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偶像と選択肢  作者: 西井あきら
三章 偶像と選択肢
15/22

彼が頸上だった頃の話 2

       2


「頸上くんどこ行っちゃたんだろう。今日こそは一緒にお昼食べようと思ってたのに」

 少し離れた席から聞こえてきたのは、同じクラスの女子生徒の声。

 机を四つくっつけて、仲のいい三人と一緒に弁当を食べている。


「そういや、あいついつもどこで飯食ってるんだ? 教室で食べてるの一度も見た事ないぞ」

「噂だとね、昼休みはいつも生徒会室にいるらしいよ。そこで生徒会長と二人っきりでお昼食べてるんだって」

「そ、そんなあ……」


 根も葉もない話を流されている彼に若干同情しながら僕は席を立った。

 向かう先は実技訓練場。来月には入試が控えている。筆記は自信があるが実技の方は未だ怪しい。だから毎日練習しないと落ち着かない。


「おー宝累。丁度いいところに」

 教室を出ると廊下を歩いていた先生に声をかけられた。彼の手には一辺が二十センチ程ある透明な立方体が三つ。実技試験の際に使う道具だ。


「予報だと午後から荒れるらしいからな。雪が積もる前に持ってきたんだ。設置を手伝ってくれないか?」

 これはありがたい。今はまだ雪の降りは激しくないが、正直この寒空の下歩くのは少々つらいと思っていたのだ。


 快く引き受けると三つある内の一つを受け取り、先生の後に続くように隣の空き教室へと入った。

 空き教室は机が全て後ろに下げられており、前の方は広々としている。


 やる事は机を三脚前に出してそこに箱を置く、それだけ。二人ならそう時間はかからない。

 作業が終わると先生は礼を言って教室を出ていった。僕はこのまま練習に入ろうと一番左にある机の前に立つ。


 台部分が木で出来ているそれは、年季が入っており側面がささくれている。


 腕時計を操作しようと右手を動かすが、ここに来てからどうしても気になる事があるので途中で止めた。


 後方、机と窓際の壁の隙間に誰かいる。


 顔は見ていない。ただ机の脚の間から学ランが見えた。

 このまま気付かないふりをした方が相手の為なのか。しかし向こうがここから出たい場合、僕がいる事で動きにくくなっているのかもしれない。

 一旦退室しようかどうか悩んでいると、ガタッと音がした。


 振り返るとそこには気まずそうに隙間から這い出てきた頸上さんの姿が。

「や、やあ宝累くん」

 隠れていたのが予想外の人物だった事に内心驚きつつも、声をかけてきた彼に会釈を返す。右手には水がもう僅か程しかないペットボトルがあった。


「実技の練習?」

「ええ」

 そっか、と彼は言うと隣にやってきた。ペットボトルを置くと箱に両手をかざす。


 ——あなたが練習する必要あるんですか?

 なんて心の中で毒を吐いて、すぐさま自己嫌悪に陥った。

 よくない傾向だ。僻んだところで上達はしない。切り替えて僕も箱に手を伸ばした。


 実技の評価項目は二点。魔力制御と二属性以上の具現。

 具体的な手順はまず箱の中に球体を作る。次に何でもいいのでそれを動物の形に変え、最後に魔力を二回以上変質させる。例えば火から水、雷から土といった具合に。


 成功率は五回中四回といったところだ。属性の切り替えだけなら問題ないのだが、魔力を特定の形にして一定時間保ち続けろとなると話は変わる。途中で維持が出来なくなって消えてしまう。


 本番は一発勝負。失敗は許されない。それなのに百パーセント完璧にこなせずにいる。

 中々上達しない事にもどかしさを感じながらふと隣を見た。


 赤い魔力で作られた球体が滑らかに形を変え生み出したのは一頭の蝶。

 狭い箱の中をひらひらと上下させる赤羽は、魔力で作られた物体であると忘れさせる程精巧な動きを見せている。


 少しして蝶の体はじわじわと燃え出した。全身が炎に包まれても尚、羽ばたきは止まらない。

 羽の動きに合わせて揺れる炎。箱の中で舞う小さな焔はやがてその色を橙から白に変えた。


 元は血のような赤だった羽が雪に覆われ、枝分かれした模様が浮かび上がる。

 見覚えのある雪の蝶。あれは確か一年生の時、交流会での——。

 芋づる式に蘇る記憶。


 巨大な炎龍に無数の小さな雪蝶が集まり、ゆっくりと氷漬けにしていく光景。あれを見た時この少年の在り方を体現していると思った。


 儚く美しい見た目からは想像つかない程強い攻撃性。

 その意外性に周囲はより一層虜になっていく。


 きっとこの先の未来も、彼は多くの人を魅了していくのだろう。


     ◇◇◇


 外は予報通りの天気となった。

 放課後、少年が何気なく見た窓の外はぼたぼたと雪が絶え間なく降っていた。


 この大雪で車も思うように進めず、迎えが少し遅くなると連絡があったのはホームルームが終わった直後。

 あれから約十分。一人きりの教室でぐうっと腹の音が響く。勉強をしていた手を止め、幸人は腹をさすった。


 空腹は既にピークを迎えている。いつもの事だ。

 昼に水をいくら摂取したとしても変わらない。血を飲まずして彼の食欲が満たされる事はないのだ。


 胃の痛みで集中出来なくなってきた彼はノートと問題集を片付け机に突っ伏す。

 視覚情報が遮断された代わりに聴覚が研ぎ澄まされていく。


 バチバチと小さく聞こえてきたのは隣の空き教室からだ。そこにいる誰かが雷魔法を使っているのだろう。

 ——誰かいるなら、そこへ行って少しの間お喋りに付き合ってもらおうか。でも邪魔するのもな……。


 悩んでいる間にまた一つ腹が鳴った。

 何もしないと余計に空の胃に意識が向いてしまう。

 辛抱たまらなくなり結局行く事にした。

 廊下を進んでいる時も弾けるような音は聞こえ続けている。


 中に入ると一番奥の机、その上にある箱の中で電気の塊が形成されていた。

「お疲れ様、宝累くん」

 その製作者である少年に声をかける。


 よく見ると電塊は猫の形をしていた。

 藍希は何も答えず、ただこちらを一瞥しただけ。

 二人きりの教室で聞こえてくるのは電気の音のみ。

 それもしばらくすると電塊が消滅した事により消えていった。


 藍希の口からため息が零れる。俯きがちの青い瞳はどこか憂いを帯びていた。

 その青瞳が付いた顔がゆっくりと上がり銀髪の方に向く。

 宝石のような輝きを放つ両目は何かを言いたそうにしている。


「あ……ごめんね邪魔しちゃって。それじゃあ、また明日」

 相手が雑談に付き合ってくれそうなタイプではないと分かった為、幸人は教室に戻ろうとした。


 ところがそれを阻まれる。

 驚いて勢いよく振り返ると、藍希が左腕を掴んでいた。


「あの……えっと。——今時間ありますか?」

 突発的な行動だったのか、掴んできた本人もどこか戸惑っていた。

「え? ああ、うん。大丈夫だよ、まだ迎えきてないし。どうしたの?」


 彼が話しかけてきたのはこれが初めてなのではと幸人は内心で思い、驚きを増幅させていく。

「その……。じ、実技の指導をお願いしたいんですが——」

 弱々しかった眼差しは、真剣で力強いものに変わっていた。


       ◇


「——とりあえず、一回やってみて」

 クラスメイトの願いを快諾した幸人は詳しい話を聞いた後、実際にやってみるよう告げた。

 相手は頷き、透明な箱に青い球体を作り出す。


 宝累藍希に関して、容姿以外で話題となった事がある。

 それは魔力の色だ。

 生物の体内で生成される魔力は通常、魔法として体現させて初めてその色を視認する事が出来る。


 種類は赤、黄、緑、青の四色。一個体が手にする事が出来るのはその内の一つのみ。

 ただ青色魔力を持つ個体は極端に数が少ない。人間の場合だと世界で五十人程しかいないという統計が出ている。


「じゃあまずは、この状態を出来るだけ長く維持してみようか」

「は、はい」

 こうして指示を出しながらも、頭の片隅では昔読んだ新聞や本の内容を思い出していた。

 青球は僅かに表面を波立たせているが、今のところその形状を保てている。


 希少な魔力型の人間が自分達の目の前に現れたとなると、多かれ少なかれ周囲は反応を見せる。

 二年と数ヶ月という月日が流れた現在ではだいぶおとなしくなってきたが。


 ——今更な感想だけど、すごい事だよなこれ。

 七十八億という人口の中のたった五十人。出会える確率は極めて低い。

 それがたまたま同じ中学に通っただけでお目にかかれたという事実を、幸人は改めて奇跡だと感じた。


 青型を見たからといって何かいい事が起こるという訳ではない。

 けれどもやはり嬉しい気持ちにはなる。


 そう思っていると目の前の青い球体が大きく揺らぎ、下部分がドロッと垂れ出した。

 藍希は崩れ始めた魔力の塊を元に戻そうとするが、その力が強過ぎてかえって押し潰してしまっている。

 圧迫されて飛び散る魔力。


 ——おっと。

 引き受けたからには真面目にやらなければと、幸人は魔力に関してのあれこれを一旦閉まい指導に集中する。

「一度に加える力が大きいと今みたいに壊れちゃうから、小さい力を少しずつ加えるようにしてみて。あと形が崩れた時は押し上げるよりも円を描くようにすると綺麗になるよ」


 言いながら隣の箱で実演してみせた。

 わざと崩した赤球、スライムのように垂れ下がった部分を時計回りに持ち上げ本体と合流させる。

 アドバイスをもらった藍希はそれを念頭に置いてもう一度挑戦した。

 まだ若干力は強いが、今度は壊れる事なく元通りに。


「そうそうその調子! じゃあもう一回成功したら形を変えるところまで——」

 その後も実演を交えながら改善点と具体的な対処方法を教えていく。

 そうして十五分が経過した。外は相も変わらず雪が降っている。


「だいぶ安定してきたね」

 犬を模した水の塊を見て幸人は述べた。

 未だ魔力は波打っているが、最初の頃と比べれば崩れる回数は少なくなり、途中壊れそうになっても上手く操作して持ち直せるまでに至った。


「ありがとうございます、これならなんとかなりそうです」

「それはよかった。役に立てたようで俺も嬉しいよ。——そういえば宝累くんって、どこ受けるの?」

「朝雲です」


 水犬を消して新たに球を作りながら藍希は答える。

「へえそうだったんだ! 俺もそこ受けるんだよ。同じクラスになれるといいね」

 嬉々とした声で言うと、今度は自嘲ぎみな言葉が返ってきた。


「その確率は極めて低いと思いますよ。第一、あなたはともかく僕が合格出来るかなんて——」


「大丈夫だよ」


 ありきたりな言葉、特段声を大きくした訳でもない。しかし相手は魔力を操作する手を止めこちらを向いた。

「宝累くん春からずっと練習してたじゃん。その努力はきっと報われるよ」


 にこりと笑って付け足す幸人に対して、藍希の表情は変わらない。

 無責任な事を言って気を悪くしてしまったかと思ったその直後——。


「……そうですね」

 今まで無表情だった顔が小さく口角を上げ、嬉しそうに微笑んだ。

 幸人は思わず目を見開く。彼の笑顔を見たのはこれが初めてだったからだ。


 ありきたりな笑顔。特別なところなど何もない。

 けれど見ているだけで満足感や高揚感といった感情が湧いてくる。

 胸の奥が熱くなっていく。


 今まで経験した事のない感覚に浸っていると、スマホが鳴った。

「——迎えが来たからここで失礼するよ。宝累くんはまだ練習続けるの?」

「ええ、もう少しやろうと思います」

「そっか。あまり無理しないでね。それじゃあ、また明日」


 軽く礼をする相手に手を振って、幸人は出入り口へと歩く。

 その途端に、忘れていた腹の痛みが襲いかかってきた。


 魔法を使い体力を消耗した事で先程よりも空腹感が増してきている。胃の中は空なのにも関わらず、吐き気が込み上げてきた。

 一刻も早く家に帰って血を飲みたいと足を早める。


「痛っ」

 その声が聞こえたのは戸に手をかけた時だった。

 振り返ると藍希が右手を押さえている。


「どうしたの?」

「ああ、いえ。机に手をぶつけただけなので、お気になさらず」

 そう言うと相手は絆創膏を取りに窓際に置かれた鞄の方へ向かった。

 幸人はその場で固まっている。


 赤が見えた。


 少年の右手。左手の指の間から僅かに、はっきりと。

 強まる空腹感。

 口から溢れ落ちそうな唾液。


 止まっていた体は引き戸とは反対の方向、こちらに背を向けている彼のもとへと進んでいった。

 負傷した右手人差し指に絆創膏を貼っている相手は、一人の人間がじわじわと近付いてきている事に気付いているのかいないのか。


 ただたとえ気付いていたとしても、噛みつかれるとは夢にも思わなかっただろう。


 突如肩を掴まれた事に驚くのも束の間、首筋に激痛が走る。

 あまりの痛みに藍希は声にならない声を上げ、バランスを崩し膝をついた。


「い——っ! なに……」

 何が起きたのか分からないまま目前の窓に映った光景を見てしまい、更にパニックになる。


「頸上さん……っ。い、いや——やめ、痛いっ! 離してください!」

 その声は普段の淡々としたものとは違い、今にも泣きそうだった。

 言葉の意味を理解しながらも幸人はやめようとしない。


 常人よりも発達した犬歯で開けた穴から血を吸い続けている。

 体から出たばかりの血は温かった。

 普段の冷蔵保存したものでは絶対に感じられない熱。それに病みつきになり、いつしか抗議の声も聞こえなくなっていった。


 赤い液体は口から食道を通り、胃の中を満たしていく。

 同時に湧き立つのは先程とはまた違った満足感と高揚感。

 満腹になるのには一分もかからなかった。


 飢えから解放されたと同時に、さあっと顔を青くし急いで藍希の首から口を離す。

「ご、ごめ——」


 ——コン。


 謝罪の途中、聞こえてきたのは何かが床に落ちた音。

 それはすぐ近く、すすり泣いている藍希から。

 何の音かと疑問に思っているとまた聞こえてきた。今度は二回。


 幸人は膝立ちのまま藍希の横に移動する。

 嗚咽している彼の顔を見て、その光景に息を呑んだ。


 青が見えた。


 青瞳から流れているのは涙ではなく、青く透き通った石だったのだ。

 目から溢れた液体が頬をつたっていく内に個体となって、両手の中に滑り落ちる。

 手の中の宝石は八ミリ程の大きさで、形は一つ一つ僅かに異なっていた。


 更にその下、座り込んでいる藍希の脚の間に三つ。先程の音の原因はおそらくこれだろう。

 発生源が分かったところでまた一つ手から転がりコン、と音を立てた。


 同時に幸人の視線に気付いた藍希が立ち上がる。

 そしてせっかく溜めていた石を散らばらせ、自由になった手で幸人の顔面を殴った。


 右の頬を殴打された衝撃で倒れる幸人。殴られたのはこれが初めての事であった。

 そんな彼が痛みに悶えている間に藍希は荷物を持って逃げるように教室を出ていく。


 廊下を駆けていく足音を聞きながら、一人残された幸人は熱を帯び始めた頬をさする。


 床に散乱した宝石は、蛍光灯の光によってキラキラと輝いていた。

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