19.ダグと女神様
ようやくダグ少年の事情が、明かされていきます。
しかしどうやら、ダグの意識は別の所にあるようで……。
思ってもみない事実に、ヴィヴィアンは困惑します。
〝王子サマ〟の次は、まさかのまさか!
じつは〝女神ジュリアロス様〟って……。
王子サマ……。
ヴィヴィアンは、その思いがけないパワーワードに絶句する。
ずいぶんと幼くてカワイイ王子様だが、どうやら彼の認識ではそうらしい。
少年は王子で、父親は王様で、とにかく彼のいるサンデール王国には、そういった身分制度があるようだ。
つまりは階級格差や貧富の差があり、そこに政治や軍事、宗教や派閥やらがからむと、さらに面倒くさくなってくる。
改めて、考えてみる。
この少年が王子サマ……。
なんでここに? と、そこから疑問だらけだが、これはもう厄介ごとのニオイしかしない。
いいや。今ならまだ、ソッと気付かれないよう返したら、大事にならずにすむだろうか?
『ああー。そうか。王子様か。もしかして、ダグ……、とか呼んだら不敬に当たるのかな?』
とりあえずそうたずねてみるが、ダグはブンブンと首を横に振る。
それから少し、ためらうように答える。
「ダグでいいです。よく考えてみたら、もう、王子ではないですから」
『えッ? そうなの?』
やはり、なんだか知らないが訳アリのニオイがプンプンする。
これはもっと詳しく事情を聞かなければ、何が何やらサッパリわからない。
ダグもこの場所に慣れてきて、警戒も少しは緩んできたようだが……。
あれこれ聞く前に、まずはもっと話しやすくなるようこちらから、あたりさわりのないことを話していくことにする。
食材の説明や、さっきここにいた者たちの話。決して悪気はなかったこと。みんなニンゲンと始めて出会ったこと。
ヴィヴィアンもそうだが、ニンゲンの言葉がわからないことなどを話していく。
そうしてずっと頷きながら話を聞いていたダグだが、やがて意を決したようにおずおずと尋ねてくる。
「あの……。あなたは、女神様なのですか?」
『…………へっ?』
突然の意味深なミステリアス・ワードに、ヴィヴィアンは目をぱちくりさせる。
ここまでの話の内容の、一体どこから〝女神サマ〟が出てきたのか分からない。
よくあるモノの例えで、「女神サマのようだ。女神サマのように優しい──」。という意味なら、「まだ子どものクセに、口がうまいなぁ」なんて返して笑えるのだが……。
なんだか、そんな感じでもなさそうだった。
なぜなら、ダグの眼差しがあまりにも真に迫っていた。冗談や軽口でまぎらわすには、どうにも重たい気配が感じられる。
子どもの妄想と、軽く受け流してはダメな気がするのだ。
だから少し悩んでから、そっと問い返す。
『どうしてダグは、わたしが女神様かもしれない、なんて思ったんだ?』
「それは……」
ダグは自信なげに視線をさまよわせ、しかし思ったことをひとつずつ言葉にしていく。
「こうして頭の中でお話ができるし。ぼくにこんなによくしてもらって、とても優しいし。
それにお名前が、ヴィヴィアン・ジュリアロス・ベルコ──。女神ジュリアロス様と同じだから、です」
何かを期待するようなダグの琥珀色の視線が向けられるが、ヴィヴィアンはその答えにどこか遠い目をする。
そして「そうか。そうなのかー」とうめき、思わず頭を抱えたくなる。
女神ジュリアロスの名は、この森の中に留まらなかった──というわけだ。
もっと広い範囲──少なくともダグが住んでいる周辺では、その名は知れ渡っているらしい。
もしかしてこの世界では、超有名人だったりするのか?
3579年ものあいだずっと寝ていて、一切、姿を現さなかったのに──。
いや、だからこそ神秘のベールにつつまれ、話が大きくなったのかもしれない。
神格化された偶像崇拝の女神様と、実際のヴィヴィアンとの差がこわすぎる。なんだかジュリアロスを名乗るのが、おこがましいような恥ずかしくなるような……。
『女神ジュリアロス、か──。うーん。確かにわたしはジュリアロスだけど、女神様じゃないよ。見ての通りの、ただのエルフだ』
「えっ? 女神様じゃ、ない……」
あからさまにガッカリしながら、しかしまだ疑っているような様子である。
ヴィヴィアンは少し考えて、その白金の髪でいろどられる頭を優しくポンポンとなでる。
『残念ながら、違うよ。でも、キミの信じる女神様が、キミが生きる上での標となるなら、きっとどこかにいるんだろう』
「どこかって……。どこにおられるのでしょう?」
本気で居場所を探すつもりなのか、真剣にたずねてくるダグに苦笑しながら、『そうだなぁ』とヴィヴィアンはつぶやく。
『わたしが神を語るのもおこがましいが──。神の教えというのは、人々の智恵であり戒めなんだと思う。神の存在は、希望であり救いなんだ。
人は現在や未来をよりよいものにするため、悪いことを遠ざけ、良いことを引き寄せようとする。それを知る神の声を聞こうと耳をそばだて、神が指し示す先を見ようと目を見開く。
キミもきっとそうだろう? よりよきもので有りたいと願うからこそ、女神様に近づきたい。会いたいと思うんだ。
けれど神は、現実に触れられるモノじゃない。もしも存在があるとしたら、強くそうありたいと願うキミの中。きっとココにいるのさ』
ヴィヴィアンは人差し指でダグの胸をツンと指す。
『あるいはこの世界、そのものにいるのかもね』
「この世界、そのもの……」
『うん。わたしはこの世界そのものに、神を感じている。
美しい世界のありようや命の輝きはもちろん、それを素晴らしいと感じる感性を頂けたことに、わたしは神の恩寵を感じる。
だけど、そうだな。もし……、人の姿をした神が、目の前にボヨヨンッ、て白い煙とともにあらわれたら、ちょっとばかり締め上げて聞きたいことが山ほどあるんだけどなぁ』
「えっ。し、締め上げるって……。神様をですか?」
本気で驚き慌てるダグに、ヴィヴィアンは『ぷっ』と吹き出して笑い出す。
『ははははっ。まあね。それで事が片付いたら、世の中、何の苦労もないけどね』
全くもって、この世はままならない。
思いがけないことがいっぱいで、一体何を企んでいるのかと、神がいるのならば、ぜひとも問いただしてみたい。
『ところで、ダグにとっての女神ジュリアロスは、どんな神様なの?』
きょとんとこちらを見つめ返すダグは、ギュッと胸元の布地を握りしめて語り出す。
「それは……、とても偉大な女神様です。あまたの精霊たちを統べる、女神の中の女神様です。
私たちを生み出し育て慈しみ、その愛は全てに勝るものです。光りに包まれた御身は何よりも尊く、人々の安寧のために手を差し出され、深く留まることを知らぬ慈愛と、天と地と全ての理を見通す叡智をもつ御方で、私たちはその恩恵によって生かされている羽虫に等しいのです。
そのため、私たちは誠心誠意を持って女神ジュリアロスをあがめたてまつり、神殿に身を置く者はとくと献身してつくし……」
『あぁー。ダグよ。なるほど、よくわかった』
ヴィヴィアンはまだまだ続きそうなダグの言葉を、話を振っておいて悪いと思いつつさえぎる。
『うん。女神様は確かに、立派な神サマだよ……。絶対、わたしじゃないな』
ニンゲンたちに女神信仰があることを、ヴィヴィアンは心のすみっこにとどめおく。
人ごとのようにそう告げるが、きっと『そうもいかないのだろうなぁ』と、ヴィヴィアンはこっそり深いため息をついた。
ヴィヴィアンと話をして少し落ちついたダグは、また眠りに落ちてゆく。
目が覚めれば、心地よく過ぎていく時間に、ひとりゆっくりと身と心をたゆらせ、これまでのことに思いを馳せる。
そしてときどき顔を出す、この神殿の住人を観察する。
ここで最初に出会った若葉色の女の子〈サン〉。
〈サン〉は大樹の精霊で元から寡黙らしく、表情もあまり動かない。だけど、これでもよくしゃべるようになったらしい。
そして動く木彫りのトカゲ人形……、ではなく暗黒の天魔竜王(?)エリュシオンは、こまめに姿を現しては「カタカタ」と話しかけてくる。
エリュシオンはすごく頭がいいようで、ものすごい早さでダグから人の言葉を覚えていく。
いろいろと聞いてくるのでそれに答え、ここの事もエリュシオンから教わっていく。
ここが女神ジュリアロスの神殿で、ほかに人間はいないこと。
そしてあの時に遭遇した、巨体のぴかぴかガイコツと赤髪の包丁魔は、なんとこのエリュシオンの弟分らしい。
それぞれドクロ公爵ことエンドスカルと、レッド・ジョーカーという名前だそうだ。
ドクロ公爵は森で倒れていたダグを見付けて、ここまで連れてきてくれた人。
見た目はとても怖くて、ダグにはあまり近づかないけれど、たぶんとても優しい人だ。
精霊たちと仲が良く、時々その大きな肩に小鳥やリスを乗せて遊ばせている。
レッド・ジョーカーは両手に包丁を持っていた人だが、あれで立派なお医者先生なのだとか。
ときどきケガや体の具合を見てくれて、おいしいご飯まで作ってくれる。
そしてダグはこの森へ至る経緯を話す。
あの日突然、わけの分からないまま夕暮れ間近の転移門へ連れて行かれ、これから女神様にお仕えするのだと言われたこと。
無事に転移門を通り抜けると、雨が降り出しやがてすぐに暗くなり、目指すべき神殿もどこか分からず──。
気付いたらここにいた。
それらのことを、ダグは包み隠さずに話した。
しかしここに仕えるべき女神様はいないという。
どうしたらいいか分からないと告げると、エリュシオンは「好きにしたらいい」と言う。
元にいたニンゲンの神殿に戻ってもいい。どこか他へ行ってもいい。
それからもちろん、ここに留まるのも、好きにしたらいい──、と。
「ここにいてもいい……?」とダグが戸惑っていると、ヴィヴィアンは笑って続ける。
『ああ。いいんじゃないか。構わないよ。だけどさぁ……』
ヴィヴィアンはふとさびしげにほほ笑む。
『わたしたちはこの時代の『かりそめの客』だ。とうに滅び去った一族の残滓にすぎないからね。
今に栄えて生きる君たちとは、住む世界が違うんだ』
「…………」
『君には君が生きるにふさわしい世界が、すぐそこにある。君はその世界の生き物なんだよ。
きっといずれそこへ帰ることになる。その時が来たら、きっとね。
だけどそれまでは、好きなだけここにいたらいいよ。その間は、できたら君たちニンゲンのことを、もっといろいろと教えてほしいな』
最初にゴブリンキングかと思ってしまったこの人、ヴィヴィアンことヴィーはエルフなのだという。
エルフという今はいない種族だが、植物のように緑色になると日の光で栄養がつくれ、あの時もそれで緑っぽい肌の色をしていたのだとか。
スラリとして背がとても高くて、男か女かもまだよく分からない。
女神様じゃないそうだけど……。
返してもらった首からさげていたメダルを、ダグはじっと見つめる。
同じなのだ。
そこに彫り込まれた女神ジュリアロスの崇高な横顔。
何よりもピンと先の尖った、人よりも少し長い耳──。
それとそっくり同じような長い耳を持つヴィヴィアン。
やっぱりどうしたって、ヴィヴィアンこそが女神様だと──。
そうとしか、ダグには思えないのだった。
だからやっぱり、置いてもらえるのなら、ここに居たいと思う。
神殿にはもう帰りたくない。
神官ゲルガーに会いたくなかったし、あの暗く灰色に塗りつぶされたような生活には、二度と戻りたくなかった。
どこか他へ行くアテもない。幼い頃に過ごした離宮と、神殿しかダグは知らないのだ。
誰も知らない遠くを目指したい気持ちはあっても、一人でどうにかできるほど強くないことは、なんとなく理解している。
だったらここでいい。
いや、ここがいいのだ。
「ぼくは……。ここにいたい」
ささやくようなつぶやきを拾い上げて、「わかった」とヴィヴィアンは力強く答える。
「これからよろしくな、ダグ」
人の言葉で告げて、正面から右手を差し出してくるヴィヴィアン。
その手に向けておずおずと自分の右手を差し出すと、グイッと力強く掴み取って握りしめてくる。
ダグの戸惑いも苦しみも、すべて受け入れてくれるような優しい暖かさに、ほろりと目頭が熱くなってくる。
「こちらこそ、よろしく……。ヴィー」
ダグはそう告げると、思い切り袖で目をこすり、泣きながら、久しぶりに笑っている自分に気付いた。
ようやく自分の居場所をみつけたダグ少年。
ここで穏やかに過ごせたらいいのですが……。
次回『20.巫女と王子と護衛ヒュー』
そんなダグのことを、見捨てられない人物がひとり……。
正義感に燃える少女巫女が、暴走して突っ走ります。
誰か手綱を握って……って、オットー王子?
あ…………。大丈夫、かな?