40.出現──デグリスモア
ダグの叫びを聞いた、ラナメールとオットー王子。
驚きながらも、ダグの姿を探します……。
エリュシオンは状況の変化にも、冷静な判断を下しますが……。
ついにヤツが現れます。
「ダメダ! 城に帰れ!」
鋭くカン高い子どもの声が、その場に響き渡る。
その声の刺すような鋭さに、オットー王子はビクリと体をこわばらせる。ラナメールも驚いて一瞬動きを止め、それからあわてたように周囲を見渡す。
「……ダグ? まさか、ダグなの?」
戸惑うようにつぶやき、どこにいるのかとせわしなくキョロキョロと視線をさまよわせる。だが、それらしき姿はどこにも見えない。
「来るな……。絶対に来るな!」
再び、強い拒絶の声が響き渡り、そこに含まれる途方もない悲壮感には、聞く者の心を打ちのめすような力があった。
ラナメールは身をすくませて青ざめる。オットー王子は固い表情のまま、意を決したようにエリュシオンを振り返る。
「エリュシオン殿、ダグはどこにいるのです」
大樹の精霊〈サン〉に抱かれし木彫りのトカゲ人形は、強くこぶしをにぎりしめるオットー王子に「知ってどうする?」とゆったり問い返す。
「あいつに、口の利き方というものを教えるのです。幼くとも癇癪を起こしワガママが過ぎれば、それをいさめるのが年長者のつとめ」
ふだんの物静かで聡明なダグからは、想像もできない幼い叫びだった。
第一王子として厳しい教育を受けているオットー王子である。年上で立場的にも上である者に対し、こんなに感情的な口の利き方をするダグを許せなかった。
「なるほど。年長者のつとめか。フム。だが──」
エリュシオンはヒタリとオットー王子に視線を定める。その赤く光る鋭い双眸は、まっすぐに心の中まで突き刺すような輝きを帯びている。
「ダグは捨てられたと言っておった。もはや王子ではないとな。よって今はジュリアロスの庇護下にあり、そなたらの世界とはもはや関係ないであろう。
それに、そなたが年長者として尊敬にたり得るならともかく、残念ながらダグに信用されてはおるまい。尊敬に値しない者の諫言など、心から納得できるはずもない。
ダグを前に叱責したところで、それはそなたの自己満足ではないか?」
オットー王子はカッと耳まで赤くなるが、その通りだと気づき何も言えない。
恥ずかしさと反発心と王子としての矜持がない交ぜになって、何か言おうと酸素を求める魚のようにアップアップして震えている。
「まあ、そんなことは、どうでもよい。それよりも……」
エリュシオンはスパイアイから送られてくる映像に、こっそり注意を払っていた。
レッド・ジョーカーが有効活用しているはずのデグリスモア二十七体が、なぜか森の中に姿を現している。
そして現時点まで、何の報告もないレッド・ジョーカーとは音信不通……。
「何やら少々、マズイことになってきたようであるな……」
「マズイ、ことって……?」
ラナメールとて、ダグから信用や尊敬を得ているとは言い難い。そう自覚しているので、ダグに諫言できる立場ではない。しかし、どうしたらいいのか分からない。
ただ、震えながら問い返した。けれど次の瞬間……。
「こっちに来るなッ! あっちへ行けっ!! この森から出ていけっっ!!!」
鳥たちがいっせいに羽ばたいて樹木から飛びたち、小動物が足元をすり抜けて猛スピードで逃げていく。
その言葉が、最終警告だった。
ダグの叫びが、拒絶、拒否から、排斥へと移行する。
その強い意志は、這い上がる悪寒のように背筋をゾワッとさせて、全身にヒヤリとした鳥肌を立たせる。
得体の知れない何か巨大な存在が動き始めて、まさにこの森から斥けられる予感しかしなくなってくる。
力を伴ったダグの言葉に煽られて、何かがいっせいに応えて動き出した。悲しみと怒りと拒絶を織り交ぜて、ダグの心に応えた何かが森の中から唐突に膨れ上がり、すさまじい勢いであふれ出す。
こちらに迫ってくる、何か不穏な気配を感じるオットー王子とラナメールだが、まだ状況がよく分からない。
ただ心臓がバクバクとスゴイ音を立てて鼓動し、何か異変が起こっていることを感じながらも、ふたり寄りそってあたりをキョロキョロと眺めることしかできない。
「そなたら、一刻も早くこの森を出るがよい。精霊をあてにせずとも帰り道は分かるな」
背後に控えていたヒューは、視線を向けられ神妙にうなずく。
すぐに王子と巫女を急かして立ち上がらせるが、緊張に満ちたヒューの顔色はあまりよくない。
もともと精霊の森の民であるためか、より深刻な状況を肌で読み取っていた。
「ダグはどこ……? ダグも連れて逃げないと!」
「案ずるな。ダグは我々の庇護下にある」
エリュシオンはとっさに答える。
「だがお主たちは我らが主人の不在の折りに、たまたま森にまぎれ込んだ者に過ぎん。
吾輩に過度な期待はするな。なぁに。吹き荒れる嵐のようなものだ。急ぎここを去ればよい。うまくかわせば問題は……」
「ない」と言おうとしたが、エリュシオンを抱き抱える〈サン〉は、フルフルと左右に首を振る。
「ものすごいスピード。すぐに来る。逃げるの、間に合わない。風、言ってる」
エリュシオンのスパイアイよりも、精霊ネットワークのほうがこの非常時には優秀らしい。
吹き抜ける風の不穏な囁きを告げられ、エリュシオンはパカリと口を開け、一瞬固まった。しかしすぐさま、めまぐるしく赤い瞳を点滅させる。
「実戦力となる、吾が主とエンドスカルは不在……。気配を断ったレッド・ジョーカーは、あてにならぬ。ここにいる者たちに、大した戦力はない。ゆえに吾輩らが生き残るには、逃げるか隠れるしかない。だが、その時間もないときたか……」
すぐ先にある神殿に逃げ込めばよさそうなものだが、万が一デグリスモアを神殿に引き込む事になれば、最悪、地下にあるエリュシオン本体に影響を与えかねない。
デグリスモア……。その危険性を知るエリュシオンとしては、ソレをうかつに神殿に近づけるわけにはいかなかった。
「とにかく急ぎ身を隠すのだ。何が現れるか分からぬが、そなたらは隙を見て森を出よ」
ヒューがふたりを引っ立てるように連れて行くのを見て、エリュシオンはその短い手で、ぺちぺちと自分を抱き留める〈サン〉の腕を叩く。
「〈サン〉よ。吾輩をここに置いて、おまえも行くがよい」
しかしエリュシオンのことを、さらにしっかりと抱き締め、〈サン〉は再びフルフルと首を左右に振る。
逃げる様子のない〈サン〉に、「そうか」とエリュシオンはつぶやく。
ここで逃げなければ、ふたりの体は単なる木製の人形でしかなく、状況によっては粉々に破壊されかねない。〈サン〉もそれは理解しているだろう。
けれどこの野外円卓は、大樹の切り株を利用して作られている。
ここは〈サン〉の本体として、大樹が長い月日にわたり、茂っていた場所だった。
樹木にとっては始まりの場所こそが、いずれ弊える場所であった。
「……エリュシオン殿っ!」
その場に残るエリュシオンと〈サン〉を、王子と巫女は立ち止まって振り返ろうとする。
「さあ、早く行くのだ! 我らのことよりも、自分たちのことを心配するがよい。おぬしらこそ、簡単に死ぬでないぞっ!」
ヒューはふたりを強引に急き立て、目に付きにくい茂みの奥へ奥へと引き込んでいく。
「おふたりの邪魔をしたら、あきまへん。私らに出来るのは、エリュシオンさんの言われたとおり身を隠し、相手の隙を見て、ここから少しでも離れて森を出ることや……」
ヒューの言葉は理解できるが、あのふたりがどうなるのか、本当に自分たちだけ逃げていいのかが分からない。
しかし、地響きを轟かせて近づいてくる何か──。
そうしてとうとう、森の木々をなぎ倒す勢いで出てきたモノをチラリと見て、そんな迷いなど吹き飛んでいた。
オットー王子や巫女ラナメールが対峙し、何かなせるような相手ではなかった。
それは、身の丈は人の二倍近くある。──異形だった。
二本足で立っているが、長い灰色の髪はたてがみのように逆立ち、その顔は竜種のように鼻面が長い。
むき出しの浅黒い肌は緑がかったウロコのようなツヤを帯びており、「グルルルルッ」と獣のような唸り声を発する口の端からは、鋭い犬歯が伸びている。
そうして全身にはドス黒く濁った負の気を帯び、ソレが触れた大地の草木はみるみるうちに生気を失っていく。
触れることも憚られる闇のような瘴気を身にまとい、狂ったような敵意をむき出しにする存在に、どうやって立ち向かって行けばいいのか。
息を呑んで立ちつくすふたりの頭を、ヒューはぐいっと力強く押さえつける。
「しいっ! 静かにっ! ……絶対に見つからんよう、おとなしく隠れるんや」
緊迫感に満ちたヒューの声に、ふたりは気押されるように茂みにしゃがみ込む。
子どもたちの体を両脇で押さえながらヒューの目は、現れた異形の姿をしっかりと捕らえていた。
グッと息を呑み込み、驚愕と悲しみを堪えるように、ただ口中で小さくつぶやく。
「まさか。溶けてしもたんか……バルダララス……」
苦しげにつぶやかれる言葉は、実際には吐き出されることなく、そのノドの奥にグッと飲み込まれていた。
その場に残るエリュシオンたちに後ろ髪を引かれながら、
不穏な気配にわけも分からず逃げ出すふたり。
そんな彼らが最後に見たのは、恐ろしい異形の──。
次回『41.衝突──三精霊』
現場に現れたのは、異形だけではありません。
やい、やい、やい。ここで会ったが百年目っ!
この森の主役(?)三精霊、勇み登場!




