曲者”緑帝”
こんにちは。
暑いですね。暑中お見舞い申し上げます。
滞在3日目。今日は視察の日だった。
昨日の儀式の事件のせいで、フェイルの町への視察は数人の使者が赴くだけとなった。
もちろん私は同行できず、コーランさんは朝からまた会議で、シリウスにも昨日から会っていない。
そして私は1人でリネン交換をやっていた。
「よし、残るは”緑帝”様のお部屋だけっと」
昨日とは逆に北側から交換を始めるよう、シンシアさんに言われ鍵を預った。
その後シンシアさんは別の仕事があるらしく、慌しく出て行ってしまった。
補佐官室の部屋の鍵をかけ、ワゴンを押して廊下を歩く。
今日は魔力の回復に努める”緑帝”が部屋に篭っているそうで、一番最後にメイドに渡したほうがいいとのことだった。
ドアの手前でワゴンを止め、新しいリネン一式を確認してドアをやや控えめにノックした。
「あれ?」
昨日はすぐ開いたドアが開かない。
私はもう1度控えめにノックした。
でもやっぱりドアは開かなかった。
(どうしよう…)
中に常駐しているメイドが気づくまで叩き続けるのは気が引けるし、そもそも休んでいる”緑帝”から怒られるかもしれない。
私は廊下で一頻り考えて、よしっと顔を上げ手を握り締めた。
そっとドアノブに手をかけた。
「失礼しまーす」
小声で声をかけながらドアを開ける。
まず上半身と左足だけ部屋の中へ入れ、そっと部屋を見渡すが誰もいなかった。
新しいリネン一式を手に中に入り、足音を立てないようにして歩き、待機室のドアも開けて確かめたが、やはり誰もいなかった。
とりあえず待機室の中のテーブルにリネン一式を置き、これで気づくだろうと踵を返し、またそろそろと歩き出し部屋の入り口のドアノブに手をのばした時だった。
突然がちゃりと寝室のドアが開いた。
驚いて身を縮こまらせた後、おそるおそる顔を向けると、そこには薄い白いガウン羽織った背の高い長い黒髪の女性が立っていた。
黒い瞳でじっと無表情に観察され、私は居心地悪く姿勢を正した。
「お、お休みのところお邪魔して申し訳ありません」
多分この女性が”緑帝”だろう。
無表情だったのは怒っているのかも、と頭を下げたままでいると、ペタペタと床を歩く音がした。
「交換に着たんでしょ?どぉぞぉ」
やや間延びした口調が聞こえ、私が顔を上げると、彼女は1人掛けソファに足を組んで座っていた。
テーブルに肘をついて頭を支え、ふぁっと大きなあくびをして、目はそのまま私を見たままにっと口の両端を上げた。
「あ、では交換させていただきます」
私はあわてて待機室から置いてきたリネン一式を取って、誰かを待たせるというプレッシャーを感じて急いで交換を始めた。
いつもなら使用済みのシーツも綺麗に畳むが、今はささっと丸めてどんどん交換していった。
自分の最短記録で交換し、使用済みのリネンを丸めて胸の前に抱えて寝室から出た。
「交換終りました」
「うん、ありがとぉ」
あいかわらずじぃっと見つめられ、私は一礼して頭を上げたまま立ち尽くしていた。
「あ、あの」
「なにぃ?」
「あの、私どこか変でしょうか?」
「全然~」
じゃあ何でそんなに見るんだろうか。
耐え切れなくなった私は、ちょっとひきつった笑顔で「失礼します」と声を出してそそくさとドアへ向かった。
ドアノブをまわした時、背後から「あっ」と声がしたので振り向いた。
「お腹すいた。ご飯持ってきて」
「あ、はい。でも担当のメイドは…」
「んー、なんか人手が足りないからって貸しちゃった」
また大きなあくびをして、ごしごしと目をこする。
よくみるとガウンもだいぶ緩く羽織っているようで、大きな胸の谷間や、組んだ足は膝上まで肌蹴ている。長い艶のある髪も乱れていて、思わずきちんと全部整えたくなる。
「すぐお持ちします」
「よろしくぅ」
ひらひらと左手を振る”緑帝”に見送られ、私はあわてて部屋を出ると、ワゴンを押して廊下の隅の小部屋へ入った。
そこはワゴンや食器などの予備が置いてある部屋で、奥の壁にはとっての付いた板が付いていた。
その板の取っ手を回して開くと、でてきた穴に交換したリネンを次々に放り込んだ。この穴はそのまま洗濯室に通じているそうで、各階にあるそうだ。
小部屋を出て階段で1階の食堂へ向かう。
その途中、ふと足を止めた。
今私はいつもの食堂へ行こうかとしていたが、今要求されたのは彼女の食事である。
(モニカの働く食堂ってことよね?)
それは2階にあると初日に聞いた。
すでに1階折り返しの所ま下りていたので、すぐ引き返して2階の廊下に足を踏み入れた。
2階はいくつかの会議室と食堂、応接室がある。
しーんと静まった廊下の奥に食堂はあった。
両開きの大きな扉を開けると、広い部屋の天井にはシャンデリアが下がり、中央には重厚な白い楕円の大きなテーブルと、その周りを赤いクッションを付けた白いイスが一定の間隔で並んでいた。
良く見れば奥にもう1つ両開きの扉が開いていた。
かすかに食器のぶつかるかちゃかちゃという音が聞こえる。
私は誰もいない食堂を抜け、その扉の奥へ入った。
思ったとおりそこは厨房だった。数人の人がバタバタと動いていた。
「あのっ!すみません」
見える範囲の全員が顔を上げた。
「”緑帝”様のお食事を取りに伺ったのですが……」
ありますか?と聞かなくても、今厨房はまさしく片付け真っ最中だった。むしろ昼食の下ごしらえをしていてもおかしくない時間だ。
「あれー、カレンじゃない。ちょっと待ってて!」
近くの食器の棚の前で腕まくりしたモニカが手を振り、近くの男性に声をかけていた。
少ししてトレイに銀の蓋付きの食器を5つ載せ、モニカがやってきた。
「忙しい時にごめんなさい」
「ううん、大丈夫。”緑帝”様のことは聞いてて、準備して置くようにって言われてたからね」
「ありがとう」
はい、と渡されたトレイを持つと、モニカの後ろから別のメイドがお茶の準備をしたトレイを持ってきた。
「こっちはあたしが運んで手伝うわ」
「ありがとう、でも大丈夫?」
「うん。それじゃ、ちょっと4階に行ってきまーす!」
モニカが言えば、わかったとの返事に何人かが手を上げた。
ゆっくりこぼさないように私は階段を登り、モニカもその歩調に合わせてくれた。
4階の小部屋へ戻って食膳用のワゴンを取ると、こぼさないように持ってきたトレイを置いてほっと一息ついた。
「じゃ、あたし戻るね。あとよろしく」
「うん。本当にありがとう」
モニカと分かれてすぐ部屋へと急ぐ。
ノックをすると、すぐに返事とともにドアが開かれた。
「ありがとぉ」
立っていた”緑帝”はそのままドアを大きく開き、入るよう顎で促した。
「し、失礼します」
テーブルにトレイを置き、ワゴンの上でお茶の準備を始める。
その間に”緑帝”はソファに座り、次々に蓋を取っていた。
皿に3つ盛られたパンにかじり付き、咀嚼しながら私を見つめる。
私は視線を感じつつお茶をどうにかテーブルに置いた。
「あたしキラスっていうの。知ってた?」
急に言われ、私はとまどいながら首を振った。
「い、いいえ、存じませんでした」
「そんな言葉使いしなくていいのに」
キラス様は私からトレイの上のご飯に目線を落とすと、そのまま無言で、言い方は悪いが豪快に食べ始めた。
スプーンやナイフもあるが、スープは持ち上げて口をつけ飲み、ソースのかかった肉もひょいっと指で掴んで食べる。パンは手でちぎらず、かぶりつく。
私は待機室からハンドタオルを取り出し、部屋の隅にある水場で濡らしてきた。
「お使い下さい」
「ん、ありがとぉ」
指を拭き、そのまま口元をぬぐう。
ナフキンあるのに、とは思ったが黙っていた。
ここのメイドが戻ったら部屋に戻ろう。戻らなかったら、食器の片づけをしてから戻ろう。
空になったカップにお茶を注ぎながら、ふと視線を感じて顔を上げると、またキラス様が私を見ていた。
「あ、あの……」
「んーっ、足りないんだよね」
すでにトレイのご飯はほとんどない。結構な量だったが、あっという間になくなっていた。
「あ、すぐにおかわりを」
「んーっ、いらない」
ぐびっとお茶を飲み干して、キラス様は立ち上がった。
私より10センチ以上高い彼女は、口の両端だけにっと上げて、いきなり私に覆いかぶさった。
「きゃっ!?」
支えきれずに床に尻餅をつくが、キラス様は離れずぎゅっと抱きついていた。
(な、何!?)
スカートがめくれて、キラス様の足と直接触れ合っている。
(え!?ええっ!?)
良く分からないまま、私は混乱のあまり固まってしまった。
顔にキラス様の黒髪がばっさりと落ちていて、ふるふると首を振って抜け出そうともがいた。
「本当だ、すごぉーい」
どこかうっとりするような声が耳元でささやかれると、私は昨夜と同じ感覚を味わった。
ずるりと何かが抜けていく感覚に、視界がめまいを起こしたようにぐるりと回った。
それがしばらく続いた。
どっと冷や汗が出て、自分でもわからなかったが唇が震えていた。
「あ、やばいね」
ゆっくり顔を上げたキラス様は、あいかわらず無表情で私を見ていた。
「ごめんね、ちゃんと”炎帝”に謝るね」
その言葉を最後に、私はふっと意識が遠のいた。
読んでいただきありがとうございます。
次は火曜か水曜日に更新します。