思うことで肝が据わり、少しだけ呼吸がしやすくなる。
「……すまない。ヒュー。大丈夫だ」
ヒューの腕をぎゅっと掴み返し、オットー王子が応える。その目に生への執着が戻ってきたのをみて、ヒューはニヤリと笑って応える。
「……ええ子やな。そのままチョット、そのヤブの奥の方で屈んどき。そこでふたりでジッとしとくんや。何があっても、絶対に出てきたらあきませんで」
ふたりはうなずくと、おとなしくその言葉に従う。ヒューからそっと離れ、言われたとおり藪の奥に入っていき、ピッタリくっつくようにしてしゃがみ込む。
ヒューには何か策があるのだ。
足手まといなのは、ふたりとも自覚していた。これ以上、ヒューの邪魔をしてはいけない、そう思ったのだ。
まさか自分を囮にして決死の戦いに臨もうとしているなど、この時はまだ思いもしなかった。
ふたりから距離を取るように歩き出し、周囲を敵に囲まれるヒューは、うっそりと笑っていた。
同族と戦うことになるとは、さすがに思ってもみないことだった。
ここにいるのはグリースの森の民の中でも、戦闘を得意とした精鋭ばかりだ。
彼らの特性もそちらに特化し、諜報が主なヒューとは違い、戦いにおいて圧倒的にすぐれている。しかもこの数の差──。
ジュリアロスの森に囚われて死んだと思っていたが、思いがけないまさかの再会である。
だがひとめで知れる。向けられる無機質な殺意もあいまって、かつての仲間であった彼らは、今はもう──。
喜びよりもやるせなさが勝り、あきらめと……だんだん静かな怒りがこみ上げて来る。
もう和解は望めない。いや、望まない。安易な期待はすべて切り棄てる。
なぜなら彼らは特質に冒され、すでに精神が崩壊している。
人であった記憶や心はもう残っていない。ここまで特質が進行しては、元の姿に戻るすべもない。
出来ることなら同郷の者の手で、森に還してやるのが情けだ。
そう強く思わなければ、対峙することもままならない。
目をそらすななっ! 怒れ、怒れ、怒れっ──! そう強く己を叱咤する。
何があったか知らないが、一族の者がこうして地に墜とされたことも、それにより侵攻が無に帰したことも、その後始末にこうして命を張ることも、どれもこれもが全くもって腹立たしい。
王子と姫巫女が助かる見込みも、ほとんどない。
奴らの気を反らせたら、あるいは万が一の可能性もあるが、到底、見込みもない希望だ。
護衛と称しながら、その役目も果たせぬまま、おざなりに藪の中へ隠すことしかできない。
護るべき者たちのために「非情になれ」と己を叱咤しつつ、同族だった者に刃を向けることに、まだ抵抗を残している自分自身が、何よりも一番腹立たしかった。
甘ったれているのは自分も同じだ。
呼吸を整え、集中する。細胞を活性化させ、筋肉量を増やして体を膨らませる。そうすると小柄でひょろっとした男は、まるで別人に変貌していた。
凡庸なヒューの姿はどこにでもいそうな男だったが、今や鍛え上げた筋肉で身を引き締め、鋭さを帯びた眼光は尋常ではない殺気を放っている。
「ほな……。悪いけど、本気でいくで。スライド、あんたからや……」
ヒューはそう告げると、目の前のカマキリ男に向かっていく。あふれそうになる玉石混淆の思い出を切り棄て、相手を切り伏せることだけに集中して剣を抜く。
振りかぶった重い一撃が、鎌と化したスライドの腕で受け止められる。
すかさずブンッと振られるもう一方の鎌から身を躱し、ギザギザの鎌に絡め取られないよう返す刃で切りつける。
だがもうすでに、次の鎌がすぐ迫ってくる。
もとより筋力が違う。瞬発力も破壊力も数段上の相手である。
瞬発後の緩慢な動きは思考力がニブイことを表しているが、思うようにヒューの当てる刃は通らない。
手数は互角のはずなのに、傷が増えていくのはヒューの方だった。
少しずつ漂い始める血の臭いに戦闘の本能が刺激されたのか、静観していたほかの異形たちもヒューの周りに集まっていく。
トラに似た豪腕の男と、大魔熊に似た人間──。
どちらも血に飢えた獣のような目でヒューを見て、隙あらば手を出そうと、いたぶるようにちょっかいを出し始める。
脇から襟首のあたりを、魔熊男の放った横殴りの鋭い爪がかすってバランスを崩し、グラリと転倒してしまう。ここぞとばかりに頭部を縦に引き裂こうと、トラ男が腕を振り下ろす。
とっさに転がって回避するが、血と泥にまみれるヒューは荒い呼吸のまま、剣を杖にして身を起こすのがやっとだった。
いいようにいたぶられ、満身創痍になっていくヒューの姿に、真っ青な顔で再び動けなくなっているふたりの子どもたち。
このままではヒューが殺されてしまう──。
さまざまな思いが脳裏を駆け巡り、今にも殺されそうなヒューの姿と、恐ろしい異形の人間たちを見つめながら、必死にどうすればいいかを考える。
何の力も持たないことを改めて思い知らされ、ただ無力さを突きつけられるばかりだった。
何もできない──。
王族と呼ばれ、周囲からうやまわれ、人びとからの期待を一身に浴びるべき存在なのに……。
剣を携えて勇敢に闘うことも、ものすごい魔法を放って援護することも、機転を利かせて逆転の知略を生むこともできやしない。
無力さに歯噛みして、何かないか、どうしたら良いかと、ただひたすら焦ることしかできない。
結局はただひたすら小さくなって、震えてうずくまっている。
そして情けないことに、それが正解なのだと理解していた。
言いわけでもなんでもなく、誰にとってもそれが、今の最適解なのだと──。
「ラナメール……。お前はここにいろ」
なのに、突然そんなことをいい出したオットー王子に、ラナメールは理解が追いつかなかった。
「えっ?」
「ボクが行ってオトリになる」
「は?」
オットー王子はそう言うが、彼がオトリになる意味が、ラナメールには分からない。
オトリになって敵を引きつけたとして、そこからどうするつもりなのか?
あっさり捕まって、無残に殺される未来しか想像できないのだが。
ラナメールに何かしろと言うことか? いや、でも、ここにいろと言うからには、何かを期待しているわけではなさそうだ。
じゃあ、なんでそんなことをいい出すのか……。
「心配するな。ぶじに逃げ切ってみせる」
「ちょっと……。どうして急にそんな。ムリよ。絶対にムリ!」
ラナメールは慌てて止めにかかる。とても正気の発言とは思えなかった。
自分から人のために動くなど、したことのない王子である。それなのに、そんなことを言い出すなんて、絶対にどうかしている。
「こう見えて、足には自信があるんだ」
さわやか少年のように、キラリと輝く笑顔で告げて、オットー王子は藪の茂みから飛び出していく。
「う、うそでしょう?」
あわてて捕まえようとしたラナメールだが、あと少しというところでその手は届かない。
から振った指先の向こうで、王子は慣れない足取りでモタモタと駆けていく。
モッチリ、ムッチリの豊満な肉体を持つ少年は、ここに来てもその動きはおっとりとしたまま変わらない。
ツルッと濡れ落ち葉に足を滑らせて、転びそうになっている。
「オットー王子……。現実を見ましょう。足に自信があるだなんて……。
──それはあなたの、願望ですよね!」
思わずそうつぶやいてしまう。
一体、オットー王子が何をどう勘違いしたのかは知らない。
だがこうなっては、ラナメールだけが隠れていても仕方なかった。
優先されるべき命は、このまま王位を継ぐ可能性が高いオットー王子の方なのだ。
藪の奥から姿を現したオットー王子を、八本の細長い手を背中に生やした男がすぐに視界に捕らえた。
それは空を飛ぶような動きで滑るように移動し、あっという間にオットー王子の背後に迫る。
男の手からキラリと一筋の光が走り、頭上の木の枝につながる。暗がりでよく分からなかったが、そこに糸でもつないだようだ。
男はその糸を使って、まさにクモのようにピュイーンと宙を飛んで、一気に追いすがる。
その手に握られた凶刃が、王子に向けられる。
「オットー王子っ!」
ラナメールは藪の中から飛び出すと、全速力で駆けながらその名を叫んでいた。
なぜか藪から飛び出し、オトリとなって走り出すオットー王子。
慌ててラナメールもその後を追いかけます。
しかしと言うべきか、オットー王子はものの数十秒で大ピンチにっ!
次回『43.援軍の合流』
助っ人参上!
頼もしくもあり、うるさくも感じる保護者たちと再会。
しかしそこで待ち受けていたのは──。




