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30.まれびと森を去りて

エリュシオンに(さと)され、森を去って行く王子様御一行。


顔も見せず、話もしなかったダグですが、

遠く離れた場所から、立ち去る彼らの後ろ姿をじっと見つめます。


さて、その胸中は如何(いか)に──。


「あやつらは帰っていくぞ。これで良いのか?

 また来るがよい、とは言ってはみたが、もう二度とここへは現れぬやもしれん。

 だが、今なら引き留めて話をすることも、あやつらと共に行くこともできるぞ?」


 壁に大きく映し出されるのは、去りゆく一行の影像。そこから視線を外し、ダグはフルフルと大きく首を横に振る。

 迷う様子もない。「とんでもない」といったようなしかめっ面だった。


「ふはっはっはっはっ。もとよりそなたは我が主(マスター)よりの大事な預かり物。しかと身の安全が保証されぬ場所になど、やれるわけがあるまい。

 そなたも今一度よく心に留めておけ。ダグは、我が主(マスター)の保護の下にあるのだ」


 そう告げる〈サン〉の腕の中のエリュシオンを見つめ、ダグはしっかりとうなずく。


「ぼくはここにいたい。ラナメールはまだしも、オットー王子は信用できない。ぼくを神殿に連れ戻す作戦かもしれない」


 ダグは少し暗い目をして、ひりつくような警戒心をにじませてつぶやく。

 神官ゲルガーがいる、あの灰色で塗りつぶされた神殿でのくらしに戻ることを思うと、吐き気をもよおすほどの強い拒否感しかわいてこない。


 ラナメールは何も知らないのだ。

 きっと他の誰一人として、ダグがどんな気持ちであの部屋で過ごしてきたか、知らないのだ。


 暗く鬱々とした闇に飲み込まれそうな思考を断ち切り、ダグは「それより……」と、つとめて明るい声に代えて、エリュシオンに向き直る。


「ジュリアロス様から連絡は来た? いつ頃、戻ってくるとか」


 ダグの問いかけに、エリュシオンは「フム」とつぶやいて通信ログを確認する。


「新たなものは届いておらんな。深層部はかなり入り組んでいて、水没している場所も多い。しばらくは音信不通のままであろう」

「そうですか。ああ。できたらぼくも、付いていきたかった……」


 オットー王子の相手をするくらいなら、神殿の地下深くにあるという迷宮を探検する方が、よっぽど楽しそうである。

 足手まといになるのは分かっているので、自分からは言い出せなかったが……。


「あと十年もすれば、そなたもおのずと立派な青年になる。その時には役に立てるよう、今はゆっくりと精進するが良かろう。

 まあ案ずることはない。そなたはなかなか優秀な生徒である。

 では、そろそろ。今日の分の学習を進めるとするかの──」


 神殿内の一室にて、天魔竜王エリュシオンを講師とし、ダグと〈サン〉を生徒とした授業が開かれる。


 使用される言語は、主としての「ニンゲン語」と少しの「エルフ語」。

「ニンゲン語」というのは、サンデール王国にて使われる「サンデール語」のことだった。

 そのサンデール語を中心として進められるのだが、足りない単語や新たな概念はエルフ語から引用される。


 なのでしょっちゅう、言葉や考え方を教え合う場面があり、〈サン〉も精霊の立場から思うことや感じることをポツポツと話していく。

 そうしてダグの知的世界は更新されていき、どんどん深まり広がっていく。


 おそらくサンデール王国の王族の受ける教育どころか、やがては知的最高権威である賢者らも知るすべのない、この世界の真理に触れていくのであろう。


 ダグも薄々、そのことを感じていたが、与えられる知識を得ることに対して否があるはずもない。


 最初に出会ったときは、恐怖でしかなかった〈サン〉とエリュシオンだったが、見た目はともかくエリュシオンほど理知的な存在を、ダグは知らない。


 エリュシオンは誠実に、どんな話だろうとマジメに根気よく対応してくれる。思慮深く前向きな回答には、何度も納得したし、同時にホッとさせられる。

 そばにいるだけで安心できる、偉大な祖父のような存在だった。


〈サン〉にしても、見た目は自分と同じ年頃の女の子のようだったが、実際は何百年も生きた大樹の精霊だった。

 しかも女の子、というわけでもないらしい。


 男でも女でもなく、表情もあまりないのだが、穏やかでとても素直な性格らしく、物事にあまり動じない。

 まさに大樹のような──。気がつくとそこに、静かにたたずんでいる、そんな存在だった。


 聞くと最近まで、今のような体を持たなかったらしい。

 そうしてずっと大樹であった頃の習性で、放っておくと日向(ひなた)でボーッとしたまま、何時間でも動かないことがあるのだとか。


 そうと知ると、不気味だと思う気持ちも消えていき、なんだか少し手のかかる妹か弟ができたみたいな気分だった。


 あと、ダグの前にはあまり姿を現さないが、ボサボサの長い赤毛の医師、レッド・ジョーカーがこの神殿にはいる。


 いつもニコニコと口元で笑っているが、何を考えているのかは、実のところよく分からない。

 性別もまた、よく分からなかった。男の人のようで、女の人のようで……。

 顔を隠すような髪型のせいで、いかにも見た目が怪しげなお医者先生だった。


 けれどダグを診察するとき、その言葉や声音はとても穏やかで、見た目さえちゃんとしていれば、すごくよいお医者先生でもある。


 そんな先生は、どうやらヴィヴィアンことヴィーに心酔しているらしい。いつもあれこれと手を尽くして、ヴィーの世話を焼こうとする。

 そしてその時だけは、何かよくわからないものに豹変する。


 美容のためと持ちこんだクリームを、ヴィーの全身に塗りたくろうとするし、血行をよくするマッサージだと言っては、妖しげに両手の指をくねらせてその体に触ろうとする。


 もちろんヴィーは、クリームは受けとっても体には触らせない。

 マッサージも徹底的に断り続ける。そういった断りのときの冷淡な視線ですら、けれど先生にとってはご褒美らしく、決してめげることはないようだった。


 さらには健康のためと大鍋で煮た何かを、毎回、食事に持ってくるのだが──。

 ぶつぶつと何かつぶやきながら、鍋の中身を混ぜている姿を見たときは、まるで深い森の奥に棲むという伝説の魔女のようで、しばらくは食事をとるのが怖かった。


 しかしお医者先生の作るスープのお味は、これがなかなか絶品だったりする。

 スープだけではなく、様々な料理も作り始め、それもしだいに手の込んだものになっていく。

 甘いデザートやお菓子が出てきた時点で、ヴィーもダグもたやすく胃袋を掴まれてしまった。


 偏執狂(パラノイア)の医師によって、実はコッソリ内部から体を作り変えられている──。

 というような危惧も、ちゃんと頭の隅にはあるのだが、その手が作り出す魔法のような甘味の誘惑には、はかなくも屈服してしまった。


 とにもかくにもダグが理解するには、レッド・ジョーカーという医師は、計り知れない。

 何かと難易度が高すぎる存在だった。


 そして最後の一人──。

 見た目はまぶしく光る虹色のガイコツのような男の人。


 見上げるような骨格を持つ存在は、黙って立っていると死霊系魔物、不死の魔物の魔王のようにしか見えない。

 だが、触れてみると透明な肉体を持っており、ちゃんと人と同じく温かみまである。


 そしてその中身も、質実剛健。弱い者を放っておけない人情に厚い人柄のようだ。

 嵐の夜にダグを見つけて拾い上げてくれた命の恩人は、このドクロ公爵ことエンドスカルだった。


 精霊たちにとても慕われ、何かあると森の中を走り回って問題解決にあたっている。

 一切の不平不満を漏らさず、黙々と事に当たる姿は、少し近寄りがたい雰囲気があったが、この人も誰よりもヴィヴィアンのことを思っている。


 ダグのことも遠慮がちに気づかい、最初は見た目で怖がられるだろうと、距離を取ってくれていた。しかし慣れてきた最近では、ふつうに話もできる。

 森で起きたアレコレの話を聞かせてくれる、気風(きっぷ)のいい兄貴分だった。


 そんなエンドスカルだったが、今はここにいない。ヴィヴィアンと共に、この地下にあるという大迷宮へと探索に出かけたのだ。

 何かとっておきのお宝が見つかったらしく、ヴィヴィアンは大張り切りでエンドスカルを従え、神殿の奥にある扉の向こうへと姿を消してしまった──。


 あれからまだ、二日半しか経っていない。

 それなのに主の消えた神殿も森も、どこかダラケたような雰囲気が漂っている。

 突然の来訪者があったにもかかわらず、なんとなく気の抜けたような気配があった。


 そんな隙を突いて事は起こるのだが──。


 ダグはふたりの戻ってくる日が、もうすでに待ち遠しくてしかたなかった。





ダグの気持ちは、もう王国の神殿にはないようです。

ジュリアロスの森での暮らしに満足して、すっかり堪能しているようです。

けれど我らがヴィヴィアンはお出かけ中。

剣豪エンドスカルもいないようですが──。


次回『31.それぞれの思惑』

地下迷宮のヴィヴィアン、キューブに捕られたバルダララス、

そして何やらたくらんでいる様子のレッド・ジョーカー──。

それぞれの現状を、ちょっとだけ覗いてみます。

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