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008

「兄さん、一緒に昼食でも食べましょう」

 それは昼休みの鐘が鳴り終わった後、昼御飯をどうしようかと悩んでいた時のことだった。望の前に現れた少女が唐突にそう言ったのだ。虚を突かれた望は一瞬言葉を失いやっと返した言葉は、


「はぃ……?」


 というたった一言だけだった。

「……ですから、一緒に昼食でもどうですか、と。『兄さん』」

 眞白はわざとらしく語尾を強めた。望は訳が分からなかったが、男子生徒からの殺気のこもった視線を感じると、何も言わずに「あぁ……」と頷いて逃げるように眞白の後に続いた。

(もう嫌だ、この視線……)

 心が折れそうになるのを必死にこらえ、望と眞白は廊下へと出た。途中でセフィリアと出くわしたため、望は一緒に昼食を取ることを提案した。後ろにいる眞白が軽く「チッ……」と舌打ちをしたことなど望は気づくことなく。

「なぁ、眞白……。なんで僕なんかを誘ったんだ?」

 昼食の弁当を売店で買い、屋上へと向かっていた時に望はふと眞白に誘った理由を訊いた。訊ねられた眞白は、額に手を当ててつつ大きなため息をついた。

(いやいやいや。何故そこでため息? 僕は何かトンデモナイコトをしたのか?)

 眞白の鋭い眼光に一瞬怯えを見せた望だった。だが、そんな望を尻目に、

「望って鈍感だよねぇー。そう思うでしょ、眞白っち?」

 後ろで聞いていたセフィリアが肩を竦めて眞白に同情する。望はなぜ「鈍感」だと決めつけられることができるのか声を大にして問いただしたかったが、そうすると食事の時間がなくなると判断したので諦めて粛々と受け流すことにした。

「いえ、別にこれと言って大した理由はないのですが……。『鈍感な』兄さんのこと以外で、強いて挙げるのであれば、『クラス中の男子生徒』に一緒に食事でもと誘われていたのに辟易していたということでしょうか」

 さらりと眞白が言ったことだったが、望は内心どきりとした。

「いや、クラス中の男子生徒から、って……。眞白、実はそれってある意味……」

(桃色展開じゃない? ハーレムじゃないのか? それって)

「あぁ、そう言えば昼休みになるまでに何通か手紙をもらいました」

「「えええぇぇぇっ!」」

 まるで今の今まで忘れていました、と真顔で言いそうな眞白に、二人はビクリと身体を跳ね上げ、驚愕をあらわにした顔を彼女に向けた。

(いや、確かに〝お嬢様〟っていう感じで、清楚系っぽく見えるからそのテに目がない男からはモテるだろうなとは思っていたけど……)

 まさかクラスの男子生徒全員から熱烈なLOVEコールがかかるとは、望自身思ってもみなかったことだった。

(というより、メチャクチャ手が早くないか? 男共はそんなに飢えてるのか? 意外とこの学校の男って肉食系?)

「へぇー。眞白っち、モテモテじゃん」

 後ろのセフィリアがにやにやと笑う。その瞳には「どーなのよ? 『兄貴』として」という言外の意図が感じられた。

「まさかこれほどとは……」

 望の言葉に眞白はニヤリと口の端を持ち上げ、


「――でも、結局全部お断りしましたけど。手紙も読まずにゴミ箱行きです」


「うわあああああぁぁぁぁぁっ……」

「あはは……まぁ、仕方ないよねっ! キョーミないんだし!」

 眞白の淡泊過ぎる物言いに、望は震えた。セフィリアは意地悪な顔を浮かべて笑っている。

 セフィリアが親指を立てて「眞白っち、グッジョブ!」と言っているのは謎として、望はなんだか必死の思いで手紙を書いたであろう、名も知らぬ男子生徒達のことがひどくいたたまれなかった。

(アーメン神様御愁傷様。ちなみに骨は拾わないけど)

 そんな事を思いながら、望は弁当の容器を片付けた。



「なぁ、眞白……どうしてゼウスは〝撰択の儀〟なんてことを始めようとしたんだ?」

 昼休みが半分ほど過ぎ去った頃。昼食の弁当を食べ終え、屋上のアスファルトの上に寝そべった望は、この〝撰択の儀〟の運営者――眞白に理由を訊ねた。望の目の前には抜けるような青空とゆったりと動き続ける雲が広がっている。

 望はずっとそれが引っ掛かっていた。

 たとえ世界が無数に分かれても、どれほど世界の管理が難しいとしても、ヒトはあらゆる可能性を〝撰択〟できることに変わりはない。それが結局は愚かな撰択であったとしても、そこからさらに可能性は分岐し、いくら世界が消えてもまた新たな世界が生まれるのだから。

「これは私の想像ですが……」

 箸を進めていた眞白がそう前置きをして、手を止めて望を見やった。セフィリアは望と同様、座ったまま青空を眺めている。


 ――きっと、ゼウスを始めとする「カミサマ」と呼ばれる存在達は、人間を造ってしまったことを「後悔」しているからではないかと思います。


 本や新聞の記事を読み上げるように、眞白の口調は穏やかで滑らかだった。

「神は自分に似せた『人間』という存在を造りました。人間を観察し、管理することによって、自分達の居場所が平和に暮らせるように。しかし、人間は愚か過ぎた(・・・・・)。だから後悔し、今回の〝撰択の儀〟が出来たのではないでしょうか」

「う~~ん……。きっとそれもあるだろうケドね……」

(しかし――本当にそれだけなのか?)

 どことなく煮え切らない表情で、望はおもむろに口を開いた。

「でも、僕はもっと根本的なトコロで後悔とは別のものがあるんじゃないかとも思えてならないんだよ」

 それは、料理に使う一つまみの隠し味のように。身体に残ったほんの小さな古傷のように。望の心中では小さな、しかしそれとは気づかれないが着目すべき重要なことがあった。

 望は誰とも言わず、ただ青空を目の前にして自分の思いを告げた。

「確かに、眞白の言ったことも真実だと思う。僕がいるこの世界でも、日々戦争は繰り返され、同じ種であるはずの人間の血が流れている。また、戦争が起きていなくとも経済戦争と言ったらいいのかな? 国同士で醜く愚かなカネを巡る熾烈な競争が今、この瞬間にも起きている。

 カネという権力の魔性に取り憑かれ、

 ヒトを勝ち組と負け組という二色に色分けし、

 自分の利益のために平気で他人を踏み台にし、

 『悪』と決めた途端にヒトは兵器を使って大地を鮮血で染め上げる。……だから、人というものは、『欲望』と『愚鈍』と『冷血』でできていると思うんだよ」

 望は今までの自分を振り返りながら淡々と言葉を紡いだ。

 両親を見て感じた――人の持つその冷血さ。

 テレビやニュースで流れる大人達を見て感じた――自己保身に走る大人達の愚かさ。

 自分を虐めて楽しむ相川を見て感じた――貪欲な欲望。

「僕はこんな風に考えているから、ゼウスのような人間を見下す言い方や考えかもすんなりと受け入れることができた。……だけど、僕はこうも思ったんだ」

 カミサマは人間に後悔の念を抱いた。

 人間はカミサマを信じなくなった。

 しかし、そこで考えをあえて逆転させる。


 ――ゼウスは〝カミサマ〟である自分にも「後悔」しているんじゃないだろうか、って。


「カミサマでることに後悔……ですか?」

 眞白が訝しむように眉を寄せた。その蒼い瞳は望の眼前に広がる澄んだ青空よりも暗く、そして深い。

「そう――。何故なら、神様と呼ばれる存在は人間に対して〝何もしない〟存在の代表みたいなものだから」


 たとえ人間が泣いて喚いて許しを乞うことがあっても、

 たとえ人間が「神の奇跡だ」と喜ぶことがあっても、

 たとえ人間が「神のために」とその身を捧げても、


 結局のところ――カミサマは何もしない。


「ただ人間が騒いでも、きっとゼウスにとってみれば『迷惑』以外の何物でもなかったのだろうね。自分達は何もしていないのに、ただ見ているだけでしかないのに、勝手に祀り上げられてしまうのだから。多分、そんな風に人間に『絶望』したからじゃないかなって……。あぁ、別に眞白やゼウスの存在を否定しているわけじゃないからね。念のため」

「確かにそうなのかもね……。神様は何もしてくれない。私も……」

 セフィリアの声が哀しげに、しかし優しく屋上の空間を包む。望には彼女の言葉の意味は分からなかったが、彼女の声は誰にも聞こえず、ただ青く澄んだ空の中へと溶けて消えていく。望の前に広がる青空が、やけに目にしみた。



 セフィリアは出会ったときから望のことが不思議で仕方がなかった。

 鈍感で、何事にも臆病で、諦めが早くて、頼りない。

 だけど――


 なぜだか惹き付けられる。


 どこか達観としていて、誰の意見でも受け入れる優しさがあって……だけどもしっかりとした自分の意見も言える。

 セフィリアが出会った男達は大抵二つのパターンに分類できた。

 自分の欲望のため、野望のためにひたすら努力する男と敗者として悲惨な人生を送ることを受け入れた哀れとも思える男の二つに。

 セフィリアは自分の世界で「娼婦」としてそういった男たちと出会い、話をした。

 はっきり言えば、セフィリアはいつでもどこでも切り替えできる。

 ――表の顔と裏の顔。

 表はどこでもいつでも(あか)ぬけた、「明るく活気のある」顔。そして、裏は醜く愚かで何かどす黒いものが渦巻いているときに見せる顔。どちらも自分で、どちらも本当の姿――セフィリア=キャンバロットという女はそんな人間なのだ。

 それを彼――希坂望は平気で受け入れた。

 無償で、代価を求めることなく。

 自分が傷つくことを恐れることもなく。

「セフィリア、君っていつも『無理してる』ように見えるんだけど……それって僕の気のせい?」

 それは唐突に言われたことだ。セフィリアが望の世界に来た初日、あの屋上での一件の夜、に望が居間で夕食後の片づけをしていた時のことだった。

 幸い、眞白は風呂に入っていたため望の言葉は聞かれることはなかったが、セフィリアはひどく動揺した。

「そう……かな? でも無理してるって、なんで?」

 努めて明るく、表の顔で応じる。悟られないように、慎重に慎重を重ねて。

 望は顎に手を当てながら、

「うーん……『なんで?』って訊かれると困るんだけど……」

 そう言いながらも、望は自然にこう言い切ったのだ。


 ――だって、「明るいだけの人間」っているわけないじゃない?


 そんな望の言葉が雷のようにセフィリアを貫いた。

「昼に言ったでしょ? 『人間って《欲望》と《愚鈍》と《冷血》でできている』って。確かに明るい人もいるけどさ、それって他人に『私はこう見られたい』っていう自分の欲望からきてるんじゃないのかなって僕は思うんだよ。よく、『人にはプラスとマイナスの二面性がある』って言うんだけどさ、僕はそれも一つの意見で納得できる部分があるとは思うんだよね……。それって受け止められ方の問題なんじゃないのかなって」

 自分は自分……それは表も裏もない。ただ単に受ける側の人間が〝二つの側面がある〟と受け止めるのだ、と。望は自虐的に笑いながら、「まぁひねくれた考えだけど」と言った。

 セフィリアは確かにひねくれてるかもね、と笑いながら返したが、自分の皮がはがされるような気がしたのは確かだった。事実、自分の振る舞いはその通りなのだから。

(望は私の心をかき乱す――)

 彼がセフィリアの本当の姿を知った時、自分のことをどう思うのだろう。

 セフィリアは望が今まで寝ていたベッドの上でごろりと身体を傾ける。望は「女の子が一緒だと落ち着いて寝られない」と言い、居間のソファで静かな寝息を立てているはずだ。

 眞白は「定時報告です」といってゼウスのいる元へと帰って行ってしまった。

 カチコチと時計が時を刻む音だけが部屋の中を支配している。

 セフィリアは判定者として選ばれた時、すぐさまこう思った。


 ――必ず私の世界を残す。


 それは相手の判定者を殺すこと。それがこの〝撰択の儀〟における最大のルールだ。

 セフィリアは世界を残すためならどんな事でも行うつもりでいた。

 理由は簡単だった。なぜなら〝生きたい〟から。生きていれば何でもできる。時間はかかったとしても、自分の夢を叶えることや、欲望を満たすことができる。だから生きたい。

 そう彼女は思っていた。それがたとえ――人を殺すことであったとしても。

(だけど……)

 望と出会い、触れて、話して変化が起きた。実際に望の世界に来て、変わった。


 この世界には〝あの制度〟がない。

 だからこの世界はこれだけ〝平和〟なのだろうとセフィリアは思ったのも事実だ。

(私と望、どちらの世界も残すことはできないのかな?)

 セフィリアの思いは誰に届くわけもなく、ただぐるぐると(まわ)って底へと落ちて行った。

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