転生したら金欠すぎて姫様の代わりに屁をこく仕事を始めました。
「舞……ほんと下品だよなぁ」
「なにがよ!」
「男の前でアグラかくなよ。パンツ見えそう」
私は今、太ももの生え際まで全開のショートパンツを履いている。確かにパンツまで見えてしまいそうだ。
パンツが見られるのは恥ずかしい!
……と、普通の女子ならそうなるのは知っている。知識として。
ふふ。私にそんな感覚はない。だって、ないからしょうがないのだ。
パンツが見られる? ……で? って感じ。は? 見れば? って感じ。
「男は教室でパンイチでジャージに着替えるじゃないの。それは下品じゃないの?」
「男は別にいいだろ」
「なにそれ。今時、男はー! とか、女はー! とか流行んないよ?」
「……じゃあパンツ見せて」
「それは違う!」
私がつい見せちゃうのと、見せてと言われて見せるのは違うでしょうが!
「私帰るねっ」
「あ、気ぃ悪くした?」
「ちーがーう。ケツカッチンなのよ」
「ケツ? ケツがなに? ケツがカチカチなの?」
「失礼な! プニプニよ! 用事があるってこーとー!」
私は、幼なじみのたかしの家から出る。自宅はすぐそこだが、向かわない。今日はこれから、みゆきの家で演劇部の集まりなのだ。
私の夢は女優! 急げ! ゲームが楽しくて、ちょっとたかしの部屋に長居し過ぎた。
パタパタ走っていると、犬の散歩をしている近所の大場さんに会った。会ってしまったのだ。あの人、話しながいんだよなー。
「こんにちわ!」
「あら舞ちゃん。聞いてー。うちの旦那ったらねー……………………」
おおぅ! さっそく捕まった!
私は苦笑を押し殺して、笑顔を張り付ける。
……相変わらず話しながいなー。もう三分くらいは経った。
急いでるんだけどなぁー。
……あ。おならしたい。
さすがにここでは出来ないよなぁ。
「おばさんごめん! 急いでるから!」
三十六計逃げるが勝ち!
さぁ、誰もいない所で、心置きなくおならをしたい。やっぱり出し切るのが気持ちいい。
そう思っていると、前方に、ボールを追い掛けて道に飛び出そうとする少年がいた。
「え!? うそ!」
トラックが近づいている。危ない。このままでは、少年がひかれてしまう。
「止まって! とまってー!」
私の叫びに少年は歩みを止めた。
……大変な事に、少年を押して助ける事も想定していた為、走り出していた私は止まらなくなっていた。
やば!
飛び出してしまった。
迫るトラック。
……これ、死んだ。
そう覚悟したとき、私は、最期にせめて思いっきりおならをしようと決めた。
だって、あと数秒の命。
今の私には、他に出来ることが無かった。
「ぶーーーー!」
私は死んだ。
……あれ? 痛くない。
生きてる?
恐る恐る目を開くと、そこは、江戸時代だった。
……。
「えぇー!!」
○
……せいぜい、あと、三時間の命だ。
どうやら、江戸時代にタイムスリップだかタイムリープだかしてしまった私は、当たり前だがお金が無く、ろくなものを食べていない。
今日で三日目だ……。
時代の違う人に助けを求める勇気はなく(話し掛けることすら無理)、私はただ、さまよい歩くのみ……。
これ死んだなぁ、と朦朧とした意識の中、私は白い塀に寄っ掛かるように座る。きっと、二度と立てない。
私みたいなホームレスの人はちらほらいたが、特別私はじろじろと見られる。たぶん、太もも全開だからだ。でも、悪い男にさらわれたりはしなかった。きちがいとでも思われているのだろう……この時代で太もも全開の人なんて、いないからね。
「そこの娘……」
……ん?
おじいちゃん侍だ。おじいちゃん侍に声を掛けられた。
「……なんですか」
「……見るからに下品じゃな」
悪口言うためにわざわざこっち来たの!? 性格わるー!
「行くあてがないのか?」
「……はい。なんでもします。仕事ください。ごはんください」
チャンスだと思った。私から誰かに話し掛ける勇気はないが、話し掛けてくれるなら、ここぞとばかりに、たかろう。どうせこのままなら死ぬんだ。プライドは捨てる。
「お腹すいて動けません。助けてください」
「……なんでもするんじゃな?」
一瞬戸惑う。しかし、生きるためだ……。
「……なんでもします」
おじいちゃん侍は、相好をくずした。
「丁度よかった。こちらも人手不足なのじゃ。次々に辞職されてのう」
……う。きつい仕事なのだろうか。……エロ系はやだなぁ。……生きるためにやるしかないけど。
「キツい仕事ですか? 体力ならある方ですが……」
「体力はまったく必要ない。ただ、おなごにとっては、キツい仕事ではある。」
……やっぱりエロ系か? でも、エロ系だったら、体力はいるよね? いや、あんまり知らないけど。
「お主の精神力が試される仕事じゃ」
「精神力?」
……なんか脅かされてるなぁ。でも、お腹ペコペコだ。
「やります。どんな仕事ですか?」
「うむ……屁負い比丘尼じゃ」
「……へおいびくに?」
「知らぬか? 姫様が屁をこいてしまった際、身代わりになる仕事じゃ」
……ちょっと意味がわからないっす。
「お主には、お嬢様の代わりに屁をこいて欲しいのじゃ」
「……やっぱちょっと意味がわからないっす」
「お主の下品な見た目。屁に説得力がでるじゃろう」
「いや、失礼でしょ」
「むむ? やらぬのか?」
「……お金もらえるんですか?」
「武家に仕えるのじゃ。それなりの禄はでるぞい」
「やります」
私!
「私、お嬢様の代わりに屁をこきます!」
こうして私は、わけのわからないまま、屁負い比丘尼となった。江戸時代で、職を得た。
○
引きずられるように(空腹で、まともに動けないから)お城に連れて来られた。時代劇のセットみたい。やっぱりタイムスリップしたんだなー……と実感。
お風呂に入れてもらい、着る物もあつらえてもらい、食事の準備をしてもらった。もらい三昧、ありがたや。
「うま。うまい……」
久しぶりの食事に、私は涙を流しながらモグモグする。今はおじいちゃん侍はいない。若いイケメンのお侍さんが(名前は、鈴村様)引き気味に言った。
「た、食べながらで良いから聞きなさい……」
「食べながらでいいなら、話してください」
屁負い比丘尼とは、この時代に存在するれっきとした既存の職業らしい。アホだが、マジだ。
ここの姫様はやたらと屁をこくらしく、屁負い比丘尼たちは、あまりの恥ずかしさと屈辱に次々とやめていってしまったのだとか。
「お主は、たえきれるか?」
「……まあ」
正直イケメンの前で、「恥など知らない!」とは言いにくい。けれど、ずっとたかしに下品と言われ続けてきたし、何より生きるためなのだ。仕方がないではないか。
「平気っす。もぐもぐ。私、ずっと、下品って言われてきたので。もぐもぐ。今更っすよ」
「……そうか、頼んだぞ。……この家の行く末は、お主にかかっている」
……ん? この家の行く末?
「どういうことでしょう?」
「……いずれわかる」
嫌な予感……。
「とりあえず、練習が必要だな」
「……練習?」
「……」
しばらくの間のあと、意を決したように、イケメン侍は言った。
「ぶー!」
「……は?」
急に何!? 怖い怖い! 狂ったか!? トチ&狂ったか?
「は? ではない! お主の仕事は何だ!」
「……お姫様の代わりに、おならをします」
「そうだ。つまり今お主は、どうするべきだった?」
もしかして、「私がやりました!」って言うシーンだった?
「……いやいや。あなた、姫様じゃないし」
「……」
「それに、おならってわかりませんでした。もっと、リアルなおならください」
「……りある?」
「本物っぽいおならじゃないと、身代わりになる気持ちが作れません!……てことです」
やだ! 私女優っぽい!
「まず、照れを捨ててくださいよ。恥ずかしがっているほうが、恥ずかしいんですからね?」
「……お主、平民だろう? ワシは構わぬが、他の者にそのような態度をとるよ……相手によっては、不遜だ、と斬られるぞ……」
「まぁ! 逆に言えば、鈴木様って優しいって事ですね!」
イケメンで優しい……いいじゃん!
「彼女っているんですか?」
「……彼女とはなんだ」
「えぇと……許嫁?って言うのかな? そんな感じの相手ですよ」
「いないが……なんの関係がある」
……ほう。いないのか。
「そんな事はどうでもいい。姫様に会う前に、仕事を完璧に出来るようになりなさい」
「はーい! がんばります! おならくださいおなら」
「……。……ぶー!」
「はぁ? 全然ですよ! どんな感情で口おならしたんですか?」
「どんな感情……だと?」
「ほらー。思わずしちゃったのか、とか……我慢しきれなかったのか、とか……気持ちが作れていないじゃないですか!」
「……必要か?」
「いります! 更には、おなかの調子はどうだったのか……まで考えましたか? どのくらい湿り気があるか、どのくらい臭いのか、とかですよ。ちゃんとおならを成立させてくれないとー。それによって、私の庇い方も変わるでしょう?」
「……」
キョトンと、私を見つめる鈴木様。
「……なんです? 文句が?」
「いや。……そこまで屁負い比丘尼と向き合うおなごは初めてだったので、驚いただけじゃ……」
「引いてるんですか?」
「関心しておるのじゃ……稽古を続けよう」
鈴木様は目を瞑った。どんなおならを出すか、イメージしているのだろう。……真面目だ! ノリというか遊びというか……私はゴッコで言っていたので、逆に引くわ。
「いくぞ……」
「はい」
「……ぶー!」
「……さっきとおんなじじゃないですか」
「そんな事は……。調子が悪い時の、湿り気のあるおならをやったつもりだが……」
「つもりじゃ困るんですよつもりじゃあ! 表現してもらわないとー! 届いてこないんですよ! そんなんじゃ、私の姫様を庇いたい気持ちは生まれませんよ! 成立しないじゃないですか!」
「す、すまん……」
「休憩はさみます!?」
「やらせてくれ」
「わかりました。気持ちの上がり待ちしときますから……」
……手本が必要か? しかし手本を見せると、人はついなぞってしまうから、あまりよろしくはない……段取り芝居になるのが一番つまらないからね。
でも仕方ないかな?
やってみせようか……?
「……ぶぴゅぶじゅびー」
「く、臭い……いや、錯覚か? 口でこいたのか?」
「……くらいは、やってもらはないとー」
「やはり口こきか? み、見事じゃ。音だけでなく、無いはずの匂いまで再現するとは!」
「口こきはやめてください……」
マジ? 私の口おなら……そんなすごい?
「厚みが違うでしょう?」
……と調子に乗って言っておきながら、おならの厚みってなんだ、と心の中でツッコミを入れる冷静な自分がいる。冷静になるな! 自分で始めた遊びだろ!
「こんなのもできますよ」
私は、両手を合わせ空気を入れ、手で「ぷー」と鳴らす。
「うまいでしょう?」
「ああ……まるで本物の屁をこいているようじゃ。もう一度、手こきをやってみてくれ」
「おい! 言い方!」
「なんじゃ? お主の手こきはかなりうまいから、教えて欲しいのじゃ……手こきを」
「言い方、手おなら、に変えてくれません?」
「手おなに、変えればよいのじゃな?」
「ら、まで言え!」
わざとか?
○
姫様との謁見は、すぐにやってっきた。
小さい鼻や唇、切れ長の瞳、お人形様みたいに可愛らしい可憐な女の子だった。
……とても、おならを連発するような子には見えない。
「姫様。これが新たな侍女でございます」
「そうか。鈴木……大義であった」
鈴木様に向ける姫様の潤んだ瞳。もしかして、姫様は鈴木様が好き? ライバルか?
「姫様。わたくしはこれにて」
「もう行ってしまうのか?」
「ご安心を。この者への教育は済んでおります。中々見どころのある娘です」
「……そうか」
鈴木様鈍いね。姫様の想いに気づいてないや。
鈴木様が去り、姫様と二人きりになった。
「鈴木から聞いたと思うが、妾はおならもろい」
「涙もろいみたいに言われても」
「こうして話しているそばから……」
ぷー、という姫様のおなら音が部屋に響いた。
私はすかさず、厚みのある芝居……。
「あぁ! 姫様! 大変申し訳ありません! 私ったら、つい……!」
「……見事じゃ」
姫様は、目を見開いた。
「二人しかおらぬゆえ、今は屁負いをやらなくてよかったのじゃが、今の反応……あっぱれである」
「もったいないお言葉です」
褒められた! 嬉しいもんだね!
「気に入った。菓子をやろう。羊羹なるものじゃ。平民は、食べる機会はないじゃろう?」
もちろん転生前はバクバク食べてたけど、この時代では平民は食べられないらしい。
「ありがたき幸せ! 姫様に仕えられて良かった!」
「……そうか?」
意外そうな顔をしている姫様。
「そんなことを言われたのは初めてじゃ」
「そうなんですか?」
「……妾の屁の多さに、皆堪えられぬ。最初は皆、屁を負おうと頑張るのじゃが、日に日にやつれ、やめていってしまう。お前もそのうち、心が疲れ、辞める事になるのじゃろう」
「ありえませんよ」
私は言い放つ。
「私に行く宛はありません。ここにしか居場所がないんです。だから安心してくださいな? 私は、ずっと姫様のそばにいますから」
「……本当か?」
「はい。その代わりと言ってはなんですが……」
ぷー……という音が響いた。……マジか。おならもろいにもほどがある。……言わないけど。
「姫様……」
「……なんじゃ」
「真面目な話の途中で……」
姫様は、ビクリと動いた。
「おならをしてしまい、申し訳ありません……」
「良いのじゃ。話を続けよ」
なるほど。これは大変だ。乙女がやめていくわけだ。
「鈴木様を……」
ぶっぶー!
また屁かよ!
「……鈴木がなんじゃ?」
「いえ。なんでもありません……」
話す気が失せた。
○
それからの日々は大変だった。
姫様の屁の身代わりになる毎日。
城内の者はいいのだ。姫様がおならもろいのは周知されているから。むしろ、よくやっていると私を労ってくれる。……問題は、外の者。
この城は、高い身分の領主が治めているので、他国からの縁談が多く持ち込まれる。
姫様は他国の大名の前だろうが構わずおならをこくので、私は大忙しだ。
私が恥をかくのはどうでもいい(そもそも恥とも思ってない)。
やばいのは、面会中に何回目かの屁こきになると、「無礼者!」と私が斬り捨てられそうになることだ。怖いのなんの。
休みも多いし、基本的に座っているだけなので楽ちんな仕事なのだが、いつか首ちょんぱされるんじゃないかって冷や冷やしている。
……最初に鈴木様に言われた、「この家の行く末は、お主にかかっている」……の意味がようやくわかった。
姫様は他国との面会中にだって、おならを慎まない。つまり、フォローが大切ということ。うまく取りなさなければ、外交問題に発展してしまう。
特に、姫様の婚姻はこの家の一大事なのだ。なんとしても成功しなくてはならない……屁こき姫を誰が嫁にもらいたいかは置いといて。
この家の利益になる相手との縁談が必要なのだ。
「……姫様。今更ですが、なんでそんなにおならもろいのですか?」
「つい、尻鼓を打ってしまう理由か?」
「舌鼓みたいに言われても」
「……単に、尻ごしを楽しんでいる訳ではないのじゃ」
「喉ごしみたいに言われても」
「……呪いじゃ」
「呪い……?」
急に穏やかじゃない言葉が現れた。
「……妾は幼き頃、怪しが恐ろしくてのう」
「怪しって……妖怪とか、そういう?」
「そうじゃ。事あるごとに僧を呼んでは、経を読んでもらっていた」
「……妖怪が出てたんですか?」
「まさか。勝手に木が揺れたとか、物音がしたとか、今思えばとるに足らないものじゃった……」
「でもまぁ、子供ってそういうものだと思いますよ。何でもない事が怖かったりしますからね」
「わかってくれるか?」
「はい……でも、それとおならもろいのと、なんの関係があるんですか?」
「僧を、些細なことでいちいち呼ぶのが、飽き飽きしていたのじゃろう……。家のものがこう言ったのじゃ」
……おならには、魔を祓う力がありまする。
「そんなでたらめを!」
「いや。でたらめではない。古くから言われている事ではあるのじゃ」
「そうなんですか?」
それ以来、姫様はおならが止まらなくなったということ?
つまりは、おならをすればお化けがでないと信じた少女がおならをし続けた結果、強迫観念のようにおならに縛られながらここまで来てしまったのだ。
……悲しい話だ。姫様は悪くない。……か?
「呪い、とはそういうことじゃ。おならをすれば屁負い比丘尼が、恥や屈辱に満ちた顔で屁を負う。妾はその屁負い比丘尼の顔を見ると、楽しゅうてのう。つい、おならをしてしまうのじゃ」
「……ん?」
「妾は自らに呪いをかけてしまった。偉そうに礼儀作法や学問の教鞭を執る屁負い比丘尼に異種返しができる。まぁ溜飲が下がったものじゃ。あの顔! 思い出すだけでも笑える! やめられん! これは呪いじゃ! 妾は呪いにかかってしまったのじゃ!」
「性格わる!」
「そこで言えば、お前はつまらんのう……。仕事を辞めないのはありがたいのじゃが、いかんせん恥を知らん。おならもろい妾が言うのもなんじゃが、どーかと思うぞ」
「確かに姫様だけには言われたくないですね」
私は立ち上がる。
「どうしたのじゃ、怖い顔をして」
「姫様の屁負いを続けるか、考えさせてください」
「なんじゃと? ずっとそばにおると申したではないか」
「姫様がわからなくなったのです」
私は屋敷から飛び出す。とにかく走った。
城下町が見渡せる高台に辿り着いた。
夕陽が、オレンジ色に街を照らす。
……姫様があんなに性格が悪いとは思わなかった。
人の恥や屈辱を見て喜んでいるなんて。
悪魔じゃん!
「……舞殿か?」
突然背後から私の名を呼ぶ声。私は振り返る。
「鈴木様!」
思わぬ偶然! ラッキー!
「ここどうぞ!」
鈴木様は私の隣に座った。
「お久しぶりでございます鈴木様。どうしたのですか? こんな場所で」
「うむ。ここから眺める、夕陽が照らす城下町が美しくてのう……折に触れて訪れているのだ」
「きゃぁ……ロマンチストなんですねぇ。横顔が素敵です」
「ろまん……なんだ?」
「あ、いえ。私もここの景色が気に入りました」
「そうか……で、なぜここに?」
「聞いてくださいよ! 姫様ったらね!」
私は、さっきの一部始終を話す。
「……てな感じなんです。性格悪すぎじゃないですか?」
「それで、ここまで逃げてきたのか」
「怖くなったんです。姫様が、得たいの知れない妖怪に見えて」
「……そう言うな。……訳があるのだ」
「……訳? 屁負い比丘尼の屈辱の顔が面白いから……じゃなくて?」
「そうじゃ。姫様を誤解して欲しくない」
姫様を想う鈴木様のその顔は面白くない。チクリとする。私以外の女子の事をそんなふうに、大切に思ってます顔しないで欲しい。
「……なら、教えてくださいよ」
鈴木様は、沈みかける夕陽を見つめる。
○
「
姫様の母上は、流行り病でなくなった。
流行り病は、魔物が運んでくると言われておる。
だから我々は、僧や修験者や神職……できる限りの霊能者に祈祷をやらせた。
……それでも姫様の母上の病気は、回復の兆しを見せなかった。
そんな時に、ワシは言ってしまったのじゃ。
「おならは、魔を祓う力がある」と。
(鈴木様だったのかい!)
以来姫様は芋を食べたり、尻に空気を入れる体勢を研究したり、おならをするための時間を過ごした。
「妾がお母様を治しまする!」
……だが、無情にもお母上は亡くなられた。
姫様は、言ったよ。
「妾のおならが足りなかったばっかりに……ごめんなさい、お母様」
……姫様は、おならをすれば大切な人はいなくならない、と……そういう体質になってしまったのだ。
大人になった今、頭では、おならは関係なかった……お母様の死は致し方なかった……、と理解しても、身体に染み着いたおならグセは治る事はなくなってしまったのだ。」
○
「……じゃあ姫様が言った、屁負い比丘尼の恥や屈辱の顔が楽しいからじゃなくて……」
「お母上の事を語るのは、まだお辛いのだろう」
姫様……。
私は姫様の気持ちも知らないで、飛び出して来てしまった。
……ずっとそばにいると約束したのに。
「姫様の心の問題だ。お母上の死の悲しみを乗り越えられたら、もしかしたらおならグセは治るのかもしれぬ」
「……まって」
私は思う。
もしかして姫様には今、失いたくない人がいるのかもしれない。だから、身体はおなら体質のままなんじゃないかな?
そして私には、姫様が失いたくない人物に心当たりがある。
「鈴木様! 私、急いで城に戻ります!」
「なら馬に同乗しなさい。もう暗い」
辺りは、すっかり翳っていた。街には橙色の明かりが灯り始め、幻想的な光景が浮かび始める。
「同乗?」
私は鈴木様についていく。縄で、馬は木に繋がれていた。
鈴木様は、手を差し伸べてくれる。
「さぁ。支えてやるから乗りなさい」
……乗りなさい言われても。
「鈴木様。お手を触ってよろしいのですか?」
「その為に手を出している。お主一人では乗れないだろう?」
私はおずおずと、鈴木様の手のひらに、私の手のひらをのっける。
「どうした? 震えるほど怖いのか?」
鈴木様が笑っている。鈴木様が笑って……。
「……は、はい。……恐ろしゅうございます」
ちょっと! なにぶりっ子してるのよ私! きっも!
ちなみに震えているのは、怖いからじゃない。男の人の手に触れるなんて (しかもイケメン) 初めてなのだ! 緊張する! 暗くて良かった……顔が熱いよ。
「お主も、おなごらしい顔を見せるのだな」
「……いじわるは言わないでください」
もじもじするなわたしよ!
「はは! しばらく見ていたい」
「もう! はやく乗せてください!」
乗った。やっとの思いで馬に乗った。
……ふ、二人乗り。私が前で、鈴木様はわたしを包むように後ろ。自転車の二人乗りより密着感がすごい! なんかエロいよこれ!
幼馴染みのたかしの自転車の荷台に乗った時には体験出来ないドキドキで、胸が苦しい。
「……ある意味、姫様には感謝ですね」
「なんか言ったか?」
「いいえ! なんでも!」
パカラパカラと馬が小走りを始める。
二人で風になってるー!……とか思ってみる。あぁ、らしくない。浮かれすぎ。私ダサ!
でもせっかくだから、もっとダサくいこう!
止まるな! 恋のリアルメリーゴーランド! あはは! 楽しい!
「鈴木様! もっと飛ばしてー!」
たかしや友達には絶対に聞かせたくない、私の普段よりワントーン高い声。
「よいのか?」
「はい! とっても気持ちいいです!」
私が「とっても」だって……普段は「チョー」のくせに。もしくは「めっちゃ」。
「ならば飛ばしてしんぜよう。」
馬はスピードを上げる。
とっても楽しかった。
「姫様。先程は申し訳ございませんでした」
姫様はムスっと言った。
「……もう結論は出たのか?」
「姫様……鈴木様と離れたくないのですね?」
姫様は、あからさまに動揺した。
「な、何を申しておる!」
「姫様。私、鈴木様に懸想しております」
「……そうか」
「恋のメリーゴーランドは楽しかったです」
「……恋の……なんじゃって?」
「姫様。私、鈴木様に想いを伝えます」
「……」
「……いいですか?」
「……勝手にすればよかろう」
「いいんですか?」
「……」
「本当にいいんですか?」
「……」
「……私と鈴木様が口吸いをしたり……いちもつを……その……」
「何を申すのじゃ! 破廉恥な娘じゃ!」
「今、嫌な気持ちになりませんでしたか?」
「……」
「なったんですね」
「そんなこと申したって致し方ないではないか! 妾は他国に嫁ぐ運命なのじゃ! 鈴木に想いを寄せようが、叶わぬのじゃ! 実を結ぶ想いではないのじゃ!」
「でも! ……想いを伝える事は出来ます」
「……想いを? ……無意味じゃ」
そう。私の考えはこうだ。
姫様は鈴木様と離れたくない。それがつい姫様におならをさせてしまう。……おならを出来ないばっかりにお母様を失ったトラウマを刺激されて。
姫様は、おならをすれば、大切なものは無くならない……と無意識で思ってしまっているのだ。
いわば、魂に刻まれた傷跡。
……自らかけた呪いだ。
なら、しっかり鈴木様に想いを伝えればいいのだ。
そして、しっかりと別れをすればいい。
そうすればきっと、おならともお別れ出来る。
呪いから解放されるはずだ。
「鈴木様には今、屋敷内で待ってもらっています」
「……」
「今から呼びましょう」
「だめじゃ!」
「なんで!」
「だめったらだめじゃ!」
「……姫様」
姫様は、ぽろぽろと涙をこぼした。
「妾は、家のために嫁ぐ。将軍様からのお呼びも控えている。……鈴木には、懸想することすら許されぬのじゃ」
「姫様……」
自由に恋愛できないなんて……。
知識では知っていた。家のための結婚があったことは。
いざ目の前にすると、こんなに悲しくて、切なくて、辛いものだったなんて。
「わかりました。仕方ないですね……私が鈴木様と夫婦になります」
「……は?」
「だってそれしか手がないじゃないですか」
「……」
「まぁ、姫様と鈴木様が上手くいってしまったら、悲しいのは私ですしね」
「……そんな風に煽っても妾は行かぬ」
「え? あぁ……違います。本心です。煽ったわけじゃなくて、本当に私が鈴木様のお心を独り占めしたいのです。姫様。諦めてくれてありがとうございます」
「……」
「では、これからもよろしくお願いしますね! 屁負い、がんばりまーす」
ほんとに本心である。
私は立ち上がる。
「どこに行く?」
「もちろん鈴木様の所に。待たせてますから」
「……」
私がくるりと軽やかに反転すると、「待つのじゃ!」と姫様は言った。
「妾は鈴木の所に行く。お前はここにおれ!」
「はぁ!? なんでですか!」
「想いを伝えるに決まっておろう!」
「えー! ずるー! 抜け駆けはダメですよー!」
「先に抜け駆けしようとしたのはお前だろう!」
私達は、廊下を競争する。……何事! と屋敷内は騒然とし始めた。
鈴木様のいる部屋に到着する。
「姫様! いかがなされましたか!」
「妾は鈴木を好いておる! 妾と結婚してくれ!」
言っちゃったよこの人! すごい勇気!
鈴木様はキョトンとした。やだ、かわいい……って、そんな場合じゃない。
「鈴木様……わた、私……私も……」
私には勇気がない! ダサ!
鈴木様は、顔をきりりと精悍に姫様を見つめる。
……ふ、ふられろー!
「姫様。光栄にございます。……しかし」
姫様は頼りなげにうつむく。
「私ごときが姫様と結婚など……できませぬ」
「……わかっておる。言っただけじゃ」
姫様は踵を返す。そして、すたすたと去って行く。
私も慌てて姫様に着いていく。
姫様の後ろ姿は凛としていて、他家に嫁ぐ覚悟が見える。
……けれど、寂しさが滲むのは仕方の無いことだと思った。
部屋についた。
しばらく無言の二人。
いつもと違うのは、姫様のおならが響かないことだ。
「……お前のせいで、袖にされた」
「……申し訳ございません」
「よい……すっきりしたわ。礼を言う」
……これで、姫様のおなら癖は治っただろう。
……あれ? 私の仕事なくなっちゃう? やばくない?
「……ちなみにじゃが、妾が他家に嫁ぐ際、侍女を何人か連れて行かねばならぬ」
「……はぁ」
「当然お前も来るのじゃぞ?」
「……ん?」
「つまりお前も鈴木とはお別れになる」
「……」
「……お前が鈴木と結ばれる事はない」
「……」
……そ、そんな。
「妾は最初から気づいていたがの」
「……」
「おぉ。その屈辱に満ちた顔! たまらんのう」
「……」
そして姫様のおしりから「ぷー」と響いた。
「……な、なんでおならが」
「なんでとは? 妾がおならもろいのは今さらじゃろう?」
「……」
「なんじゃその顔は! 笑えるのう!」
こうしてわたしの屁負いの日々は続くのだった。
○
将軍様の前での姫様のおなら事件や、私が幕府の屁負い指南役に抜擢されたこと……鈴木様との、大江戸ラブストーリー。
姫様と、おならひとつで一時代を乗り越えていく私たちの話の続きは、またいつか、どこかで……。
おわり