1.始まりの大鐘楼──精霊の鐘
長らくおまたせしました。『ふて寝エルフ』の続編、はじまります。
初めての方は、シリーズの episode 0 からお読みいただけると幸いです。
episode 0 では、この世界にいたる経緯と、仲間となった者たちのことが分かります。
あらためて読み直していただいても、話を思い出せてイイかもね。
では、バッチリ? 予習していただいた方から……。
ようこそ! この新しい世界へ!
「まだ終わっていないのですか」
鋭く冷たい男の声に、ダグ・ディ・サンデールはハッとするのと同時に、肩をビクンと大きく揺らす。
今、一瞬、意識を飛ばしていたと気付き、背後からにじり寄る気配に固く身をすくませる。
「まさか、居眠りなどしていませんよね。はぁ。なんということでしょう。どこまで怠惰で愚かなのでしょうか、あなたという人は。これしきの写本をまだ終わらせられないのに、居眠りなどするとは……」
男はそう言うが、連日の写本作業である。集中力を要するうえに、読み取りには魔力を使う。今日も昼に少し休憩を挟んだきり、もう5時間はぶっ続けで作業を行っている。
一瞬、冷や水を浴びたように意識が覚醒したが、まだ頭の回らないダグは、取りあえず書き上げた写本の紙にインクの染みを落とさないよう、インク壺にそっとペンを返す。
「何度言っても分からないのですね。同じ間違いばかり犯している。あげくに居眠りですか。
なぜあなたは、そんなにふてぶてしく反抗的なのでしょう。ご自分は偉いのだと思い上っているのですか。優秀であると能力を鼻に掛け、人を見下しているのですか。
権力や能力を笠に着て、傲慢な態度をとり続ける──。
あなたのような人は、やがて王に疎まれ、血脈である親族に嫌われ、大勢の人々に憎まれて、じきに破滅を迎えるのですよ」
まるでそうなればいいと思っているような、神官ゲルガーの声音だった。ダグは己の書き写した文字を見つめながら、ぼんやりと「誰に言っているのだろう」と思ってしまう。
今この部屋には、キンキンとした声を響かせるこの男──。神官ゲルガーとダグしかいない。だからその言葉は、ダグに向けての発言に違いないのだが……。
「聞いているのですか、ダグ王子ッ!」
反応の薄いダグにイラ立ったのか。思い切り肩を引かれて椅子から転げ落ちそうになる。
握りつぶさんばかりに強く掴まれる肩の痛みに、つい顔をしかめる。だが、神官ゲルガーは構うことなく、そのまま腕を掴んでダグの体を引き上げる。
「うるさい説教だとお考えですか。嫌なことを言っているとお思いでしょうか。ですが全てはあなたのためです。あなたの傲慢で鼻持ちならない根性を叩きのめすために、言って差し上げているのですよ」
そのまま無理矢理立たされて、自室の外へと引きずり出される。
小柄でやせっぽっちの6歳の子どもが、おとなの男の力にあらがえるはずもない。
何度も転びそうになりながら、大股の神官の足並みに小走りに付き従う。
そうしてたどり着いたのは、もう何百年も使われていない、いわくのある古びた大鐘楼だった。
殺された侍女の幽霊がいるとか、呪われた悪霊が棲んでいるとか、夜な夜な人の泣き叫ぶ声が聞こえるとか、とにかくおどろおどろしい話には事欠かない。
荒れ果てた様子の大鐘楼には近づく人もなく、昼間でさえ魔界のような不気味さをたたえてそびえている。
「そこで一晩、己の傲慢さや怠惰と向き合い、懺悔しなさい。しっかりと悔い改めるまで、そこから出られないと思ってください」
開いた大鐘楼の扉の中に突き飛ばすようにして押し込まれ、よろめき膝を付いた後ろでバタンと扉が閉じられる。
カチャリと鍵の閉められる音がして、神官ゲルガーの足音が遠ざかっていく。その音が消えてしばらくたってから、ようやくダグは「はぁっ」と重いため息をこぼした。
だが、知らず落としたため息にハッとする。神官ゲルガーに聞かれたら、また『反抗的だ』としかられていただろう。
しつけと称してムチを当てられるところだ。
それを思い、地面に付けた手を拳に変えて、ぎゅっと握りしめる。
王の側妃の一人である母が亡くなり、神殿預かりの身になっておよそ一年。
快活だった少年は、それまでと打って変わった厳しい環境に、息を詰めることを覚え、自我を凍らせたかのように、笑えなくなっていた。
それまで言われたことがない言葉を浴びせられ、何が間違いなのか、何が正しいのか理解できなくなっていた。ただひたすらダグを否定し続ける神官ゲルガーの顔色をうかがい、ムチ打たれないように過ごす日々。
「ここから出してください」「許してください」と、叫ぶべきだったのかもしれない。
神官はここで一晩過ごせと言った。
恐る恐る見渡した暗い大鐘楼の中は、うわさに違わず、不気味な気配に満ちている。
日暮れ間近なため、見上げたてっぺんの、開口部を照らすわずかな残照も、ここまでは届かない。
ほこりっぽい無骨な梁や柱の陰は濃く深く、悪意のある何かがいかにも潜んでいそうな感じだった。鐘楼に続く急階段は簡素なもので、もし上っている最中に何者かに足元をすくわれたら、真っ逆さまに転落するだろう。
夏至の今日、寒さで凍えることはないはずだが、背筋を走るゾッとする感覚に全身が鳥肌立ち、寒気がしてたまらない。
お腹をすかせて疲れ切っているのもある。しかし悪意のある何かと共に過ごし、正気のまま明日の朝を迎えられるのかと、ダグは震える吐息をもらす。
壁と柱の狭いすき間に体を押し込め、丸くなってさらに体を縮ませる。目を閉じ世界を遮断し、ひたすら恐ろしい暗闇との時間をやり過ごす。
もしかしたら今度こそ、本当に「死」を望まれているのかもしれない。
後ろ盾が何もない第二王子など、すでにいないも同じだった。
きっとあの扉はもう二度と開かない。このまま、このいわくある大鐘楼の永遠の住人になってしまえ、ということだ……。
それも仕方がないのだろう。
神官ゲルガーが責め立てる、ダグの罪、ダグの傲慢が、ダグにはよく分からない。
女神の教義にあるように、ダグはよい行いをしたいと思っている。穏やかで親切な、よい人でありたいと思っている。
ワガママはもう言わない。泣かない。顔に出さない。言い返さない。人を困らせたりしない。言いつけ通りに勉強し、大量の文字を書き写す……。神官ゲルガーの言う通りに行動し、正しく教義を守る。
そうしていつの日か──、唯一の望みを叶えたい。
ずっとそう思ってきた。
ダグは首からさげていた鎖を引き出し、その先にある小さなメダルを手に取る。
そこに穿たれているのは、女神ジュリアロスの慈愛に満ちた崇高な横顔。優しくも厳しかった母の面影と重ねて、ほんの少し気持ちがゆるむ。
閉ざされたこの暗がりではもはや見ることはかなわないが、ギュッと手の中に握りしめて目をつぶれば、その神々しい姿はありありと眼裏に浮かぶ。
「ああ。女神ジュリアロス。偉大なる女神よ。ぼくには何が本当か分からない……」
萎縮し追いつめられ、グシャグシャになった心から、ポロリと本音がこぼれ出る。
「怠惰でゴメンナサイ。傲慢でゴメンナサイ。権力を笠に着てゴメンナサイ。できるだけよい人としてあります。正しく教えを守ります。だからどうか、どうか……」
どうしたら、怠惰や傲慢から逃れられるのか、分からない。どうしたら正しくあれるのか、分からない。
何度も何度も考えて……。
今は亡き母のことを思い、顔も知らない父王を思い、冷たい眼をした異母兄と王妃を思い、神官ゲルガーを思い、考えて、考えて、考えて……。
そうして最後にたどりつく先は、いつも同じだった。いつも、たったひとつにたどり着く。それしか光は見いだせない。
だから強く願い、心から祈り、そしてそれを口にする。
「どうか、あなたの御許へ、ぼくを導いてください。女神ジュリアロス様……」
疲れ切ったその体は、やがて気を失うように、その場に崩れ落ちる。
誰もいない宵闇の大鐘楼には、静けさと重い暗闇だけが、濃く深く染み渡っていった。
そうしてどのくらいの時間が経ったのか──。
小さな淡い光が3つ4つ、大鐘楼のてっぺん辺りに集まっていた。
『ここで鳴らすの?』
『ここで鳴らすのよ』
『めーよ挽回よ』
『ちょーろーの言いつけ通りするの。そして──』
淡い光をまとう風の精霊たちは、額を付き合わせるようにしてうなずき、確認し合う。
『『『女神ジュリアロス様にほめていただくの!!!』』』
その近くの太い梁の上に、土の精霊の姿がまた新たに3つ4つと現れる。
『準備はオッケー? それじゃあ、出すよ』
『『『えい、えい。そおーれっ!』』』
現れた土の精霊たちが上方に手をかざすと、キラキラとした光が舞い、失われていたはずの立派な精霊の鐘が、有るべき場所に出現していた。
それから鐘の内側にある舌から下がった紐を伝い、するすると下へ降りていく。
ぴょんと最下層に次々と飛び降りた土の精霊たちは、そこではじめて地べたに落ちているニンゲンに気づいた。
とっさのことに驚いて順番に固まるが、よく眠っているのか死にかけなのか……。とっさに眠り粉をブワッと振りかける。そうして、どうやら目覚めそうにないらしいと分かると、何もなかったかのようにムシして動き出し『OK!』のサインを上に送る。
『ではでは、カウントダウン、始めるよーっ!』
『おーっ! 5、4、3、2、1っ! はじめっ!』
土の精霊たちが力を合わせて紐を引くと、古びた大鐘楼から鳴るはずのない鐘の音が、大音声で鳴り響く。
真夜中の静寂を破り、唐突に鳴り響く鐘の音に、城はもちろん街中のニンゲンが飛び起きた。
風の精霊たちはその鐘の音を、いっせいに四方八方へと運んでいく。そして同時に『ジュリアロスの森の大号令』をかけ広げていく。
『女神ジュリアロス様がお目覚めになられた! 言祝げ、言祝げ!! ジュリアロスの森に祝いの祈りを捧げよ。祝いの使者を立てよ!!!』
『きゃははははっ! いけーっ! コトホゲーッ!』
『おーっ! ジュリアロス様、バンザーイ! コトホゲーッ!』
真夜中に突如、はた迷惑にも鳴り響く鐘の大音声──。
飛び起きたサンデール王はベットから転げ落ちて腰を痛め、城の警護の者たちは慌てふためいて、どこの鐘が鳴っているのかと奔走する。
街中で目覚めた者たちは不安げに起き出して外の様子を窺い、唐突に吹き荒れる風の囁きに常ならぬ気配を感じて肩を寄せ合う。
神殿の巫女を務める少女ラナメールは、鐘の音にビクッと身を震わせて目を覚ました。
そして風の精霊がつげる、大号令の言霊にいちはやく気づいた。
『……女神ジュリアロス……言祝げ、言祝げ……ジュリアロスの森……祝いの……祝い……』
慌てて耳を澄ませ、聞き取れただけの言葉をメモにしたためる。だが、風の精霊はあっという間に遠ざかっていく。
「待って! もう一度、聞かせて! なんて言ったの!」
不完全な聞き取りに思わずそう叫んだが、風の精霊たちは一度伝えたきり、戻っては来ない。さらに遠くへ、遠くのあちこちへと鐘の音と大号令を運んでいく。
神官ゲルガーは、鐘の音にベッドから飛び起きると同時に、ゆっくりと思考を巡らせ「まさか……」とつぶやく。
ついで聖騎士を引きつれ、急ぎ北の端にある大鐘楼へと向かった。
神官ゲルガーたちがたどり着くと、それまで鳴り響いていた、あるはずもない大鐘楼の鐘の音がピタリと鳴りやむ。
その怪異に警戒しながら慎重に扉を開くと、そこにはただひとり、冷たくなって横たわる、ダグ・ディ・サンデール第二王子殿下の姿が、発見されたのである。
ちなみに、上部をランタンで照らして見渡すが、やはり鐘などは存在していなかった。
そんな真夜中の大騒ぎにも関わらず、朝まで全く目覚めることのなかったのは、オットー・ヴィルナー・サンデール第一王子殿下、そして神殿に仕える大巫女ザンネ。
しかし本編には関係ないので、その詳細は省略とする。
そして最後に──。
たまたまサンデール国寄りの北の森にいたバルダララスは、夜明け前、風の精霊が運んできた『ジュリアロスの森の大号令』を正確に読み取っていた。
外に出て白み始めた空を仰ぎ、高台から遠く霞むジュリアロスの森を臨む。
そして、たてがみのような灰色の髪を風になびかせながら、鋭い犬歯をその口元にのぞかせてニヤリと嗤った。
まさか、これがその後の、ジュリアロスの森の大波乱に繋がるとは……。
当然の善意と信じて、『ジュリアロスの森の大号令』を命じた精霊の長〈がん〉と風の精霊たちは、この時はまったく思いもしなかったのであった。
ご読了くださりありがとうございます。
高らかに鳴り響く鐘の音とともに、物語ははじまりました。
ただし、時は真夜中……。
みんなが飛び起きるような大音声でも、起きない人っているよね。
次回『2.呪いをササゲよ。死者を出せ』
なんか、怖すぎるんですけど……。
恐怖映画じゃ、ないよ。た、たぶん……。