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其の拾八

一刀斉は考えていた。

否、考えようとしたが、思考が混乱し、何も考えられないでいる。

“えらい事になってしもうた”

一刀斉は後悔したが、全ては手遅れである。

“何とかこの試合を止められぬものか”

無理であろう。善鬼も典膳も、ここまで来た以上、後には引けないのである。

“わしが軽率であった”

今更悔いてもどうにもならないであろう。

“このまま二人が刃を交えれば……”

確実にどちらかが死ぬ。下手をすれば両方死ぬ可能性も高い。しかも二人の腕前は五分と五分、どちらが勝つかはその時の運次第なのだ。例えどちらかが生き残っても、無傷では済まないかも知れない。勝者も片腕片脚を失うなど、再起不能の大怪我を負う事が考えられる。木刀ですら確信的に殺意を抱けば相手を殺す事は簡単だ。ましてや真剣ともなれば、その気がなくとも、別に試合ではなくとも命を失う危険は大きいのだ。

“まさか、善鬼があれほど思い詰めていようとは……”

うっかり気を抜いた自分が愚かだったと一刀斉は憂色を深めた。

“如何にすれば傷を最小限に収める事が出来るのか……”

一刀斉にもまるで解決の糸口は掴めなかった。

このまま悩んでいても始らない。取り敢えず、試合を前に両名を呼んで自らの目で彼らの今を確認する他ない。結論を出すのはそれからである。何がしかの結論が出ればの話だが。

部屋の真ん中に衝立を立てて、一刀斉は一人坐していた。

「師匠殿」

ふすまの向こうから、善鬼の声がした。

「善鬼か」

「お召しにより、小野善鬼、参りました」

「__入れ」

善鬼は静かにふすまを開いた。部屋の中程に建てられた屏風を前に、善鬼は何事かを考えているのか、中々一刀斉の前に姿を現さない。

「師匠殿」

屏風の向こうから、善鬼が言った。

「師匠殿、進み出でてよろしいか?」

「うむ」

善鬼は、その巨体を軽々と舞わすと身を縮めて衝立を飛び越え、ふわりと一刀斉の前に降り立った。修験道の修行で山野を駆けまわった善鬼は、その大きな体からは信じられないほど身が軽い。

一刀斉の前に腰を降ろした善鬼は、静かに膝を整えると正座して控えた。

どちらも、何も言わなかった。

「__善鬼」

一刀斉がおもむろに口を開いた。

「今更、わしが言うべき事など何一つ無い」

一刀斉は包み隠さず胸の内を口にした。

「もし、そなたたちが考え直し、今度の試合を思い留まってくれるのならば、わしは何もそなたらに望む事など無いわ」

既に腹芸で相手の心中を探り合うような段階ではない。一刀斉は正直に心中を吐露した。

「折角のお言葉なれど、こればかりは師匠のお言付けに従う訳には参りませぬ」

善鬼もまた、その思う所を些かも飾る事無く師に告げるのだった。

「左様か」

分かっていた事だった。

「仮に典膳が試合を断ってもか」

有り得ぬ話である。正直、善鬼もどう答えてよいか迷ったが、きっぱりと言い切った。

「もし、典膳が試合を前に逐電致したる時には、地の果てまでも追い詰めて事の白黒をつける所存にござれば」

「そうか__」

一刀斉もこれ以上善鬼を説得するのは無駄だと諦めた。

「もう、何も言って聞かせる事はない。貴様らが命を賭けて渡り合う、これをわしがどう思うておるか、そなたには分かるか?」

「申し訳ござりませぬ」

善鬼は、素直に叩頭した。一刀斉にできる事と言えば精一杯皮肉な苦笑いを浮かべる事位である。

「不孝者め」

「面目次第も御座いませぬ」

「良い、下がれ」

一刀斉は疲労を感じながら言った。

善鬼が部屋を退出した。

「師匠、典膳にございます」

それからややあって、典膳が部屋の前に来た。

「入るが良い」

善鬼に命じて、衝立の事は口止めしてある。

ふすまを開けた典膳がどのような反応を示すか、見てみる為だった。別に最初から二人の振る舞いを観察しようと思い屏風を立て掛けた訳ではなかった。ただ何となく、それこそ大事な話を交わすので少しばかり気を配っただけなのだ。偶々、先に入室した善鬼が思いの外考え込んだ為、ついでに典善もその反応を観察してみようと思ったのである。

典膳もまた、屏風に隠れて姿の見えない一刀斉に対してどのように応じて良いか分からぬようで、そこに立って指示を待っているようであった。

「典膳、来るが良い」

「はは__」

典膳は屏風を飛び越えたりはしなかった。入るにあたって、用心深げに屏風を手で動かして中を覗き見ると静かに一刀斉の前に膝を付いた。

「こたびの試合、如何した」

「本心を申せば」

典膳は涼やかな顔で、些かも冗談を交えず答えた。

「迷うております」

「ほほう__」

一刀斉は声を漏らした。

「迷う、とは?」

「は__」

典膳は一息付いてから答えた。

「何をどうすれば良いか、迷うております」

「どういう事じゃ」

「それは……」

どう言えば良いのか、典膳も困っているらしい。

「善鬼が、恐ろしいか?」

「それも御座います」

一刀斉の問いに、些かも衒う事無く典膳は答えた。

「確かにの」

一刀斉は笑った。

「あの膳鬼めと試合うのじゃ。この世で恐ろしいと思わぬものなど居らぬであろう」

「誠に」

典膳は頭を下げて言った。

「じゃが、善鬼も恐ろしいのであろうな」

「__」

典膳は答えず、一刀斉の言葉を待っているようであった。

「善鬼は言いおった。もし、そなたが勝負を避けて逃亡した暁には地の果てまでも追い詰めるとな」

典膳は答えず、ただ困ったようなむず痒い様な顔を見せたのみであった。

「善鬼は、全てを捨てて挑んで来るのであろうな」

「はあ」

典膳も曖昧に答えるのみであった。

「もう良いわ。下がれ」

「はは__」

一刀斉は考えていた。

これから、どうすれば良いのか。どうすれば、一番無難に事を治める事が出来るのか。

未だ、答えは見つかっていなかった。



“どうなってしまうのか__”

一刀斉は苦悩していた。

明日にも善鬼と典膳が命を賭けた真剣勝負で刃を交える事となる。

“如何にすれば、傷を小さく事を収められようか”

善鬼と典膳、両雄並び立たずの諺の通りこの二人が倶に天を戴く事などあり得ない。憎しみではない、互いへの敬意、情愛が激しい闘志となって、ついにここまで来てしまったのだ。どちらかを抹殺する以外、彼らは引く事がないだろう。両方が斃れるよりはまだ救いがあるかもしれない。

追い詰められた一刀斉は、異常な思案に囚われ始めた。

となれば、どちらを残すべきであろう。

ふと、一刀斉は塚原卜伝の、後継者選考の話を思い出した。年老いた卜伝が自らの道統を門弟に譲るにあたり、その最終的な候補として三人を絞った。その折、部屋の戸に仕掛けを施し、開くと枕が落ちてくるという状況で候補者三名を順次呼び出した。一人目は“見越しの術”と呼ばれる予知能力でその仕掛けを見破り、入室する前から落ちてくる枕を予測して入ってきた。二人目は枕が落ちた際、一瞬刀に手をかけたが危険はないと判断してすぐに柄から手を放した。三人目は落ちてきた枕に肝を冷やし、うろたえて一刀両断してしまった。卜伝が後継者に選んだのは、予め全てを予測していた彦四郎であった。

“やはり、兵法者には用心が肝要か”

今になって、この様な他人の選抜基準を参考にして結論を求めるとは一刀斉もかなり追いつめられ、精神的にも負担が掛ってきていたのであろう。

一刀斉は、屏風を前にした昨夜の善鬼と典膳の振る舞いを思い出していた。

“典膳か”

いきなり屏風を跳び越えた善鬼に対し、一応向こうの状況を確かめた典膳の方がまだしも用心深いとは言えるかも知れない。善鬼とて、殺気は感じられなかった故、思い切って屏風を跳び越えたのであろう。しかし、殺気が無いからと言って必ずしも安全とは限らない。もしも何か仕掛けでも有ったら、人間の気配など感じさせる事無く相手を罠に陥れる事が出来るのだ。善鬼は修験者上がりでそれこそ予知能力とまでは行かないが感性は鋭く、たとえ仕掛けを施しても敏感に察知したであろう。この時無造作に屏風を跳び越えたのは、一刀斉が何の作為も持たず、無意味に衝立を用意していたからだった。寧ろ、最初は戸惑っていた善鬼だが、危険は無いと判断して思い切って跳び越えたのである。

“善鬼めは、用心が足りぬ”

この時、一刀斉が予め何かの意図を持って衝立を用意していたならば、善鬼の対応も変わったかもしれない。だが、一刀斉はまるでなんの意味もなく屏風を立てかけ、後になってから取って付けたようにあれこれ考えだしたのである。

一刀斉の心は決まった。

彼は恐るべき決断を下したのである。

それも愚劣極まりない結論を。

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