その1
もう戻らないあの頃に、今日も思いを馳せている。
この感情は、今を積み重ねていく事で少しずつ薄めていくしかないのだろう。
二章 抉る過去
1
キンコンカンコンと鐘が鳴り、午前最後の授業の終わりを告げる。
「最近月曜はいつもお弁当ね」
永井みずきが弁当箱を持って風紀委員室に行く途中、葉月澄夏に声をかけられた。
「ああ、料理の練習がてらな」
「へえ、そうだったんだ。私も今度自分で作ってみようかな」
ふふ、と笑うと澄夏はじゃあねと言って廊下を進んでいく。向かう先は食堂だろう。
一人になったみずきも、目的地を目指して再度足を動かした。
風紀委員室に入ると既に他のメンバーが集まっていた。
みずきはソファに座っている遠藤静音の隣に腰を下ろす。
「よし、全員揃ったな。それじゃあ、最早恒例となってきた報告会を始めるか」
事務机に座っている風見理緒がそう宣言した。
例の件をきっかけに毎週月曜日の昼休み、休日に変わった事はなかったか報告するようになったのだ。
「怪しい人に声をかけられたとか、変な事件に巻き込まれたとかあったら遠慮なく言ってくれ。じゃあ、まことから」
「あー……——。特になし」
事務机の近くで丸椅子に座っている少年、清水まことは考える素振りを見せた後短く答えた。
「じゃあ次、桜木」
次にまことの隣、みずきと同じソファに座っている桜木実散に話を振る。
「んー……。ありませーん」
そう口にするとあくびをした。目はほとんど開いておらず今にも寝落ちしそうな雰囲気だ。
彼女に話を聞いた後、理緒は静音、みずき、鬼塚剛の順に尋ねた。しかしその回答はどれも一言。
そしてあっという間に、一月前に加入した一年生に順番が回る。
「次ー、藍希くん」
その内の一人、藍色の髪の少年——宝累藍希は他のメンバーが背もたれに体を預けたり机に頬をついているのに対し、しゃんと背筋を伸ばしていた。
気を張っている訳ではない、普段からあの調子なのだと少し前に彼の従兄弟が言っていた事をみずきは思い出す。
「休日は土曜日の夕方に買い物に行ったぐらいであとは家にいました。外出した際も家にいた時も、特にこれといった事は起きていません」
その典麗な佇まいに相応しい口調で少年は詳細を語った。
彼の報告が終わると理緒は一つ頷き銀髪の少年に目線を動かす。
「そんじゃあ最後、幸人くん」
名前を呼ばれた宝累幸人は、はいと返事をして話し始めた。
みずきの目は話を聞きつつ、ローテーブルにある二つの小さいサイズのタッパーを眺めている。
毎回あれで足りるのかと疑問に思うくらいに彼の食事量は少ない。
「全員異常なしか。今回も皆が楽しい休日を過ごせたようで俺は嬉しいよ」
全員の報告を聞いた理緒がわざとらしくうんうんと首を縦に振る。
あれから大体一ヶ月。何事も起きずに平和な日々が続いていた。
「もう諦めたんじゃねえの?」
「だといいけどな。そういえば、鱗怪の方はどうだ?」
まことの言葉に反応を返した後みずきは幸人に尋ねる。
「あれ以来犯人からの連絡はないそうです」
「そうか……」
「まあ、やる気のなくなった相手に接触したところで向こうにメリットはないしな。——よしっ、じゃあ報告会はこのくらいにして、飯にすっかー」
そう言うと理緒は焼きそばパンの袋を開けた。それに続いて他のメンバーも各自で持ってきた昼食に手をつける。
「それにしてもすごかったよなー、あの異空間作成能力。一瞬周りの人間が消えたのかと思ったよ」
「そうですよねえ。私もあの時は最初、皆が森岡先輩に連れていかれちゃったのかと——」
「森岡先輩?」
静音が話した内容に、幸人と藍希は不思議そうな顔をした。
「森岡先輩ってのは怪異の名前だよ。——これは、今から十数年前の話」
ふふふと笑い実散が説明を始める。怪異と言うからにはこれから話すのは怪談。雰囲気を出す為か、いつもより声のトーンが低い。
「ある日の放課後、二人の男子生徒が実技訓練場で練習をしていたんだ。仮にAとBにしよう。訓練場には二人以外誰もいない、聞こえてくるのはお互いが魔法を使う音だけ。彼らは会話をする事なく黙々と練習に勤しむ。それから数分が経った頃、Bがいた場所から音がぴたりと止んだ。Aが何気なくその場所を見ると——Bの姿がなかったんだ」
少女の声が室内に響く。一年生の二人はよくある怪談話だなと思いながら聞いていた。
「物音はついさっきまで自分の傍で聞こえていた。鞄はそのまま、足音もしていない。訓練場を出たにしては少し引っかかりを感じる状況。Aは日が落ちる時間までBを探した。しかし一向に見つからない。仕方がないんで教師にこの事を伝えて家路についた。次の日、朝から校内は騒がしかった。教師が訓練場で倒れているBを発見したそうだ。体の至る所に怪我をしていたが命に別状はない」
上級生の中で真面目に耳を傾けているのは静音だけた。残りのメンバーは食事に集中している。
「——Bの話によるとあの日突然Aが目の前から消えて、代わりに奇妙な人物が現れたらしい。その人物はボロボロの体操着を着ていて顔は何故かマジックで引いたような線があってよく見えない。そして、Bを見るや否や襲いかかってきたんだ。怪我を負いながらもなんとか用具室に逃げ込んで、そこから先の事はよく覚えていないと語る。——Aに事情を説明したBは不意に顔を青くして、震える手でAを指差した。どうしたんだ? と尋ねるA」
ここまで話すと、実散は藍希と幸人に人差し指を向けた。お……お……と、何かを言いかけるか細い声が口から漏れる。
彼らと静音の意識が指に集まったその時。
突如、藍希と幸人に向いていた体を勢いよく静音の方へ——。
「お前の後ろに——っ!」
「ひゃあ!?」
予想だにしていなかった友人の行動に、体をびくりと震わせて静音は驚きの声を上げる。
「もおー! ひどいよ実散ちゃん!」
「そんでね、その襲った奴が着てた体操着に森岡って書いてあったからいつしか森岡先輩って呼ばれるようになったんだってさ」
隣から聞こえる抗議を無視して実散は話を締めた。
「へえ。この学校にもあるんですね、そういうのが」
幸人が短く感想を述べると、パンを食べ終えた理緒が会話に加わる。
「他にも色々あるぞ。まあ、そのほとんどがただの噂だけどな。——さてと、飯も食い終わったし、俺はここで失礼するよ。体育祭の準備をしないといけないしな」
「三年生は旗の作成でしたっけ?」
「ああ、たぶん今日で完成するだろうな。出来上がり、楽しみにしとけよ?」
にいっと笑うと立ち上がり、じゃあなと言って部屋を出ていった。
この高校では体育祭が近くなると毎年、各軍のシンボルとなる旗を作る。
旗が置かれている場所は美術室。みずきも食事が終わり次第そこへ向かおうと思いながら、残り少なくなったおかずを口に入れた。
◇
美術室は絵の具の匂いが充満していた。
机を後ろにどかし広々とした床の上に、大きな旗がある。
白い兎が描かれている物、赤い狼が描かれている物、黄色い鷹が描かれている物の三種類。
白兎と赤狼が製作途中なのに対し、黄鷹は既に出来上がっていた。
両翼を広げるその姿は、今にも旗から飛び出してきそうだ。
「おっと、来るのが遅かったかな」
せめて片付けだけでもと理緒はクラスメイト達に駆け寄る。だがそれももうすぐ終わるから大丈夫だと言われた為、自身の教室へ戻る事にした。
三階に着き、これからどうしようかと考える。とりあえず教室で暇そうな生徒を見つけて遊びに誘おうかと思いながら廊下を歩いていると、前方に見知った人物が。
その少年の特徴を挙げるとすれば、両手に黒い手袋を嵌めている事だろうか。
「やあ石角くん」
男子生徒は振り返り理緒を見ると鬱陶しそうに顔を歪めた。
「今暇かい? もしよかったらこれからバスケでも——」
「誰がやるかよ」
短く拒絶の意を示すと少年——石角は前を向き歩き出す。
「そうつれない事言うなって。あ、そういえば永井から聞いたよ。ウィザデュの選手に選ばれたんだって?」
「うっせえな付いてくんな」
取り付く島もないとはまさにこの事。彼がつっけんどんな態度を取るのは今に始まった事ではないので理緒は気にせず喋り続けた。
「俺のクラスはまことがそうなんだ。もし対戦する事があったらそん時はよろしくなっ!」
相手は何の反応も返さない。その代わりに後ろから少女の声が響いた。
「石角!」
理緒を追い払おうとしていた石角は再度振り向き、彼女を見て思わずげっ、と声を上げる。
「お前今日も授業サボって——!」
そこにいたのは弁当箱を片手に持ったみずきだった。
石角はうるさいのに見つかったといった感じで頭を掻くと、足早に廊下を移動し反対側にある階段を下りていく。
「あ、待て! ……まったく」
「あーあ、逃げられちまったな」
ケラケラと笑う理緒をよそに、みずきは少年が消えていった方を見つめたままため息を吐いた。
◇◇◇
鱗怪鈴歌は実技訓練場の二階から一階の様子を眺めていた。
ガラス越しに見えるのは上級生と思しき数名の生徒がゴーレムを作って歩かせている光景。
床に引かれた線によっていくつかに区分されたそこに一人ずつ立ち、その枠内を数体の岩の人形が人工魔力で動いている。
その内の一体の魔力が徐々に薄くなり、人型の形状を保てずに崩れていった。
と同時に背後からガシャンと音が——。
見ると人間サイズの球体関節人形が床に倒れている。
人形の傍らには二人の男子生徒。
「五十秒か、惜しかったね。でもタイムはどんどん近付いてるよ」
ストップウォッチを手に持つ幸人が藍希を元気付けるように話しかける。
対して藍希は悔しそうに唇を噛んでいた。
「もう一回やってみようか」
幸人に促され人形に両手を向ける。
鈴歌はなんとなくその様子をじっと見つめた。
少年が付けている腕時計内の白い魔力が、ぐたりと横たわっている人形に送られていく。
力の源を与えられたそれはスッと起き上がった。
魔力は全身に均一に行き渡っており、人形は安定して立っている。
しかし三十秒が過ぎた辺りから魔力の量が段々と少なくなっていき、それに合わせてぐらつき出した。
そこから二十秒程粘るが、魔力の減少は止まらず半分以上減ったところでまた倒れた。
「また一秒伸びたよ。この調子ならあと九回やれば六十秒に届くんじゃないかな」
「そんな上手くいってたら昼休みに練習なんてしてませんよ」
二人のやり取りを聞いていると藍希と目が合う。
「あ、どうも。奇遇ですねお二人とも」
見ていたのがバレてしまうと焦った鈴歌はついさっき来たばかりといった雰囲気を出し台詞を吐いた。
「さっきからぼーっと突っ立って何してるんですか?」
だが相手は随分前からこちらの存在に気付いていたようで演技は無駄に終わる。
「いやー、はは。ちょっと怪異探しを……」
「怪異って、もしかして森岡先輩?」
「おっ、ご存知だったんですね」
幸人の問いかけに答えながら二人のもとへ駆け寄った。
そんな彼女に藍希は不思議そうな視線を送る。
「何故そんな事を?」
「よくぞ聞いてくれました。実は私、こう見えて退魔師の家系の人間でして、そういう身としては危険な怪異がいると聞いた以上放っておく訳にはいかないかなと。あと単純にいい事がしたい」
「そうだったんだ。話聞いた限りだと結構攻撃的みたいだから、怪我しないように気を付けてね」
「はいっ、ありがとうございます」
鈴歌は幸人に温かな言葉をかけられほんわかした後、今度はこちらから二人に尋ねた。
「お二人は実技試験の練習ですか?」
「ええ、このままだと補習が待ってるので」
そう言うと藍希は再び人形を立たせた。最初は安定している。けれどやはり長くはもたない。
「本当に魔力を留めておくのが極端に下手ですねえ、藍希さんって」
彼女の発言に幸人が少し驚いた表情をした。
「鱗怪さん、魔力が見えるの?」
「ええ見えますよ。霊眼持ちなんで」
「そっかあ、風見先輩と一緒だね」
霊眼とは本来道具を使わなければ見えない魔力を視認できる瞳のことをいう。
「でも鱗怪さんって眼鏡かけてないよね? 先輩はないと辛いって言ってたけど」
「小さい頃から特別な訓練を受けているので全然大丈夫です」
「へえ、そうなんだ。すごいねえ」
言い終わるとガシャンという音が聞こえ、彼の意識はそちらに引っ張られる。
幸人は転倒音と同時に押したストップウォッチに目を向けた。タイムは先程と変わらない。
次に腕時計を見る。昼休み終了まであと十五分程。
「もうすぐ昼休みが終わるし、今日はこれくらいにしようか」
「マジかもうそんな時間? 結局森岡先輩見つけられなかったなあ」
「そもそも本当に出るんですか?」
「調べてみたらここ数年は目撃情報がないんですけど、それ以前は年一の頻度で出てたらしいです。丁度今くらいの季節に」
仮にいたとしても出現率が低過ぎる。そんな相手を本気で探すつもりなのかと藍希が思っていると、鈴歌が言葉を付け足した。
「まあ、数年間被害がないって事はもういなくなったって考えるのが妥当ですかね。でも一応念の為って事で、気が済むまで探そうと思います」
言いたい事を伝えるとそれでは、と告げて去っていく。
彼女の後ろ姿をしばし眺めた後、藍希は幸人ととも片付けに取り掛かった。
◇◇◇
「ごめんね、急に誘っちゃって。どうしても君に聞きたい事があってさ」
多くの人の声、車の音が響く街並み。しかしそんな中でも少女の声はしっかり少年の耳に届いていた。
「いえそんな、むしろ丁度よかったです。俺も先輩と話がしたかったので」
前を歩く澄夏に幸人が答えると、彼女はこちらを向きにこりと笑う。
放課後、体育祭で使う小道具を作り終え使用した材料を美術室に戻しに行った際に、澄夏に近くの喫茶店でお茶をしないかと言われたのだ。
この後特に予定のなかった幸人はその誘いに乗り、今は目的地へと向かっている最中。
道沿いにある洋服店を見ると、ショーウィンドウに飾られたマネキンがひとりでに着替えを始めた。
道路を挟んで向かいの歩道では、大量の荷物を持って店から出てきた男性が、宙に浮く箱を出してその中に荷物を入れて運んでいる様子が目に映る。
魔法が日常に浸透している。それが彼らの世界。
「着いたわ。ここよ」
辿り着いたそこは重厚感のある建物だった。
壁は暗い茶色で、全ての窓にカーテンが引かれており中の様子が伺えない。初めて入る場合は少し勇気がいるだろう。
その店の扉を、澄夏は躊躇う事なく開けた。
「いらっしゃいませ」
カランカランとドアベルが鳴った後、聞こえてきたのは若い女性の声。
その人物は扉付近にあるテーブルを拭いていた。
カウンターには中年の男性店員が一人。そして店の奥には二組の客が。
澄夏の提案で窓際の席に腰を下ろす。注文をした後、早速本題に入った。
「それで、ご用件はなんでしょうか?」
「私が先に話してもいいの?」
「ええ、構いませんよ」
幸人にありがとうと返すと、彼女は話し始めた。その表情は少し硬い。
「風見くんから気になる事を聞いて。部活見学期間の時にね、巡回してた風見くんと少しお喋りをしてて、その時に君の事を話したの。交流会で弟と対戦した時の事……。あの子に引けを取らない、強力な魔法を何個も使っててすごかったって。そしたら彼、不思議そうな顔でありえないって言い出して……」
——幸人くんは魔力持ちじゃないんだから。
「——って、そう言ったの。見間違いじゃないの? って聞いたらそんなはずないって返されて。それで……その——」
お待たせしました、とアイスコーヒーを持ってきた店員によって話は一時中断される。
二人は強張った表情を和らげ礼を言った。
そして店員が去った後、再び硬い面持ちに。
「宝累くん、単刀直入に聞くけど……。魔力管はどうしたの……?」
聞かれた少年の頭の中は様々な思いが飛び交っていた。
——よかった、こちらから話す手間が省けた。
——でも出来れば知られたくなかったなあ。
——早く話して楽になろう。
——ああだけど事実を伝えるのが怖い……。
ごちゃごちゃした思考を押し込めて、口は弧を描かせる。
それは相手に心配かけたくないというよりも、気遣われたくないというプライドによって無意識に行われた動作。
幸人は大した事ではない、といった口振りで答えた。
「訳あって除去しました」




