メープルシロップと私
地震、火山の表現があります。
まだ冷たい風の吹く季節がきたら、私はせっせと森へ通う。
魔法はあっても一部の選ばれた者しか使えないし、化学も未発達。甘いものは高級品なこの世界に転生して18年。
6才頃から徐々に思い出してきたのは、家族ではなく味覚の記憶だった。
甘いものがあふれていた世界。
ケーキやクッキーやキャンディはあるが、高級品だし、こんな田舎にはない。
森で見つけた木が、砂糖楓だと気づいたのは10才の頃。
苦節3年でようやく作り出したのがメープルシロップだった。
「エレン、残念だけどこれじゃあ生活できないよ」
出来上がったメープルシロップの味に満足し、母に商売にできないか相談した。そして周りに相談しても、品物は褒めてくれるが商売にはしようとしない。
まずハチミツは流通していて、かなりの高級品だ。
ハチミツは蜂の巣。だけどメープルシロップが樹液からできていると言えば、みんな眉をひそめて食べるのをやめた。
砂糖楓はこの国ではその樹液の多さから”涙を流す木”と言われ、木材にならない役立たずな木とされている。紅葉だけは見事なので観賞用にはなるそうだ。
そして樹液をバケツいっぱい煮詰めても、出来上がるのはわずかな量。作る手間と時間を考えると、とても商売できないものだということだった。
それからは自分の為だけに作る事にした。
「エレンは絶対美人になるから、それにその宝石みたいにキレイな目があれば、都会の金持ちと結婚するのも夢じゃないよ」
だからあきらめなさい、と近所のおばさんに言われた。
カラーコンタクトのような目を持つ人々の中でも、私の目の色は特に濃いものだ。色は瑠璃色。
母は茶色なので、おそらく父からの遺伝かと思っているが、小さい頃戦争で亡くなったと聞いて以来聞けずにいる。
まぁ、それからは自分の為に作ることにした。
今ではお礼として配れば喜ぶ人も多い。
冬は農作業もないから、私は一日中作っていることもある。
長い黒髪を三つ網にして束ねて、家の奥に作った作業場にこもる。
そこにはかまどが1つあり、寸胴鍋があるだけの小さなスペースだ。
「さぁ、始めましょ」
私はかまどに火をつけようとした。
カタカタカタ…、ガタガタガタガタ!!
小さな揺れを追いかけるように大きな揺れがやってきた。
おもわず尻餅をついたが、揺れはほどなく消えた。
「あー!」
顔を上げれば予想通りのことが起こっていた。
引っくり返った寸胴鍋が床に樹液を撒き散らしている。
「掃除、しなきゃ」
がっくりとうなだれたのはいうまでもない。
べたべたする床の片付けが終ったのは昼前だった。
「エレン、いる?」
玄関から母の声がした。
母は村の食堂で働いているので、この時間に帰ってくるのは不自然だ。
「お母さん、どうしたの?何かあった?」
汚れた水の入ったバケツを持って行けば、黒髪をおだんごにした母は家の中をきょろきょろ見渡していた。髪を下ろせばとても40前には見えないくらい若い。
「お母さん?」
「あぁ、エレン!とうとう避難勧告が出たのよ。
さっき村の広場に領主様のお使いの方達がきてね、火山が噴火するかもしれないから、みんな荷物をまとめて村をでるようにって言ってきたの」
「村を出るの!?」
「3時に広場に集まって、お使いの方達と領主様のいるフェイルの町へ行くんですって」
そう言って母は必要なものを口にしながら、テーブルの上に出していく。
「水、捨ててくる」
家の裏手に汚れた水を捨て、そのまま森の向こうに見える山々を見つめた。
一枚岩のように高く並ぶアルナバ山脈だ。問題の火山はプラツボ火山といって、山脈にある中でも一番大きな火山と言われている。
山脈の向こうは隣国ファラム。このエラダーナ国とは山脈の周りにある鉱山資源を共同で開発している友好国だ。
最初に異変に気づいたのはファラムの宮廷魔法使いだったらしい。
その後小さな地震が続いていたが、最近は回数と大きさも増えてきたところだった。
「エレン!」
母の声に我に返る。
家の中に入れば大きな袋に毛布や非常食なんかをしまい込んでいた。
火山が噴火したらこの森はどうなるんだろう。
もうメープルシロップは作れないかもしれない。
急かされながら、いまいち危機感のない頭で荷造りを始めた。そして最後のメープルシロップの瓶だけは忘れずに持ち物に入れた。
遅めの昼食をとって広場に集まれば、馬や牛に荷台をくくりつけ歩くのに困難な人を乗せたり、配布するための食料を積み込んだりしていた。村中の家畜と人が集まったので広場には入りきれず、ここで名簿によるチェックをすませれば、そのまま村の外への入り口に向かえとのことだった。
フェイルの町までこの集団で移動となれば、3日はかかるだろうと、近くの誰かが話しているのを聞いた。
子ども達はピクニック気分ではしゃいでおり、大きな混乱なく避難が始まった。
「ねぇ、ファラムとエラダーナの魔法使いが合同で火山沈静化作戦をするんだって!」
話しかけてきたのは2つ下の農家の娘、メリー。茶色の髪と目をもつおさげの明るい少女だ。
「何その作戦名。センスないわ」
「そう?でも本当にどうにかできるのかしら。
それより魔法使いがフェイルの町に集まるって話よ!すごいわ、一度会ってみたかったの!」
重い荷物を背負っているが、メリーはうきうきと話す。
「魔法使いは印を持っているっていうじゃない?」
「あー、魔力が結晶化したっていう魔玉のことでしょ」
「それそれ。
体のどっかにあるって話よね。大きさが魔力の力なんて話もあるし。宝石みたいにキレイだって聞くわ。あー、一度でいいから見てみたい」
「あたしもー」、「ぼくも」と近くで手をあげたのはメリーと同じ年頃の少女と妹弟達だった。
魔法使いはいわゆる突然変異らしく、王侯貴族や平民にも偏りなく生まれる。
ただとても稀な存在で、数年前に近くの村で生まれたらしいが、すぐに家族ごと国の管理するところへ引っ越して行ったらしい。魔法使いは国への登録義務があり、怠れば処罰されるそうだ。
「ファラムからは”炎帝”の魔法使いも来てるかしら?」
「えん?何それ」
「有名よ!体に数個の魔玉を持った魔法使いよ。すごいわぁ」
メリーがうっとりと目をつぶり、見たこともない魔法使いへの妄想へ入っていく。
「若い男の人だけど、気難しいって話よ」
「いろいろ苦労したのね、きっと」
「他にもファラムは強い魔法使いがいるそうよ!エラダーナの”金の矢”の魔法使い様もきてないかしら!」
「ゼヴァローダ様ね!いいわぁ」
横から同じく農家の娘のマナも加わって、二人でうっとり妄想している。
「ねぇ、お母さん。うちの国に”金の矢”の魔法使い様なんているの知ってた?」
「さぁ。知る必要のないことだわ」
いつも優しくおしゃべりな母からは想像できないほど、淡々とした口調だった。
ちょっとびっくりしたが、母は魔法使いの話が嫌いだったのを思い出した。
田舎にもちらほら都会の話題がふってくることがある。
それらはどれも娯楽として楽しまれるが、魔法使いの話だけは母は絶対しなかったし、時には私の手を引いてその場を後にしていた。
母の機嫌はしばらく直らなかったが、メリーやマナの話題はすでに別のものになっており、私もしばらくその話に参加して母の側を離れたのだった。
読んでいただきありがとうございます。