其の参
伊藤一刀斉景久は、弟子の小野善鬼を伴って全国を行脚していた。
「そなた、名はなんと申す」
大和の国で立ち会って門人とした修験者風の巨漢に、一刀斉は尋ねた。
「前鬼と申します」
一刀斉は内心苦笑いに似た感想を抱いた。
前鬼後鬼と言えば、役行者が護法童子として使役していた式神の名前ではないか。恐らく大峰で修行していた頃の法名、と言うよりは徒名だったのだろう。本名はなんと言うのか、恐らく呉作とか茂平と言うような名前であろうと察して一刀斉もそれ以上は詮索しなかった。
「姓はなんと?」
「ございませぬ」
無愛想な顔で答えるのみであった。
「兵法者としては、一応世間への名乗りが必要じゃが、姓が無うてはのう」
「なれば師匠殿が適当にお考え下され」
意識的に、どうでもよい、と言う口調で答えた。内心は相当劣等感を抱いている筈だが、それが逆に無関心を装う態度になって表れるのだろう。
「そうじゃのう……」
一刀斉も困ったが、そう言われては考えぬ訳にも行かない。
「小野、というのはどうじゃ?」
在り来たりな名字である。言われたとおり、本当に適当に考えただけの姓であった。
「結構な姓を賜り、有難う存ずる」
うわべは意地を張って、全く口だけの謝辞という態度で頭を下げたが案外内心は嬉しかったのかもしれない。
そうして、後世に知られた伊藤一刀斉の高弟、小野善鬼の名が誕生したのである。全くの偶然だったが、この時一刀斉が思いついた『小野』という姓が、後々奇しき因縁となって後世の歴史に残る事となった。
前鬼を善鬼としたのも一刀斉であった。見るからに凶悪な面構えの、悪鬼にしか見えないこの男に善の字を当てるのも、或いは悪趣味な洒落っ気と言えるかもしれない。
一刀斉の下で、善鬼は見る間に腕を上げていった。元々素質はある上に修験道で基礎体力も精神力も鍛えられていただけに、後は技の修練だけである。これも善鬼は非凡な天分を発揮し、その上達ぶりに一刀斉も舌を巻いたほどであった。
「これは堪らんのう」
一刀斉が微笑しながら言った。
「貴様がこの調子で腕を上げていったのでは、わしの命も僅かしかもたぬではないか」
「師匠殿が如何にそれがしを誉め殺しても容赦は致しませぬぞ。過日、必ずや御首級を頂戴いたしますゆえ、くれぐれも御覚悟の儀、願いあげまする」
大真面目な顔で答える善鬼に、一刀斉も閉口するばかりであった。
一刀斎の門下に入った善鬼は、日々兵法の修行に精進していた。否、精進などと言う生易しいものではない、憑かれたように修行にのめり込んで行った。元々修験者の荒行などは、合理的な陰陽道とは違って一種異様な偏執狂的性格でなければ全うできるものではない。因みに現代にその道統を伝える陰陽師__何人も居るが、その一人はプロのカメラマンが本業でゲームソフトの開発にも携わったという。修験道は深山に寝起きし、非合理で無茶苦茶な極限状態に己を追い込み超感覚を開発する、しくじれば死ぬだけという大博打なのである。その病的に一徹な性格は生来のものか修験道で培われたものかは詳らかでないが、善鬼が狂気にも似た情熱を兵法に注いでいる事は間違いなかった。彼をしてそうまでして修行に打ち込ませる理由は何であろう。単なる性格以上のものが有る様に、一刀斉には思えてならなかった。立ち会って恥をかかされ、門人にされた恨みから師匠の命を奪おうという執念か、それとも何か他に動機があるのだろうか。あるいは善鬼本人にもはっきりした自覚は無いのかもしれない。
善鬼のいでたちも、今は修験道の道着ではない。腰に大小を帯びた、どこから見ても疑いようのない武士の容儀だった。
そうして、丸一年余りの月日が経過した。