穏やかな夜
今週もどうぞよろしくお願い致します。
ふぅっと大きく息を吐いて、小走りに急いで部屋へ戻った。
部屋の中に入って、すぐに腕を伸ばしてうーんっと大きく伸びをして両頬を軽く叩いた。
(よし、もう大丈夫!)
はっと小さく息を吐けば、示し合わせたかのようにドアがノックされた。
あわててドアを開くと、そこには疲れた顔のコーランさんとシリウスが立っていた。
「おかえりなさい、ませ」
言い馴れない語尾をあわてて付け加えると、2人は軽く破顔しながらドアを閉めた。
「ただいま。シンシアは少し遅くなる。わしは疲れたから先に休ませてもらう」
「わかりました」
それからコーランさんは、後ろにいたシリウスを首だけひねって見た。
「長居はいかんぞ。普段わしにまとわりつかんお前がここにいるだけでも変だというのに」
「わかってる。すぐ戻る」
何度か言われたのだろう。方耳に指を突っ込んで、はいはいと受け流している。
「まったく」
コーランさんは小さくつぶやくと、そのまま寝室へと入っていった。
パタン、とドアが閉まると、ようやくシリウスの顔がはぁっと深いため息とともに緩んだ。
「あー、だるかった」
「お疲れ様。お茶、ならあるけど」
「いや、いいよ。話は聞かずに飲むだけ飲んできたからね」
「お酒?」
それにしてはお酒の匂いはしない。するのは、正直よくわからない匂いだか香りだかが混ざった、ようするに変な匂いだけ。
「酒なんてあんなトコでほとんど飲まないよ。酔って魔力暴走したら大変なんでって、ずっと言ってたら暗黙の了解で飲まなくていいってことになってるし」
「へぇ。でもコーランさんは少し飲んでたみたいね」
「飲む飲まないは個人の自由だよ。俺も酔ったくらいじゃ暴走なんてしないんだけど、正直色々面倒な事山ほどあって、飲みたくないから飲まないんだ」
ちょっと目線をずらして遠い目をするが、はっと我に返って嬉しそうに私を見た。
「さっき公爵家から連絡が入ったんだ。エレンのお母さんについて」
「え、本当!?」
「うちの諜報部どこにでもいるんだな、と少し怖くなったけど、まぁエレンのお母さんは元気にあの店で働いてるみたいだ」
「え?あの店って、あの生地商のあのお店?」
「そうだよ。エレンの村の長はとっくに帰ってるけど、彼女はあの店で働いている。なぜエレンがお見合いしたかもわかったよ」
あんまり思い出したくないけど、私ははぁっとため息をついた。
「ゼヴァローダ様をどこかの貴族って勘違いして、そのツテを買わないかって話を村長さんが持っていったんでしょ?」
「まぁ、そうだね。その村長もあの山の灰で作物がほとんどダメになって、復興の支出が増えたのでどうにか村の新たな収入源をと探して、たどり着いたのが染物だったらしい。その線であの店の店主と出合ってやったということだそうだよ」
「……そう」
村のためだった。
そのための縁談に私は差し出された。
そう聞いても私はどこか他人事にしか聞こえなかった。
シリウスも別にすでに済んだこと、と捕らえているのか、その口調はほとんど無関心といっていいようだった。
「ま、とにかくその店の息子が色々世話を焼いてくれてるみたいだ。随分と責任感の強い人みたいで、町の評判もいい。無駄な野心がない、実直な人物だそうだよ」
「あぁ、やっぱり。ウィルさんものずごくいい人そうだったもの」
私の口調が元に戻ったからか、シリウスは黙って私を見ていた。
「どうしたの?」
「いや、なんでも」
そういう割には顔が不機嫌と言っている。
「他には情報ないの?」
「えっと、そうだな。エレンのお母さんは宿ではなくて住まいを探し出したとか聞いた」
「住まい?それって」
「多分、村から出るつもりなんだと思う」
「そう、か。やっぱりね」
特に不思議なことではなかった。
村長さんから縁談を受けた時、もし私が嫁いでも嫁がなくても母は村を出ようとしていたと思う。事の経緯を知るものはごくわずかだろうが、それでも人の口に鍵はかけられない。
「とりあえず今はあの店に住み込みで働いているけど、問題はないようだよ。染物の件は店主ではなく彼が話をしているとかで、さすがの店主も事情を知った奥さんに怒られたとかで、しばらく仕入れで遠方に行ってるそうだよ」
「そう。お母さんが苦労してなきゃいいけど」
「元気だって聞いたから、安心して。公爵家の諜報人は優秀だから」
ね?と肩に手を置かれる。
私もにこっと笑ってうなずく。
「そうね。明後日には会えるし、私こそ元気でいなきゃね」
「そうだね」
そう言った後、シリウスははっと何かに気がついて、がっくりとうなだれた。
「そうだった。俺、頑張らないと…」
「そんなに落ち込まないでよ、明日の儀式もあるし、変に考え込まないでよ」
ゆっくり頭を上げ、またはぁっとため息をつく。
「大丈夫。明日の儀式は立ってるだけだし。それに聞いた話じゃ、こういう承諾は男なら誰でも通る道だと言われた。どんなに厳しいかっても諭された」
またはぁっとため息をついて、うなだれる。
おかしい。つい昨日までこんな感じではなかったのに。
「誰に諭されたの?」
シリウスはわずかに苦笑しながら顔を上げた。
「エラダーナの唯一の帝位持ちの”水帝”のフォーライドさ。彼の部下が今度結婚するってことで相手方に挨拶に行ったが、厳格な家だったようで、明日再度挑戦ってことになったらしい。その話を聞いたらもはや他人事とは思えず…」
最後は苦笑すらなくなり、顔色が悪い。
「ほら、俺出会いから普通じゃないだろ。子どもの姿で魂って、騙してないけど騙してるような。それで次は浚ってしまうし」
「で、でもその部下の人は再挑戦するんでしょ!?」
「する。フォーライドも心が折れるまで玉砕してこいって言ってた。自分もそうだったとか何とか」
「でしょっ!みんな大変なんだよ!シリウスも頑張って。私も一緒に説得するから」
あんまり必死になって私が言ってたからか、シリウスは急に目を丸くした。
「大丈夫だよ、エレン。俺頑張るから。ここまできて諦めないって」
「え、でもそうは見えなかったから…」
「あ、そう?ごめん、ちょっと心配してくれるかなっと演技してみたんだけど」
はははっと今までの思いつめた顔はどこへやら。すっかりいつもの様子に戻ってしまっていた。
「……あんまりそういうことはしないでちょうだい」
不機嫌をあらわにすれば、自分でもびっくりするくらい低い声が出た。
シリウスは一瞬ぎょっとしてから、あわてて私に何度も謝ってきた。
もちろんそう長く怒るほどでもなかったし、これでおあいことさっさと許して、話を元に戻した。
「ゼヴァローダ様も来てたのよね?」
シリウスはむっと眉間に皺を寄せた。
「どうして知ってるんだ?っていうか気になる?」
「ジャクスターさんがいたの。まさか精霊だなんて思いもしなかったわ」
「あぁ、聞いたのか」
シリウスは納得したように、眉間の皺を解いた。
「あいつはリーンと同じで木の精霊さ。ゼヴァローダに心酔してて、あいつの悪口言おうものなら誰にだって敵意を向く。普段が大人しい分ギャップがあるというか…。そういえばゼヴァローダの体調管理も熱心にしてるな。この間なんか…」
そう言って話してくれたのは薬丸事件なるものの顛末だった。
頭痛と胃薬を併せ持った薬として、ゼヴァローダ様からシリウス宛てに送られてきた小さな薬の粒は、全ての郵便物を受付、検品する部署でとんでもない異臭を放ち、一時はゼヴァローダ様の名を騙った悪質ないたずらとされたらしい。しかし問い合わせてみれば、それは間違いなくゼヴァローダ様が送ったと認めた。
結局シリウスの手には現物はこなかったものの、ファラムの魔法教会の珍事件として一時期話題だったそうだ。
「それって効果あるの?」
「ゼヴァローダいわく、服用するその時は地獄だが、効き目は抜群らしい」
「すごいわね。匂いさえ抑えれば良く売れそう」
素直な感想を言ったつもりだったが、シリウスは一瞬きょとんとして笑い出した。
「エレンはすぐ商売を思いつくんだなっ」
笑われた原因が分かり、かっと顔が熱くなった。
「し、仕方ないでしょ!女が生きていくにはいろいろ大変なんだからっ!」
父を始めとした男手も、親族もおらず、住んでいる家はあるが土地も自分の開墾したものではなく村の物を借りているようなものだ。動けるうちに働かねば、生きていけないのが日常だ。
「わかってるって。ただ、本当に自由な発想するね」
まだ目は笑っているので、私はふんっと顔を背けた。
「あのシロップも売り物にしたらいいのに」
「相談したら木の汁なんか売れないって言われたの。作れる量も限られてるし、私1人じゃやっていけないもの」
甘いものが大好きな私の執念が生んだ偶然の産物だったけど、広めるにはもっとたくさんの時間と、メープルシロップに砂糖楓の木が必要だ。
「どんな木でもいいのか?」
「サトウカ…”涙を流す木”よ。あの木からしかできないの」
「あぁ、ベルベルの木か。ファラムにもある」
シリウスはふと腕を組んでうーんと考え、首をひねる。
「どうしたの?」
背けていた顔を戻してみれば、シリウスは腕を組んだまま頭を抱えて何かを考えている。
「いや、なんだったかな。前にベルベルの木について何かを聞いた気がしたんだが…思い出せない」
「メープルシロップを作ってる人がいるとか?」
「いや、ベルベルのシロップなんて聞いたことがないし、エレンからもらったのが初めてだし。うーん、なんだったかな?」
「ベルベルの老木が作った”ベルベルの玉”の話?」
「いや、そうじゃなくて…うーん」
散々考えていたが、やはり思い出さなかったようで「ダメだ」とつぶやいて顔を上げた。
「そのうち思い出すかもよ」
「そうだね。思い出したら話すよ」
そうこうしていると、時計を見れば日付が変わっていた。
「じゃあ、戻るかな」
シリウスは1度両腕を上げてうーんと背伸びをしつつ、踵を返した。
「じゃあ、おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
パタンと静かに閉められたドアに手を振り、そっと手を下ろした。
そういえば、とようやく思い出した。
ベルベルの御神木を見に行ったことや、あの聞き間違いかもしれない声のことを言うのを忘れていた。
(ま、また明日言えばいいか)
のんきにそう思っていた私は、翌朝別の大騒動によって再びこのことをすっかり忘れてしまった。
さて、どんどん話が進まないと…穏やかばっかりです(笑)!
今日も読んでいただき、ありがとうございました。
また水曜日更新したいと思います。