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答辞

作者: そのぴお


薄い白桃にも似た小さな植物の結晶は、流麗に集を成して眼前を彩っている。風が吹けば激しく枝先から飛び出して、一枚づつキラキラと自転を繰り返す。並木道の手前から最果てまで続いているそれは、桜吹雪と呼ばれているらしいが、確かとは言い難い。枝先で一生を迎え枯れることはなく、美しさの絶頂で儚くも散っていく姿が、人の子に溢れる様々な事象を形容しているように思えてならなかった。美しいものを見ると切なくて苦しくなるのは、それが原因だと並木道に聞かせてやりたい春である。桜吹雪を通り過ぎると通い慣れた病院が顔を見せるが、今はもう特に用はない。用があったのは少し前のことで、少し前というのはとても長い時間が一瞬のようであり、一瞬がとても長い時間に感じるそれと同義だった。

ちょうど母の子宮から取り出されたのが26年前のことで、その母は12年前に死んだ。14歳の時、父は仕事を抜けることができず、一人で母の病床に顔を伏せていた。妹はまだ6歳だったので保育園に預けられていたが、その頃の妹の顔をよく思い出せないのが恐ろしかった。自分にとって母の存在があまりにも大きすぎたためだろう。母の胸部には大きな腫瘍があって、まだ年も若いから進行も速い、と医者は言っていたが、果たしてどうだろうか。そんな事はどうでもいいから、早く治してくれないだろうか。医者には病気を治す以外口を開かないで欲しいと、傍若無人極まりない思想に支配されているのが、この時分の自分だ。ガンが発覚したのはさらに2年前、12歳になった頃だった。父は珍しく神妙な面で、真剣な話をする立ち方で語りかけてきた。母はガンで、いろんなところに転移してたらあと一年で死ぬ。父はおそらく気を遣って、考え抜いた結果、はっきりと事実を述べたのだろう。随分と決意に満ちた表情をしていたのを、今でも覚えている。ガンは転移し、母はそれから2年も生き延びた。元々寡黙とは言い難い性格の母だったが、死に際は兄妹に気を遣って余計に明るく振る舞っていたのだと思う。侘しい生活しかさせてやれなかった、もっと母親らしいことをしてあげたかった、などが口癖だった。後悔してばかりでは悲しすぎる母は、兄弟の未来について考え、話すことも多くあった。妹はおてんばで鈍臭いから守ってあげて欲しいとか、あなたは真面目に考えすぎだからもっと自由に生きなさいとか、お父さんが今も頑張ってるのは二人に大学まで行ってほしいからなんよ、とか。母は度々感傷的になって物語のような同意を求めていたが、自分も父も微妙にその雰囲気をツかめずにいた。ガンを患ってから目立った性格の変化などは見受けられないが、やはり情緒はどこか正常とは言えない。この触れづらい危うさを常に抱えているのが、亡くなる一年前の母だった。

そんな思い出の病院を通り抜け、母と家族で住んでいた実家に向かう。働くために上京して8年、実家に帰るのは2年前の正月以来だった。8年もの間、乾いた人形のように世間のシステムに迎合した。ストレスも適応障害の原因になる何かも、全て飲み込まずに放っておいた。別の人間に起こっている事象だからと、他人事のように考えれば乗り越えられた。全ては他人事で、面白いモノは全て人生の暇つぶし。責任という単語を隠しておいて、なるべく考えずに済む方角を必死に模索している。ゆらゆらと意志から逃避して、どこか遠くに漂流しながら生きるのが、この8年だった。結局、高校卒業後は進学せず、就職を選択したが、父はそれをしばらく引き留めた。母さんのお願いだから、無理して就職しなくてもいいと気を遣ってくれたが、夢もなく進学にも興味がなかったので、自分の中に大した葛藤などはなかった。しかし今年は妹が高校3年生で、大学受験に合格したのだ。そのお祝いにみんなで集まろうと、父が企画した家族会だった。3丁目の筋を南に曲がると、赤い屋根の思い出が色を織りなす。一度チャイムを鳴らし、バッグから鍵を取り出して解錠した。重いドアを捻るように引っ張ってみると、妹の声がして、ようやく顔が思い出せそうな気がした。しかし妹の顔は最初から忘れていなかったように、あたりまえを微笑んで咲かせていた。妙な罪悪感を与える、おかえりと言う声が、やけに母に似ている気がして少し焦った。

久々にあった妹は制服を着て洗濯物を干している。父娘の二人暮らしで、家事はうまく分担して生活しているらしい。妹にとっては、母がいた年月よりも、母のいない年月の方が上回っている。妹は家族写真に映っている母しか思い出せないのだ。それほどまでに彼女は幼かった。父は料理を作って、買い物もする。父はなるべく妹に家事の負担を負わせたくないと気を遣っているらしく、妹はそれを逆に迷惑がっていた。家族四人用の家屋を持て余す二人の生活は、自分のいない8年間の間、営まれ続けたのだ。妹は大学に行ってもこの家に住み続けるそうなので、しばらく父が単身になる心配はないが、それも時間の問題だろう。兄妹は父の再婚に、意欲的な賛成の意思を度々示すが、父は頑なに受け入れようとしない。二人が結婚して家族を創って、完全に自立するまでは家族3人の父親だ。そうして父は今日も夕飯の支度を行い、テーブルに皿を配膳するのだった。

母が生前に使用していたスマートフォンの話になったのは、父の食事中の何気ない一言であった。母さんが死ぬ直前にスマホが見つかってね、と始まり、とても古い機種なのに充電器を挿すと電源が入ったんだよと続けた。勝手に家族が遺物を掘り散らす行為が、果たして倫理的に正義なのか悪なのか、そのような疑問は、人の好奇心の前では何の役にも立たないのだろうな、と思いながら、父の話を見つめていた。父はパスワードが分からず、ロックを解除することができなかったらしい。家族はパスワードが何なのか突き止めようとしたが、その日は結局わからないまま話は終わってしまい、家族は眠りについた。次の日は3人で母の墓参りに行くことになった。久しく訪れる墓地だが、回数が少ないせいか、毎度異界に迷い込んでしまったような新鮮さを感じてしまう。墓地には、また桜吹雪が舞っていて、たまに二つの風が螺旋状に舞い上がり、踊り子の達者な舞踏芸が想起させられた。母のいる座標へと歩を進めると、途中節々で、墓石の刻印に中国や韓国の人の名前が刻印されているものもあった。墓地はおそらくどこかの海にワープするための場所で、ここはおそらく日本海だろう。母は海に帰し、その御霊を深海魚の提灯にでも当てたと思えば、少しは墓参りも退屈じゃなくなるだろうか。一同は母の墓石前に整列し、諸々の手順を済ましてから、礼拝を行なった。手を合わせて目を閉じながら、何かを考えるフリをしてみた。母のことを思い浮かべても、ここにはなく、ここにあるのは石と骨だけである。人為的な偶像物をあまり信仰できないのは、前進か、それとも後退か。或いは母がここにいて、生前に使用していたスマホのパスワードでも教えてくれるのだろうか。そんな事はたとえ母の子宮からやり直したとしても、手に入れられない代物だろう。得体の知れない合掌を、金色の聖歌に溶け合わせて、桜吹雪の中を舞う踊り子は、散りゆく桜と共に朽ちてゆくだろうか。その様な心と体を、酷く、脆く、渇望する。枯れきって、成す潤いをも忘れ去った自分を産み落とした存在は、静かにその墓石へと身を沈め隠すのだった。

妹は3人が揃っているうちに、家族写真を撮影しておきたいと言った。最後に家族写真を撮ったのは、まだ母が健在の頃で、家族の誰よりも母は笑顔だった。母は椅子に座って妹を抱き、自分はその隣でカメラマンに怯えながらレンズを凝視した。父はその3人を包むように真剣な顔でカメラマンを見た。妹は抱かれながら大声を出して泣き喚いていたが、カメラマンが慣れたように赤子をなだめる。鳴き声が大きい子ほど、将来大物になりますよ!どうせならもっと泣こう!ほら声小さいよ!と喚いていた。母は妹を揺らしながら口を開けて笑っていた。父も笑いながら、そうだ、もっと泣いてみな、と妹の頬を両手で優しく押さえながら顔を近づけて微笑んだ。どうしてそんなに楽しかったのか、妹はキャキャと言って笑った。その瞬間にフラッシュは光り、カメラマンが、次はこちらをどうぞ!と言って手を挙げた。今度は家族4人が全員カメラのレンズを見て、フラッシュを虹彩に染み込ませた。

写真館は割と家から近く、3人で歩いて行った。父と妹は隣並んで、自分は後ろに腕を組んで二人についていった。写真館のおじさんは今日も元気に挨拶をしてくれた。20年、30年と笑顔で写真を撮るおじさんは、そこに存在すること自体に責務を感じているのだろう、と勝手な想像をして館に足を踏み入れる。妹は中央に立ち、自分は向かって左側に立った。父はその反対側に立ち、妹を囲うようにして整列した。写真館のおじさんは妹を見て、昔はこんなに小さい赤ちゃんだったのに、こんなに大きくなって、時間は早いね、と笑った。妹はニヤついて、ありがとうございます、綺麗にとってください、とおどけた。もう十分美人だから問題なし!と返すと、父が、僕もかっこよく撮ってくださいね、と続けた。自分も一連の会話に同意を示すように笑ってみせたが、前歯は晒さなかった。家族はレンズを凝視して、カメラマンの一挙手一投足に集中した。目線こっちでー、3、2、1。カメラは音を立て、フラッシュは虹彩に染み込んだ。その残像は母と二人、白銀の病室での景色へと誘った。病床に伏せこむ自分の頭を上げて、母は語りかけてきた。時間は流れてるように見えるけど、流れてるの私たちなんだよ。私はあなたに、今しかあげれないけど、あなたがちゃんと前を見て歩けばきっと時間は動き出すよ。あなたは優しいから、多分なんだってできる、いや、なんだってやりなさい。兄妹仲良く力を合わせて、お父さんを支えてあげてね。父は、おーいと目の前で問いかけてきた。妹はなに?そんなにボーッとしてと言ってきた。写真を撮り終えたおじさんは撮影の終了を家族に伝えた。

「6120だよ」

父と妹は自分の発言に驚いた様子で反応を示した。なにが?とどちらかが尋ねてきたので、パスワードと応えた。母のスマートフォンのロック解除パスワードは6120。自分と妹の出生児の体重を足すと、この数字になる。3157gと2963gを足すと6120だ。なにも知らない写真館のおじさんが控え室にやってきて、どうでしょうこの写真、もう印刷しましょうか?と尋ねてきた。妹は思い出したように笑いながら、これでよろしくお願いします、と言った。

亡くなる三ヶ月ほど前の母は、起きてられる時間の方が少なくなっていて、とても良好な状態とはいえなかった。それでも起きていられる時間はスマホを見ていた、と当時の看護師の方が教えてくれた。ずっとメッセージを送信している指の動きだったたとか。14歳の自分は、誰に何を送っているのか気になって、一度母に聞いてみたことがある。母は、今生きてて楽しくなさそうな若人がいてね、そいつの背中を叩き起こしてやろうと思って喝のメッセージを送ってるの、と言っていた。母にそのような知り合いがいるのを知らず、どんな人なのか気になったのをよく覚えている。しかしその若人は誰なのかわからないまま、母は消えてなくなってしまった。それが誰なのか知るのも、このスマートフォンを拝見する他はないだろう。6120とパスワードを打ち込むと今まで頑なに門を閉ざしていた画面が重い音を響かせて開錠された。その音は母のスマートフォンから鳴り響き、やがて自分のスマホからも響いた。ふとスマホを見るとメッセージが届いている。仕事のメッセージかと思い、少し手早くロックを解除してアプリを開こうとした。よく見ると、送信主は母だった。不可思議なことが起こっている、認識したのは3秒程経過した頃だった。隣の部屋にいた妹と、一階にいた父も同時に異変が起きたようで、全員が全員を呼び合った。一同は一階のリビングに集結し状況を整理した。母の携帯を開いた瞬間にメッセージが届いたことを報告し、3人とも自らに送信されたメッセージに目を通すことにした。自分のメッセージには以下の文が届いていた。

「やっほー。元気?母さん、もう死んだのにメッセージが来て驚いたかな?幽霊じゃないよ。タイムカプセルじゃないけど、そう言うアプリがあってね、スマホで任意の動作を行うとメッセージが送信されるとかなんとか、よくわかんないけど。これを見れてるってことは上手くいったんだね。(喜の絵文字)母さんが死んで家族はバラバラになったり、それとも絆が深まったりしたのかな。私はみんなが心配なようで心配ではありません!3人なら大丈夫だよ!時間は流れてるように見えるけど、実は流れてるのは私たちで、あなたたちはきっと前を見て歩ける。まあでも、そんな綺麗事ばっかりで片付くわけもないのが、人生です(ドヤ顔の絵文字)。どうせ君はなんの夢も目標もないとか言って、現実に迎合してるフリしているのでしょう。感情のない人間みたいに振る舞って、他人事みたいな人生を送って、惰生活を送ってるのはわかってます! 送辞!若人は、膝小僧に擦り傷でもつくって走り回りなさい!いつまでも母さんを思い出して過去に縛られるような真似を続けると、マザコン認定します。お気をつけるように。明日から、いや、今から!創造性を持って能動的に太原へ臨みなさい!以上」

母は、家族3人のそれぞれに向けたメッセージを送信していた。顔を上げて家族を見る。妹は涙水を網膜に浮かべながら、お母さん、と囁いた。父は、かつて甘かったが、今は苦くなってしまった言葉を吐くように、母さんは優しいな、と呟いた。辛気臭い空気は嫌いだ。感傷に浸って、甘い言葉に導かれて、感動的なラストとかを迎えるんだろう。この家族の中で自分だけは悲しんではいけない。優しいものには浸かりたくなる、甘いものは欲しくなる。欲しがれば欲しがるほど母は遠ざかり、手に取れない距離まで離れていく。思い出し続けていたいというより、忘れたくない。明日も脳内に健在であってほしいと思うより、無くなってほしくないと思う。決して濁って見えなくならず、澄んだモノの中に母は存在を続ける。そうであってほしい。しかし母は、そこから離れろ、それを捨ててみせろと、そう言っているのだろう。死んだ人は忘れられて、なくなって、覚えていた人も死んでなくなる。自分の存在も、いつかはなくなって、覚えてくれた人も死んでなくなる。幾星霜と生まれてはなくなる世界で、単一の存在に固執することの愚かさを、母は伝えたかったのかもしれない。マザコン認定される前に、もっと自由に傷を負わなければ。昨日よりも、明日よりも、今日を見つめて走り始めることを母は望んでいる。父と妹の目を見て、覚悟を持った主人公のような言い方でこれからについて話した。

「みんな、ぼちぼち行こう」

妹は大学に行き、将来について悩んだり、幸せになったり、何かを考えて行動したりする。父は自由に生きて、暮らして、働いて、遊んで、家族を見守る。自分は好きなように生きる。他人事にしてまで、世間に迎合するのはしばらく休憩しよう。

ドラマの最後みたいに、フワフワした春のような雰囲気で、この家族会は終わりを迎えた。自分は実家を後にし、再び社会の太原へ足を踏み入れる。挑み続けなければ、自分を謳歌するなど到底不可能だろう。淘汰される前に、命に挑まなければならない。

窓の外には美しい薄桃色をした植物の結晶が、業を為して堅牢に舞い上がっている。枝先からそれが飛び出すのは、散りゆく切なさを唄っているのではない、枯れる前にさっさと動き出せ!と謳っているのだ。小さな額縁に収まる、不器用で不揃いな三人の笑顔が、その桜のように美しくて、美しかった。帰りの電車の中、母のメッセージアプリを開いた。母とのチャット画面には、自分がメッセージを入力する場所も設けられていた。どうやら母に返信できるらしい。ひとりごとにも似たふたりごとの終着点にしては、やけに整った演出だと感心した。いつもよりやや強いタップ圧でこのように入力した。

「母よさらば、おはよう世界!」

淡い景色は木霊する。母はくしゃくしゃに笑った。


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