000-プロローグ
東の空が帯状に白く染まり、夜が明ける。
時を同じくして窓の向こうから聞こえてくる雀たちの鳴き声が、騒がしいを通り越して姦しい。そんな誰もが行動を始める朝のはじまり。
ビジネスマンならスーツに身を包み、会社へと向かう時間。
学生なら制服に着替え、今日も今日とて社会で役に立つかどうか分からない授業を受けるために学校へと向かい始める時間。
そんな誰もが清々しい朝陽を浴びながら『おはよう! いい天気だね』などと挨拶を交わす一日の始まりの時間。
そんな中で、僕は――
「最悪だ。もう激しく鬱だ……」
果てしなく絶望していた。テンションなんてものはとっくに最低ラインを割っている。
朝が来る度、その陽光で目を覚ます度に僕はそう呻く。いや、もう本当に冗談抜きで、頭を抱えたいほどに。
(身体が重い……)
太陽が昇る。それは紛れもなく一日が始まる事を告げる始まりの鐘だ。
けれども、一日の始まりを告げる朝の太陽は、僕にとってみれば、それは死刑囚にギロチンを落とす処刑人に見えて仕方がない。
「朝なんてこなければいいのに」
カーテンを開け、輝く太陽を見た僕は、いつも苦虫を噛み潰したような顔をする。ため息とともに出た言葉が、部屋の中を踊りながら消えていった。
ベッドを離れ、部屋を出た僕は、あくびを噛み殺しながら洗面台へと歩いていった。
(朝なんて来るなよ)
誰だよ、朝=一日の始まりだなんて定義したヤツは。……ちょっと来い。小一時間ほど問い詰めてやるから。膝詰で。
清々しい爽やかな朝など、僕は生まれてこの方一度もそんなことを思ったことなんてない。
輝く太陽には悪い気がするが、お前ははっきり言って殺意が湧くほど憎い存在でしかない。
「はぁ……。支度しよ……」
ぼそりとそんな言葉を呟きながら、僕は学校へ行く準備を始めた。
鏡の向こうには、死んだ魚のようにどこか濁った眼で見つめ返す僕が立っていた。
◆
僕は、この世界と人間という生き物――簡単に言えば、《現実》に〝絶望〟している。
言葉は悪いが、現実に住まう人間なんてクソ喰らえだ。
奴等は醜く、貪欲で、狡猾な生き物だと思う。
確かに、外面は菩薩のように明るく優しく見えているかもしれない。誠実で潔癖で、気品溢れる人もいるのかもしれない。
しかし、腹の中はぐつぐつ煮え切った、ドロドロと渦巻く何か黒い液体で満たされているに違いない。切実にそう思う。人間には隠れた本性がある。その人の根っこの部分や思惑なんてものは、所詮外面だけでは判断できないものだ。
いや、本当に僕にとってみれば現実社会は地獄の劫火みたいに映ってしまって仕方がない。
……だってそうだろ?
なぜなら、
今のこの世界に「平和」なんてどこにもありはしないのだから。
そもそも、大体どこにあるっていうんだよ、そんなもの。だいたい「平和」って何なのさ? 曖昧過ぎて、僕が逆に訊きたいぐらいだ。
ちなみに、「平和」といっても麻雀の『平和』のことではないので注意が必要だ。点数低いけどね。
それはそれとして。
テレビをつければ、今日もどこかで人間同士が血で血を洗う戦いを繰り広げている。日本の裏側で起きたことでさえ、その日のうちに知ることができる現代だ。
まったくもって現代人は便利な世の中に生きていると素直に僕は思う。
(そう言えば……)
以前に、「統計上では、一日に何人死んでいる!」とかなんとか聞いた覚えがある。
それを見て、聞いて驚く人々に、
『よかったね、今までそんな『当たり前』のことも気づかずに過ごしてこれて』
などと微笑みながら僕は言うと思う。オプションで笑い声まで付けてやろうかとすら思える。
まぁ、別に実際に死ぬことが無くても、〝経済競争〟という醜く愚かな代理戦争は、今日もそこかしこで行われているのがこのクソったれな《現実》だ。国家、個人、企業を問わず、今日も誰かから利益を貪ろうと蠢く世界。
まったく、現実は何と、かくも辛く厳しく過酷で悲惨なのだろう。こんな現実を地獄と呼ばずして何と呼ぼう。
明るく楽しく順風満帆な一日なんて、夢のまた夢の、そのまた夢の存在でしかない。
――僕は《現実》に対して絶望している。
いやいや、何悲観しちゃってんの? もっと楽しいことや素晴らしいこともあるって?
ふざけるのもいい加減にしろ。
こんな血で血を争うような醜く腐り切ったこの世界に、どんな楽しいことや素晴らしいことがあるっていうんだ?
机上の曖昧とした理想論なんて、そんなものは幼稚園児のガキにでも言ってろよ。
目の前にある現実を直視しろよ、と僕は言いたい。
しかし、だ。実際問題として、僕はこの《現実》に生きている人間であることには間違いない。今、この瞬間も心臓が一生懸命に全身へと血液を送り出し、筋肉がエネルギーを消費して身体を動かしている。
こんな風に絶望している僕に、「それじゃあ、いっそ死ねば?」などという声も上げる人がいることだろう。
うん、分かる。言いたい気持ちは。僕の胸が痛むほどに(比喩的意味でね)。
だけど、ちょっとだけ頭を回転させてみよう。
――ちっぽけな人間である僕一人が死んでも、世界にとっては何ら影響がないんだぞ?
ただ世界は回り、何事もなかったかのように一日が始まり、そして終わる。
そんなの当たり前じゃん? と大勢の人は思うかもしれないが、これは結構大切なことだ。
今、この瞬間にも死んでいる人がいる。
一方で刻一刻と世界は変化し続けている。
けれども、そんな事にはお構いなしとでも言うかの如く、今日も明日も世界は回る。死んだ人を置き去りにして。
それこそ、馬鹿の一つ覚えのように淡々と。
そんな中で、僕たち人間は、「死へと向かって毎日を生きている」んだ。
「生」があるから「死」があるのではなく、
「死」があるから「生」があるのだと思う。
カミサマにプログラムされたように人は生まれ、時を過ごし、歳月を重ね、そして死ぬ。
やがて死ぬのに、今さら急いで死んでもそれは意味がない。結局その人が死んだことすら、人間は忘れるのだから。
どんなに必死に記憶に留めても、それは風化し、やがては記憶から消えて忘れられる。
だから別に僕は死ぬことに挑戦することはあっても、現実として死ぬことまで至らない。
結局は人の記憶からも忘れられるというのに、今さらすぐに死んだところで、そんなの馬鹿らしくて実行する価値もないのだから――。
「昨夜、スペイン東部で起きた反政府団体と政府軍との衝突は今なお続いており、緊迫した空気が漂っています……。この事態に対し、周辺国では――」
脳がまだ僕に〝睡眠を取れ〟と訴えかける命令を無視してテレビをつけた。テレビの画面に映し出されたレポーターが、必死に現場の様子をスタジオへと伝えている。
画面が切り替わり、現地から送られた映像やレポーターの言葉を受け、
「どうなってしまうんでしょうねぇ……」
などと、さも他人事のように議論を吹っ掛けるスタジオの司会者がテレビ画面の中央に映し出されていた。僕はその画面を見ながら、声の届くことのない司会者へ、言ってやった。
「どうなってるもこうなってるも……。この世界は変わらないよ」
言うなり、僕はパンをコーヒーで胃に流し込み、カバンをひったくってテレビを消した。
◆
「ふわああああぁぁぁ……」
朝の陽光が痛いぐらいに眩しい。僕はイヤホンを耳に差しながら、学校へと続く道を一人で歩いている。音楽を聴きながら、こうしてだらだらと歩いているのは結構好きだったりする。
理由? それはこのクソッたれな《現実》について、少しはマシなことを考えることができるからだ。
(考えてみれば、本当に、つくづく人間は愚かな生き物だ……)
いつもの時間にいつものように電車に乗り込みながら僕はふと考える。
人間は地球という星から十分過ぎるほどの恩恵を受けている。
しかし、その恩を仇で返すように資源を食い潰しながら生きている。
人間は森を切り、空気を汚し、果ては生態系までもイジって壊すのだから。
これじゃあまるで人間に悪さをする寄生虫と同じだ。たぶん両者の差異はそんなにないと正直僕は思う。
というより、もしかしたら寄生虫よりも人間の方が性質が悪いだろう。まるで生物の頂点に立ったという醜いプライドを持ちながら、今ものうのうと生きているのだから。
人間ってそんなに偉いモノなのか?
経済発展という名に包まれた環境破壊は、今もなお、この瞬間にもどこかで続いている。
人間は愚かだから、最近になってようやくコトの重大さに気づいて、「省エネ」とか「エコ」とか「一人一人の意識が地球を救う」などと大々的なキャンペーンを行っている。
しかし、今まで豊かな生活を営んできた人間はその慣れてしまった生活を手放すことなんてできるはずもない。というより、現実的に考えてまず無理だ。
エコ? 省エネ? 一人一人の意識の問題? そんな冗談、本気で言っているのか?
僕は心の中でくすりと笑う。なぜなら、
――《現実》の人間は《欲望》と《愚鈍》と《冷血》でできている。
それが僕――希坂望が出した、この現実への最適解なのだから。
現実に絶望って……。
主人公的にこんなんで大丈夫か? と思ったりもしてます。