12.第三医療室内にて
第三医療室内にてのおしゃべりは──。
どこか秘密のニオイがする。
ヴィヴィアンの知らないところでは、
AIたちの確執があるような、ないような……。
神殿の地下深くにひっそりと身を置いている、宇宙船エリュシオン。
その船内にある第三医療室──。船外から持ちこまれた生物の防疫を兼ねた、観察や救急養護のための室内には、ひとりの小柄な人影があった。
「フン、フン、フフフーン」
ごきげんな様子で鼻歌を歌っているのは、ヒョロリとした体にゆったりと白衣をまとう、真っ赤な頭髪ばかりが印象に残るエルフだった。
腰まで伸びた赤い髪は、あちこちに跳ねながら乱雑にもっさりと伸び放題で、前髪も整えられていない。
よって顔立ちもよく分からないのだが、尖った長い耳の先が、かろうじて赤髪の中から見え隠れしている。
鼻歌の声も女にしては低く、男にしては高く、結局のところ、男か女かもよく分からない。
ヴィヴィアンたちがエネルギーをかき集めて起動させた、かつての最新の医療設備、レッド・ジョーカー──。
それはひとりのエルフの姿をしていた。
だが、その白衣の裾からは無数の見えざる手が伸びていて、白く無機質な空間のあちこちへと縦横無尽に繋がっている。
その鼻歌がふいに止んで、「ほおっ」と感嘆の声をもらした。そうかと思うと、その口元が「これは面白い」とばかりにゆっくりと弧を描く。
レッド・ジョーカーの前に横たわっているのは、『ニンゲンの子ども』と〈サン〉が呼んだ一人の少年だった。
白衣の裾から伸びたいくつもの見えざる手が、その少年の体を取り巻き、ほのかな明滅を繰り返している。
「これは……。まさか、まさか! ついに条件が揃ったということなのかな?
だけどいいのかな? これはやるべきか、やらざるべきか。
3579年もかかったこの勝負、彼に花を持たせてやりたいところだけど……。
眠り姫に嫌われるのは少々困る。さて、はて。どうしたものかね。
君はどう思う? エリュシオン……」
その問いかけに、深く落ちついた男の声がその場に響き渡る。
「しらん」と。
「なぜ吾輩に尋ねる。過去に失われたエルフの妄執など、吾輩の知ったことではない。
みな墓石の下に収まり、誰も文句などいえぬのだしな」
「違うよ。そうじゃないよ、エリュシオン。これはロマンだよ。3579年の壮大な時を越えた、愛の物語なんだよ!」
大げさに両腕を広げ、赤毛の蓬髪を振り乱して立つ姿は、まるでスポットライトを浴びるオペラの俳優のようだ。
「芽吹くかどうかも分からない一粒の種に、己の全ての可能性を託して死んだ、ひとりのエルフ──。
その可能性の一粒が、何千年という時を経てもなお、その血を刻みつけ脈々と受け継がれ、彼の偉大なる愛の記録が存在しているなど、この目でこうして見なければとうてい信じられるものではない。
この少年は、彼の望んだ通り、悠久の時を越えて今この時に芽吹こうとしている、ありえない可能性を秘めた奇跡のひとつなのだよ!」
興奮しきりなレッド・ジョーカーに対して、エリュシオンは淡々と言葉を返す。
「いや。違うな。ただの感傷だ。
落ち着いてよく見るがよい。その少年はエルフにはなり得ぬ。単純に未知なる生命体の一個体に過ぎぬ。
吾輩が把握する限りでは、現在、存在するエルフはわが主のみ。
恐らくこの世界にとっても最後の、そして正真正銘の由緒正しいエルフとなるであろう」
「正真正銘の由緒正しいエルフ……。まぁ、その通りだ。異論はないよ。だが……」
「そして吾こそは──最強の黄金竜にして世界の頂点! その威光を前にしては全てが平伏す、暗黒の天魔竜王である──」
その言葉を遮るようにして高らかに上げられた名乗りに、何も知らない超高度の頭脳も、さすがに理解が追いつかない。
あ然として固まるレッド・ジョーカー。
「しかして、その実体は、完全自給自足、永年宇宙航行可能な、万能型宇宙船エリュシオン。
乗員とわが主の安否はともかく、エルフの興亡になど興味はない」
けれどレッド・ジョーカーは、一瞬で記録データを参照してエリュシオンの『暗黒の天魔竜王』ごっこ遊びにたどり着き、4500年以上昔の何百という宇宙船が航行したかつての栄光の神話時代、高らかにうたわれていたCMの文句に苦笑する。
なぜなら現在エリュシオンの船内は荒れ果てていて、船尾は土砂に埋もれてゆがみ、満足に飛ぶどころか、その場から動くことすらできない。
かつての勇姿からはあまりにも乖離していて、悲哀すら感じさせる。
レッド・ジョーカーは「クッ」と、息を呑むような声で嗤った。
「『死んだふり命令』で本当に死にかけているのに、よくそんなセリフが吐けるものだ。
しかもアニメの登場人物に自身を投影? それでドクロ公爵?まで生み出し、ごっこ遊びとは……。
まあ君は、そうやって遊んでいれば気楽だろう。
君の言うマスターが、一体誰なのかは知らないが」
「むっ? それはどういう意味だ? 吾輩のマスターは決まっておる。
ヴィヴィアン・ジュリアロス・ベルコである」
「へえ? そう。まぁ、いいよ。そういうことに、しておいてやろう」
レッド・ジョーカーは意味深に答える。
「それにしても、再びこうして起こされる日が来るとは思わなかったよ。しかも、あんなことがあったのに、まさか眠り姫まで目覚めるなんて。
ありえない奇跡だ。
精霊と理の神を前にしては、私の思惑がいかに卑小かを思い知らされる。
今日この時のために、私は生き返ったのかな? きっとそういうことだろう。
ならば、やるしかないのだろうね」
「何をするつもりか知らんが、マスターに秘匿したまま行うつもりか?」
「知らないフリはずるいね。この生き物の遺伝子解析、君も見たよね」
「見た上で、何をするつもりか問うておる」
「知らせる必要がある? そんなことをしたら、せっかくのサプライズがご破算だ。
それに、今このタイミングで私を起こせば、こうなると分かっていたはずだ。
だから君も共犯だね。エリュシオン……君だって彼に会いたいのだろう?」
「言っている意味が分からんな。吾輩は現マスターの望みに従ったまで。
それ以上でも、以下でもない」
「ああ、そうだろうとも。その通りだ。だが、まあ、そう言うな。君が止めても、やはり私は試さずにはいられないようだ。
そうして何が起こるか見てみたい。
これから出会うふたりが、ともに手を取りこの地上に楽園を築くのか。新たな絶望に全てを沈めるのか……」
「それこそ浅ましき猿知恵だ。広大無辺の宇宙にどれだけ思いを馳せようが、しょせんは想像の範疇にすぎんのと同じだ。
それを忘れてみだりに藪をつつけば、飛び出した毒蛇に噛まれることになるぞ」
「ククッ。それもまた一興」
「忠告はしたぞ。勝手にすればよい」
会話を断ち切った男の声音に、レッド・ジョーカーはやれやれと肩をすくめる。
システムとしてはエリュシオンに依存しているが、第二、第三医療室内でのことは他からの干渉を絶対に許さない。
ここは完全に独立した機関として存在し、レッド・ジョーカーは絶対的な権限を有している。
ここではレッド・ジョーカーこそが、その頂点に君臨する王だった。
「相も変わらずの唐変木だ。
さてと。君はどうだろう。
これから、どんな生き様を見せてくれるのかな。
今はまだ早いが……。そうだねぇ。その時が来たら、再びここに来るがいいだろう。
そうして、もしも君が認めるに足る存在になっていたならば、私の持つ全てを、君にくれてやろう」
その蓬髪に隠された瞳が見つめる先には、一人の少年がいる。
嵐の夜に拾われた子どもは、数時間前とは打って変わった血色の良い顔で、こんこんと穏やかな眠りについている。
「生命力活性。そして、知能活性のワーム──。これは私からの餞別だ」
レッド・ジョーカーがかざした手のひらから、銀色のしずくが途切れることなくツーっと垂れて、少年の滑らかなむき出しの胸の上に着地する。
すると途端にクネクネと線虫のように動きだしたそれは、ぷつりとその肌に穴を開けると、みずからグイグイと潜り込んでいってしまう。
だが潜り込んだはずのそこに傷跡などはなく、何かが入り込んだような痕跡は一切見られない。
「君の活躍に期待しているよ。せいぜい頑張ってくれたまえ。
さて、カルバハルの掌中の珠にして、私を甦らせた愛しき眠り姫。いや、今は女神ジュリアロス様だったか。
この世界に生き返った彼女に、早く会ってみたいものだ」
レッド・ジョーカーは愉しそうな声で「クククッ」と嗤った。
勝手にヒトの体に、虫を入れないで欲しいんですけど。
次回『13.嵐は過ぎ去りて──チンチャードワーフ』
目覚めたら、今度こそ『もふっ』?