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月笑と人形  作者: 上山烏頭
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後編

「な、なんですと !?」


 警部が素っ頓狂な声でその大きな口をむき出しにする。あまつさえ舌まで出ている始末だ。まあ、僕だって口をあんぐり開けていたのだからお互い様だ。そして、警部と同じように叫ぶ。


「ど、どういうことなんですか、容疑者がほかにいるなんて思えませんよ!」

 先生は驚く僕らをよそに、淡々とした様子で、推理を始める。


「あの人形を詳しく調べていたとき、どちらも表面上は新しい素材で作っているような風に見えていたが、それは表面をそういう風に塗装していただけだった。実際は、どれも相当古い材料でできていた。その時は何も思わなかったが、人形を持たされた彼らが、その期間を答えた時、ある考えが閃いた――」


「一か月、でしたよね」僕がその時のことを思い出しながら言い、先生は頷くと、

「この魔術がモノに意志を与えるとき、それは持ち主の意志を反映させる――そのモノの持ち主とは、そのモノを所有していた期間が一番長い者である――というのがこの魔術の条件だった。一か月いう期間は人形を彼らの持ち物にするのに必要な時間だったわけだ」


「それは、そうですが……」

 警部の戸惑った声。だからなんだという言葉を必死に呑み込んでいるのが表情から丸わかりだが、僕も多分警部のことは言えない。ただ、先生の言葉を待つしかない。


「人形について考えるんですよ。まず人形が作られた。では、その造られた瞬間、それを所有していることになっているのは誰なのでしょうか?」


「あ……」


 僕と警部は同時に声を上げた。先生は頷いて、

「そう、それを造った者です。つまり、人形師。イーガン氏は人形をストラットン、サーゴン両氏にそれぞれの人形の制作にかかったよりも多い日数を、彼らに人形を所有させることで、人形の所有者を上書きした――つもりだったのです」


 ようやく先生の言っていたことが見えてくる。

「あの人形は相当古いモノで出来ていました。人形師が自分のもとに、数年単位で所有していた材料で、人形を作り上げたとするなら、その場合、魔術の条件としての所有者とは誰になるのでしょうか」


「なるほど、そうか、そのために見た目をわざわざ新しいもので作った様に偽装していたのか。人形という形にとらわれ、それを形作っているモノそのものが盲点になっていたとはな……」

 警部は、しきりに感心したように頷く。僕もまた、先生の推理に感心するばかりだった。


それにしても、なんという狡猾なやり口か。二体とも人形師の殺意の刺客でありながら、それぞれが他人のモノを装っていたとは。そして人形師自身は、まんまと容疑の圏内から外れていたとは。


「しかし、動機はなんなんでしょうな」

 警部はそう溢すが、彼自身、それは犯人に聞けば分かることだと思っているようだったし、先生もあっさりと、

「警部、論理の前に動機など後からついてくるものなんですよ。まあ、やはり金銭のトラブルということが、可能性としては高そうですがね」


「ええ、でしょうな。これから人形師を引っ張って事情を聴いてみますよ」

「……まあ、お手柔らかに頼みますよ」

 警部はしきりに先生にお礼を言い、部下たちを引き連れて、勇んでイーガン邸を出て行った。


 という訳で、事件は解決した。あとは僕らも帰るだけだ。片づけても片づけても、床に山積みになる本と、掃除をしてもしても散らばる、その他のわけのわからないものであふれかえった先生の家へ。熱いココアでも楽しんだ後、今回の先生の活躍を記録し、多分ぐっすりは寝られないにせよ、床に就くだけ――。

 

 

 ――のはずが、何故か僕は先生の家に帰れないでいる。ただじっと暗い部屋の床の上に、這いつくばるようにしてじっとしている。横で先生も同様にしてじっと待っている。真っ暗な離れの現場の中を、窓からの月の光がわずかに照らし、その月の笑い声だけが、相変わらず何かをあざ笑うかのように、響き続けている。


僕は腕時計に目を凝らす。もう十二時は過ぎてるんじゃないのか――。良く見えない文字盤を見て焦れていると、やがて部屋のドアが開く音がして、間もなく明かりがつく。そして、間髪を入れずに、僕らはその侵入者の前に姿を見せる。そして、先生が声をかけた。


「どうです、眠れましたか? 奥さん――」


 僕らが潜んでいたイーガン氏の書斎に入ってきた人物――それは、イーガン氏の妻であったダフネ・イーガンだった。


「あなたが、イーガン氏を殺しましたね」


 そして、月がひたすら笑う中、先生はそう告げたのだった。



 僕と先生は最後にイーガン邸を出て、そのまま帰るはずだった。しかし、家を出たとたん先生は引き返すようにして離れに向かい、そのまま明かりのついていない部屋に潜むことを告げたのだった。そして、部屋の暖炉の隅にいすを置いて座り、ただ待つようにと僕に告げた。


 そんなふうに訳も分からないまま、部屋に入ってじっと待つように言われてしばらくしてから、ようやく僕は先生に事の次第を説明するようにまくし立てたのだった。


 相変わらずの月の笑い声のおかげで、あまり気にすることはなかったのだが――それでも声を潜めるようにして、どういうことなんですか、と問う僕。


「事件は解決したんじゃないんですか、先生」


 混乱気味の僕に先生はあっさりと

「ああ、あれは警部には悪いけど、仮の推理ってやつだね」

「そんな……人形師が犯人じゃないんですか?」


 自説を翻す先生に僕は唖然とするしかない。というか、それなら警部に悪いというより、犯人にされてしまった人形師のほうに悪いだろう――。


「警部には後でちゃんと私が話をつけるさ。まあ、人形師には悪いが、しばらく警部の責め苦に耐えてもらうしかない。とはいえ、彼も詐欺なんてするからこんなことになるのさ」

「詐欺? どういうことなんですか」

 先生の言っていることが全くよくわからずに、僕は聞き返すしかない。


「おそらく人形の外観を新しく装ったのは、新しいのを買わずに材料費を安くあげて、差額を掠め取るというセコイことをやっていただけだろう。だからま、半分は自業自得だよ」


 ヒトを犯人に仕立て上げてそれはないと思うのだが……まあ、いいかと僕もその辺は追及しないことにする。それより真相だ。


「でも、ちゃんと筋は通っているように思えましたよ?」


 しかし、先生は嘴の先を白い手袋に包まれた指先でなでると、

「部分的につじつまを合わせるなんて簡単なことだよ。先ほどの推理は筋が通った様に見えたとしても、現場に残されていたり、その周りに見え隠れしていたもろもろの証拠を拾えてはいない」


 シュウも、そういうところに注目すべきだったね――。そう、先生に言われては、助手として恥ずかしいものがある。とはいえ、それ以前に素朴な疑問を問わねばなるまい。


「先生は犯人が分かってるんですよね」

「そうだね」先生はぽつりと言う。


「誰なんですか、犯人は」


「僕らが意識しなかったもう一つの人形があったのさ」

 先生の謎めいた言葉に、僕は一瞬ぽかんとするだけだった。


「まあ、ここで待っていればきっと現れる」

 先生は、間抜け面のままでいる僕に、そう答えるだけだった。


「でも、どうして警部やみんなの前で犯人を指摘しなかったんですか」

 なんでこんな回りくどいことをするのだろう。その場で犯人を即逮捕すればそれで済んだのに。そんな当たり前の疑問。だいたい、今の状況って危険じゃないんだろうか――。


しかし、またしても先生の答えは不可解だった。

「そうやって晒すことは、ひどく残酷だろうから――」


 そして、ひとしきり時間が流れ、僕らの前に彼女は現れた。先生の告発に、ダフネはしばらく何も言わなかったが、ようやくぽつりと言葉をこぼした。


「やはり、分かっていたんですね」


 その声は、やはりひどくか細くて、月の笑い声に容易くさらわれてしまいそうなはずなのに、でも僕の耳には何故か、いやにはっきりと届いてくるのだった。


「鋏や布が暖炉に投げ込まれていたことから、そしてあなたの様子からおぼろげながらはね。それから最後にあなたが部屋を出る際、薬瓶から睡眠剤を取り出したのを見て、全てが繋がりました」

「では、話してくれますか? その、どうして私が夫を殺したと、あなたが確信するようになったのかを」


 ダフネは僕らが最後に見たままの格好で、相変わらず色眼鏡をかけたまま、その瞳をうかがい知ることはできず、彼女が何を思っているのか僕には分からない。ただ、先生に犯人だと指摘されたのにもかかわらず、彼女はどこまでも穏やかな様子だった。そして、少し寒いようですね、と呟くように言うと暖炉に火をともした。先生はその様子をじっと眺め、次にチロチロと燃える暖炉の火を眺めながら、話を始めた。


「まず、私が気になったのは、先ほど言った暖炉に投げ込まれ、黒焦げになっていた木製の柄を持つ鋏でした、そして布巾でした。それは何故暖炉に放り込まれていたのか。放り込んだのはイーガンでしょうか? 布巾はともかく金属部分のある鋏を暖炉に捨てるのは必要なくなったからとしても捨てるのは変に思えます」


 そんな先生の言葉をダフネは頷き、肯定した。

「では何のためなのか? 被害者に突き刺さったままの小刀を見ながら、そして、イーガン氏と犯人がもみ合った形跡があるという事実を考えあわせた時、一つの仮説が浮かび上がったのです」

 先生は少し、嘴を湿らすように言葉を切ると、視線を暖炉に火からダフネに移して続けた。


「犯人に襲われた時、イーガン氏もまた、犯人に対して反撃を行ったのではないか――たとえば、そばにあった鋏などで。そして、そこに犯人にとって不都合なものが付着したのではないかと。それで、私は少なくとも犯人はそこにあった人形たちではない、と思ったのです」


「何がついたのかしら?」とダフネ。


「それは、人形が襲い掛かったとするなら出るはずのない物――血です。鋏の刃だけなら、拭ってしまえばよかったのかもしれない。しかし、木製の柄にこびり付いてしまっていたんでしょう。そのまま暖炉で焼却するしかなかった。しかし、むしろ持ち去ったほうが良かったですね」


 先生の指摘に彼女は頷いて、

「ええ、後から考えるとそのほうが良かったのかもしれない。でも、鋏の刃を布巾で拭って、柄のほうにこびり付いていることに気が付いたその時は、一刻も早くどうにかしないといけないと思ったのよ。布巾は鋏の柄を拭う他に、傷口に当てて血が止まるまで抑えるのに使ったわ」


 そう言って、ダフネは袖をまくりあげ、乾いた傷口を見せた。

 二人は、示し合わせたような呼吸で会話を続けるが、理解がおぼつかない僕としては話についていけず、抗議めいた声を上げるしかない。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。いいですか、まずダフネさんが犯人だとしてですよ、ダイアンさんとの共犯なんですか?」


「いえ、違うわ。夫を殺したのは私一人」

 答えたのはダフネ。そして、先生はそれを否定しなかった。


「で、でも、ダイアンさんが無関係だとすると、密室状況だった部屋からどうやって? 抜け出すのはますます難しいですよ? あれ、そもそもイーガン氏の魔術はどうなるんです? 魔術が行われたのは魔術陣が焼け付いていたことから明らかなはずですが。もしかして、そのこと自体は無関係だったってことですか?」


 結局ダフネが実験後にイーガンを殺し、何らかの方法で密室を形成することで、人形が殺した思わせる状況を作ったということだろうか――。


「いや、イーガン氏の魔術はこの事件の核だよ。彼は魔術を行使し、そして悲劇は起こった。彼は魔術を使ったのさ。だだし、あそこにあった人形というモノにではなく、彼女というモノに使ったのさ」


「は?」

 僕は思いっきり間の抜けた声を上げるしかもうできなくなっていた。そんな僕にダフネはクスクスと笑い声をあげ、


「こうすれば、分かりやすいかもしれないわ」


 そう言って、彼女は僕が彼女を見た時から、ずっとつけたままだった色眼鏡を、ようやく取り去った。そして、僕はそこから現れた彼女の眼を、一生忘れることはできないだろう。


 彼女の眼は白く濁りきっていて、それは、生きているヒトのそれではなかった――。

 そして、ようやく僕は理解したのだ。先生の言っていた気が付かなかった三体目の人形――。そして、イーガンがどんなおぞましいことを行ったのか。


「まさか、死体に魔術を使ったんですか!」


僕は言葉を絞り出すように吐き出す。なんということだ。そんなことが本当に――? そう思いながらも、しかし、イーガンの魔術の条件を思い出す。

 人型であることが重要であり、意志を与えられるモノの意識はそれを長く所有していた者のそれを反映する――受志方陣と名付けられたそれに一番適したモノとは、死体だったのだ。


「では、イーガン氏はダフネさんを……」


「ええ、夫は私を殺した。そしておそらくダイアンさんも殺すつもりだった」

「ダイアンさんを呼び出したのは、そういうつもりだったのか……」

 僕の呻くような言葉に、彼女は軽く頷いて、


「そう、夫は私に言ったわ、私の醜い生ける屍と化した姿を彼に見せた後で、彼も殺して、二人で仲良くぐずぐずに腐っていくまで終わらない責め苦を与えてやるって。彼の瞳は怒りと嫉妬で狂ったようになっていた。気が付いたら私は、手元にあった小刀を突き刺していた……」


 ダフネの声は震えていた。僕は死んだ男の情念に慄然とする。しかし、ダフネは顔を上げると、その夫の悪意を振り切るように、彼の中心とも言えたであろう部屋で、言葉を紡いだ。


「私が本当に愛したのは、ダイアンだった」


 ダフネの言葉はあの時と同じ、強くはっきりとしたものだった。だが、そこにはあの時の決然とした血を吐くようなこと言い方ではなく、どこか希うような、自分の想いをどこかへ託すような言い方だった。


 そして、僕は、唐突に理解したのだ、彼女がどんな思いであの場にいたのかを、どんな思いであの言葉を吐いたのだと――。彼女はただ、死んでなお動き、かつ朽ちてゆく己の姿が恐ろしかった。彼女が犯人だと警察に分かってしまえば、彼女はその場で正体を彼の前でさらすことになる。恐らく、彼女はそんな動く死体と化した自分を彼に見せたくなかったのだろう。そして、あの時ダイアンに別れを告げたのだ。


 そうして彼女はまず捕まることを避け、かつ自身についても隠さなくてはならなくなった。


 イーガン氏がいつごろから、妻と甥に対して不信を抱いたのか、そしてそれがどのように彼の中で殺意を育んでいったのか、彼が死んだ今となっては知るすべはないし、それを忖度することに意味はないのだろう。


「しかし、どうやって密室からダフネさんは出たんです?」

 僕の疑問に先生はこともなく、


「密室、密室とシュウは拘るが、あの部屋は完全な密室だったかい?」

「え、それは、あの机の上にあった窓は開いてましたけど、首がやっと通るくらい――ってまさか……」


「そう、首が通れば後は肩の関節を外して外に出れる。しかし、彼女はなにぶん素人だ。無理やり外したはいいが、うまく元に戻せなくなった――おそらく右肩だね。だから、ずっと右ひじを左手で支える姿勢を取っていたんだ」


「ええ、そうです。左肩は何とか元に戻せたんですけれど」

 ダフネは感嘆するように言い、さっきからずっと右ひじを受けていた左手を離した。とたんに、右肩が不自然にだらりと垂れる。


「それにしても、何故私が死んでいると分かったのかしら?」

 と、続けて先生に聞いた。


「あなた、休むと言って部屋を出る時、薬瓶から睡眠剤を取り出したでしょう?」

 先生は言う。


「あの薬は月笑期のための薬で、非常に強力だ。飲んだら数秒と掛からず寝てしまう。だから、布団に入って飲むものでしょう? そして、あれは月笑期の三日間に合わせて薬包が三つ綴りになっています。今日は月笑期の二日目、昨日使った分が二袋まだ枕元にあるはずなんですよ。それなのにあなたは新しく薬を取り出した。昨日は使ってないようだ。では、なぜ使わなかったのだろう、つまり、使えなかった事情があったのかもしれない――という訳です。普段あの薬を使う人が気まぐれで使わない、ということはないでしょう。あれを使うのはこんな月の晩に本当に眠れない人だ。だから昨日の、月が昇る前から、あの馬鹿でかい月の笑い声を全く意識する必要のないことが、あなたに起こったのだと思いました」


「でも、ただ眠らされていたり、意識を失っていただけなのかもしれない」

 その彼女の問いに先生は答えて、


「たとえそうだとしても、あなたがそれについて我々に何の報告もしないというのはおかしいでしょう。それから、それと合わせてある程度推測する要素がありました。あなたの色眼鏡。ショックを受けてるとはいえ、部屋の中でずっとかけ続けているのは少し変だと感じましてね。それから、角膜の濁り――といったものを連想し、もしかして……となったわけです。そしたら、イーガン氏が行った“実験”の真相を直観し、現場の鋏と布巾に結びつけることで、真相が浮かび上がりました。イーガンはあの魔術の実験を行おうとしているうちに、ああいう使い方ができることに気が付いたのでしょう。そして、勢いのまま実行に移した」


 しかし、うまく隠しおおせたものだ。とはいえ、もし僕のように体毛が頭以外にほとんどなかったら、たちどころに死斑でわかってしまったかもしれない。臭いは毛に芳香性のパウダーなどをかけたのか。僕はダフネを眺める。月光を浴びて動く死人はしかし、とても美しく感じた。


「私は昨日の昼に夫が煎れたコーヒーを飲んでから、今日目覚めるまで記憶がないわ。恐らく、コーヒーに毒物が入っていたのね。――彼との仲について、夫が気付いていることは薄々感じてたわ。でも私はダイアンを愛したことを後悔してない。でもね、夫が勘ぐったようなことはなかったわ。私は彼を愛していたけれど、私たちはただ、お互いを見つめるだけだった――どうしてもそれ以上前に進めなかった。……私はやっぱり、あの人の人形だったのかもしれませんね」


それから、先生の方へ向き直り、

「あの……ありがとうございました。あなたは全部知っていたのに――」

 そうして彼女は改めて先生に感謝するように、


「私、貴方を誤解してました。魔術の事件に乗り出してくるのは魔術の研究のためで、捕まったら晒されるだけでなく、何かの実験に使われるのかと思っていました。そして、自分が朽ち果てていくのを見られていく……」


 なるほど、身近にいるイーガンのこともあって、捕まったらいろいろと弄繰り回されることもまた彼女の危惧だったのか。まあ、普通のヒトから見れば魔術師なんてそんなものだろうし、ましてや彼女にとってはなおさらそうだったのかもしれない。


「とはいえ貴方という死者の蘇りという現象は、失われた古代の技術として興味のある人間はいくらでもいると思いますよ。しかし、それは私の望む真理とは違うものだ」


そう答えた先生は、彼女の姿を刻み付ける様に、じっと見つめているようだった。


「カーディアスさん、答えてください。この主人の部屋に、私にかけられた魔術を解くような手掛かりが残っていますでしょうか? 形を保ったまま、ただの死体に戻る手掛かりが――」


 彼女は、それを求めてこの部屋を訪れたのか――。しかし、先生は首を振る。

「イーガン氏が古代書を焼いた以上、詳しいことは私には分かりません。あの魔術陣からいえることは、人の形を失うことでしか、あなたの呪縛を解く方法はない」


 先生の声はいつもの飄然としたものではなく、どこか悲痛な調子を帯びていた。


「そうですか。では、私がこれからすることを見届けてくれますか? 眠ることができれば、そのまま目覚めることはないのかもしれない――そう思ってあの薬を飲んだのですが、やはり、眠れませんでしたね……」


 ダフネは少しおどけるように笑い、先生はそれに応えるようにして、ただ静かに頷く。そして僕を促し、彼女を部屋に残してイーガンの離れを出た。


「ちょっと先生、何を――」


 そう言っているうちに、何か焦げ臭いにおいと煙、やがて火の手が離れから上がった。


 そして、僕は警部たちを遠ざけた先生の行動が、彼女にこうさせるためのものであったことに、今更ながらに気がついた。ここへ戻ってきたことも、本当は推理うんぬんよりも、せめて僕たちだけで彼女を見送ってやろう、ということだったのだ。


 炎は勢いを増し、禍々しき男の情念が詰まった小屋を浄化するがごとく、飲み込んでゆく。月の笑い声は、いよいよ激しくなっていくようだったが、その声はどこか悲しんでいるようにも、憐れんでいるようにも聞こえ、まるで一つのレクイエムのようだと僕は思った。


 パチパチと、はぜる火の粉が月に向かって飛んでゆく。炎の明かりは、目深にかぶるシルクハットから、嘴だけが飛び出たような先生の、その決して表情をうかがうことのできない顔を明々と照らしだす。


 僕と先生は黙ったまま、その葬送の炎を見つめるばかりだった。

                                ――END


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