その3
3
姉貴から事前に聞いていた。あいつが魔力管を失った事。
ショックだったし、あいつの心情を思うと居た堪れない気持ちになった。
だけどどうしても諦めきれなくて、体育祭でウィザデュをやるって聞いた時これだと思ったんだ。人工魔力を使う試合ならまた互角の戦いが出来るって。練習試合でもなんでもいいから、もう一度戦いたいって本人に言ったんだ。そしたら——。
——俺があの時君と対戦したのは大量の魔力があったからだよ。
——じゃなきゃ何度も大会で優勝してるような人と戦ったりしないって。
ピシリ、と胸の奥で何かがひび割れた音がして、そこから怒りが込み上げてきた。
結局同じだったんだ。
肩書きだけで判断して真面目に取り合ってくれない雑魚どもと。
結局————っ!
「結局お前も他の奴と同じじゃねえかこの雑魚ッ!」
◇
「——それでついカッとなって突き飛ばしちまった」
雲一つない青空の下。この空と同じような色の瞳の少年に、葉月陽介は自身の胸の内を明かしていた。
「そうでしたか……。お話を聞かせてくださりありがとうございます」
彼の言葉の後、沈黙が流れる。
屋上には陽介と藍希の二人だけ。隅の方で隣合って座っている。
「……すみません、気の利いた事言えなくて」
「いや、別に……」
陽介は、あの時いなかったから事情を知りたいと彼が言ってきたので話したまでだ。変に同情を述べられてもただただ不快でしかない。
短い会話が終わった後、また生まれる静寂。
「——彼が」
しかし今度はそう長くはなかった。藍希が再び口を開く。
「幸人が生まれた家では……そこの人達は彼の魔力量にしか目を向けていなかったようで。だから魔力管がなくなってからあまり精神状態がよくないんですよ。魔力がなくなったら自分には何もないと思っているみたいで」
「じゃああれは——」
——嫌味じゃなくて、卑屈から出た言葉……?
陽介は自身が思った事を伝えると、おそらくはという答えが返ってきた。
「だから、彼の言った事はあまり気にしないでください」
そう言うと藍希は立ち上がる。
一方で陽介は体育座りのまま、彼が言った事と自身の姉から聞いた話を照らし合わせていた。
魔力管の事以外に澄夏から知らされた、名字が変わったと。理由までは教えられておらず、陽介自身も深入りするつもりはなかったので今の今まで不明瞭なままだったが。
あの話を聞いて、そして幸人の姿が脳裏をよぎって——。
一つの単語が頭に思い浮かび、さあっと血の気が引く。
「ちょっと待てあいつって——っ!」
この不吉な考えを否定してもらいたくて藍希を呼び止めるも、その時は既に彼の姿はなかった。
◇◇◇
幸人は自省していた。選択を誤ったと。
あの言い方では嫌味に捉えられても仕方がない、そう気付いた時には遅く、激昂した相手に突き飛ばされた。
現在彼がいるのは図書室。本棚が等間隔にいつくも並ぶ場所の一番端にいる。
近くまで来なければ人がいるとは分からない場所。
今は一人だがつい先程までは澄夏がいた。
弟がごめんなさいと詫びる彼女に自分が悪いので気にしないでくださいといった旨を伝えて、そこから一つ二つ会話をした後相手は別れを告げて去っていった。
それからしばらく経ち、そろそろ陽介を探して謝罪をしなければと考えるが、人がいる場所に行きたくなくて尻込みしてしまう。
自身が動く事により他人にまた不快な思いをさせてしまうのではという根拠のない不安が頭に押し寄せてきていた。
そうして何もせずに突っ立っていると、近くで人の気配が。
それは段々とこちらに近付いてきている。
見えたのは白い長髪。
美術室で見かけた上級生の少女だ。
彼女の銀色の瞳と目が合ったので会釈をした。
その後体を本棚の方に向けるが、横から感じる視線は中々消えない。
適当な本を手に取り読むふりをしても、相手はじっと見続けている。無の表情のまま。
「青い」
やがて数歩足を動かし間合いを詰めてきた。
どういうリアクションをとるのが正解なのか分からず、とりあえずぎこちないながらも笑顔を送る。
「元気がないとお見受けした」
その言葉にドキリと心臓が跳ねた。
「す、すみません顔に出てましたか?」
少女は答えず、何やら襟の辺りをごそごそとしだす。よく見ると首に何かかけてあるようだ。
現れたのは花の形をしたペンダント。八つの花びらは黄色、緑系統と青系統が二つずつ、紫、赤、橙と色付けされておりとてもカラフルだ。
「わあ……、綺麗ですね」
硬質な素材で出来たそれは蛍光灯の光に反射して輝きを放っている。
少女が手を添えるとカチリと音がした。ペンダントが上部に開かれ、聞こえてきたのはオルゴール調の音色。
幸人はこの曲をどこかで聞いた事があるような気がするが思い出せない。
物悲しげな旋律は、けれどもどこか温かみを感じられ聞いていると心が落ち着く。
室内には二人しかおらず、本来静かにするべき図書室で音楽を止めるよう言ってくる者はいない。
一分が経過した頃。気分も少し明るくなりそろそろ止めないとさすがに誰か来ると思った幸人は礼を言った。
「ありがとうございました。えーっと……」
「珠口アコ」
「珠口先輩ですね。先輩のおかげで少し元気が出てきたと思います」
その言葉を聞くとアコはぱたんとペンダントを閉じる。
「まだ青い。……けど——」
近くで見て気付いた。彼女の瞳は銀をベースに様々な色が混じっていると。
シャボン玉のようだと思いながら、幸人は耳を傾ける。
「もう私に出来る事はなさそう。だから、さよなら」
そう告げると回れ右をしてその場を離れていった。
——本当に、独特な雰囲気の人だなあ。
だが静音が言っていたように悪い人ではないようだと、彼女の後ろ姿を見ながら思う幸人であった。
アコがいなくなり、ようやく決心がついた彼は行動に移す事にした。
図書室を出て、近くに陽介はいないかと廊下を見渡す。
目当ての人物はいなかったが従兄弟を見つけた。
「ここにいたんですか」
こちらに気付いた藍希が駆け寄ってくる。
「お昼は食べましたか?」
「あ——」
——そういえばまだ食べてない。
すっかり忘れていた幸人は、どう言い訳しようかと悩む。
病んでいたから図書室に閉じこもっていましたとは絶対に言いたくなかった。
「えっと……。ちょっと調べ物に夢中になっちゃって! これから食べるところだよっ」
ははは、と大袈裟に笑って勢いで誤魔化そうとするが、相手の表情を見る限りたぶんバレている。
「そうですか、じゃあ一緒に行きましょう。僕もまだですし」
「ああ、うん。……そうだアイ、陽介くん見なかった?」
「あの人なら屋上にいましたよ。——昼食の前に行ってきますか?」
「うん、そうするよ。先に食堂行ってて」
幸人の返答を聞いて、藍希は掴んでいた彼の手首を離した。
「ところで、アイは今まで何してたの?」
なんとなく気になり、幸人は別れる間際に尋ねる。
「調べ物をしていました」
事実なのか嘘なのか、判別し難い回答が返ってきた。
◇◇◇
ザワザワと、木々が風によってさざめく。
鬼さんこちらと声のする方に俺は足を動かした。
周りの子達は皆楽しそう。
鬼に捕まらないように、校庭を駆け回っている。
「虹太くん、こっちこっち!」
一人の女の子がその場で跳ねながら俺を呼んだ。
そしてそこへ向かうと逃げていく。
だけどその子より俺の方が足が速い。
距離はどんどん縮まって、その子の肩に手を置いたその時——。
悲鳴が上がり、俺は目を覚ました。
◇
早鐘を打つ心臓に吐き気を催し、石角虹太は口を手で押さえた。
その際に違和感を覚える。革の感触ではない事に。
自身が手袋をしていない事に気付くと慌てて探し始めた。
けれどスラックスのポケットを弄っている時、思い出す。
——そうだ。大丈夫なんだった、今日は。
安堵とともに力が抜け、椅子に腰を下ろした。
時計を見るとホームルームの時間はとっくに終わっている。
クラスメイトはもう帰ったか部活に向かったのだろう、教室には彼一人だけだ。
夕焼けが室内を赤く染めている。
自分も帰ろうと石角は席を立ち、教室を出た。
階段の近くまで来るとバササ、と軽い物が落ちる音が。
見ると踊り場に白い紙が散乱している。
そしてそれを拾っているみずきがいた。
「ああ、悪い。通れそうか?」
人がいる事に気付いた彼女はプリントを端に寄せ細い道を作る。
石角は階段を下りてそこに近付くと、しゃがんで一緒に紙を拾い始めた。
「あ……ありがとう」
みずきが少し驚き気味に礼を言うが、何の反応も示さない。
床に落ちていた物が全て二人の手元に収まると、石角は自身が拾った分を彼女に渡した。
「ほら」
「お、おう……。——あっ待て!」
そのまま立ち去ろうとしたら突然腕を掴まれ、思わず肩が跳ねる。
「何だよいきなり——っ!」
「いや、怪我してたからさ」
「怪我あ?」
言われて右手を見ると人差し指に切り傷があった。拾っていた際に切ったようだ。
「ちょっと待ってろ」
みずきはブレザーのポケットから絆創膏を取り出し、彼に差し出す。
「いいってこんぐらいで……」
石角は受け取りを拒んだ。そうすると相手はプリントを床に置き、右手に触れてきた。
「これでよし、と」
固まっている彼をよそにみずきは絆創膏を付け終えると満足げに呟く。
「そういえば、今日は朝から手袋してないよな。忘れてきたのか?」
「……ああ、そうだな」
何気ない質問にどう返そうかとしばし考えたが、結局は肯定する形で嘘をついた。
「へえ。意外とおっちょこちょいだよな、お前って」
ふふっと楽しそうに少女は笑う。
石角には何がそんなに愉快なのか分からない。
「綺麗な手だな。改めて、手伝ってくれてありがとう。それじゃあ」
再度礼を言うとみずきは階段を上っていった。
一人残された石角は、おもむろに両手を見つめる。
右手の人差し指には綺麗に絆創膏が巻かれている。
——どこが。
自身の手に嫌悪感しか抱いた事のない彼には、彼女の言った事がどうしても理解出来なかった。
「やあ、こんにちは」
不意に声がして振り返る。
人の姿はない。ただ、階段を上りきった所に黒いネコのぬいぐるみが落ちて——否、佇んでいた。
「どう? すごい効き目でしょ。気に入ってもらえた?」
二、三段下りながら少年のような無邪気な声で石角に話しかける。
「昨日話した通り、僕のお願いを聞いてくれたらもっとたくさん薬をあげるよ。君が生きている限り、ずっとね」
彼にとって、それは魅力的な交渉。しかし口はつぐんだまま一向に首を縦に振らない。
目線をネコから右手へ移す。するとすかさずその黒い塊が口を開いた。
「薬をつけててよかったね。じゃなきゃ今頃彼女は君の事怖がっていると思うよ」
その声はよく届き、全身を震えさせる。
再び顔を上げてもぬいぐるみの表情は変わらぬまま。ただ無機質な瞳は早く選べと訴えていた。
「さあ、どうする?」
駄目押しとばかりに付け加えられた言葉。
少年は僅かに口を開き、自身の選択を口にした。