10.嵐の夜と森の神殿──ヴィヴィアン
大荒れの嵐の夜。
激しい雨と風の夜は、いつもと違ってちょっとドキドキ。
何となく寝付けず、みんなで集まって興じるカードゲーム。
我らがヴィヴィアンの、そのお相手は……。
荒れ狂う風雨の夜を迎える、ジュリアロスの森の奥──。
少し開けた場所にひっそりと建つ古い石造りの神殿は、盛大に降りしきる雨に打たれて、夜の闇の中でも白くけぶるようだった。
長年、使われなかった神殿である。精霊たちがこまめに修復していてくれたおかげで、雨漏りこそなかったが、石のすき間から入り込む風が、『ピイイィィッーー』『ブオオオオッー』『ヒュルルルッーー』と多様な音を神殿内に響かせている。
久々に接近してきた大型の低気圧に、風の精霊が浮かれ楽しんでいるのである。この嵐で森にどんな被害が出るか分からないというのに、なんでもお祭りにしたい輩のようだ。
お目付役がチョット居なくなった間に、神殿内を縦横無尽に飛び交い遊んでいる。
「おい、風ども。あまりハメを外しすぎるなよ。あっちこっち散らかして、わたしだってエンドスカルに怒られるんだからな……っと。これでどうだっ!」
そう言いながら、広い床の上であぐらをかいて座る一人の女。Tシャツに短パンと気の抜けた格好だが、パシッと勢いよくカードを床に叩き付け、ニヤリと笑う。まさに満面のドヤ顔である。
黒い瞳をキラキラと輝かせ、灰黒色の長い髪を、長く先の尖った両耳に掛け直したこの女の名はヴィヴィアン。正式にはヴィヴィアン・ジュリアロス・ベルコという長ったらしい名前を持つ、この世界における唯一無二のEX・エルフである。
現在、女神だナンだのと、とある界隈では騒がれているが、本人はそんな風聞は全く知らない。
種族名だけが立派な、ごく普通……。いや。どちらかというと、カースト下層出身のはみ出し者だと思っている。
そのあたり謙虚なのか自己肯定感が低いのかはビミョーだが、些細なことで心が揺れ動く、繊細なところのある乙女にはちがいない。
もっとも、今はカードの勝負に熱中する余り、ムダに明晰な頭脳を駆使してまわり、全く勝ちを譲る気はない。
そんなヴィヴィアンが対する相手は、高さ30センチほどの木彫りのトカゲ人形……。いや、背中に小さな羽が生えているので、一応ドラゴンか。
ずんぐりむっくりの可愛らしいフォルムの置物だが、そのちんまりした手には複数のカードが握られ、太いシッポがカタンカタンと波打っている。
その眼窩に埋め込まれた、ルビーのような瞳がキラリと光った。
「フハハハハッ! ちょこざいなっ! 吾は最強の黄金竜にして世界の頂点! その威光を前にしては全てが平伏す、暗黒の天魔竜王エリュシオンなり!!!」
「はいはい。実際は木彫りのトカゲ人形だけどな」
口を開いて名乗りを発した自称『暗黒の天魔竜王』は、しかしヴィヴィアンのツッコミにも気分を害した様子はなく、バシッと自らの手札を床にたたき返す。
ヴィヴィアンは「ハッ」として目を見開く。
「な、なぜここでレッド・ジョーカーがっ! うそだ! さっき出たはずだろう!」
「む! マスターともあろう者が、何を血迷っておる。今回はまだ出ておらなんだぞ」
二人の間で勝負の行方を見つめ、「うん、うん」と頷いているのは、神殿前にあった大樹の精霊〈サン〉。可愛らしい子どもの見た目をした精霊は、若葉色の美しい瞳を真面目に瞬かせている。
「えっ。そんなはずは……。ああああっ! さっきの回と勘違いしてた!」
ヴィヴィアンは「やってしまったー」と意気消沈して突っ伏し、手持ちのカードを投げ出す。まさに勝者を前にして平伏したような格好だ。
『ピュルルルー』と風の精霊たちが愉しそうに、そんなヴィヴィアンの長い髪を巻き上げ、ついでに小さなつむじ風を起こして、床の上に積み重なったカードを巻き上げている
「フハハハハッ! これしきで記憶違いするなど、マスターもまだまだよのっ!」
「くううううっ! 25戦して5勝2引分け。記憶容量、理論値無限大のAI、というのはダテではなかったか」
「落ち込むことはない。筋は悪くないぞ。そろそろ手加減なしで一戦交えてみるか」
「いえ、そこは手加減ありでお願いします、エリュシオン様」
卑屈に頭を下げるヴィヴィアンに、「ならば」と木彫りのトカゲ人形こと、超古代魔導文明の粋を集めて造られた宇宙船エリュシオン──。にして、五千年ほど前にはやったアニメの登場人物になりきっておられる、AIサマは尊大に言い放つ。
「はやく吾輩に似合う、人造生体を作るのだ♡」
威厳たっぷりなのに、待ち遠しくて仕方がないと言った、微妙にウキウキ感を含む声音である。それとは対称的に、「あー」と低い声で口ごもるヴィヴィアン。
「吾輩はいつまでこの木彫り人形で我慢すればよいのだ? ドクロ公爵やそこの〈サン〉ばっかり、立派な体を持っていてずるいではないか」
エリュシオンがそれとなくやさぐれる。デレているというのか? おねだりするのは構わないが、しかしアニメに出てくるような巨大な竜は、そう簡単には作れない。
ヴィヴィアンひとりの時間やら手間やらはいくらでも出せるが、材料とか技術とかになると、足りないものばかりだ。
しかもなんと言ってもナイのが、動力源。巨大機構をドカドカと動かすには、大量のエネルギーが必要になるのだ。
本体である宇宙船が地下で餓死しそうなのに、正直「何言ってんだ、コイツ」である。
まあ、そのことはエリュシオン自身が一番分かっているはずなので、別に本気というわけではないのだろう。たぶん……。まぁ。ちょっとした、じゃれ合いみたいなものである。
「よしよし。今度スライム溶液で、このミニ竜王に光沢を出してやろう。厚く塗り重ねたら艶も増すし、ますます黄金竜みたいに見えるぞ。きっと手触りも肉感的になって、そうしたらさわり心地も本物みたいになるな」
そっと頭をなでてやると、堅いが温かみのある木の肌触りが手のひらに心地いい。これでもなかなかよくできた、ヴィヴィアン渾身の手作りボディなのだ。
「うむ。それでも吾輩はこの100分の1スケールでは、どうにも物足りん」
「100分の1スケール……って。えっ? 暗黒の天魔竜王って、身長30メートルもあるの!?」
ちょっとデカ過ぎではないだろうか。もはや工作ではなく高層建築の規模である。
ますますもって、すぐには作れそうにもない。こうなったら、やることをすべてやってしまったあとの、老後の楽しみとしてとっておくか……。
などと、たわいない夢物語に思いを馳せていた時のことだった。
「むむっ。帰ってきたようだな」
「……来る」
同時に言葉を発した二人に、「ん?」とヴィヴィアンが顔を上げたときだった。
ダンッ、と外の扉が吹き飛びそうな音が響き、何やら騒々しさを引き連れてカツカツと大股の足音が近づいてくる。
そしてこの部屋の扉が、ガタガタガタと小刻みに振動したかと思うと、バンッと弾けるように開いた。
あまりの勢いに、扉の蝶番の上端がふっ飛び、開いたまんまの扉がゆらゆらと揺れている。
同時に吹き込んでくる、湿った大量の暴風。
外から入ってきた新たな風が、何やら大騒ぎして狭い室内を吹き狂っている。
突風にテーブルのグラスやビンは転げて落下し、積んであった書類は生き物のように宙に舞う。カーテンはちぎれんばかりに、はためいている。
あおられた木彫りのトカゲ人形は、コロンと転がって短い手足をバタバタさせ、大樹の精霊〈サン〉は、その場に身を伏せて丸まっている。
ヴィヴィアンの長い髪は根元から逆立ち、手元のカードがバラバラと飛び交って、鋭い側面はちょっとした凶器と化している。
それが天井の照明を破壊し、部屋は完全な暗闇へと沈む。
「……静まれっ!」
ヴィヴィアンが怒気を含んだ声で一喝する。
すると、それまでの室内の嵐が、ウソのようにピタリと止む。
大騒ぎしながら新たに入ってきた風の精霊たちは、ヴィヴィアンの冷えた気配に気がつくと、取り繕うように急に優しくそよそよと吹いて、気まずげにそっと部屋から出て行く。
「はぁっ」とため息をついて、ヴィヴィアンは新たな照明を魔力で作り出し、天井付近に浮かばせる。
そうして部屋の中へ駆け込んできた、ずぶ濡れの男を見つめる。
目深にフードを被った、黒いロングコートの男──。ドクロ公爵ことエンドスカルである。
ポタポタと水をしたたらせて、足元にはすでに水溜まりを作りはじめている。
扉は半壊。部屋の中はグシャグシャ。水溜まりまで作って……。このあまりにも無作法なマネは、一体全体どういうつもりかと問い詰めたいところだ。
だがエンドスカルはその腕に、小鬼族に似た、見たことのない小さな生き物を抱えている。
『……ニンゲンの子どもだ』
驚いたように告げる〈サン〉のつぶやきに、ヴィヴィアンは眉をひそめる。
「ニンゲン?」
それは、これまでに見たことも、聞いたこともない生き物だった。
「申し訳ありやせん。森で拾いやしたが、雨に打たれてかなり弱っているようで。助けてやっちゃあ、もらえやせんか」
近づいて見るとドロドロの布に身を包んだその生き物は、かたく目を閉じてグッタリとしている。血の気の引いた青白さが際立つが、つるりとした滑らかな肌は、小鬼族にもエルフにも見える。
ぬれそぼる淡い白金の髪を小さな額に貼り付かせ、あえぐように浅い呼吸を繰り返す様子は、そのまま死を予感させて「ギクリ」とさせられる。
「わかった。とりあえず濡れた服を脱がせて、泥を拭き取るぞ。それからエリュシオン、医療ポッドの用意をたのむ。小ぎれいにしたら、すぐにそっちへ連れて行く。ここじゃ、まともな手当はできないからな」
床に転がるエリュシオンは、〈サン〉によって助け起こされると、大事なボディに破損がないか確認しながら「了解」と返答する。
「こっちだ、エンドスカル。〈サン〉も、手伝ってくれ」
未知の生物を抱くエンドスカルと、木彫りのトカゲ人形を胸に抱く〈サン〉を引き連れ、急ぎ散らかった部屋を後にする。
神殿に浴場はなかったが、この先に台所にしている部屋がある。水甕に水が汲んであるので、魔力ですぐにお湯はできるし、布やタオルも何枚か用意してあったはずだ。
そうして他に何が必要なのか、ヴィヴィアンはあれこれと考えを巡らせる。
種族がはっきりしないことや、なぜこんな嵐の夜の森にいたのかが気になるが、助けられればそのあたりの話は聞けるだろう。
それに何となくだが、予感がするのだ。あの白金の髪に既視感を覚えるせいだろうか。
この出会いは偶然ではなく、必然であるような──。
「……まさか、な」
その自嘲にも似たつぶやきは、誰にも聞きとがめられることなく、虚空へと消えていった。
エンドスカルによって助けられたダグ王子。
けれどそれはニンゲンという、正体不明の未知の生命体──。
次回『11.情報開示と予備動力源』
えっ? どういうこと?
開示してくれないと、分からない!