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26.バルダララスと黒い壁

ジュリアロスの森で始まる、レッド・ジョーカーの狩り。

狙う獲物は『サンプル№128のオリジナル』こと、

グリースの森のバルダララス──。


これは、ちいさな王族を裏切った報いなのか。

赤い蓬髪(ほうはつ)の主の放つ見えざる手が、彼らを絡め取る──。


 ジュリアロスの森の中──。

 その転移門をくぐり抜けて早々、バルダララスはサンデール王国の王子と巫女を置き去りにした。

 転移門さえ抜けられれば、カギとしての彼らはもう用済みである。


 ヒューの行動については予定外だったが、その心情はまぁ一応は理解できた。

 どちらも〝子ども〟とあなどれないほど利発で、素直な子どもたちだった。

 まだほんの入り口とはいえ、何が起こるか分からない精霊の森で、そのまま見放すのは忍びなかったのだろう。


 あの後、恐れを成して武官らの元へ戻ったのか、そのまま森を進んだのかは分からない。

 しかしどちらにしろ、ヒューは最後まで子どもたちを見守るに違いない。


 それだけなら単なる過保護にも思えるが、それもまたひとつの選択だ。悪くはない。

 あえて『破門』として、その場に残してきたのも、念のための保険だった。


 サンデール王国を敵に回すことになっても、ヒューがいれば完全につながりが途絶えることはない。

 王子のそばに付いてうまくやれば、王国の次世代の中枢に、ヒューはさらにしっかりと食い込むことになるだろう。

 そのため完全に関わりを断ち、バルダララスはあえて完全な悪役を演じたのだが──。


 憎まれることには慣れている。実際に相当、悪どいことをやってきたのだ。

 他の誰に何と罵られようと、もはや痛む心もなかった。

 一族を守り抜くために、足手まといにしかならない子どもを置き去りにするなど、どうということもない。


 ここからが正念場だった。

 精霊は手強い。純粋に力を行使し、敵と見なした者には容赦ない。

 女神を崇拝し守ろうとする精霊たちとは、できるだけ穏便にやり過ごすべきだった。

 そうして目覚めた女神とやらに近づいて、その正体を推しはからなければならない。


 今回、集められた仲間は、相当な訓練を受けた手練(てだ)れたちだった。なかでも特に人としての気配を絶って、森の中にまぎれ込むことができる者たちを集めている。


 このジュリアロスの森ほどではないが、グリースの森にも精霊は棲んでいる。かなり数を減らして弱ってはいるが、その存在は近くにあり、常に親しみなじんでいる。

 そのためグリースの森の民は、かなり敏感に精霊の動きを感じとることができる。

 女神の神殿を目指し、それぞれが特性を発揮して森に気配を馴染ませ、ズンズンと進んでいく──。


 そんななか、バルダララスには妙な感覚が、いつからか、ずっとついて回っていた。

 いつものように湧いて出る、「やれる」という確信に満ちた自信に、どこか揺らぎがある。

 この偵察という名の侵攻に、漠然とだが、重大な見落としがあるような不安を感じるのだ。


 それで追いつめられることもある。紙一重で危機をやり過ごし逃げ帰ったことも、なりふり構わず強引に突破して、目的を成したこともある。

 だが、基本的にいつもは「できる」と確信が持てるまで、相当な準備をして事にあたっている。

 今回も数年にもわたってサンデール王国に網を張り巡らせ、オットー王子を取り込み、この機会をものにしたのだ。


 そう何度も訪れる機会ではない。今、この瞬間に全力をかけて挑むべきだった。

「集中しろ。何も見落とすな。必ずやりとげろ」と、自分に言い聞かせる。


 全神経を尖らせて女神に近づき、その正体をしっかと見定め、最大限の成果を手にするのだ。

 でなければ全てを失ってしまう。

 グリースの森と仲間と一族と、その全てを──。


 そうして気合いを入れ直したバルダララスの視界の隅に、ふと、引っかかるものがあった。

 巧妙に樹木の影に隠れながら、俊敏な動きでこっそり付いてくるものがある。


 それは()()()()()のクモ──。


 バルダララスはそれに気づき、ギクリと身を震わせる。


 いつから張り付いていたのか……!

 違和感を感じだしたのは、森に入る少し前あたりか。おそらくその頃から、ずっと見張られていたに違いない。


 忘れるはずもない。

 それは奇妙な存在と遭遇したあの湿地で見た、手のひらほどの大きさのひとつ目玉のクモと、同じものだった。


 ずっとまとわりついていた違和感の正体は、恐らくコイツの存在だったのだ!


 そのことに気付くと、バルダララスの背筋にゾクリとした感覚が走る。だが、あえて口の端を持ち上げニヤリと笑う。


 あの時のひとつ目玉のクモだとすると、湿地で出会った正体不明の高位精霊が、近くにいると言うことである。

 アレには一矢(いっし)報いたいと思っていたのだ。


 やはりあの高位精霊は、この森や女神に関係した存在に違いない。

 しかも向こうからバルダララスに興味を持ち、森に入る前からひとつ目玉のクモに見張らせていたようだ。

 どうやら意識してくれているようだと思うと、なんとなく気分が沸き立つ。

 大事な頭髪を盗まれたかいが、あるというものだ。


 だがその高位精霊の姿を確かめる前に、何やら争うような気配と仲間の怒声が響く。

 バルダララスの周囲に緊張が走った。


 一体、何が起こったのか。ざわざわとカンに障る気配がどんどん近づいてくる。

 それは何かに(あらが)うような気配と声を飲み込み、やがてバルダララスの視界にも飛び込んでくる。


 真っ黒な壁だった。


 明るく清廉な朝日の中でも、異様なほど黒く巨大な壁。

 その壁を引き連れるように歩くのは、炎のように真っ赤な頭髪をくしゃくしゃと伸ばし放題の、顔も分からない白い服の男。いや、女だろうか──。


 口の端を引き上げるように、笑っている白衣の主。


 見ているそばから、仲間のひとりが不自然に体を引き寄せられていく。

 最大限に特性を解き放ち、四肢を踏ん張ればトラの爪が大地に穿(うが)たれる。そう簡単にその巨体は動かせるものではないのに──。


 またもうひとり、振り下ろされる変化したその腕の鎌は、小さな丸太なら一刀両断にするはずだった。いまは虚しく(くう)を切るばかりである。


 まるで不可視の手に持ち上げられたかのように──。


 必死に武器となる鋭い爪の手足を踏ん張ろうとも、鋭い両腕の鎌を振り回そうとも、なすすべもなく相次いで黒い壁の中へ、スポンッと取り込まれる。


 まるで夜の闇を固めたような黒く四角い壁。人を悲鳴ごとするりと飲み込むこんな魔物など、聞いたことも見たこともない。しかも赤髪にピッタリと付き従っている。

 この者は、魔物使いか──。


「ならば」と、そちらへ攻撃の矛先を向けたザッセスの体が宙に浮く。

 特質を解き放てば、仲間内でも最重量をほこる男の体が、唐突に地面から浮き上がったのである。

 慌ててその丸太のような足首を掴んだバルダララスだが、力負けして踏ん張りが効かず、ふたりでズリズリと引き寄せられていく。

 そしてバルダララスの体にも、見えざる手が絡みついて、そのままザッセスと一緒くたにされてしまう。


 特質を発現させれば、パルダララスは逃げられるはずだった。

 彼の特質の解放は、他のものとは異なりどこまでも伸展する。短時間ならば一部を分断し、また取り込むこともできる。

 だが……。


 黒い壁に吸い込まれる寸前、こちらを見ている赤い蓬髪の存在と目が合う。

 その瞳は、ゾッとするような赤だった。

 見るものの魂を飲み込んでしまいそうなほど、不思議な美しい色で煌々(こうこう)と輝いているのに、どこまでも暗く狂ったような禍々(まがまが)しい赤の瞳……。


『やっと、捕まえた。会いたかったよ、私のデグリスモア──』


 その言葉の意味は分からなかった。

 けれど人を不快にさせる気配に満ち、善意のひとかけらも感じられない。


「おまえは何や! オレたちをどうっ……」


 黒壁に飲み込まれたバルダララスの言葉は、プツンと途切れる。

 そうしてそこに残ったのは、赤髪の偏執狂の医師がひとり。

 悪夢のような光景など何もなかったかのように、たいそうご機嫌な様子で取りこぼしがないかと周囲を確認する。


 その肩にぴょんと一匹のスパイアイが飛び乗る。まるで(あるじ)になにかをささやくかのように、その瞳孔をせわしなく拡大収縮させている。


 赤髪の主は「お疲れ様。では、これにて捕獲完了です」と告げると、にんまりと口元だけでほほ笑む。

 それから「フン、フン、フフフーン」と鼻歌を歌いながら、ご満悦な様子で、森の奥へと消えていくのであった。




レッド・ジョーカーの見えざる手。

コワイですね。恐ろしいですね。馬鹿力ですね~。

そして初めて判明した、その赤髪の奥にかくされた瞳の色は──。


次回『27.精霊と鉄の魔物と子どもたち』

置き去りにされてしまった、子どもたちと護衛ヒュー。

かれらの行く手に待っているのは、精霊たちと鉄の魔物。

果たして彼らの出合いは──?

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