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其の四

例によって、腕に覚えの剣客が一刀斉に試合を申し入れた。相手は馬庭念流の使い手だと言うことである。

何につけ、その道で自信が出来てくると、試したくなるものだ。善鬼の血が無性に熱くなった。

「師匠殿」

宿の部屋で上座に腰を下ろした一刀斉の前に、善鬼がまかり越した。

「今度の試合は、それがしにお任せ願えまいか」

「そなた__」

「師匠の名を汚すような無様な真似は致しませぬ。もしもそれがしの技量が拙う、一命を落としましたる時は、師匠殿に仇討をお願い申す」

一刀斉としても考えねばならない。

冗談ごとではなく、もしも善鬼が不覚を取った場合はその恥は師の一刀斉が負わねばならないのだ。有る意味では弟子の命などよりもこちらの方を心配せねばならぬ一大問題であった。しかし、善鬼の真摯な表情を見るにつけ、一刀斉も考えはじめた。

長い沈黙があった。

「善鬼よ」

おもむろに、一刀斉が口を開いた。

「そなた、必ずや勝ちをものにする自信は有るのか?」

「ございます」

迷いもなく言い切った。

もしこの時善鬼が、勝負は時の運と申します、と言ったり、否、言葉は同じでも答えるに僅かな気後れでも見せたなら、一刀斉も彼を試合に出す事は無かったであろう。

「うむ__」

一刀斉の腹は決まった。

「善鬼よ」

一刀斉は厳かに言った。

「そなた、弟子が師に代わって試合を受けると言う意味を充分に心得ておろうな?貴様が敗れると言う事は、この一刀斎の恥ともなる。そなたにしてみれば失うものなど己の命一つと軽々に考えておるやもしれぬが、このわしにとってはそれだけでは済まされぬ。そなたが万が一にも不覚を取る様な事があってはこの一刀斉にとっても取り返しのつかぬ始末となる。重々、肝に命じておろうな?」

「しかと__」

覇気を漲らせて頷く善鬼の姿を、一刀斉は頼もしげに見返した。

試合当日。

善鬼と一刀斉は相手よりも先に到着していた。善鬼は鉢巻きにたすき掛けの、試合の為のいでたちで木刀を手にしていた。

場所は打ち捨てられた破れ寺の境内である。

「善鬼よ」

一刀斉は最後に更なる念を押した。

「重ねて言うが、万が一にも敗れる事は許されぬぞ」

「はは__」

初めての試合を前に、善鬼もやや緊張気味に頭を下げた。

「わしに貴様の仇打ちなどさせるでないぞ」

「断じて」

試合に臨むにあたり気負いは隠せないものの、些かの気遅れも見せない善鬼の佇まいに、改めて一刀斉は期待を抱いたのであった。

やや遅れて相手がやって来た。

馬庭念流の使い手、相良新左衛門なる人物である。こちらも弟子を引き連れ、堂々たる容疑を整えての登場だった。

「貴公がかの高名なる伊藤一刀斉殿か」

「一刀斉伊藤景久でござる」

「本日は立ち合いに応じて頂けたこと、恐縮に存ずる」

相良が門人ともども頭を下げた。

「それでは早速勝負に参りたいと欲するが、如何?」

「どうじゃ」

一刀斉が善鬼に向き直った。

「相良殿はこう申されておる。善鬼、異存はあるまいの?」

「それがしに異存とて御座りませぬ」

善鬼が丁重に答えた。そのやり取りを目の当たりにした相良が、浮足立ったように顔色を変えた。何やら妙な雲行きになりそうな感じである。

「それでは、試合と参ろうか」

「ま、待たれよ」

相良が怪訝そうに聞き返した。

「拙者が試合を申し入れたるは一刀斉殿でござれば__」

「本日の立ち会いはこの__」

相良の言わんとする所を予め想定した上で、相手に皆まで言わせず、一刀斉が言い切った。

「我が門弟、小野善鬼が御相手仕る」

「宜しくお願い致す」

「な、なにを__」

相良にすれば思ってもみなかった成り行きである。最初、一刀斉と思しき年嵩の男の傍らでその門人らしき若造が物々しくも鉢巻とたすき掛けで立っているのを怪訝に思っていた相良だったが、まさかこのような事になるとは思ってもみなかった。

「それがしが立ち会いを申し入れたは一刀斉殿でござる!」

「貴公が真に我が師一刀斉と試合うに相応しい御仁か否か、まずはそれがしと立ち会って見極めると師匠は申して居りますれば」

相良が一刀斉の方に向き直ると、只今の善鬼の言葉を肯定するように、一刀斉は尤もらしく頷いた。

「ここにおる善鬼めはこの一刀斉が手塩にかけて育てましたる高弟、その腕前は天下の兵法者と比べても決して退けはとり申さん」

「く__」

相手の足元を掬うような一刀斎の饒舌に、相良は度を失いかけて顔を歪めた。こちらの思う壺である。

「善鬼を恐れて試合を取り止めるとあらば当方も致し方あるまいが」

「おのれ!」

逆上した相良は声を荒げて叫んだ。

「よかろう!そちらの御高弟とやらと立ち会おう!ただし、この試合が済んだなら一刀斉殿が我が挑戦を受けて頂けるであろうな?!」

「この、善鬼に勝てば、の」

「__く__」

相良は前後不覚に陥るほどに激昂していた。

「善鬼殿とやら__」

怒りに顔を引き攣らせた相良が善鬼に向き直った。

「されば始めようぞ!」

木刀を善鬼に突き付け相良が声を荒げたが、善鬼は静かに手にした木刀を捨てた。

「試合ならば__」

訝しげな色を顕わにした相良の目の前で、腰に帯びた刀を抜いた。

相良の顔色が一瞬青ざめた。

「真剣にて仕ろうぞ」

不意の申し出に、相良は言葉を失って立ち竦んだ。

「相良殿、如何__」

相良は木刀の試合と思っていたのだが、突然の申し出に戸惑う他なかった。

「善鬼よ__」

相良の内心を見切った一刀斉が、追い討ちを掛けるように言った。

「相良殿を困らすでない。見よ、色を失っておいでではないか」

「良かろう!」

一刀斎の侮辱に面目を失った相良は木刀を放り捨て、やおら腰の太刀を引き抜いた。

「兵法の試合を致す以上、是非とも真剣にて執り行おうではないか!」

既に相良は冷静な判断力を失って、完全に一刀斉側の策に乗せられてしまった。試合の前から勝負は決まったも同然であった。

相良の門人と思しき同行者たちは、行き成り真剣勝負を受けて立った師の振る舞いを、内心に不安をもって見守っていた。

「いざ!」

「いざ__」

相良の掛け声に応じ、善鬼も間合いを取って刀を構えた。

相良は上段、善鬼は下段__どちらもそれぞれの流儀の基本となる構えであった。

善鬼の構えは当然“地摺り青眼”である。

馬庭念流は真っ向からの大上段が基本の構えである。更に、俗に撞木を踏むと言われる大股の立ち方で構えるとも言われるが、これは練習用の足運びであって、実際の試合にあってはそれほど大げさに歩幅は開かない。

“こ奴__”

初めての試合、それも真剣勝負に臨んで堂々たる威容で剣を構える善鬼の姿に、一刀斉は舌を巻く思いであった。それも、相良の焦りを冷静に見抜き、突然の変更を自分から申し出て挑発し、相手を呑んでかかる善鬼の胆力には一刀斉ですら感心する他なかった。最初から、真剣勝負を申し入れようなどと打ち合わせていた訳ではない。一刀斉が相良を嘲って焦らせたとは言え、初めての試合でこれほど冷静に状況を見極め、頃は良しと見てここまで大胆な振舞いに出ようとは善鬼の腹の据わり方は尋常ではなかった。

善鬼と相良の間合いがほぼ半ばで拮抗していた。武術、取分け道具を使った試合では間合いを制した方が殆んど勝ちを得たも同然である。両者ともに互角の対峙だが、善鬼の方に余裕があるようであった。馬庭念流は、念阿弥と呼ばれた僧、慈恩によって創始された流儀と言われ、この流派の名人樋口定次は試合にあたって参詣を繰り返し、満願の日に大石を木刀で真っ二つに割ったと伝えられる。その流派を学ぶ者は一念を込めよと指導され、集中力も相当鍛錬している筈だが、修験道で鍛えた善鬼の精神力もそれに退けはとらない。互角の押合いが続いたが、善鬼がその均衡を破った。中央で停滞していた間合いを押し込むと、見る間に善鬼は地取りを己のものにした。押し込まれた相良は脂汗を流して必死に対抗したが、善鬼の気合いは一層強硬に高まってくる。今一度、善鬼は更に間合いを押し込むと、位押しに押して一歩踏み出した。相良は歯を食い縛ってこれに抗したが、持ち堪える事は叶わず既に善鬼の間合いに取り込まれてしまった。

「__く!」

無念の形相で善鬼の肉迫を迎え撃った相良には、既に死の覚悟は出来ていた。一か八か、最後の勝負に望みを託し、相良は真正面に迫る善鬼目掛けて上段に構えた刀を振り下ろした。

「あ!」

相良の門人たちが声を上げた。

一刀斉は、既にこの結末が見えていたかの様に満足げに頷いた。

善鬼の剣先が、最後の一太刀を振り切った相良の胸の半ばまで突き刺さっていた。

「う、ああ__」

柄を握った善鬼は残心の構えを保ち、物凄い無表情のまま暫しその場に立ち尽くしていたが、やがて太刀にもう一息を込めると徐に刀を引き抜いた。

相良がその場に倒れ伏した。

返り血を浴びて真っ赤に染まった善鬼の姿は、まさしく赤鬼そのものであった。



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