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偶像と選択肢  作者: 西井あきら
三章 偶像と選択肢
17/22

体育祭 1

       1


 日が高く昇った空の下、誰もいない屋上で少年はスマホをじっと見つめていた。


 母校のサイトを何回かクリックして表示された動画。三年前の学年行事、交流会の記録。

 炎龍の周りに雪の蝶。

 炎が氷に蝕まれていく。

 自然の理に反した——。

 少年の心に強く焼きついた記憶。

 もう叶う事のない思い出。


「陽介」

 いつからいたのか。後ろから聞こえてきた声の主は彼の姉。

「そろそろ行きましょ」

 その声に無言の了承をし、スマホをしまうと来た道を戻った。


「あ、そういえばね——」

 道中、姉が唐突に話を切り出す。

 その内容に少年は大きく目を見開いた。


     ◇◇◇


 目が覚めて、最初に視界に飛び込んできたのは見覚えのない天井だった。

 今こうして体を預けているベッドも普段使っている物ではない。

 ここはどこなのだろうと思いながら首を左に動かす。すぐ近くでカーテンが仕切りのように閉じられていた。


「ここは……病院?」

「残念、保健室でしたー」

 反対側から女の子の声がしたので今度はそちらを向いた。

 そこにいたのは黒髪ショートボブの人。頭には黄色いハチマキを巻いていて、椅子に腰掛けている。


「あなたは……」

 まずい、知り合いのはずなんだけど名前が出てこない。この人の名前以外にも色々と忘れている気がする。そもそもなんで俺は保健室にいるんだ?


「なんかぼーっとしてるけど大丈夫? 自分の名前ちゃんと言える?」

「な……まえ? ……俺の名前はく——」


 ——選んで。


 突然脳裏に振ってきたのは彼の声。そこから芋づる式に記憶が蘇っていく。

 旧姓を言いかけた口を一旦閉じ、動揺を悟られないようにゆっくりと声を出す。


「……宝累幸人です」

「そうそう。よかった、問題ないみたいだね」

 俺の言葉に満足そうに頷く女の子——桜木先輩。よく見ると彼女は体操着を着ており、そこに名前が書いてあった。


「あの先輩、俺は一体」

「君はね、私が投げた玉入れの玉に当たって気絶したんだよ」

 それを聞いて今日が体育祭であった事も思い出す。しかし同時に納得出来ない部分も見つけた。


「確かに俺は貧弱ですけど、あんな軽いので倒れる程(やわ)では——」

 相手が嘘をついているようには見えなかったが、それでも否定はしておきたかった。


「えっとそれなんだけどちょっと事情が……」

 先輩が再び口を開く。申し訳なさそうに頬を掻きながら。

「中々入らないもんだから魔法で操作しようとしたんだけどミスッちゃって、プロ野球選手並みの豪球だったんだ」


「ああ、なるほど」

 謎が解けたとともに苦笑が漏れる。

「いやー、ほんとごめんねえ。まさかこんな事になるとは思わなくってさあ」

「ははは……。大丈夫ですよ、気にしないでください。幸い違和感とか痛みはないので」

 上体を起こして腕時計を見ると、時刻は十二時過ぎ。午前の部が終わり昼休憩に入ったばかりの時間だ。


「そう? それならいいんだけど。ああでも念の為病院には行った方がいいかも」

 そうですねと返すと先輩はさて、と言って立ち上がる。

「大丈夫そうなら私は戻る事にするよ。それじゃあ、お大事にー」

 手を振る相手に会釈をして、カーテンを開けて出ていく背中を見送った。


「……はあ」

 引き戸が閉まる音を聞いた後、口からため息が零れる。

 夢を見ていた。少し昔の夢を。

 自分が今着ている長袖体操着を見れば名札にきちんと名前が書いてあった。


 宝累幸人と。


 夢の内容のせいか妙に体が疲れている。

 もう少し横になっていようかと思っていると、コンコンとノックの音が聞こえてきた。

 次いで戸が開く音。しかし室内に誰かが入ってくる気配はない。


 気になってベッドから下りてカーテンを開けると、出入り口の所に白のロングヘアの上級生が。ハチマキも白色だ。


「珠口先輩? どうしたんで——あ」

 視線を落とした先にあったものを見て口が止まる。

 擦りむいたのか、左脚の膝のあたりが赤くなっていたのだ。


「転んだんですか?」

「うん。——先生は?」

「先生は——……今いないみたいですね」

「そう」

 短く呟くと彼女は奥へと進んでいった。

 カーテンは全て開けた訳ではないので後ろの様子は見えない。


 ただ水の音がした。部屋の奥には水道があるのでそこで傷口を洗っているのだろう。

 そう思っている傍ら、俺は彼女の半袖から覗く両腕が気になって仕方がなかった。


 もっと正確に言うと肘の下辺りに描かれている二枚貝の模様がだ。

 それの存在を知ったのは少し前。最初はタトゥーだと思っていたが、よく見ると模様の中に小さくルーン文字が刻まれている。

 あれは特定の魔法を長期間発動する為に用いられる術式だ。

 術式を体に施す事自体は珍しくはない。問題はその内容。


 ——なんで先輩「痛覚遮断」なんて……。


 今近くで見て気付いたが、珠口先輩が腕に刻んでいた文字の意味は痛みを感じにくくするというものだったのだ。

 まだ衣替えの時期ではない為、制服姿の時はその部分は見えない。

 けれど今日みたいに半袖体操着の際に見かけた場合、必ずそこに貝殻の模様がある。

 という事はもしかしていつもあの術式をかけているのか? 痛覚遮断を? 何の為に?


 もしそうなら彼女はずっと痛みを感じないまま生活を送っている事になる。

 ……なんだろうなこの言いしれない不安感。

 たとえそうだとしても、俺にはなんの影響もないんだからこんな気持ちになる必要はないのに。

 突然湧いてきた原因不明の感情をなんとか言語化したくて頭を捻る。

 そうしていると段々と顔は俯いていった。


「——青」

 再び正面を向いたのはそんな声が聞こえた時。

 いつの間にか珠口先輩が前に立っていた。

 いつもと変わらない無表情のまま、シャボン玉のような瞳でじっとこちらを見つめている。


「その青っていうのはもしかして感情の事を言ってます?」

 俺が尋ねると彼女は首を縦に振った。そしてポケットからおもむろに取り出す花の形のペンダント。

 昔本で見た事がある。感情を色で分類した図形。それに似ていた。


 開かれたペンダントは図書室で聴いた時と同じ音楽を奏でている。

「これってジムノペディでしたっけ」

「うん」

「ああやっぱり! 懐かしいなあ。父がよくピアノで弾いてたんですよ。小さい頃の事だからすっかり忘れていたんですけど——」


 弾んだ声で笑いながら話すと、ペンダントに向いていた相手の顔がこちらに戻った。

「…………青い」

 しばらく無言だったがやがて小さく口を開き、あの単語を呟く。


「……先輩は本当に人の感情を読み取るのが得意ですね」

「うん、習った。必要な事だから」

 そう言い終えると先輩は保健室から去っていった。

 再び一人となった空間。俺は作っていた表情を崩し佇む。


 昔読んだ本、感情を八つの色で分類した図形。


 紫は嫌悪、赤は怒り。

 オレンジは期待、黄色は喜び。

 黄緑は信頼、緑は恐れ、水色は驚き。

 そして青色は、悲しみ——。


     ◇◇◇


 宝累藍希のもとに一本の電話がかかってきた。

「薮から棒に聞くけど、ユキの好きな料理って何? そっちに着いたら振る舞いたいんだけど」

 現在彼がいる場所は自教室。二人分の弁当を持って保健室に向かおうとした矢先の事である。


「本人に聞けばいいじゃないですか」

「だめよ、それだと感付かれちゃうじゃない。直前まで秘密にしておきたいの」

 電話の相手は従兄弟の従姉妹。


「——……たぶん卵焼きだと思います」

「えー、簡単過ぎる。もっと他にないの?」

「僕が知る限りではないですね」

 愚痴る相手に簡素な返事を送る。


「メインはあなたが好きなもの作って、その付け合わせとして提供するっていうのはどうでしょうか?」

 電話の向こうの相手は最初うーんと唸っていたが、最終的にはその提案を受け入れた。


「分かったそうする。相談に乗ってくれてありがとう。そういえば今日体育祭なんだっけ? 後で写真送ってよ」

「分かりました。では終わったら送りますので」

「楽しみにしてるわ。じゃあね!」

 通話が終わり、画面が暗くなったスマホをハーフパンツのポケットに入れると、当初の目的の通り藍希は保健室を目指し歩いていった。

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