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掲載日:2021/11/29

 死は生から枝分かれする。そして双子として生を眺める。

 距離は遠かったり近かったりする。

 死にも人格があるが、これはあまり知られていない摂理だ。


「やはり来るべきタイミングではなかったようですね」


 夜が深くなった。

 冬枯れした街路樹は、枝の影を雪道に淡く落として久しい。

 追い詰められた人間の額の皮膚に浅く走る静脈のような枝々の影は、老人の半身にも落ちている。


「そう? あたしも貴方も限界でしょう? つまりこれが吉日ってことじゃないかな。でないとあたし達は出会わない」

 水銀灯を背に立つ涙ほくろの少女は、老人に首をすくめた。

 少女は胸に黒猫を抱いていて、この黒猫が合わせるように鳴いたので、老人は眉間に不快を滲ませた。


「私だけならまだしも、貴女とその猫でしょう。良くない取り合わせだ」

「素敵だと思うけどな。巡り合わせって」

 どこか夢見るような少女の声を、老人は無視した。

 事実の確認のために、懐から手帳を取り出し、開く。


「スマホ、便利なのに」

「苦手なんです」

「不得意を認めるのって美徳よ。改善しないのは怠惰だけど」

 少女の声を老人は再度無視。ポケットから小型の懐中電灯を取り出し、黄ばんだ紙に丸い光をあてる。


「大戦末期、岡沢蓬莱は長野の疎開先でフサと出会った。フサは蓬莱と同い年の小作農の娘で、隣村の地主に奉公する事が決まっていた」

「出会いの3ヶ月後ね。奉公は。まあ、お妾さんね。美人、特に泣きぼくろが魅力的って評判だったから。でも半年たたないで戻されちゃうのよね。妊娠してたから」

 少女の横槍に合わせるように、また黒猫が鳴いたので、老人は猫を睨みたくなったが、手帳から視線を上げずに朗読を続けた。


「フサと蓬莱が共に過ごした時間は短かったが、蓬莱に与えた影響は大きい。東京に戻った蓬莱に美術を……」

「想い出だけで作品を100以上でしょ。その執念で駆け落ちすれば良かったのに。貴方もそう思うでしょう? 岡沢蓬莱さん」

 皮肉を込めて笑う少女に、老人は目をすがめた。


「私は岡沢蓬莱の『死』ですよ。本人ではありません」

「あたしだってフサさんのひ孫の『死』よ。名前は芦名いく。フサさんがお母さんに言いつけたの。男の子が生まれたら、行。女の子なら、いくにしなさいって。迎えに行くって、蓬莱さん言ってたでしょう。

忘れたくなかったみたい。認知症って初期が苦しめるのよね」


 少女の言葉に老人の胸は痛んだ。昔の恋人は痴呆となり死亡した。

 あまり知られていない摂理だが、死は生から枝分かれする。そして双子として生を眺める。

 距離は遠かったり近かったりする。

 頃合いを見て、または何かの導きに急き立てられるような衝動を覚えて、死は生を訪れる。

 老人はフサの死亡に衝撃を受けた。死亡とは生と死の融合である。それは存在の消滅。


「……それで、貴女はどうして、芦名いくを訪れるのですか?こんな冬の夜に」

「芦名いくは心臓病だから。あたし、あの子が生まれた時からずっと我慢してたの。で、色々と苦しみながら頑張るあの子を応援していたわけ。本当に一生懸命でね。希望を捨てない姿は泪を誘ったわ。そのかいあってか、アメリカに良い先生を見つけた。手術の段取りもついたの。足りないのはお金だけ。だから岡沢蓬莱さんに……」

「それで昨日から泊まってるんですか。でもその猫は何ですか? 不吉過ぎる」

 老人の言葉に少女は、あたし達の方が不吉よ、と笑って、猫の黒く小さな頭を撫でた。


「来る途中にね。いくが牛乳あげたらなついたの。でも病気みたい。この子も『死』だから、あたしが放したら、全力で本体に駆けていくわ」

 少女の目も声も静かで、だから老人は悲しくなった。惜別に似た悲哀。


「貴女は猫の『死』を止めてるのですね。貴女も『死』なのに」

「考えちゃうのよね。『死』でも人間だから。猫ってかわいい」

「私もですよ」

「何が?」

「人間ですから、今夜はタイミングではないと思います。導きの衝動は急き立てられるみたいに感じますし、だからここまで近くに来ましたが」

 少女は半目で老人を見上げた。猫が威嚇するように鳴いた。


「変態?」

「何故?」

「そんなに芦名いくの絵を描きたいの?

 岡沢蓬莱、昨日からずっと、芦名いくを説得してるでしょ。裸でモデルになれって。芦名いくも折れそうだし。本体の執念に影響されてるの?」

 老人は頷き肯定した。

「そうですね。岡沢蓬莱の情熱が伝わって来ます。枯れ枝が火をまとったようです。なんせ、芦名いくさんは、フサさんにそっくりですから。私は思い出したんですよ。岡沢蓬莱はフサさんを鮮やかに描きたかった。疎開先で木炭しかなかったから無理でしたが」

 少女はうつむき、黙り込んだ。

 なだめるように、老人は声をかけた。

「一晩だけ、とにかく我慢してみませんか? その分猫は長生きしますし、作品は生まれます」

 少女は答える代わりに夜空を見上げた。星はなかった。代わりに雪が生まれて、はらはらと降ってきた。

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