母の決断と縁組
エレンの話に戻ります。
疲れたときは甘いものが一番!と手にしていた黒い物を頬張ると、口いっぱいに甘い物が溶けていった。
手にもその溶けた黒いものがついてる。
見た目黒くて全然美味しそうじゃないけど、昔の私はこれが大好きだった。
甘い物が気軽に食べられないなら、作ればいい。作って、みんなが少しでもこの甘い贅沢な幸せな時間を知ってくれたらいい。
どんどん昔の事は忘れていくけど、今大事なのはこれから私が知ることだ。
シリウスのこと、魔法のこと、私のこれからのこと。知ることは沢山ある。
だからもう、昔のことを追い求めるのはやめる。
メープルシロップは手に入ったし、これだけは夢の産物として大事に手元に残すわ。
昔の私が甘いものを食べた時に感じた幸せな瞬間より、もっと幸せに私はなってみようと思う。他の人には甘いものでその幸せをおすそ分けできたらいいな、と思う。
感覚が戻ってくる。
ふっと意識が浮上して、私はゆっくりと目を開けた。
「…………」
ぼんやりとした視界に2人の顔がある。
泣きそうな顔に笑顔という、なんだかチグハグな母とシリウス。
「おはよう、エレン。気分はどう?」
シリウスの言葉に、少しだけ大丈夫とうなずく。
「……良かった!」
堪えきれず、母が両手で顔を覆ってわっと泣き出す。
「……お母さん」
「ご、ごめんなさいね。泣かないって決めてたのに!」
あわてて目をごしごしと袖でぬぐうと、笑顔で寝ているわたしを抱きしめた。
「良かった。本当に良かった。あなたが無事で」
「……うん」
もう1度ぎゅっと抱きしめてもらってから、私は母とシリウスに支えられて上半身だけ起こした。無理はしないようにって言われたけど、大丈夫だからと手伝ってもらった。
「あのね、聞いて欲しいことがあるの」
そして私は御神木の中で見た父のことと、あの若木のことを話した。
母は黙ってうなずいて懐かしそうに微笑み、シリウスは若木、とつぶやいて何か考えていた。
「あの若木も何か罰を受けるの?」
私の心配はそれだった。
「どうかな。それは俺達にはわからないことだから。ただ、エレンを助けてくれたのなら、俺とリーンからも”祝福の大樹”へお願いしてみるよ」
「うん、ありがとう」
とりあえず、自分にできることはこのくらいしかない。結局人に頼むことしかできないけど、若木達が守られるといいな、と思った。
「あのね、エレン、少しいいかしら」
母が少し思い詰めたような顔をして口を開いた。
「あなたに伝えなきゃならないことがあるの。これからのことについてよ」
「え?」
母はそっと私の手を握ると、まっすぐ私を見た。
「私はあなたの母親で、あなたがどうしたら幸せになるか考えたの。あなたがシリウスと共に生きることを決めたなら、私はそのためにどんなことでもすると誓ったの」
「……お母さん?」
少し間を置いて、母はゆっくり言い聞かせるように言った。
「あなたの養子縁組のお話を受けたの」
「……え?」
一瞬意味が分からなかった。
母はすまなそうな顔をしていた。
「あなたが今のままシリウスに嫁ぐにはあまりに弱いの。あなたの体質もだけど、存在自体を隠すことはできないでしょ?いくら彼が守っても、彼が一日中あなたの側にいるわけには行かない。だったら、あなたに後ろ盾を作ることがいいという話だったの」
「それで、その話を受けたの!?」
「えぇ」
「どうしてよ!」
「だったらシリウス諦めるの!?」
私の声より更に大きな声で怒鳴られた。
うっと言葉に詰まって、黙って首を振る。
「……ねぇ、例え書類上はそうなっても、あなたは私の大事な娘であることに変わりはないの。先方も今まで通り私達が会うことも、手紙を書くことも何も問題はないと言ってくれたの。あとは御当主様の承認が必要って話だったけど」
私は眉を下げ、シリウスを見た。
シリウスは心配そうに私を見ていた。
「……シリウスは知ってたの?」
こくっとうなずいた。
「エレンが寝てるときに聞いた」
「この人にも反対しないように言い聞かせたわ」
ふふっと困ったように笑うと、そっとエレンの頭を撫でた。
「大丈夫。私が納得したんだもの。大事にしてくれるわ」
「……先方って、一体誰なの?」
怖くて聞けなかったことを聞いてみた。
母は微笑んだ。
「ゼヴァローダ様よ。あなたを義理の妹として迎えてくださるの」
それを聞いて私は驚いて目を見開き、シリウスも同じように驚いて動かなかった。
そんな私たちを見て、母は「あらあら、驚きすぎよ」とくすくす笑って見せた。
ねぇ、お母さん。笑いごとじゃないよ。
シリウスも何かを言おうと口を開いた時だった。トントンとノックの音がして、母がそれに答えた。
がちゃりとドアを開けて入ってきたのは、今まさに話題の人だった。
「良かった、気がついたんですね」
ベットで母に支えられているとはいえ、起きている私を見てにっこり微笑んだ。
「ぜ、ゼヴァローダ、お前、エレンと……」
「そうそう、その話できたんですよ。はい、イルミ殿」
すたすたとベットへ近寄り、母に何かの書類を渡す。
母はそれを確認し「確かに」とうなずいた。
そうしてほっとしたように、私の頭を撫でた。
「エレン、ゼヴァローダ様の後見人であるスベルタ伯爵家の承認を得たわ。これであなたはゼヴァローダ様の義妹として、堂々とシリウスに嫁ぐことができるわ」
ぽかーんとする私とは違い、シリウスは焦ったように動いた。
「ちょ、ちょっと、俺はエレンに貴族としてじゃなくて……!」
「いい加減諦めろ、シリウス」
なだめるようにその言葉を制したのは、ゼヴァローダ様だった。
きっと睨むシリウスに、ゼヴァローダ様は少し険しい顔をした。
「お前が言うのも分かる。だが、このままでは良くて軟禁生活だ。そんなことで彼女が幸せになれるか?ずっと外と交流せずいられるか?現状はどうあっても良くならない。彼女を守るにはお前1人では無理だ。だから彼女自身に権力をつけることにしたんだ」
「しかし、親子の縁を切るなんて……」
おやっとゼヴァローダ様は、少し表情を緩めた。
「お前が言うか?」
「俺の家とエレン達は違う!」
「お前の父はともかく、兄は違うだろう。それにお前はいずれ公爵家から除籍するつもりだろうが、そうすれば、いかに”炎帝”でもただの一般人として弱くなる部分がある。必ずつけ込まれるぞ。前から言っているが、除籍しないほうが賢明だ。彼女も私の義妹になれば、伯爵家の令嬢としてお前に嫁がせる事ができる。もちろん、私の義妹ではあるがスベルタ伯爵家は私同様、彼女には何の干渉もしない。これが他家なら”炎帝”の縁戚としていくらか干渉されるだろう。最良の策だと思うがね」
「……そんなに上手くいくか」
ぼそっとつぶやいたシリウスに、ゼヴァローダ様はにっと口角を上げて笑った。
「いくさ。ゴリ押し、無理難題を押し付けるのはお前の得意技じゃないか。自国の王の説得くらい自分でしろ。こっちはいくらかツテがある」
「でも……」
それでもシリウスは納得いかないようだ。
その理由に、ゼヴァローダ様は何やら察しがついたようだ。
「お前、まさか私が義理の兄になるからと駄々をこねているんじゃないだろうな」
「え、あ……」
急にシリウスの目が泳いだ。
「お前、私が義理の兄で何が悪い。むしろお前が義理の弟になるとは、とんだ頭痛胃痛のタネだ。私だってエレンの為でなかったら、お前の兄などごめんだ。苦労が多すぎる。せめて父なら叱りつけてやるのにな」
ぎょっとしたのはシリウスだけじゃなく、私もだ。母は苦笑していた。
そんな私達を見て、ゼヴァローダ様はぷっと吹き出した。
「そんな顔をするな。冗談だ。それにイルミ殿はお相手がいらっしゃるようだし」
ばっと私は母の顔を見たが、母は「まだよ。言われてはいるけど…」と小さく言った。
ウィルさん、かな。なんとなくだけど。
彼のご両親も、母を見て何だかいきいきしてたし、実際、私より母をと言い出す気だったかも知れない。なんせ彼らが欲しいのは孫の母だったから。
まぁ、お母さんが決めるなら反対はしないな。
……見た目に反してものすごくたくましいから。
「さて、話は以上だ。エレンも気がついた。お前はもう戻れ」
「エレンって、お前」
「義妹だ。いつまでもエレン殿など言うわけないだろう。ついでにいうが、お前だけは間違っても私を兄呼ばわりするなよ。気持ちが悪いからな」
「言うもんかっ!」
ふんっと思いっきり顔を横にそらした。
ふふっと母が笑ったので、私もつられて笑った。
「ゼヴァローダ様、エレンをよろしくお願い致します」
「こちらこそ。と、いってもこれまで通りです。何も遠慮なさらずに。それに今日からはこちらでお過ごし下さい。手配は済んでますから」
「ではお言葉に甘えて、そうさせていただきます」
母の返事にゼヴァローダ様は満足気にうなずいた。
そしてシリウスを見ると、そうだっと声を出した。
「今夜は夜会がある。さっさと戻って仕度しろ」
「欠席する」
「馬鹿かお前。今回の事も関係してるんだ。とっとと行くぞ」
がしっとシリウスを羽交い絞めにすると、そのまま暴れるシリウスを引きずって出て行ってしまった。
部屋を出るとき、とうとうシリウスが言った。
「まだエレンとちゃんと話してないんだぞ!」
「泣き言を言うな。夜会のあとうちに来ればいい。だが、私と一緒に帰宅しないと邸に入れないからな!」
夜会の途中退場は許さないということだろう。
その姿に母はまたくすくすと笑っていた。
やっと静かになった部屋で、母は以前ゼヴァローダ様からの詫び状をもらった時に、シリウスが私に関心をもっていることを伝えられたらしい。もちろん私の意志を尊重するので、どうか見守って欲しいとあったそうだ。
それから私が恋心を自覚して、いなくなってしまってから、またゼヴァローダ様の使い魔がやってきて、その時母は初めて返信を出したそうだ。さらに自分がブライアス王子に連れられてここへ来た時、短い間だったが話をし、この縁組の提案をされたそうだ。
そこからはゼヴァローダ様が大急ぎで手配してくれた。
どうしてここまでしてくれるのだろう、と首を傾げた。
母もそれは疑問に思ってたそうで、すでにゼヴァローダ様に聞いていた。
「ゼヴァローダ様が言うには、とにかく自分を大事にしない弟みたいな存在が、やっと見つけた大事な存在だから黙ってみていられない。それと、引き合わせたのは自分だから最後まで面倒を見る、だそうよ」
そこへノックの音が鳴り、母が答えるとロレンヌ夫人がワゴンを押して現れた。
「お久しぶりです、ロレンヌ夫人」
「まぁまぁ、この度はおめでとうございます。お母上様もこれからもご遠慮なく当家にお越し下さい」
「もったいないことです」
頭を下げた母に、ロレンヌ夫人は首を振った。
「いえいえ、お母上様がご遠慮なさってもこちらは遠慮しませんわ。新しい絆も今までの絆も大事にしませんと!」
どうやら何かに燃えているロレンヌ夫人。
ちなみにエレンを義理の妹にという考えは、彼女がエレンをゼヴァローダの妻に推したが事情を話され諦めるように言われた時、それならばと言い出したことがきっかけだった。格下の実家から嫁いだ彼女は、エレンのこれからに危惧を覚えたのだ。
次はゼヴァローダ様の奥様をお探ししなくては……、とは彼女の心の中での口癖である。
今週もありがとうございました。