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月笑と人形  作者: 上山烏頭
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前編

 先生と僕が、その家に着いた時、月の笑い声はいよいよ激しく、そして甲高くなっていた。鎌のようなその三日月は、まん丸の目をキョロキョロさせ、大きく裂けた口は引き攣った様に吊り上がり、闇夜にその狂った笑い声をまき散らしていた。


「まったく、月笑期の真っただ中に事件だなんて、勘弁してほしいですね」


 僕は両手を耳に当てつつ、だらしなく笑い続ける月を恨めし気に見上げながら、声を張り上げる。まったく、五月蠅いったらありゃしない。


「そうは言っても、あと一日の辛抱だよ。月が笑うのはたったの三日間。大昔は一週間だったというから、この月もだいぶ元気がなくなったものさ」

 先生は僕のこぼす愚痴を軽くいなすように言う。


「一週間って……僕には考えただけでもぞっとしない話ですよ」

 この世界において、僕が難儀しているものの一つがこのバカ笑いする月なのだ。頭の中にジワジワと分け入ってくるような――さらに、裏側の襞まで舐めまわされているような不快感がたまらない。


 この笑う月は、月に三日間だけ、連夜にわたって狂ったように笑い続ける。何時、それが始まるのか、という特定の期日、その前兆はなどは存在せず、常に不定期なのだが、その三日間――月笑期――は月をまたぐことはない。今日はその月笑期の第二日目である。


 この月笑期の期間中、犯罪や事故、自殺の発生件数が格段に増加する。やはり、この笑い声には、なにか心を狂わせるものがあることは間違いない。

 それにしても――。と、僕は先生を横目で見る。こんな五月蠅さの中、先生の声は特に大きな声を出しているわけでもないのに、良く通る。そしてこの耳を聾する狂笑にも、当然のごとく、全く意に介することなく平気な顔をしている。


 ――いや、平気な顔といったところで、僕は先生の顔を一度も見たことはないのだけれど。

 

それはたぶん僕だけではなく、すべてのヒトにも言えることだろう。

天辺が何故か切り取られて、ギザギザの穴が開いたシルクハットに黒い外套というスタイルが、先生のいつもの格好であり、その顔は目深にかぶったシルクハットと、ピンと立てられた大きな襟にうずもれるようにして隠れ、常にうかがい知ることはできない。ただ、シルクハットと襟の隙間から黄色くて長い嘴が、ニュッと大きく突き出されているだけなのだ。


 ――カーディアス・ペリントン卿。これが、この一見して謎めいた先生の名前であり、また魔術研究の第一人者であり、さらにはそれに絡む数々の事件を解決に導いてきた名探偵の名でもあるのだ。

 そして今日もまた、その魔術がらみの事件に、知り合いのガボット警部から助力を乞われたという次第だ。


 帝都の郊外に位置する小高い丘に、事件現場となったイーガン邸がひっそりと佇んでいた。その家はスレート瓦を葺いた石造りのバンガロー風の家で、家の周りには白い玉砂利が敷き詰めてあり、それが月光を受けて一層白く輝いていた。


 魔術の実験のさなか殺されたという、金貸しを生業としていた男の家は、人気のあまりない陰気な場所に立っていて、背後にある糸杉らしき林に飲み込まれそうになっていた。

 糸杉たちは、空気が白銀化するような、まばゆい月光と、その光と一緒に吐き出されるけたたましい笑い声の中、うねうねと全身をくねらせている。枝という枝がねじれ、大きく全体をしならせる姿は、なまめかしい魔性に満ち満ちていた。


 事件が起きたのは目の前の屋敷ではなく、その離れであり、そこが被害者であるイーガン博士の密かな研究室ということだった。僕らは目の前の家を迂回するようにして離れに向かう。離れとはいえ、なかなか大きな小屋で、入り口にはちょっとしたポーチがある。


 木製の古びた階段を上る先生と僕。ドアの前に立っていた警官が、先生に声をかけてきた。

「お待ちしておりました、カーディアス卿。ご協力、感謝いたします」


 黒猫の青年巡査は、やや緊張した様子で先生に敬礼し、逆に僕のほうには胡乱な視線を向ける。

 僕を見るのが初めてだとすぐに分かる。とはいえ、僕自身はそのような視線を向けられることについて、あまり気にはしていない。むしろ、会うヒト会うヒトがみな同じ様な反応なので、逆に面白いというか、僕からしてみれば動物顔の連中のほうがおかしいので、そいつらを驚かせているということが一種、痛快ですらある。


 しかし、そんな僕が先生の助手だと聞くと、ああ、なるほど、と妙に納得されてしまうのだから、先生はやはり、よっぽどの変人なのだろう。一部のヒトは、僕が先生の造った黄色いゴーレムか何かだと本気で思っているようだし……。うーん、なんかちょっと悔しい……。


 僕らは、そのまま黒猫の巡査に現場まで案内される。彼の説明によると、事件現場は被害者である、イーガン氏の書斎ということだった。

「それから、部屋は密室状態だった、ということだね?」

 先生が確認するように言い、青年巡査も頷く。


 確かに書斎のドアは、斧か何かで無理やりこじ開けられたらしく、無残な有様になっていた。


 部屋の中は、猫の巡査が言ったように鼻を衝く刺激臭が強く残っているようで、僕は顔をしかめる。部屋には、魔術の研究に取りつかれていたということで、得体のしれない道具であふれかえってるのかと思っていたが、そういうものはほとんどなく、ただ古臭い書籍で囲まれた、黴臭い棺桶みたいな部屋だった。


「おお、カーディアス卿。お待ちしておりましたぞ。いつぞやのゴーゴンの首事件以来ですな」

 帝都警察機構の主任警部であるガボット警部が、入ってきた僕らを目にとめて、そのブルドッグ特有の厳つい顔を綻ばせる。といっても、凹凸の激しい顔面にうずもれる表情の変化をとらえることはなかなか難しいのだけれども。


「いやはや、まったくもって厄介な事件でして……しかも月は五月蠅いわでいやな時期に起こったものですなあ」

 退化して、他のヒトより少々鼻が利く程度らしいのだが、犬らしく事件の残り香から何かを探り出そうとするようにスンスン鼻を動かす警部は、トレンチコートに身を包んだ幅のある巨躯を、大儀そうにゆすりつつ、会ってそうそう愚痴をこぼしてくる。


「どうやら、魔法が使われた、ということでしたが……」

 先生が切り出した言葉にガボット警部は、そうです、と首をぶるぶる縦に動かして、

「被害者は魔法を研究しとったとは聞いとるでしょうが……どうもその、自分の研究していた魔法によって死んだというか……殺されたみたいなんですな」

 警部の言い方は、どうも要領を得ない。

「とりあえず、現場を詳しく見せてもらえますか」

 先生の言葉に警部も頷き、僕らを部屋の左側へと案内する。


「だいたい、やるべくことは終わってまして。遺体のほうも、もう運び終わって解剖のほうはこれからですが、簡易的なものは終えてあります」

 警部のいうとおり、被害者の遺体らしきものはなくなっていて、抜け殻のような白墨の人型がその痕跡を留めているに過ぎない。


 人型が横たわっているのは、ドアから入って左右に長く伸びる部屋の左側――その壁際にコの字型の大きな机が押し当てられるように据えてあり、遺体は机を前に、顔をそちらに向け、右手を下にして横たわっていたらしい。乱闘の後なのか、机の上に積み上げられていたらしい本や紙束の塔が崩れ、一部が床に散乱している。


「見ての通り、ここでイーガン氏が胸を部屋にあった小刀で一突きにされとったんですよ。死因はその一刺しによる内出血性のショック死。死亡推定時刻は今日の午後六時から八時までの間。この家からの電話で通報が入ったのが午後八時に十分ほどです」

 てきぱきと警部は説明をしていく。普段はとんでもない、どら声だみ声なのだが、こんな月の笑う晩にはちょうどいいくらいになっていて聞きやすい。


 僕は腕時計に目を落して、時刻を確認する。午後十時三十分過ぎ――。通報はは今から二時間ほど前か……。

「発見者は?」

 先生の短い問いに、

「イーガンの甥の、ダイアンという教師をしとる男と、イーガンの妻、ダフネです。なんでも甥のほうは、イーガンに八時に来るよう呼び出されていたらしいのですが、本人は何故呼び出されたのか分からんと言っとりましてな」

「他にこの家に人はいるのですか?」

「いえ、奥さんとイーガンの二人だけですよ。奥さんはイーガンの甥と一緒に本邸の居間にいてもらっておりますよ」


 そこへ、先ほどの猫の巡査が部屋に入ってきた。

「警部、写真ができました。どうぞ」

 それから先生にも同じ写真が一枚渡される。僕は横から先生に渡された写真を覗き込む。イーガン博士は灰色がかった毛色の年老いた猫だった。先ほど警部から聞いたとおりに、小刀を胸に食い込ませたまま体を横たえている。口はだらしなく開かれていて、やや落ちくぼんだ眼窩に収まる濁った眼は、死んでいるからということを割り引いたとしても、なんだか怖いというか、何か一種取り憑かれたような者の眼のように見えた。


 死者に対してこう思ってしまうのもなんだけど、どうもあまりイイヒトじゃなさそうに見えてしまう。まあ、隠れて魔術の研究をしているとなると、この世界でも胡散臭いことこの上ないのだから。

 この世界には、魔術というものが存在してはいる。しかし、それはもう古代の遺物という感じで、この世界の住人にとっては身近なものというより、禁忌であり、忘れ去られようとしているもの、という代物なのだ。


 今は蒸気機関やそこから生まれる電気に代表される、科学万能が謳われる時代――科学がもたらす高い汎用性による、公共性の高い利便さが、人々に広く行き渡り始めている時代。どこか閉鎖的な師弟関係の中で、時間をかけて習得し、使いこなすのにも多大な労力を要し、かつ効果が限定的だったりする魔術は、今のヒトビトにはあまり顧みられることのない、失われつつある技能となっている。

 しかも、科学に押された一部の魔術師たちが、組織だって科学者を暗殺するなどの行為に及んだり、魔術で殺人を請け負ったりしているケースが横行してもいて、魔術というものはどこか後ろ暗いものであるという状況が加速している。


 とはいえ、魔術が忌避されるなかでも――いや、だからこそなのだろう、限定的に受け継がれる古代の力、というものに魅せられる者は少なくない。魔術という力を崇め、ある種の究極の力を得たいとする組織が裏の裏で淀んだ川のように連綿と存在していたりするのも事実だ。


「あの、胸の小刀以外には、特に外傷はなかったんですか?」

 僕の質問に警部は短く、

「ああ、それ以外は無いな。多少もみ合った形跡はあるが」

「ええと……じゃあ、奇妙なことってなんなんですか?」


 死体は首を切られたり、奇妙な装飾を施されているわけではないし……。まあ、魔術に関する殺人だからと言って、変な死に方をするわけではないけれど。特に魔術による計画的な殺人ほど、魔術を思わせないように犯人は腐心するものだ。むしろ、奇怪な殺し方ほど魔術師などに罪を着せようとするケースが多い。


「まずは……君は入口のドアを見ただろう?」

「ええ、無理やりこじ開けられてましたね。おそらく、鍵がかかってたんですよね」

「なら、この部屋を良く見てみるといい。この部屋にはドアのほかに開放部と言えば、まずはあの小さな窓……」


 警部が指し示したのは、被害者が横たわっていたそばのコの字型の机――その接する壁の上に開けられた小さな窓だった。横にスライドさせるもので、警部の言う通り小さい。

「鍵はあいていたんだが、見ての通り、小さくて首は通るかも知らんが、通り抜けるのは無理だ。かなり小柄な部下で試してみたが、やはり通り抜けられなかった」


 そして警部は、今度は窓の開いている壁とは正反対の、入口から見て右側のほうを指さして、

「もう一つはあそこにある暖炉だ……しかし、そこからのびる煙突を通った形跡はなかった」

「それじゃあ……もしかして、この部屋は密室状況だったってことですか?」


 僕の問いに、不完全ではあるがな……と警部は補足すると、さらに、

「まあ、発見者が嘘をついていなければだが……」とさりげなく付け加える。

「でも、密室殺人といっても、それが即魔術による仕業だってことはないでしょ」

 むしろ魔術を思わせるための、そうじゃないケースのほうが多いくらいだ。


「そんなことはわかっとる。いいから、質問ばっかりじゃなしに部屋をよく観察してみろ、毛無し猿君」

 警部が少々呆れ気味に突き放す。確かに、部屋をよく見渡しさえすれば、それは明らかになったのだ。とっくの昔に気づいていた様子の先生が、それに近づいていく。


「ふむ、魔術陣だが……焼け付いているようだね」

「確かに、焼き付いてますね……」

 僕もまた先生の後を追うようにして、床に描かれた魔術陣へと足を運ぶと先生の背後からそれを覗き込む。


 魔術陣は部屋の中央より、やや暖炉側の床に描かれてあった。僕には、ただただ解読不明の妙な文字記号で形成された、一見しただけでえらく手が込んでいると分かるそれは、カシ材の床に黒く焼き付いていた。


 ――なるほど、これほど明確でわかりやすい痕跡もないだろう。魔術についての知識がそうない僕でも分かることだ。魔術陣が焼き付いているということはすなわち、魔術陣による魔術――法陣魔術が使用された証拠なのだ。古代の文字と記号を用いて魔術を発動させる法陣魔術は発動した場合、描かれた魔術陣がそこに焼付く。


「これ以外の魔術が使用された形跡はありませんかね」

 ガボット警部が先生に確認するように言う。先生はしばらく黙ったままだったが、


「……ないですね。呪文のみによる、明らかな証拠を残さない魔術でも、分かる人間には臭いのようなものが、微かにですが残るものです。それはいずれ消えてしまうものではありますが、そう簡単に消えるものでもないんですよ。事件からあまり時間もたっていませんし他の魔術が使用された形跡はないでしょう」

「そうですか……。となると、やはり面倒なことになりそうですなぁ」

 警部はそうぼやく。いったい何がどう面倒なんだろうか。


「この魔術陣についてのイーガン本人の覚書のようなものの一部が見つかったんですがね、それによると、この魔術陣は受志法陣というシロモノらしく、なんでも、モノに意志を与えて動かす魔術だそうで……」

「なるほど、道理で“糸繰りの手”がここに組み込まれているわけか……」

 先生は描かれた記号の一つを見ながら独白するように言う。それから警部のほうを見るとそれで、と先を促す。


「奥さんや甥の証言から、どうやら被害者はこの魔術の実験で、人形を動かそうとしていたみたいなんですな。そして、そこにある二体の人形が、博士が実験に使用していたらしいモノなんです」

「人形をね……」先生が相槌を打ち、僕は「まさか、もしかして……」と呟く。


 確かに、魔法陣の周りには二体の人形が置いてあった。やけに精巧な作りで、一体は年老いた狐、そしてもう一体は太った壮年の犬の人形だった。それぞれ服装も整えてある。


「覚書によると、魔術陣による効果の或るモノは魔術陣一つにつき一つ、というわけだそうで。そしてこの現場で、魔術陣による魔術が使用されたのは一回。二体のうちのどれか……」

「つまり、その一体が被害者を殺害したと……?」


 先生の言葉につられるようにして、僕はその二体の人形をまじまじと見やる。どれもが等身大らしい大きさで、年取った狐はあおむけに寝かせてあり、壮年の犬はぐにゃりと、くずおれる様に座り込んでいる。どれもが糸の切れた人形といった様子で、動くような気配はない。もしかしたら、魔術の効果はもう切れてしまっているのかも知れない。


「でも、これっていわゆる事故死かなんかじゃないんですか?」

 僕には魔術の実験中の何かの手違いか、失敗などによるものにしか思えないのだが……。


「どうやらこの魔術は……モノに与える“意志”を、そのモノの持ち主に依っているようだね……その効果は人の形をとっているほど高く、そして持ち主とは、そのモノを一番長く所有していた者、ということになるらしい」

 魔法陣を観察して、ある程度内容を読み取ったらしい先生が、ぽつりと言葉をこぼす。


「どういうことなんですか?」

 僕の質問については警部が答えた。


「与えられたモノの意志は、そのモノを一番長く所有していたヒトの意志を反映するということだ。そしてそのモノはヒトの形をとっていることで効果を最大限に発揮するわけだ」

 どうやら、それも覚書とやらに書かれていたことらしい。


「それがいったい……?」

 僕が分からないといった風に首をひねると、警部は察しが悪いなという風に鼻を鳴らして、

「この人形は被害者の持ち物じゃないんだよ」

 そして先生のほうに向きなおり、報告を続ける。


「どうやらこの人形はですな、被害者のイーガンが知り合いの姿に似せて人形師に作らせて、それぞれをその知り合い二人にしばらく持たせ、それを今度の実験に合わせて集めたらしいというわけです。ですから……」


 ようやく僕にも話が見えてきた。

「つまり、この人形を持たされていた二人の内、どちらか一人が被害者への殺意を持っていて、自分の似姿である人形に、被害者の魔術を利用する形で、殺意を込めることで被害者を殺した、と」


「人形を持たされた二人は、イーガン氏の魔術について、ある程度説明を受けていたわけですね?」

 先生は警部に確認し、警部も頷く。

「まあ、そうです。説明なしにいきなり、人形を押し付ける訳にもいかんですからな。こういう魔術の実験をするんで協力してほしい、ということだったそうです」


 なるほど、確かにこうなってくると、犯人が被害者の魔術の実験を利用する形で、遠隔殺人を行ったという可能性は否定できないわけか。いや、むしろ高いといっていいだろう。

 自らの手を下さずに、殺す意志さえあればよいのだから、犯人にとっては僥倖だったのか、はたまた悪魔の囁きだったのか……。


「しかし、この人形、どれかに意志が宿って動いてたにしろ、もう動いてないみたいですね。どうなっちゃったんでしょうか」

 僕は先ほど浮かんだ疑問を口にする。


「魔術の効果が早々に切れる形式だったのか……魔法陣を見る限りでは判断は少し難しいね。これはかなり古い形式のものだし……。警部、魔術の効果の持続性などについて、被害者は書き残してましたか?」

 先生の言葉に警部は、

「あ、私がいちいち説明するより、先生に実際に見てもらったほうが早いですな。ははは……」と、少しあわてた様に持っていた紙束を先生に差し出す。


 先生がその紙束を静かにめくっていく――しばしその音だけが沈黙の中を流れていった。


「フム……どうやらこの魔術は、被害者が一から組み上げて創ったわけではないようだね。基になる古代の魔術書にあった禁術を解析して、再現するようなものだったらしい。魔術の持続効果については……書かれてはいないな。本人にも実験してみなければ分からなかったのかもしれない」


「でもまあ、実際のところ、動いてないってことは、効果が切れちゃったってことなんじゃないんですか?」

 僕は気楽に言ってみるが、先生はどうだろうとかぶりを振って、

「ただ、動かないふりをしているだけなのかもしれない」


 その言葉に、僕は少しぎょっとして、二体の人形に改めて目を向ける。がしかし、それらはやはり、ただのモノとしての沈黙を守るばかりだ。


「警部、基になった古代書を見てみれば、何か詳しいことが分かると思うんだが」

 先生はそう、警部に催促するのだが、警部はそれが……と、言葉を濁す。

「それらしいものは見つかったんですがね……暖炉の中で」


 そして、部下の一人を大声で呼びつけ、暖炉の中から発見したという古代書とやらを持ってこさせた。茶色い厚手の、皮みたいな紙にのせられたそれは、ほとんど黒焦げで、厚めの表紙の一部がかろうじて残っている程度だった。燃え残りの断片にある奇怪な文字やら記号やらで、僕にもそれらしいものだということが分かる。しかし、こうなっては最早何が書かれてあったのかはわからないだろう。先生も、


「これでは何もわかりませんね……それに、こうも損傷が激しいと今の魔術の技術では、修復は難しい……これでは魔術陣の本来の詳しい構成もそうですが、そもそも法陣魔術を発動する際の呪文が分からないので、魔術の再現も同様に困難です」


警部は古代書の修復について、少し期待していたようだったのか、残念そうな顔だった。しかも魔術の再現についても当てが外れたようだった。

 高度な古代の魔術については、伝承が途絶えていたりして、不明なことが多く、先生でもなかなかすべてを把握しきれていないところが多いいらしい。物を修復することについては、割れたものをくっつけるならともかく、失われたものを再現するとなると、もともと魔術でも不可能に近い。


「あと、これは……鋏のようですね」

 先生が証拠品の古代書の燃えカスと一緒にのせられていた鋏に気づく。鋏は、柄の部分が木製だったらしく、真っ黒に炭化してボロボロになっていた。


「ええ、何故かこの鋏も、古代書と一緒に暖炉の中で燃やされとったんです」

「他に何か、暖炉で燃やされてきたものなどはありましたか?」

「他には、布のような――布巾か何かみたいなものが燃やされていた跡もありました。暖炉の中についてはそれだけです」


 フム……鋏に布巾か、と先生は考え込むように、長くて黄色い嘴を人差し指と中指でしごいている。


 僕もまた、考えてみる。何故、鋏が暖炉に放り込まれていたんだろうか。凶器に使われた小刀はそのままなのに。古代書が燃やされていたことも気になる。しかし、なんでまた鋏やら、布巾やらを燃やしたのか? 燃やしたのは博士だろうか……それとも人形の方だろうか。どちらにせよそんなことをする理由がにわかには思いつかない。


 それからしばらく、先生は考え込むようにしながら、部屋の中を歩き回り、暖炉を覗き込んだり、人形たちを観察する。そして、人形のほうを、常にはめられ白い手袋の手でいじ繰り始めると、分解するがごとくひとしきりいじり続けると、


「この人形、見た目は新しく作ってるようだが、外装をそういう風に塗装などで装ってるだけだね。実際に使ってる材料はだいぶ古い」

 そんな割とどうでもいいことを発見した他は、特に何かを見つけるということもなく、

「現場は一通り把握したわけですし、今度は関係者たちを聴取してみましょうか」


 そう言って先生は、割とあっさり部屋の検分を切り上げた。警部のほうも、

「そうですな。イーガンの妻と甥の他に、被害者に人形を持たされた二人も呼び出していて待たせておりますし。あまり待たせる訳にもいかんでしょう」


 そう言う警部とともに、僕と先生は離れを後にし、本邸へと向かった。


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