その6
6
「中々起きねえな」
「すみません……、加減を間違えました」
みずきが石角に何度も呼びかけている中、少し離れた所でまことと藍希がこんなやり取りをしていた。
防壁が解かれた事により屋外にいたメンバーも現在ガレージの中に。
雨は先程よりも降りが激しくなっている。
「二年生は……、たぶんあの中か」
「あ、俺確認してきます」
理緒の言葉に反応し、幸人は彼の視線の先にあるボールが置かれた台へと小走りで駆けていった。
ボールを台から下ろしてボタンを押す。すると縦長に伸びて口が大きく開いた。
そこから見えるのは以前自身が捕まった時と同じ会議室。
無人の——。
幸人はその光景に目を丸くして足を踏み入れる。
室内には剛、静音、実散の姿はなく、ひやりとした空気とオフィス家具がその場に佇んでいるだけだった。
奥にあるドアにも手を伸ばすが案の定開かない。
「どうだー? いたか?」
後ろから聞こえる能天気な声。ひょこりと理緒は顔を出すと幸人と同じような反応をした。
「おっと、ここじゃなかったか。という事はまだ異空間の中か?」
「石角くん気絶してるし、もうとっくに壊れてるんじゃねえの?」
まことが会話に入ってくる。意識のない状態で魔力を保ち続ける事は人間の力だけでは不可能なので作成者が気を失っている今、異空間は崩壊している可能性が高い。
「となると今訓練場に行けば合流出来るかもな。よし、ちょっくら行ってくるよ」
「二年の連中には何もしてねえよ」
理緒が動こうとした矢先、聞こえてきたのは低い声。
少年は石で拘束された両腕で体を支えて起き上がった。
「おい今の、どういう事だ」
「そのまんまの意味だよ。厳密に言えば捕まえようとしたが突然目の前から消えたんだ」
まことにそう答えた後、小さく呻いて背中を丸める。藍希に殴られた腹部がまだ痛むようだ。
「大丈夫か?」
隣にいたみずきが心配そうに口にする。
「今の口ぶりから察するに、他に仲間はいないと捉えていいのか?」
理緒が質問すると石角はああ、と頷いた。
「じゃあ一体誰が……」
幸人が疑問を零すと、突如どこからともなく音が鳴り響く。
どうやら音源は理緒のスマホからのようだ。
ポケットから取り出して画面を確認する。すると彼は驚愕の表情を浮かべた。
「桜木からだ!」
その言葉に他のメンバーも似たようなリアクションをとった。
◇◇◇
話は少し前に遡る。幸人、藍希、理緒がガレージに到着した頃、二年生メンバーは実技訓練場の一階の用具室にいた。
「鬼塚くん、あいつまだいる?」
「……いる」
実散にそう返した剛の声はひどく苦々しい。
クリーム色の戸を少し開けて覗き見たものが、あまりにも受け入れ難かったからだ。
床板が茶色い空間の真ん中にいるそれの顔はよく見えない。空中まで伸びている黒い線で塗り潰されている為。
身につけているのはボロボロの体操着。
そしてその左胸の辺りに縫い付けられている名札には「森岡」という文字が——。
あの見てくれ、攻撃を仕掛けてくる点、怪談話の内容と酷似している。
「一体いつまでこうしてりゃいいんだ……」
剛達がここに身を潜めてからかれこれ二時間以上は経過していた。
何の前触れもなく放たれた攻撃から逃れる為に用具室に入った三人。考えなしに袋小路に入ってしまった事に対する焦りは、幸いにも杞憂に終わった。
何故か森岡先輩はここに入ってこようとしないのだ。理由は未だに分からないが彼らにとっては都合がいい。
剛のクラスメイトや教師が授業時間になっても来ない事からここは異空間なのではないかと三人は考え壁を探した。だが見当たらない。
となると壁は用具室の外、森岡先輩がいる所。
しかしここから出るのは危険だ。そう思い向こうが諦めてくれるのを待っていたのだが——。
「お腹空いた……」
静音が小さく呟く。現在正午過ぎ。本来なら昼食を摂っている時間だ。他二人も例に漏れず。
空腹に付け加え長時間の緊迫状態、こちらが先に限界を迎えそうだった。
「このままじゃ埒あかないよ。やっぱり外に出て壁を探そう」
「つってもよ、探させる余裕なんて相手は与えてくれないだろ絶対。出ていったところで蜂の巣にされるのがオチだ」
「一人が囮になってあれの注意を引きつければいい」
自身の意見に反論する剛に詳細を説明する実散。
「誰がやるんだよ?」
「静音」
「へっ!?」
自身が囮役に選ばれた事に驚き静音は思わず声を漏らす。
「な、なんで私……?」
「この中で一番すばしっこいから」
「そんなあ……」
実散の言う通り静音は足の速さと反射神経には自信がある。身体強化がなくとも高速で飛んでくる魔法球を避けられるくらいには。
「まあ無理にとは言わないけどさ」
「うう……。——……分かった、やるよ」
悩みに悩んだ末、首を縦に振った。本当はやりたくないというのが彼女の本音。しかし早くここから出たいというのも事実。この願いを叶える為には、多少の危険を冒さないと駄目なようだと考えた上での決断だ。
「じゃあ静音は森岡先輩を奥の方にやって、その間に私と鬼塚くんで出入り口側に行って壁を探して壊す。これでいい?」
静音と剛の返事を聞くと実散は戸を少し開けて外の様子を確認した。
数メートル離れた所に、こちらに背を向けて立っている森岡先輩が見える。
実散は静音に準備はいいかと目線で合図を送る。相手は無言で頷いた。
それに応え戸を全開にすると、勢いよく飛び出していく。
足音を耳にし振り返る森岡先輩。
そこにいたのはおさげの少女。出入り口とは真逆の方向に走っていく彼女を追いかける。
「よし今だっ」
森岡先輩の注意が完全に静音に向いたところで実散と剛は出入り口方面に向かった。
腕時計内の人工魔力で球を作り放つ二人。球は扉まで届かず、見えない壁にぶつかって壊れる。
「ちくしょう鱗怪の時よりも硬いぞこれ!」
その後も間髪入れずに攻撃を続けるがひびすら入らない。
剛が愚痴をこぼしている間にも、後ろからは断続的な射撃音と悲鳴が。
「ねえどれくらいで壊せそう!?」
右へ左へ必死に攻撃を避けながら、二人に被弾しないように張った防壁越しに静音は尋ねた。
「ごめん思ったより時間かかるかも」
「そんなあ!」
実散の言葉により絶望の表情に染まる。
相手の攻撃は時間を追うごとに激しさを増していった。球のサイズは大きく、一度に発射される量は増えていく一方。
さすがに回避しきれなくなってきたので腕時計を操作して防壁を作る。
壁と球はぶつかったと同時に両者その形を崩し消える。
威力はこちらの想像以上。それを認識させられ顔はますます青くなっていった。
再び飛んでくる攻撃に、全速力で避けていく。
背後で聞こえる轟音。結果当たらずに済んだが、恐怖から足がもつれて転んでしまった。
相手がその隙を見逃すはずもなく、人の半身を軽く呑み込めそうな大きさの球が静音に迫る。
「遠藤!」
放心しているのか上半身を起こした後ぴくりと動かなくなった静音に対し、剛は叫んだ。しかしそれでも尚微動だにしない。
このままでは彼女が危ないと急いで壁を作る。だがそれは氷のようにあっけなく壊されてしまった。
「遠藤逃げろ!」
二度目の呼びかけでようやく我に返った静音。けれど足に力が入らない。
「だ、誰か……。誰か助けて——っ!」
うずくまった際に目に溜めていた涙が床に落ちる。
受け入れ難い光景に目を背けても、球体が近付いてくるのは音で分かる。
だが突如、それよりも遥かにけたたましい音が上から聞こえてきた。
その直後耳に飛び込んだのは衝突音。それは前方からのもの。
恐る恐る顔を上げる。天井にはぽっかりと穴が開いていた。
そして前方には見覚えのある後ろ姿。
「お怪我はありませんか?」
少女が振り返る。
何故、どうやって彼女がここに来たのか、静音には分からない。
ただ、前髪から微かに見える金瞳がとても柔らかなものだったから、緊張の糸が少しばかり緩んだ。
魔力の塊が飛んでくる気配を察知して、鈴歌は前へ向き直る。
大きさは先程と同じ。自身が張った防壁はそのままにし、魚を新たに出してそれを受け止めた。
黄金魚は咥えた球を勢いよく吐き出して撃ち返す。
魔法球は直撃し、森岡先輩の上半身が吹き飛んだ。残った脚の断面からは血の代わりにモヤのようなものが出ていた。
そのモヤはだんだんと形を変え体を再生しようとしている。
「今の内に向こうへ!」
再生が完了する前に静音に出入り口の方へ避難するよう促す鈴歌。静音は頷き、防壁の一部を切り取ってそこから実散と剛がいる場所まで走っていく。
数秒後、体が元通りになった森岡先輩は再び攻撃を繰り出そうとした。
しかし獲物が見当たらない。顔を動かして辺りを見渡すと、壁越しに静音の姿は確認出来た。だがもう一人の姿が——。
そう思っていると突然周辺が薄暗くなる。太陽が雲に隠れた時と似たような状況。
見上げると探していた人物が頭上に。再生が終わったと同時に大きく跳躍したようだ。
手には数枚の札。鈴歌はそれを目前の怪異に向けて放つ。
咄嗟の事で対処出来なかった森岡先輩。至るところに纏わりついた札の効果により体は強制的に崩され、やがて煙のように消えていった。
森岡先輩が消滅した矢先、出入り口と外に張られていた見えない壁にひびが入る。
ガラガラと音を立てて壊れた前と後では、目に見えた変化はない。
ただ外からザーザーと雨の音が聞こえてきた。
「これは……」
実散が鈴歌に視線を送る。
「ええ、もう大丈夫ですよ」
無言で見つめてくる相手に鈴歌はそう返す。
「よ、よかったあ……」
問いかけた人物よりも先に安堵の声を漏らしへたり込んだのは、この中で一番怖い目に遭っている静音だった。
◇◇◇
「——という訳で全員無事でーす」
雨の音に交じって実散の声がガレージに響く。
発生源は理緒のスマホ。ボールが置かれていた台の上に、スピーカー状態にしてある。
「そうか! いやあそれは何よりだ」
二年生の安否が確認出来た事で理緒はほっと胸を撫で下ろす。
すると外からバシャバシャと音が聞こえてきた。
見ると教師二人がこちらに向かってきている。
「はあ……はあ……。お前達大丈夫か? 怪我は?」
荒い息を整えて、大山が尋ねる。
「えーっと、怪我人はいません。ただその……——」
理緒がちらりと見た先には五人の生徒。その内の三人の体の一部が石になっている事に気付き、大山と梶谷は目を見開いた。
「心配せずとももうじき元に戻る」
そうぶっきらぼうに答える石角に対し、梶谷が声をかける。
「これはお前が?」
「特異体質です」
「そうか……」
歯切れの悪い返答をした後、理緒に状況説明を求めた。
理緒が説明を始めて間もなく、みずきの左腕と藍希の右脚が元通りに。
左手を何度か開いたり閉じたりを繰り返した後、みずきは隣にいる石角に顔を向けた。
相手は俯いている為視線が合わない。
「い、いしか——」
「石角」
話しかけようとしたが、大山に先を越されてしまった。
自分を呼んだ声に反応し、少年は顔を上げる。それと同時に彼の手に巻き付いていたブレザーの石化も解かれた。
「お前からも詳しく話が聞きたい。今から一緒に生活指導室に行こう。いいな?」
「…………その前に予備の手袋取りに行かせてください」
「ああ、いいよ」
大山が頷くと石角は立ち上がり、藍希にブレザーを手渡す。
そのやり取りが行われていた後ろでは、梶谷が開かれたボールの中を覗き込んでいた。
穴の先は全くの別空間。
以前クラゲ型カメラで見たものの、世界で実現した者はいないという事実から半信半疑だったワープ技術。
それが今、こうして目の前に突きつけられた事で内心動揺していた。
上に付いているボタンを押すとボールは縮み、球体の形に戻る。
梶谷がそれを手に取ろうとしたその時——。
黒い塊が前を横切って、ボールを奪っていった。
突然の出来事に目を白黒させる梶谷。
「あ、あの時の!」
幸人が声を上げて指差す。
そこにいたのはいつぞやのネコのぬいぐるみだった。
ネコはあの時のように口にボールを咥えてガレージから去っていく。
その動きは素早く、藍希が追いかけようと外に出た時には姿が見えなかった。
「見失いました」
周辺、建物の裏を確認した後、ガレージに戻りそう告げる。
「そうか。……とりあえず校舎に戻ろう。訓練場にいる奴らにもそう伝えてある」
大山の提案に全員が首肯し、一同は雨が降る中校舎を目指し歩き始めた。