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其の五


善鬼は試合を繰り返し、その名を天下に轟かせた。

伊藤一刀斎の高弟、小野善鬼と言えばその凄絶な剣技で相手を容赦なく血祭りにあげる非情の剣客として六十余州に知れ渡り、その名を聞けばどんな腕自慢も震えあがると評判が立つほどであった。

善鬼の前に立つのは、天流の川崎道軒という兵法者であった。

「う__」

善鬼の気合いに呑まれ、進むもならず下がるもならぬ道軒は、青褪めた顔で必死に剣を構えるのみであった。

「御免__」

善鬼の太刀が振り下ろされ、勝負は呆気なく終わった。

「師匠殿」

「うむ」

試合を終えて罷り出た善鬼に、一刀斉が満足げに頷いた。

「そちもかなり腕を上げたのう」

「是非も御座いません」

師匠の称賛に、善鬼は素っ気無く答えるのみであった。

「それがしが経験した試合はまだ八回にござる。師匠の半分にも及びません故__」

記録によると伊藤一刀斉は生涯に三十三度の試合を行い、全勝したとある。

善鬼が行った八度の試合のうち、三回が真剣勝負であった。木刀の試合であっても、善鬼は必ず相手の息の根を留めた。

“善鬼め”

一刀斉は思った。

“こ奴、益々強くなりよるわい”

試合を重ねる度に善鬼は確実に強くなってゆく。それは単に腕を上げると言うだけではなく、何もかもが変わって行くように善鬼自身には感じられた。しかし、同時に一刀斉には不安もあった。自分が殺られるなどと言う事ではない。何と言うか、善鬼自身にとって危険な、言葉にはならない不吉なものが忍び寄って来るように一刀斉には感じられるのだった。

試合を一つこなす度に、即ち人を一人殺す度に善鬼の中の何かが変わって行くように思われる。変わる、と言うより進んで行くように思える。それは初めての試合で最初の一人を手に掛けた時から、否、一刀斎の門人となって修行を始めた時から、もっと言えば大和川のほとりで顔を合わせ、立ち会った時から、善鬼の中の何かが成長、進歩、どのように言えばよいのかは言えばよいのかは分らぬが、なる様になって行っているように思われた。

善鬼の顔にも、それははっきりと表れている。元々他人を震え上がらせるような強面の人相だったが、最近では更に何か暗い影が射しているようにも見える。只の悪人面であった善鬼の顔が、今では凶相とも言うべき鬼気迫る顔に成り果せているようであった。

しかし、矢張り大きな転機は最初の試合であったろう。彼は自分で人を殺した事がなかったのである。時代が時代である、人を殺そうと思えば幾らでも殺せる状況だったが、善鬼はその経験がなかった。

元々善鬼はそのような性格ではない。気が弱いとまでは言えないが、どこか神経質で過敏な所があった。この時代、野心を抱く下層民の若者が一旗揚げようと思えば一番手っ取り早いのは、槍一本を担いで合戦に赴き、武勲を立てて功名を顕す事である。当然彼もまた、その例にもれず故郷の村を後に戦場に身を投じたのである。しかし、現実は甘くなかった。実際に戦場に出ると足が竦み、良き敵を探す所か槍合わせ一つ満足に出来ないのである。村では暴れ者で通った腕自慢の善鬼だが、戦場に出るとまるで勝手が違うのである。嘶く軍馬の轍、法螺貝や陣太鼓の響き、武者押しの喊声が轟くと普段の自分がどこかに失せて、何が何やら分らなくなるのだった。戦場では、意外に平素臆病な者が暴勇を振るう事がある。無論、日常勇猛で合戦に臨んでも矢張り変わらぬ豪傑や、普段から臆病で戦場でも震え上がる様な者もいる。善鬼は日常豪儀だが、いざ戦場に出るとまるで萎縮する性質であった。図体はでかいし我は強かったが割と思い詰める性格で、どちらかと言えば粗暴な荒武者とは肌合いが違う様である。

「お主に槍働きは無理ぞな」

この様に言われる事もしばしばであった。

「一度、山にでも籠ってはどうじゃ」

この時代、所謂密教的な修行で心胆を練る武士は少なくない。笹の才蔵と異名を取った可児才蔵などは、肉体的な素質は申し分無かったが余りに気が小さく、やはり密教の修行に身を投じ、怪しげな行者の暗示により恐怖心を克服して以来人が変わったように豪胆となり、周囲の目を欹てるほどの軍功を次々と打ち立てるに至ったのである。

善鬼もまた、大峰山に籠って修験道の修行を始めたが、生来のめり込む性格らしくいつの間にか戦場で武功を立てる事を忘れ、山伏の修行に精を出し始めた。集中力は有るが、その為に人人人が入り乱れる合戦には向かない性格だったのである。寧ろ一人で没頭できる修験道か、目の前の相手だけに集中できる兵法の試合が善鬼の本領であるようだった。恐らくはそのせいだろう、善鬼は日々兵法の修行に打ち込んでいる。それが今の善鬼にとっての全てだった。他には何一つ彼の日常には入って来ない。それは、まるで執り憑かれたような姿だった。

師の一刀斉も戦場に出た事はない。あったかも知れぬが、本人の口から語るほどの武功を立てた事はないのだろう。兵法者とは大体そうである。この時代、豪傑として知られた荒武者は皆、兵法など軽んじていた。例の塚原卜伝なども生涯に打ち取った数二百十二人、などと具体的な数字を吹聴してはいるが、その内訳がどこで何人、ここでこれだけとは明確に語られていない。戦場では手傷を負わされた事が無い、とだけ記されており、卜伝自身の先輩であり師匠の一人でもあったであろう松本備前守のように、戦場での武勲首級の総数七十五、その内兜首が二十五と言った具体的な手柄話はどこにも書かれていないのである。この時代、丁度卜伝の時代辺りから兵法も戦場での実用技法から試合という形式に絞った“武芸”に転換しつつあるようだった。

戦場で役立たずの烙印を押された善鬼が病的な執念で兵法の修行に打ち込むのも、その時の屈辱を雪ぐ為の決意だったのだろう。

その姿に、一刀斉は流石に不安を覚えた。

「そち__」

一刀斉が、ある日善鬼に言った。

「おなごは嗜むかの?」

師匠の意外な言葉に、善鬼も怪訝な顔を隠しきれない。

「おなごは良いぞ」

答えるに答えられず、無言のままの善鬼に一刀斉は続けて言った。

「ただし、ほどを弁えればの話じゃがの」

一刀斉には苦い経験がある。前原弥五郎と名乗っていた頃の話だ。

当時一刀斉、前原弥五郎は一人の女と懇意となり、彼自身すっかり気を許していた。その日も弥五郎はその女と飲み明かし、座敷で横になって寛いでいた。女は部屋を開け、代わって数人の男たちが入って来たのであった。とっさの事態に驚いて応戦しようとした弥五郎だったが、彼の脇には大事な差料がなかったのである。女が持ち出したのだ。実はその女の正体は弥五郎がかつて斬った兵法者の縁者であり、彼を斃す為に送り込まれたのである。

酔いも一遍に醒めた。如何に弥五郎と言えども絶対絶命の危機である。無手の弥五郎がどうやって完全武装の一団を相手に戦ったのか、本人もしかとは記憶がない。そのうち相手の一人から得物を奪い、形勢を逆転して何とか窮地を脱したのであった。これが一刀流“払捨刀”誕生の由来であると後世伝えられている。

それ以来、弥五郎は酒色を断ち、名も伊藤景久と改めた。同時に兵法一筋に打ち込むという決意を固め、一刀斉と言う号を名乗ったのである。

「何につけ、ほどほどにせよ。酒も女も、の」

そんな師を怪訝な顔付で見つめる善鬼だった。

「兵法もまた、然り」

一刀斉の言わんとする所の意味を測りかねて、善鬼は一言もなかった。

最近一刀斉は頻りと夢に見る。今までにこの手で葬った二人の弟子たちであった。

“わしも、老いたか__”

かつては鬼夜叉と呼ばれ、魔性の剣技で数々の強敵を倒し、弟子をも手に掛けた非情の剣聖、伊藤一刀斉も年とともに気が弱くなり、仏心が生じるようになったのか。

そんな一刀斉の煩悶をよそに、善鬼は日々、兵法の修行に余念が無かった。


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