その7 (二章 了)
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幸人達が辿り着いた玄関には、先に到着していた二年生メンバーと鈴歌が。
「このままだと風邪をひくぞ」
雨により全員びしょ濡れだったが梶谷が温風を出して乾かしてくれた。
その後彼女は報告をする為に職員室へ、大山は石角とともに教室へ。残りのメンバーは昼食を摂る為に食堂へと向かった。
昼休みも終盤だからか、食堂内の人口は少ない。
窓際にある四人がけテーブルの一つに理緒、まこと、剛の三人、その前の席に藍希と幸人、そして理緒達がいる席の通路挟んで隣のテーブルにみずき、実散、静音、鈴歌が座る形となった。
「しっかし、しぶてえ奴だな。犯人の野郎も」
理緒からガレージでのおおまかな出来事を聞いた剛はそんな感想を述べる。
「しぶといだけならまだよかったんだけどな」
「どういう事っすか?」
彼が口にした内容がよく理解出来なかった為尋ねた。
「今回も前回と同様、特異体質者を利用した手口。特効薬を作れる知識と技術を持ち合わせていて、尚且つ外部には一切漏らしていない情報を仕入れる事も可能。学生に出来る範囲を優に超えているだろ。正直、黒幕がどっかの大企業の社長って言われても驚かないぞ俺は」
「た、確かに。……え、てか石角先輩も特異体質だったんすか?」
「あ……」
しまった、というような顔で声を漏らす理緒。せっかく先程その事を伏せて説明したのにこれでは意味がない。
ついぽろっと喋ってしまった事に落ち込んでいると、一連のやり取りを聞いていた藍希が口を開いた。
「ある程度情報共有しなければ今後の話し合いに支障が出ますし、どういう症状なのかだけ伏せておけば……」
「そっそうだな! という訳でこの事は他言無用って事で。皆いいな?」
後輩のフォローにより少しばかり立ち直った理緒は他メンバー達に向けて念を押す。
各々が返事をする中、一人無反応な人物が。
「みずき先輩?」
静音が心配になりみずきに声をかけるがこれにも返事をしない。
「みずき先輩!」
「へ? あっごめん大丈夫だ、話はちゃんと聞いている。誰にも喋るなって事だろ? 了解した」
二度目の呼びかけでようやく反応した彼女は沈んだ表情を笑顔に変え、慌てた様子でそう口にする。
「本当に大丈夫ですか? ごはんもほとんど手つけてないじゃないですか」
実散が指差したオムライスは端の方が少し崩れているだけで、食べ始める前とあまり大差なかった。
「はは……ちょっと今食欲なくてな。悪いけど誰か代わりに食べてくれ」
「あ、じゃあ私いただきます。他に食べたい人ー?」
鈴歌の言葉にまことと剛が集まる。三人がオムライスを切り分けている間にみずきは席を立ち、出入り口へ歩いていく。
幸人は去っていく彼女をなんとなく目で追った。
ドアに手をかける後ろ姿からは仄暗い感情が漂っているような、そんな気がした。
◇◇◇
放課後になると雨は上がり、空は夕日で赤く染まっていた。
教室に手袋を取りにいった後、この生活指導室で教師達に事の顛末を話した。
そしてとっくに話し終えた今も、午後の授業に出ずにここに留まっている。
いつもはサボると口うるさい梶谷だが今日は何も言わなかった。
机の上には大山が置いていった焼きそばパンがある。食欲がないから手をつけていない。
今この部屋は俺一人だけ。個人的には理想の空間だ。
独りなら誰も傷付けないし、自分も傷付かない。
……いや、理想というより妥協案か。
本当に望んでいるのは昔のような、他者と触れ合う事に怯えずに済む日常。
あのぬいぐるみが現れた事により諦めかけていたこの願いが叶うんじゃないかと思った。だからあれの口車に乗った。
今の平穏を犠牲にして、安心出来る未来を手に入れる為に。
——手に入れるどころか色々と失う結果に終わったが。
因果応報という奴なんだろう。やっぱ悪い事はするもんじゃないな。
なんて事を思っていると戸が開く音が聞こえた。
視線を窓の外からそっちに向ける。
今一番会いたくない奴が出入り口に立っていた。
「……何しに来た?」
「鞄届けに来た」
俺のそっけない物言いに永井は少し笑んで返す。
両手には二つの鞄。その内の一つを俺に差し出した。
「そこ置いといてくれ」
直接受け取ろうとはせず、隣の机に置いておくよう伝える。
相手はすぐには行動せずにじっとこちらを見つめていたが、やがて指示通りに動いた。
「腹はもう大丈夫なのか?」
「ああ」
鞄を置きながら聞いてくる永井に短く答える。向こうがそうかと言ったのを皮切りに、室内は居心地の悪い静寂に包まれた。
音を立てるのを躊躇わせる程の静けさ。しかしこれだけは言っておかなければならない。
「……なあ——」
「悪かった」
意を決して口を開いた直後、相手が何故か俺が言おうとした言葉を声に出した。
「なんでお前が……」
すぐそこまで出そうだった謝罪の言葉を一旦飲み込んで、代わりに疑問を口にする。
「突然の事で驚いたとはいえ、あんな態度とってしまったから……」
相手は心底申し訳なさそうな顔をしていた。その表情から相当気に病んでいたと察せられる。
そんな彼女を見て、呆れにも似た感情が芽生えた。お人好しにも程がある。
「あの状況で驚かない方がおかしいだろ。誰がどう見たってお前は被害者なんだから詫びる必要なんて——」
「そうかもしれない。だけど私がお前を傷付けたのも事実だ。その事をいつまでも抱えるのは嫌なんだ。あとこのぎこちない関係も終わらせたい」
そう言うと永井は俯きがちだった顔を上げて俺を見据えた。
「これからも今までと同じように接していいか?」
その表情はどこまでもまっすぐで真剣なものだった。
「同じようにって……お前まだ俺にお節介焼くつもりかよ」
俺が意地悪げに返すと、それが少し困ったようなものに変わる。
「授業をサボるのはよくないぞ。どうしても人がいる所にいたくない時はせめて先生に——」
「……ははっ!」
思わず笑ってしまった。
冗談で言ったのに相手が至極真っ当な返答をするもんだから。
突然笑い出した俺に最初こそ驚いていた永井だったが、やがて向こうも先程よりも柔らかな笑みを零す。
「さあ、もう帰ろう」
この言葉とともに差し出される手。
「そうだな」
今度は拒まずに、その手を掴んだ。
「ああそういえば……」
教室を出る間際、ある事を思い出し足を止める。
「永井、俺も——」
そして、中断していた言葉を口にした。
◇◇◇
放課後学校に残っている生徒は部活動に勤しんでいる者と図書室で勉強している者くらいで、幸人は後者だった。
といっても、あまり身が入っていない様子だったが。
藍希は先に帰宅した為ここにはいない。
図書室に入って三十分が経過した頃、自分も帰ろうと荷物をまとめて席を立った。
階段を下りる最中、思い出すのは昼休みの出来事。
——結局、何も出来なかったな……。
分かりきっていた事だ。あそこで自身に出来る事など何もないと。
それでもこうして悔やむのは、少し前の自分だったら役に立てたと考えてしまうから。
——あの頃みたいに魔力があったら。
——あの頃みたいに強かったら。
——俺は、きっと。
「悩んでるね」
二階に到着してそのまま一階へ向かおうとしたところ、廊下の方から幼い声が聞こえたので振り返る。
「君の願い、叶えてあげられるよ。ただし、こっちの望みを実現出来たらね」
黒いネコのぬいぐるみは、不気味な程優しい声音でそう告げた。
二章 抉る過去 了
三章は幸人と藍希の中学時代からのスタートになります。