15.第三のAI──偏執狂(パラノイド)との攻防
ヴィヴィアンvsレッド・ジョーカー
相手が誰であろうと、守るべきモノは守らないと。
たとえその相手がお医者様でも先生でも。
いや、ホントそう。
いきなり手を握られて、これはどういう状況なのだとヴィヴィアンが困惑していると、目の前のもっさり赤髪の医師が思ってもみない言葉を口にする。
「姫……。なんとお優しい」
「へ? ひめ?」
「ああ、なんと柔らかく慈愛に満ちた温もり。まさに女神のような霊的魔力。ツヤツヤとして張りのある瑞々しい果実のような。
つい……、食べてしまいたくなるほどの柔らかさですね。
おや? 少し心拍数が上がりましたか? もしかして私にときめいて、いらっしゃる?」
両手をにぎにぎスリスリされているヴィヴィアンは、ドキドキするよりゾワリと背筋を走り抜ける何かを感じていた。
悪寒と決めつけてしまうには奇妙な、得体の知れないおかしな感覚に戸惑う。
何が起こっているのか分からなかったが、全身を走り抜ける感覚に呼吸まで乱れそうになる。
その原因は、この医師の行いに間違いない。
「どうかこのレッドを信用して下さい。私はあなただけの専属医です。
姫の健康管理は全てお任せを。全てを私めにお委ね下さい」
「じゃあ……。まずその手を離せ。ベタベタしてくる見えざる手も、全部どけろ。
わたしの同意なしに勝手に触れて、体に干渉するな。
燃やされたいのか? 今すぐ電源を落として、闇に沈めてもいいんだぞ」
静かな恫喝に、レッド・ジョーカーは驚いたようにその手を離す。
全身を這いずり回る、見えない触手からも解放されてホッとするが、気を緩めずに固まっている医師を見つめる。
「何を驚いているんだ? 言ってることと、やってることが真逆のくせに。
『患者のために』だって? 信用するには、あんまりにも挙動不審だろ。
エルフだったら頭わいてるな。だがおまえはAIだからな。人格改変を断行するか、機能ダウンさせるしかないよな?」
「クフフフッ。この見えざる手に気付かれたのですか?
せっかくなら、とことん気持ちよくなられて、私めに全てを委ねてくださればよかったのに」
「同意なき行為は犯罪だ。おまえ、わたしを怒らせて何がしたいんだ」
「私は……。ただ、ただ、あなたのことを知りたい。それだけです。
害をなすつもりなど、これっぽっちもないのですよ。どうか信じていただきたい。あなたのことを思うあまり、つい手が出てしまっただけです」
「つい、って何だ。つい、患者に手を出す医者がいてたまるか。偏執狂か。
あなたのためとか言って、恩着せがましい言葉を免罪符にするな。
そんなふうに一方的にを押しつけられる好意は、タチが悪いんだよ。医者ならわきまえろ。
おまえが主治医など、断固として断る!」
ヴィヴィアンは体に固く分厚い防御壁をまとわせる。これ以上はない拒絶の意志だった。
レッド・ジョーカーがどこまで正気なのか、狂っているのかは判断しかねた。
だが、いくら優秀でも医者としてコレはありえない。
主治医だなんて危なすぎて絶対にクソクラエである。
半分くらい本気で、電源を落としてやりたい気持ちに傾いたが、理性でもってそれを押しとどめる。
なにせ、死ぬ気で起動させたばかりである。
これっぽっちで眠らせるのは、なんとなく癪に障る。
もっと働いてもらわないと、割に合わないだろう。
それに、繰り返される『知りたい』という欲求からして、コイツは研究者タイプであることがうかがえる。
何だか知らないが、かなり暴走気味なのは、やはり長年エルフがいなかった弊害か。
「姫……」
ダラリと肩を落としてそうつぶやく、そのもっさりした頭の中は一体どうなっているのか。
エリュシオンともエンドスカルとも異なる、特殊AIの面倒くささに辟易としてくる。
もっと、まともな奴はいないのか? 素直で優しく愛らしいAIは出てきてくれないものか。
アニメオタクの暗黒の天魔竜王に、ポージング好きな剣豪ドクロ公爵。
そしてこの赤髪の偏執狂医。
なんだか、どんどんヒドくなっているような……。
「この世界の生態系はずいぶんと変わってしまった」
ヴィヴィアンはため息をこらえて、ポツリと話し出す。
「少し調べてみたが、エンドスカルが拾ったその子のように、かつては存在しなかった生き物が、この世界には数多くいるようだ。
エルフのように絶滅した種族も、きっといるのだろうな」
けれどたったの三千年ぽっちの時間では、生物のこれほど急激な進化はありえない。
おそらく、エルフの遺伝子操作によって生み出された生き物が、そのまま世界に根付いて繁殖したのだろう。
その生物は哺乳類に限らない。細菌やウイルスまで含めると、何がいたっておかしくはないのだ。
「自分で調べるつもりで、いろいろサンプルを採取してきたんだけど……。
わたしが調べるより、ドクターに任せた方が、もっといろいろなことが分かりそうだ」
「姫……」
「確かに私は唯一無二のEX・エルフだ。
だけど種族名が意味ありげに立派なだけで、実際は特に何の能力もない。調べたところで、何もないと分かって終わりだ。残念ながらね。
それよりもこの世界の生き物たちについて明らかにしていく方が、よっぽど楽しいし有意義だよ。
少なくともわたしはもっと知りたいと思う」
ヴィヴィアンはちらりと眠ったままの少年に目をやる。
「そのなかで助けたいと思う者が現れたら、今回のようにまた治療を頼むだろう。
それともエルフ以外を診るのは、おまえの主義に反するか?
まあ、どのみち今は何をするにも動力源が足りないから、できることも限られるけど……。
生き物の調査は、わたしがこの世界で安全に生きていくためにも必要不可欠じゃないか?
だからドクター、レッド・ジョーカー。この仕事を、引き受けてくれないか?」
おそらくAIの改変はムリだろう。
だが、せっかく起動させたものを、またすぐに眠らせるのはもったいない。
かといって、ただ放置しておいては、何を企み始めるかわからない。だったら仕事を与えて、その仕事ぶりを見てから、今後を決めていけばいい。
もっともこの世界の生き物で、このレッド・ジョーカーがどんな実験をはじめるのか、不安が無いわけではない。
いや、人には言えないアヤシイ実験を始めそうだから、研究主題の確認やレポート提出は必須だな。
だけど正直なところ面倒くさい。エリュシオンに監査をまかせるか──。
などと考えていたのだが……。
「なるほど。やはり姫はお優しい。了解いたしました。その仕事、お引き受けいたします。
ですが、あなたはもっと自覚なさるべきだ……」
「……何のことだ? まあ、いろいろと足りないところだらけなのは、自覚してるよ?」
「そうですか。ではまず、キチンとした栄養管理を」
ヴィヴィアンは「う゛っ」と胸を押さえる。なぜかまっとうな反撃を食らう。
食事は楽しみだが、用意するのはやはり面倒くさいものである。
チンチャードワーフのお裾分けの果物だけだったり、ハチミツをたっぷりかけた大豆粥だったり、どうしたって単調で決まった物になりやすい。
「それから全身の虫刺され、ポリポリかきまくりましたね? 跡が残ったらどうするのです。乙女にあるまじき行為です」
ヴィヴィアンはさらに「うぐっ」と前のめりになる。
しかしかゆいものは、かゆいのだ。
叩いたり冷やしたりしてごまかしていたが、この森の外の虫たちの毒牙がどれほど凶悪か。
今もまだ赤黒い痕となって残っていて、ほのかに痛がゆい。
というか、さっきの握手だけでそこまで知られるとは……。
あの見えざる手の触診に違いない。何ていかがわしいことをしてくるのかと思ったが、どうやらそれだけではなかったらしい。
だがその後の言動からして、性的嫌がらせが含まれていたのは間違いない。
「……診察も治療もいらないよ。今はまだ信用したわけじゃないからね。すぐに電源を落として忘れてもいいんだけど……。
いつかわたしが本当にいて欲しいと思えるよう、がんばって欲しいな。──先生」
そう告げると、ヴィヴィアンは赤毛の医師とポットで眠り続ける少年を残し、治療室を後にしたのだった。
ちょっとお怒りのヴィヴィアン。
果たしてこの医師は、ヴィヴィアンの期待と信頼を得られるのか?
次回『16.夢の中の回想──カタリスト』
ダグ少年の見る夢は──。少し悲しく切ない。
だけど新たな力を受け入れたとき、少年は変化する。