39.85名の精鋭とともに
神殿前の野外円卓で、王族ふたりがエリュシオンと話をしている頃、
転移門前にも変化がおとずれます。
座り込みを続ける武官イグノジャーの背後から、
不穏な気配を滲ませ現れたのは──。
転移門前──。
その門をどうしても抜けることができず、取り残された武官イグノジャー。
せめて転移門の前で王子たちの帰還を待とうと、頑なに座り込みを始めたのだが……。
その背後へと近づいてきた何者かが、振り返った武官をいきなり杖でなぐりつけたのであった。
「ね、ねぇちゃん……」
血がタラリと垂れてくる──。
そんなひどく痛む頭に手をやることもせず、呆然とその存在を見上げたままその場に座り込む。
「ふがいない弟なんざ、持った覚えはない。大巫女様とお呼び!」
高飛車に言い放ったのは、王都の神殿で巫女達を率いる大巫女ザンネである。
「な、なぜここに……?」
「なぜ? おまえがふがいないからに、決まっているだろう。ジュリアロスの森に踏み込む王子と巫女を止められず、こんなところで這いつくばって何になるっ!
イヤな予感がしていたが、まさか武官ともあろう者が、子どもにしてやられるとは思わなかったよ。
おかげで、こちとら朝から早馬を飛ばして、こんなところまでくるハメになったんじゃないか」
指環の輝く太い指に握り込まれる、豪奢な魔石の埋められた杖がブンッと振られて、ピタリと武官イグノジャーの鼻先に突きつけられる。
「何も出来ないグズはそこでそうしてな。副官ッ! 兵を用意しな。ふぬけはいらん。
森で化け物と出会っても、死ぬ気で立ち向かえるヤツらがいい。
勝手に立ち回る王子とバカ巫女を連れ戻すよっ!」
副官はビシッと背筋を伸ばして大巫女の命令を承るが、その大巫女からなにげに視線をそらしたまま、すぐには動こうとはしない。
「兵を動かせるのは武官のみであります。たとえ大巫女様のご命令でも、勝手に兵は動かせませんっ!」
副官の言葉に、大巫女ザンネは頬の肉を揺らしたかと思うと、ニッタリと嗤う。巨大な食虫植物を前にしたような心地に、副官の冷や汗は止まらない。
「そうか。よく気づいたな。流されるまま動かなかったことは誉めてやろう。
だが現状をよく見ろ。武官殿は負傷して指揮を執れる状態にはない。残った副官と大巫女では、どちらに指揮権があるのか微妙だが、私は単独でも森に入るぞ。
おまえは大巫女であり王族でもある私を、一人で森にやるつもりか?
守るべき王子と巫女が野放しのこの状況、すでに厳罰ものだぞ。おまえたちはさらに失態を重ねるつもりか? このバカモノどもがっ!!!」
すさまじい音量の怒声に体が傾きそうになるが、なんとかこらえて副官はビシッと敬礼を返す。
「はっ。すぐさま精鋭を用意いたします」
「チョット、待てッ!!!」
負傷した役立たず、として扱われそうになった武官イグノジャーは、あわてて叫んで立ち上がる。
未だ頭からダラダラと血を流したままだが、恐ろしいまでに膨れ上がった武官の闘気に、副官の体はまた仰け反りそうになる。
「この場の指揮官はオレだ。オレが指揮を執るッ!」
憤怒の鬼かと思うような形相のまま、カッと大巫女ザンネをにらみ付ける。
「大巫女様も、オレには従ってもらおう」
かつて、相手が酔っ払った巨大魔熊とはいえ、素手で殴り殺したこともある男である。そのヒリつくような覇気は圧倒するようなものがあった。
だが大巫女ザンネはどっしりと構え、まるでひるむ様子もなく真正面からそれを受けて立つ。
「フンッ。やっと目が覚めたようだね。わかってるなら、さっさとおし。こんな所で角を突き合わせたって時間のムダだ。
どうにも悪い予感がする。精鋭を連れていくにも、数を惜しむんじゃないよ。消えたならず者たちの三倍は用意しな」
「消えたならず者? ヤツらは森に食われたはずだ。それに、そんなに大勢を引き連れては精霊が……」
「何もなけりゃあそれでいい。あやまれば済む問題だろう」
「あやまるって……。相手は森、というか精霊だぞ。そんなものたちに、あやまって済むとは思えん」
「いや、違うね」
大巫女ザンネは両目をすがめて、転移門の先をにらみ付ける。
「ならず者どもに、第一王子、バカ巫女、そして生け贄の第二王子。さらには騒動の発端である目覚めし神──。
森には異分子がまぎれ込みすぎている。これから相手にするのはそいつらだ。そいつらを出し抜くには、正直、三倍でも少し心許ないぐらいだ」
「しかし、だな……」
なおも言いつのる武官に、大巫女はいい加減たまってきたイラ立ちをぶつける。
「うるさいねぇ。精霊たちには、あとでたんまり詫びの品を捧げときゃいいのさ。わかったら、さっさと行動しなッ! くれぐれも兵の数をケチるんじゃないよ。
これ以上ムダ口叩いてチンタラ喋り続けてるなら、置いて行っちまうからね」
大巫女ザンネにまくし立てられ、武官イグノジャーは飛び上がって慌てて兵に指示を出す。
この大巫女は自分勝手でワガママで気が短い。行くと言ったら、本当に一人でも森に入ってしまうだろう。
普段は教会にこもってなかなか姿を見せないが、かなりふくよかな体型にしては敏捷に動き、女性にしてはかなり行動的である。
自力で馬を駆けさせ、王都からここまで飛ばしてくるなど、男でもなかなかの強行軍である。ましてや武官よりも年上の中年女性である。
実の弟はいえ、巨漢のイグノジャーをいきなり魔杖で殴り倒し、その憤怒の覇気にもひるまず大声で物申す。
だれしもが一目置く豪胆さは、教会の女傑と言わしめるにふさわしい存在だった。
もっとも彼女のワガママに振り回されることも多く、かつてその最たる被害者であったイグノジャーは、未だについ従ってしまうことに苦々しいものを感じていた。だが──。
「それじゃあ、行くよっ! さっさとついて来なっ! そこ、よそ見してんじゃないよ。はぐれたら森に食われちまうからね」
本当に転移門を越えられるのかと、半信半疑の武官イグノジャーはその不安を押し隠し、大巫女ザンネのすぐあとに続く。
シッカとその目を見開き、食らいつくような勢いで大巫女の背中だけを凝視する。
地面を踏みしめながらその背をひたすらにらみ、前に進み、前に進み、前に進み……。
いつ『黎明の賢人アスタリオ』と『慈愛の聖人マロウエ』の石像前にたどり着いたとも知れない。
目の前の背中にだけ集中しすぎて、まだたいして進んでない気もするが、もうかなり進んだような気もする。
「よおっし。全員、通ったね。各員ここから先は慎重に。何があってもすぐに対応できるよう、しっかり目と耳と感覚を働かせな」
立ち止まって振り返った大巫女につられて周囲を見渡し、武官イグノジャーは背後を振り返る。
そこにいるのは選ばれし85名の精鋭兵。そしてその先には、ここへ来てから見慣れてしまった『黎明の賢人アスタリオ』と『慈愛の聖人マロウエ』の石像。ただし左右の位置が反転している。
いつも向かって右側にいたはずの『黎明の賢人アスタリオ』の像が、振り返ってみた今、左側に見えている。それはつまり、ついに転移門を越えられたということだ。
85名の兵士共々、誰一人欠けることなく、ジュリアロスの森に入ることができたのだ。
「……! よおおおぉぉっし!!!」
思わず拳を握りしめて力強く声に出す。兵たちの前でさらなる醜態をさらさずに済んだのも助かったが、これで心おきなく王子たちの後を追えるというものである。
「大きな声を出すんじゃないよ。精霊たちの反感を買っちまうだろうが」
また魔杖で頭をゴインと殴られるが、武官イグノジャーにとっては些末なことだった。
王子たちと超えようとしたときは、あれほど頑張ったにも関わらず、なぜか通り抜けることが出来なかった。
そうして結局ふたりに置いて行かれ、悔しくもなさけない思いにギリギリと歯噛みしたのだが、こうして通り抜けることが出来た以上、そんなことはもはやどうでも良かった。
「あの様子じゃあ、まったく分かってないね……」
転移門を越えられた喜びを噛みしめる武官を横目に、大巫女はひとりポツリとつぶやく。
「……心底からは、信頼されちゃいなかったんだよ」
つまりはそういうことだ。いくら強い武力を持とうが、多くの人間に一目置かれようが、一緒に来て欲しい人物だとはあのふたりに思われていなかったのだろう。
表面上はともかく、心のなかではイグノジャーの同行を拒む、転移門はその王族の意志をくみとったのだ。
「悪い奴じゃ、ないんだけどねぇ」
周囲から「おめでとうございます」と場違いな声をかけられ、当然のようにふんぞり返っている武官の姿に、大巫女ザンネは残念なモノを見るように目をやる。それからこっそりとため息をついた。
武官の姿を見ただけで、オットー王子が逃げ出さなければいいが──、と余計な心配までして、大巫女ザンネはふと、若く生意気な少女巫女の顔を思い出す。
そしてザンネを目にした途端、裾をからげて一目散に雲隠れする巫女の姿を想像してしまった──。
どうやら人のことは言えないようだ。知らず自嘲してみせる。
だがすぐに首を振って余計な考えを追い払い、そこからグッと気持ちを引き締める。
「森に入ったくらいで浮かれてるヤツがあるかい。ここからだ。しっかりと周囲を警戒して、第一王子と巫女を見つけるんだよっ」
真剣な声音で告げると眼光鋭く兵たちを見渡し、ブンッと大きく杖を振り回す。
それからくるりと背を向け、大巫女ザンネは先陣を切って森の奥へと足を進めはじめた。
実は姉弟だった、ザンネとイグノジャー。
個性的で圧が強めなところ、ソックリです。
そうしてこれで、すべての役者が森に揃いました。
ようやく最終舞台の幕開けです。
次回『40.出現──デグリスモア』
ラナメールとオットー王子の前に、ついに現れる災厄。
静かだった森に、激震が走ります。




