体育祭 2
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「珠口、怪我大丈夫か?」
アコが後ろから声をかけられたのは、教室へ戻ろうとしている時の事であった。
振り返り相手の顔を確認する。
そこにいたのは筋骨隆々で鋭い目つきの少年。
「鬼塚くん。うん、大丈夫だよ」
彼女は心配そうに見つめる剛にいつも通りの無機質な声で返した。
「そ、そうか。——そういやお前もウィザデュに出るんだよな? 無理はすんなよ」
「うん。鬼塚くんも気をつけてね」
「おう、お互い頑張ろうな! そんじゃあな」
剛が去っていくとアコは再び歩きだす。
道中、周囲にいる生徒からは少し疲労が見えていたが皆楽しそうだった。
「——うん! 今年もリレーで一位獲ったよ!」
その中でも一際明るい声が聞こえてきたのは二年E組の教室。
声の主は遠藤静音。道すがら覗いてみると誰かに電話をかけていた。
「——うん、——うん、紅利もお疲れ様。終わったらまたそっちに行くから」
少女の声を聞き流しながらアコは二年F組の教室へと入っていく。
生徒の椅子は現在グラウンドにある為室内はいつもよりすっきりしていた。
床で談笑しながら弁当を食べている数名のクラスメイトの前を通り窓際へ向かう。
ここからグラウンドが一望出来る。
端の方にレジャーシートが複数。保護者と一緒に昼食を摂っている生徒達の姿が見えた。
「黄色」
その光景を見て、アコは小さい声でぼそりと呟いた。
◇◇◇
「元気そうで安心しました」
「あはは、ごめんね心配かけて」
保健室前で会話をしているのは二人の少年。
一方はつい先程まで眠っていた幸人。もう一方はそんな彼の様子を見に来た藍希。
二人ともハチマキの色は白。
「動けるようでしたらお昼は教室で食べましょうか」
「そうだね」
幸人は頷くと藍希から自身の弁当箱を受け取った。
「そういえばあなたが出る予定だった五十メートル走、代わりに和田さんが出場しましたよ」
「そっか、後でお礼言わないとね」
「あっ幸人さん。よかったご無事でしたか」
廊下を歩いている最中、前方から聞こえてきたのは聞き覚えのある声。
その少女は上は半袖、下は長ズボンを身につけており、黄色いハチマキをカチューシャのように縛って額を出していた。
幸人は困惑する。
彼女の声と金の瞳には覚えがあるのに、肝心のその少女自体に心当たりがないのだ。
「えっと君は……」
まだ記憶を全て思い出せていないのだろうか、そう思いながら視線を少し下ろす。
そして驚愕した。体操着に縫い付けられた名札を確認して。
「えっ、鱗怪さん!?」
驚きのあまり名札と少女を交互に見る。
「あはは、いいリアクションだなあ」
女子生徒は笑うと、結んであったハチマキをほどいた。
ハチマキで止めていた前髪がだらりと下がり、彼女の目元を覆い隠す。
普段目にする鱗怪鈴歌の姿がそこに現れた。
「いやあ、すみませんね驚かせちゃって。前髪上げろってクラスの人がうるさくって。ちゃんと見えてるとは伝えたんですけど」
「そ、そうだったんだ」
「ああでもこうして皆さんの反応を見るのは楽しいですね。藍希さんも驚いてましたし」
その言葉に幸人は隣にいる従兄弟の方に顔を向けた。
自身がいなかった際には驚きの表情を見せていたらしいその顔は、現在は真顔で目の前の少女を見つめている。
「前々から思っていたんですけどなんでそんなに前髪伸ばしているんですか。邪魔でしょう?」
「うーん……。なんというか落ち着くんですよねこうしていると。——あ、そういえばお二人にちょっとご相談が」
藍希に返答をすると今度は鈴歌が話を振ってきた。
「相談?」
幸人が聞き返す。すると彼女はひどく言いづらそうに話を始めた。
「はい、あのー……。仮にですよ? 仮にもし私が風紀委員会に入りたいって言ったら、皆さん受け入れてくれますかね……?」
それは全く予想だにしていなかった発言。幸人は言わずもがな、藍希の表情も僅かに動く。
「鱗怪さん、風紀委員になりたいの? なんでまた……」
「いやーはは……。やっぱりどうしても諦めきれなくて。皆さん首謀者を追っているんですよね? その人捕まえて薬の製造方法聞き出そうと思いまして。ほら、相手が風紀委員に用があるんなら自分もなった方が出会える可能性は高くなるじゃないですか」
話を聞き終えた少年二人はお互いの顔を見合わせた。
それを見た鈴歌はわざとらしく笑った後早口で再び声を出す。
「じょ、冗談ですよ冗談! 前科ある奴が近くにいたら安心出来ないなんてそんなの言われなくとも分かってますし。そもそも動機が不純ですし。あの、今のは聞かなかった事に——」
「大丈夫だと思いますよ」
「え?」
藍希の一言で滑らかに動いていた口が止まった。
「百パーセントとは言いませんが皆さんあなたはもう安全だと思っているみたいですし、それに——」
会話の途中、藍希は目線を少し下に。
青い瞳が見つめる先は少女の脚。
時間にしてほんの数秒、下がった目はすぐまた鈴歌の顔に戻る。
「その動機は全然不純じゃないと思います。少なくとも僕は」
それは全く予想だにしていなかった言葉。
金の瞳が見開く。
「藍希さん……」
自身の考えに肯定的な意見が返ってくるとは思わなかった鈴歌。胸の内に嬉しさが込み上げてきていた。
「休み明けにでも風見先輩に伝えたらいいと思うよ」
「——そうですね、お二人ともありがとうございます。おかげですっきりしました。この後の競技にも集中出来そうです」
「そっか、ウィザデュに出るんだっけ鱗怪さん」
「はいっ、頑張ってきます! それではっ」
少年二人に会釈をすると、鈴歌は元気よく自教室へと戻っていった。
自分もA組の教室に向かおうと幸人は移動を再開する。
しかし数歩進んだところで、藍希が着いてきていない事に気付く。
振り返ると相手は何やら考え込んでいるようだった。
「アイ?」
「……——ああすみません。行きましょうか」
呼びかけると小走りでこちらに駆け寄ってくる。
目的地に着くまでの間、お互い無言。
何を考えていたのか、幸人は聞きはしなかった。
——おそらく聞いたところで答えてはくれないだろう。それに大体察しはつく。
教室の目前まで来た頃、少年はばれないように隣の青瞳を見つめた。
◇
「おお宝累、目が覚めたのか」
二人が教室に入った直後、教卓で弁当を食べている大山が声をかけてきた。普段の白衣姿とは違いジャージを着ている。
「ああ、はい。ご心配をおかけしました」
「いや何、無事ならいいんだ」
そう述べると相手はおかずを口に入れた。
教室には大山の他に数人のクラスメイトが。その中に和田大河の姿もあった。
「和田くーん」
幸人は早速礼を言おうと彼へ近付く。
その際ある事に気付いた。
床に伸ばした状態で置かれている右足の上に、氷嚢があったのだ。
「あれ、怪我したの?」
「ああ、ちょっと捻っちまってな」
「そうだ言い忘れてた」
やり取りを聞いていた大山がその場で再度話しかける。
「幸人、見ての通り和田が動ける状態じゃないから代わりにウィザデュに出てくれないか?」
担任からの思いもよらない言葉に幸人は目を見開いた。
「えー、大丈夫ですよ先生このくらいの怪我」
「ばーか。悪化したらどうするんだ。安静にしてろ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
大河と大山の会話に慌てた様子で割って入る。
「あの、他の人ではだめなんですか? とてもじゃないですけど勝てる自信が……」
「最低一種目は出て欲しいんだ。あと学級だよりに載せる用の写真が撮れてない」
デジカメを構えながらそう話すと男性教師は立ち上がった。
「まあ勝敗だけが全てじゃないさ。だからそう気を張るな。という訳でよろしくなー」
「あ……」
説得の言葉は出て来ず、大山が去っていった出入り口を幸人は無言で見つめる。
今彼の脳裏に浮かんでいるのは一人の人物。
三年前、一度だけ戦ったあの少年——。
◇◇◇
誰がどんな感情を抱こうが、時間は待ってはくれない。
グラウンドの一辺にはたくさんの椅子。その後ろには三枚の巨大な旗がある。
赤い狼は赤軍、黄色い鷹は黄軍、そして白い兎は白軍の物だ。
「さあ、種目も残すところあと一つとなりました。ただいまよりウィザードデュエルを開催します!」
旗が風で揺れる中、放送委員の生徒の声がマイクを通して響き渡る。
昼休みはあっという間に終わり、午後の部が始まった。
「改めてルールの説明を行います。試合はトーナメント方式、使用出来る魔力は人工魔力のみです。ステッキ内の人工魔力がゼロになる、もしくはステッキを落とすと敗北になります。続いてあちらの表をご覧ください」
四本の杭が立つその奥には移動式黒板。そこから見えるのは書きかけのトーナメント表。
A、B、Cの三つの枠があるブロックが三個。下には左から一年、二年、三年と書いてある。
「まず始めに同学年で戦い、そこでの勝者三名が準決勝、決勝に進む事が出来ます。尚C枠は練習試合の際に勝率が高かった人、または前年度の優勝者に割り当てられています」
トーナメントという形式上、奇数人数の場合一人だけ試合の数が少なくなる。
「最後に禁止事項です。ステッキ内の魔力以外での攻撃、中央の線を越えると即失格となりますのでご注意ください。説明は以上となります。これより女子の部、第一回戦を開始します。選手は準備をしてください」
この言葉を合図に待機場所から女子生徒が二人出てきて杭の中に入った。
それから間もなく、魔力の箱が二人を包み込む。
箱の外側、丁度中央の線の辺りに体育教師。両者の準備が完了すると口を開く。
「よーい!」
力強い声の後響いたホイッスルが、試合開始の合図を告げた。