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其の弐



ここは大和の国。河内との国境、現在の北葛城郡王寺町、JR王寺駅の近くである。

時に天正十二年。織田信長が家臣の明智光秀により本能寺で憤死を遂げたのが二年前。その仇を討った羽柴秀吉が前年には柴田勝家との間で跡目争いを繰り広げ、現在は徳川家康を相手取って苦戦している最中であり、戦国乱世もいよいよ大詰めを迎えていた。この年は宮本武蔵が生まれ(異説有り)、天下の形勢のみならず、兵法史にとっても重要な時期であった。

大和川のほとり、渡しの船を待つ一刀斎の眼に一人の男が映っていた。年齢は二十三,四と言った所であろうか。そのいでたちからして修験者らしい。山野を駆け巡って厳しい修業に明け暮れたのであろうと知れる、威圧的な野気を全身から発散する巨漢であった。他には誰もいない。一刀斉とこの巨漢だけであった。

一刀斉も大男だが、この修験者はそれに見劣りしない巨体の持ち主であった。

向こうも一刀斉の視線を、只ならぬ剣気を敏感に察知しているようである。

“ほう__”

一刀斉は更に濃厚に、巨漢に気を放った。

互いに目線は交していないが、既に何かを感じ取っている。

「何か御用かな__」

一刀斉には目を向けず、巨漢が低い声で言った。

「用などはない」

一刀斉も何気なく答えた。

「図体ばかりの木偶の坊などに、何も用はないわ」

あからさまな挑発である。

巨漢が一刀斉に向き直った。その眼に、尋常ならざる激情が燃え上がっていた。一刀斉が、冷やかな眼差しで返す。

巨漢が手に持った金剛杖を構えた。一刀斉は腰に帯びた自らの差料を抜かず、渡し船を操るのに使うのであろう、川べりに何本か落ちてある竹の棒を拾った。

巨漢の全身から、凄まじい猛気が立ち込めている。気の弱い者ならばその場に腰を抜かすほどの強烈な気合いであった。

やおら、巨漢が打ちかかってきた。その巨躯が風のような速さで向かってくる。一刀斉は動ずることなく、手にした竹竿で巨漢を一打ちした。

「ぐおっ__?!」

命を奪うほどのものではなかったが、相当厳しく打ちすえた一撃である。普通の人間ならば気絶するか、そこまで行かずとも苦痛で倒れ伏すような打撃だ。しかし、巨漢は倒れる事無く歯を食いしばり、一刀斉を睨みつけている。

怒り狂った巨漢が、遮二無二打ちかかってきた。しかし一刀斉は平然とやり過ごし、再び竹竿で巨漢を打ち据えた。それでも巨漢はひるむ事無く挑みかかり、三度目の打撃を受けた。今度は身体ではない。手にした金剛杖を撃ち落とされ、無手となった。

「どうじゃ」

一刀斉が巨漢に声を掛けた。

「その短い杖では不利であろう。長い得物を拾うて今一度勝負と行かぬか」

「__ぐ」

相手に言われてその通りに竹竿を握るのは屈辱である。その心中を察した一刀斉が、手にした竹竿で巨漢が取り落とした金剛杖を遠くへ払い飛ばす。これで巨漢は竹竿を手にする他なくなった。巨漢は竹竿を拾うとギリギリと握りしめた。屈辱も然る事ながら、今度こそと言う思いに自然と手の内に力が入るのだろう。実際、長い道具を操るのは相当な膂力を必要とする。これならば然程自分が不利な訳ではないはずだった。腕力には自信があるであろう巨漢が、その力の有りっ丈を込めて尺のある竹竿を一振りすると、びうっ、と風を巻く豪快な音が空気を切り裂いた。が、一刀斉はその一振りを己が得物で軽く受けると自然にその勢いを流し、切り返しざまもう一度巨漢を打ち据えた。今度は小手である。

「うあ__!」

打たれた右手は痺れて、彼はいかなる得物を握ることも不可能であろう。勝負は完全に付いた。

「__く」

右手の自由を失っても、未だ左手で竹竿を握りしめ、物凄い目付きで巨漢は一刀斉を睨みつけていた。

「天晴な心意気じゃの」

一刀斉はおどけた調子で言った。

「しかし、勝負はついた。如何にそなたが馬鹿力でも、片手でその得物を扱うのは無理じゃろうて」

巨漢は憎悪の籠もった眼を一刀斉に向けていたが、どうやら勝ち目はないと悟ったらしく、手にした得物をその場に捨てた。

「どうじゃ、お主。わが門人とならぬか?」

出しぬけ、としか思えない一刀斎の言葉に、巨漢は腑に落ちぬとばかりに戸惑いを見せた。

「実はの、わしは弟子を探しておる。自らの道統を受け継ぐ後継者をの」

巨漢は無言で一刀斉の言葉を待っていた。

「そなたの面魂は実に見事じゃ。わしは腑抜けた弟子など取ろうとは思わぬ。どうせ自らの技を譲るのならば、尋常ではない者を弟子にしたいと思うておるのじゃ」

「わしを、弟子に?」

「うむ__」

一刀斉は頷いた。

「断る」

巨漢の返答は或いは当然かも知れなかった。

「そなた、わしに敗れた事を悔しいと思うてはおらぬのか?」

巨漢は答えない。答えられるような心境ではなかった。

「今のままではわしには勝てぬぞ。如何に貴様が腕を磨こうと、わしには勝てぬ。だが、勝つ方法が無い訳でも無い」

巨漢は相変わらず無言で立ち尽くしていた。

「このわしから技を盗む事じゃ。如何に別の師に就いて腕を磨こうとも、それだけでは不十分じゃ。孫子も言うておろう、敵を知り己を知らば百戦危うからず、とな。わしから技を盗み、同時にわしの事を探るがよい。それにの、たとえ腕を磨いてわしに勝つ自信が出来たとしても、相手がどこにいるのかも分らねば話になるまい。ずっとわしに付いて旅を続けておればその苦労もせんで済むわ」

最初は相手の言う事などはなから聞く耳持たぬという心持であった巨漢も、何やら不思議と一刀斉の言い分を受け入れる気になったようであった。

「よかろう」

巨漢が頷いた。

「ただし、わしが貴殿の供をするのは飽くまで貴殿を倒すためじゃ。それでも構わぬと申されるか?」

「うむ」

一刀斉も巨漢に頷き返した。

「尋常の試合でなくともよい。いつどこで、どのような場合でも構わぬ。わしに隙が有ればいつでも襲うがよい。寝首を掻こうが厠であろうが隙があればいつでも狙ってよいぞ。もしもそれで討たれるような者であればわしの兵法など所詮それまでの事よ」

「貴公は兵法者に有られるか?」

「然り。伊藤景久、世間では一刀斉と呼ばれておるがの」

「貴殿が、あの伊藤一刀斉__」

その名を耳にした途端、ふてぶてしかった巨漢の眼に、畏怖の色が浮かんだ。



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