2.呪(のろ)いをササゲよ。死者を出せ
真夜中に鳴りひびく鐘の音──。
風の精霊が伝え広げる『ジュリアロスの森の大号令』。
それは人々に驚きと困惑をもたらしていた。
そしてダグ・ディ・サンデール第二王子は──。
『神が目覚めた。呪いをササゲよ。死者を出せ』
数日前、真夜中に鳴り響いた、いわくのある古い大鐘楼の鐘。全ての者を夢の世界から叩き起こした大音声は、同時に風の精霊を伴って大号令を発していた。
しかし風の精霊の言葉は、誰にでも分かるわけではない。神殿にて偉大なる女神に祈りを捧げる巫女のみが、その言葉を聞き分けるという。
そうして聞き取ってまとめたものが、前出の一文だった。
歴史をひもとくと、大鐘楼の鐘が最後に鳴ったのは、なんと三百年も前のことだという。
ジュリアロスの森に住まう『黎明の賢人アスタリオ』が姿を消された、という風の精霊の知らせを最後に、沈黙を守り続けること三百年。大鐘楼の鐘は、今日までキンともカンともその音を響かせることはなかったのである。
よってアレが『精霊の鐘』であることさえ、人々は忘れかけていた。
そんな調子なので精霊の言葉を聞き分ける巫女の力も、三百年前に比べると、話にならないほどお粗末なデキとなり果てていた。もはや笑えるほど錆び付いているのだが、そのことについて神官ゲルガーはおくびにも出さなかった。
「大巫女様をはじめとする巫女たちが聞き取った、風の精霊の言葉です。『精霊の鐘』を伴うお告げは神聖なものであり、かつ重要な意味を持つものです。
今回はこのように不穏な内容であることからして、ジュリアロスの森にて何か恐ろしい変異が起こっていることは間違いないかと」
「フムゥ……」
真夜中の大音声に驚いてベッドから転げ落ち、腰を痛めてしまったサンデール国王は、あれ以来ずっと寝台から離れられない。
さらに詳しい話を聞こうと神官の方へと身をひねり、「アタタッ」と響く腰の痛みに顔をゆがめる。慌てて駆けよる侍医を制して、痛みを逃しつつ、それ以上動くのはあきらめる。
「うぅっ。それにしても、神が目覚めた……、とはのぉ」と、苦々しく独りごちる。
神官ゲルガーの報告を疑うわけではないが、聖域であるジュリアロスの森に『神』が目覚めたと聞かされても、途方に暮れるしかない。
あそこはタダの森ではない。精霊が支配する、精霊の森だ。人がおいそれと介入できる領域ではない。
「誠に。あまりに不吉でありますぞ」
大臣のひとりがおもむろに口を差しはさむ。
「呪いを捧げるだの、死者を出せだの、とうていまともな『神』とも思えませぬ。一体、何が目覚めたというのか。その辺りのことは、何かわからんのか」
「まだ、はっきりとしたことは分かっておりません。しかし邪神、魔神のたぐいではないかと推察しております」
神官ゲルガーの返答に、その場に集まった大臣達に困惑が広がる。
「ふうっ。やはり、そうか。そうなりますな」
「邪神とは……。なんとも、やっかいなことじゃ……」
そろって頭を抱える大臣達の様子を眺めながら、国王は問いかける。
「それで、何か策はあるのか」
あまり期待もないが、博識で切れ者でもある神官ゲルガーは、冷たく感じるほど整った面立ちもあって、何だかの対抗策をひねり出してきそうである。
「現在とれる手立ては、ジュリアロスの森周辺の警備強化を進め、ついで境界の民から森の変異について、くわしく聞き取りを行うことでしょう。
それと、精霊のお告げの真意をさらに深く掘り下げて読み取るつもりでおります。それらの中から有効な手段を見つけ、手を打つしかございません」
「はぁ。確かに」また別の大臣がうなずく。
「境界の民ならば、すでに何か気づいておるやもしれん」
「大号令の解釈も、決して間違いがないように。取扱いを誤れば、大変なことになる」
核心を突いた言葉だが、すでに解釈の方向が間違っている。そのことにまだ誰も気づいていない。
精霊の棲むジュリアロスの森に、普通の人間が入ることはできない。
踏み込んでも、なぜかすぐに元の場所に戻ってしまう。しかしその曖昧な境界ともいえる場所では、豊かな森の恵みを得ることができる。
精霊に敬意を表し、精霊に配慮を欠くことのない者だけが、その恩恵にあずかれる。運が良ければ、森の妖精と、直接モノの取り引きができるという。
ある者は精霊に美しい布織物を差し出し、代わりに貴重な薬草を手に入れたという。またある者は立派な高級茶器を差し出し、それは一頭の見事な駿馬に換えられたという。
あとはジュリアロスの森に続く転移門の向こうに、精霊や妖精の姿をたまに見ることができるらしい。
国王はあれこれ思考を巡らせながら、黙って控えていた武官イグノジャーに目を向ける。
「イグノジャー。兵を派遣し、転移門とその周辺を見張るのじゃ。ジュリアロスの森を監視し、警戒を最大限に強めよ」
「はっ。承知いたしました。第二、第三兵団をもって、直ちにジュリアロスの森の警戒監視に参ります」
武官イグノジャーが拝礼し、その大きな体を揺らしながら立ち去るのを見届ける。
他の大臣達もそれぞれに事後策を話し合い、やがてその場を去っていく。
国王は重いため息をついた。
国の大事と言うときに動けぬ我が身が、何とも嘆かわしかった。
ままならぬ腰の痛みに情けない気持ちを抱きながら、寝台の上から報告に対して次々と指示を出していく。
頼みとなる王子はまだ幼く、こういった有事の際に指揮を執れるものは国王の他にはない。
だが王子と言えば、今回のできごとで不可思議な報告があったことを思い出す。
神殿に出したはずの王子の一人が、なぜか大音声を響かせた大鐘楼の中から見つかったというのだ。
しかも仮死状態で体は冷え切り、今にも死にそうな状態だったという。
最初に報告を受けたときは、勝手に忍び込み出られなくなったかと、さほど気にも留めなかった。しかし精霊の大号令を知った今、大きなひっかかりを覚えていた。
『呪いをササゲよ。死者を出せ──』
たまたま、偶然と呼ぶには、あまりにもタイミングが合っていた。『精霊の鐘』が大音声を響かせた夜、その大鐘楼で仮死状態の忌み王子が見つかるなど──。ほんとうに偶然なのか?
それについて、しばらく突きつめ考えていくと、天啓のようなひらめきが落ちてくる。
国王は目を見開き、興奮の余りに、しばし腰の痛みも忘れるほどであった。
「ゲルガーよ。仮死状態であったという王子はどうなった」
その場に残っていた神官ゲルガーに問い掛ける。
「ダグ王子殿下でしたら、一命は取り留めております。しかし現在も発熱があり、意識は朦朧とされています。まだ幼くあらせられるので、決して油断は禁物かと」
自分が閉じこめたことなど忘れたように、神官ゲルガーは淡々と王子の容態を語る。
「そうか。母親は王族には至らぬ者であったが、あやつは王族の資質をほぼ完璧に受け継いでおる。あの身に流れる血は、あらゆる場面で役に立ってくれる。王妃の生んだオットーよりもじゃ……。
使いどころは考えものだがの。可能性があるゆえに王妃とその周囲には憎まれておる、忌み王子──。いたぶられて亡き者にされるも不憫と思い、わしは神殿に──。そなたに預けたのじゃ。
しかしまさか、神官であるそなたも、あれを厭うておったか」
「……滅相もございません。王子殿下の身を危険にさらしたことは、いかなる処罰でもお受けいたします。
ですが私は、ダグ王子殿下に誠心誠意尽くしております。それをお疑いになられるとは、心外でございます。口さがない者たちの、どのような言葉が陛下のお耳汚しになったかは存じませんが、女神ジュリアロスに誓って、私の忠心に嘘偽りはございません」
知らぬ者が聞けば、その毅然とした態度に神官ゲルガーの意志の強さを感じたかもしれない。しかし国王は「ふんっ」と鼻であしらい、うろんな者を見る目つきになる。
「心にもないことを、ぬかしおってからに……。そなたの歪んだ忠心などどうでもよいわ」
長年の付き合いもあったが、呼吸のタイミングや間の取り方などから、国王はゲルガーの嘘を見抜いていた。殊勝な態度は人を欺くためであり、本心は全く別のところにある。
「魔導書の解読に、王子をこき使っておるようだな。だが、間違えるな。あれは此度の騒動のカギとなるやも知れん。おそらくは使(死)者として、転移門をくぐらせることになるだろう。それまでは、くれぐれも失うことのないよう」
神官ゲルガーはわずかに目を見張る。
「それは……。ダグ王子殿下の、王族の血を持ってゲートを開き、ジュリアロスの森へ遣わされる、ということでしょうか」
「そうだ。呪いをささげ、使者を出すのであろう? ならば王妃から妬まれ疎まれておる忌み王子は、うってつけではないか。何か異論があるのか?」
「……いえ。滅相もございません」
「まずはジュリアロスの森の調査をいたせ。話はそれからじゃ」
しばし、ためらうように考えを巡らせる神官ゲルガーだったが、すぐに動揺を見せることなく拝礼する。
そうしてジュリアロスの森の大号令は、サンデール王国に大きな誤解を産み落とし、波乱の波紋を広げようとしていた。
ご読了くださりありがとうございます。
しだいに怪しげな方向に向かうサンデール王国。
まだ幼いダグ王子の運命は……。
次回、『3.グリースの森の民──バルダララス』
あれ? ダグ王子は?