23.転移門の剛壁──武官イグノジャー
誰よりもこっそりと早起きするラナメール。
目指すはもちろん、ダグのいるジュリアロスの森。
けれど待ち合わせの場所に現れたのは……。
行く手には、大きな壁が立ちはだかります。
薄い布団の上からトントンと軽く肩を叩かれる。それだけでラナメールはハッと目を覚ました。
眠っていてもどこか気を張っていたのだろう。いつも寝起きは悪いのだが、今はスッキリと目がさえている。
まだ暗くて相手の顔もよく見えないが、シルエットと気配からヒューであることがうかがえる。
女の子の部屋に男が入ってくるのはどうかと思うが、起こしに来てほしいと頼んだのはラナメールなので仕方がない。
ナナクロには何も言っていない。今は隣の部屋で眠っている。なので音を立てないよう急いで用意を済ませると、テーブルの上にそっと手紙を置いていく。
『少し森を散歩してきます。心配しないで。必ず戻るから。
ラナメール』
ヒューに続いてそっと宿舎を抜け出すが、あたりには夕べの酒盛りの名残があちこちにみられた。
肉の焦げるようなニオイのたき火あとがくすぶり、天幕に戻らずそこらで眠っている猛者がゴロゴロしている。
未明の少し冷めたい空気の中、その静けさを破るような高いびきが、あちこちから響いてくるのだ。
「これでいいのか? 転移門を見守る兵士たちよ」と、ラナメールは少し心配になる。
何人かは警戒任務中のはずだが、それらしき兵はどこにも見当たらない。まだ暗いので見通しが利かないが、みんな酔い潰れてしまっているように見える。
もしかして、ヒューが何かしたのだろうか。
おかげさまで早足にその間を抜けていく二人に、だれも気づかない。
そのまま黙って歩いて行くと、やがて遠くに転移門の黒い影が見えてくる。
転移門と言っても黎明の賢人アスタリオと、慈愛の聖人マロウエの巨大な石像が、向かい合って立っているだけである。
その堂々たる石像の手前に、ホロのかかる一台の荷馬車が止まっていた。その傍らに、一人の少年と背の高い大男が一人立っている。
第一王子オットーとその個人的護衛バルである。
「オットー王子!」
いよいよである。周囲には兵の姿もなく、ラナメールは思わず声を上げ、手を振りながら駆け出していく。
だが馬車の後ろから、二人の背後に大きな黒い影がぬうっと現れるのを、ラナメールは「えっ?」と目を見開いて眺めるしかなかった。
黒い影から振り下ろされる何か──。
瞬間に身を屈めて避けたバルだが、体勢が崩れたところに回し蹴りをもろに受けて蹴り飛ばされる。
そのまま転がって倒れ、地面でうめくバル。
その剣幕に圧倒され、ぺたんと尻餅をつき、呆気にとられるオットー王子。
二人の間に割り入って立つのは、大剣を手にした圧倒的巨漢の武官イグノジャー。
「王子、これは一体、どういうことですかな」
地を這うような武官イグノジャーの声音に、オットー王子は身を震わせる。
「えっ、えっと。ああ。これは……。これは、だな……」
必死に言葉を紡ごうとするが、突然の出来事に気が動転しているのか、オットー王子からは、なかなか言葉が出てこない。
はなから答えなど求めていないのか、武官イグノジャーは鋭い大剣の切っ先を、倒れたままのバルに突きつける。
「これは始末して構いません……な」
静かに凪いだ声だが、その身が放つ鋭い気配はそのままバルの首へと注がれる。
言い終わらないうちに、大剣は静かに弧を描いていた。
事後承諾だった。
ゴトリと頭が落ちた。
ついで、バルの上半身は、ドサリと地に倒れ伏す。
そして一切の動きを停止する。
オットー王子は悲鳴を飲み込み、ラナメールは心臓が凍り付いた様な痛みを覚え、息を詰めてその場に立ちつくす。
信じられない思いだけが空回り、「なぜ」と疑問ばかりが頭を埋め尽くす。
なぜ、こんな所に武官イグノジャーがいるのか。なぜ、バルを襲ったのか。なぜ、バルの首をはねたのか……。
なぜ、なんのために……。
単純に目の前の武官が、出来事が恐ろしかった。自分のせいでバルは命を落としたのか? あの切っ先が、次はこちらに向けられるのか?
武官イグノジャーの真意が分からない。
だけど、バルを殺したのだ。それが答えだ。ジュリアロスの森を目指すことを、武官はきっと許さない。
「な、なぜ、殺した」
震える声で問いを発したのはオットー王子だった。分かっていても、問いたださずにはいられなかったのだろう。バルはお忍びの際の護衛として、王子とは親しい顔なじみだった。
痛むほどにぎりしめられた拳が震えている。
苛烈な武官イグノジャーは、それには答えない。
「おい、イグノジャー……。なぜだ! どうしてだ! 答えろッ!」
王子の振り絞るような激昂にも黙ったまま、ピクリとも動かない。全く微動だにせず立ちつくす姿に、どこか違和感をおぼえはじめた頃、その体がフラリと前後に揺れてゆっくりと傾き始める。
そうして、そのまま背後にドサッと倒れる。
またもや、「えええ???」の疑問符が頭の中を埋め尽くす。
後頭部を思い切り地面に打ち付けたに違いない武官イグノジャーだが、その見た目通りかなり頑丈にできているらしい。
そのまま高いびきをかいている。
なぜ、寝てる??? と、まったくわけが分からない。
一体どうなっているのか。
想像を絶する混沌に困惑を重ねていると、ゆっくりと前に進み出たヒューがため息交じりに告げる。
「いつまで続けますのや。あんまりやりすぎると、死体として置いて行きまっせ」
どういう意味かと考えていると、倒れていたバルの体がふいに動き出す。切断されたと思っていた首もつながっていて、むっくりとその上半身が起き上がって地面にあぐらをかく。
確かめるように首をコキコキと鳴らしている。それから何事もなさげに立ち上がったのである。
「ええええっ! バルッ! 生き返った、のか……!?」
「そんな、うそっ! だって今、斬られて……っ! 首、切り落とされたわよね!!!」
信じられなさと、何が起こっているのか訳のわからなさに、王族ふたりは大声を上げてわめき始める。
「首を落とされて生きてるって……あなた魔物だったの!!!」
「バルッ!!! おまえ、ちょっとニオイがきついと思ってたら、生きる屍だったのか!!!」
「えええっ!!! 魔物は魔物でもそっち系! しかも、しゃべる不死者なの!!!」
興奮して騒ぐ二人に、バルはめんどうくさそうな視線をちらりと送り、すぐにニヤリと笑う。好き勝手に言われ放題なことにお怒りなのか、どこか凄みのある笑顔である。
ふたりは言い過ぎたことに気づき、慌てて口を閉ざす。
「不死者やなくて『不死身』や──」
その意味ありげな笑みと、不思議な光を讃える瞳に、ふたりはそろって息を呑む。
告げられた言葉の意味がうまく理解できなかった。
ひたすら目を見張り、マジマジと目の前の背の高い大男の顔を見つめる。
不死身──。
「なーんてね」とすぐに付け足して肩をすくめるので、それが本気か冗談かは分からない。
そのことを追及する前に、バルは「で?」とかなりのマジ顔でたずねてくる。
「オレ、そないにニオってます?」
とたんに、オットー王子が慌てふためいて訂正する。
「いや違う。違うぞ、勘違いするな。ほら、以前お前が使っていた虫除けがすごいニオイだったから……。というより、お前……、大丈夫なのか? 本当に生きているんだな?」
まだ信じられない思いで問いかけるオットー王子に、「見ての通りでございます」と、バルは両手を広げてみせる。
本当に、どこもケガをしてはいないようである。
「じゃあ、武官はどうしたの?」
ラナメールは怖々と、倒れている武官イグノジャーをのぞき込む。
いきなり倒れたかと思うと高いびき……、というのはあまりにも不自然だった。
バルかヒューか、あるいはすでに馬車の中で待機している、バルの仲間の誰かが何かやったのだ。
「武官殿は──。ああー。きっと、ちょっと寝ぼけてはったんやな」
ヒューがいきなりそんなことをいい出す。どうやら、すっとぼけるつもりらしい。
「マジメなお人やし。酔うて寝ぼけながらもお役目果たそうと、見回りしてはったんやなぁ。
いや、最後は寝てしまわはったけど、さすがやなぁ。──お疲れさんです」
そんなはずはない。明らかに殺気立っていて、バッチリ目覚めていた。
その言い方から察するに、おそらくヒューが何かしたのだろう。こっそり吹き矢でも飛ばして、眠らせたにちがいない。
けれどきっと手の内を明かしたくないのだ。ここは深く追求するより、そういうことにしておくほうが、大人の対応ということかもしれない。
ラナメールは空気が読める、十歳女児である。
「そー、なんだー。さすがー、武官様ねー」
「そうなのか? いや、だが……、しかしだな……」
納得しないオットー王子を横目に「そういうことなのよ」と告げて、倒れている武官を眺めると、ラナメールはポケットからそっとハンカチを取り出す。
それをフワリと広げると、イビキのたびに上下する、武官の胸にそっと広げる。
「お疲れ様、武官。ごめんなさい。そして、おやすみなさい。風邪、ひかないようにね」
ラナメールの心遣いを温かい目で見守った一行は、改めて出発の準備を整えた馬車に乗り込むのであった。
謎の多き男、バル。
首を切り落とされたのに、生きているとはこれ如何に。
そして置いて行かれた武官イグノジャー。
彼にとって、苦難の日々が始まります。
次回『24.裏切りの果てに──バル』
信じていたのに、そんなのってあり?!




