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クリスマスは誰のもの?  作者: ミムラ ヒジリ
3/4

秘密暴露?

 

「こ、こんな所で何を?」

 

 魔法が解けたように耕平の口から飛び出てきた言葉は、あまりに単純な質問だった。

 店内にかかる音の外れたカラオケの歌と、彼ら以外の騒がしい客の声でかき消されてしまいそうなくらい小さな声だ。

「何って……」

 真凛の母親はふて腐れたように唇を尖らして、彼を無視するようにそっぽを向くと、崩れ落ちるようにソファーに座り込む。その顔付きは、子供じみて見えるほどに拗ねていた。

「働いてんのよ、文句ある?」

 

 働いてる? それはパチンコ屋ではなかったのか。

 

「秋元さんは、パチンコ屋にお勤めと聞きましたが……」

「なっ、だ、誰に聞いたのよ?」

 酷く取り乱した声が質問を返してきた。耳まで赤くした派手なメイクの女性が、不思議なくらい慌てふためいて耕平を見上げていた。

 思いもよらず大きな反応をする彼女に、耕平は目を丸くする。

 何故こんなに大騒ぎをするのか分からない。確かに事務などの職種の方が、聞こえはよいかもしれないが。

 しかし、他の役員は彼女の勤め先を知っていたように見えた。皆にオープンにしているのなら、今更耕平に知られたところで別にどうということはない筈だ。

 よく分からない女性である。

 

「お、おい耕平」

 睨み合うように見つめ合っている二人の側で、父親の久雄ひさおが遠慮がちに問いかけてきた。父は息子にお遊びを知られたショックで歌う気もなくなったのか、順番を他人に譲って座り込んでいた。

「お前……、マリンちゃんと知り合いなのか?」

「ま、まりんちゃん?!」

 突然出てきた『まりん』という名前に仰天して、耕平は上擦ったような大声を出す。だが彼よりも、大騒ぎを始めた人間がいた。

「もう、何よ何よ! 別にいいでしょう!」

 益々赤くなった頬を隠すように両手で覆った、秋元真凛の母親だった。

 

 

 

 

「驚いたわよ。田上さんが、ひーさんの息子だなんて……」

 

 ひとしきり騒いで声を枯らした彼女は、喉を潤すためにグラスのお茶を飲み干しながら、疲れたようにソファーに凭れかかる。

「こっちの方が驚いてますよ。親父がこんなところで油を売っていたのにも、後輩が連れて来てくれた店に知人が働いていたことにもね」

 耕平の皮肉めいた口振りに、彼女はムスッとして顔をしかめた。

「耕平、母さんには内緒な……」

 父の久雄はすっかりおとなしくなっており、ママに用意してもらった熱燗をチビチビ飲んでしょげこんでいる。

 背中を丸める父親に、耕平は呆れて視線を向けた。店の扉を開けた時の、楽しげにはしゃいでいた姿とはあまりの変わりようだ。

「言わないよ。ったく、今日は母さんに何て言って出て来たんだ? 忘年会はこの前言い訳に使っただろう」

「ん……、残業」

「残業だって? ただのアルバイトのくせに」

「いいだろ、別に。本当の残業だってたまにはあるんだ!」

「……凄く、たまになんだろ?」

 久雄の言い逃れを冷たく切り返せば、父は哀れみを誘うすがり付くような目を真凛の母に向ける。

「酷いと思わないか、マリンちゃん。実の父親に向かってこの口のききよう。俺だってアルバイトとは言え働いているんだ。たまにぐらい、癒しを求めて夜の街へ遊びに出たってバチは当たらねえよな?」

 甘えるような声の情けない問いかけに、彼女はウンウンと頷きながら、「ひーさん、ひーさんは何も悪いことなんかしてないわよ。私でよかったらいつでも癒してあげる。熱燗以外に何かいる?」とさりげなく注文の追加を促す。

「やっさしいな〜、マリンちゃんは。本当に天使みたいだよ」

「いやだ〜、ひーさんたらぁ。天使だなんて、もうロマンチックなんだから」

 彼女の思惑を知ってか知らずか、久雄が嬉しげに顔を綻ばせれば、天使と称された女性はクネクネと身をよじってそれに応えてみせていた。

 

 何なんだ、これは? 馬鹿らしい。

 

 耕平は目の前で繰り広げられる茶番に、気分がすこぶる悪くなる。目前の男女はこれ見よがしにベタベタと甘い雰囲気を出していて、何と言うか気持ちが悪い。

 ここがそういう場所であり、小さいスナックとは言え彼女はホステスであると分かっていても、彼は無性に不愉快だった。

 父の見たこともないデレデレと伸びた締まりのない顔も、聖母のように温かく慈愛に満ちた真凛の母の笑顔にも、苛立つほどに不快感が湧いてくる。

 だいたい彼女は、どうしてこんな時間に働いているのか。小さい子供がいる母親だろう。娘はどうしたんだ、娘は。

 夫は何も言わないのだろうか。こんな時間に、しかもこんな店で自分の妻を働かせるなんて、耕平には到底信じられない。どんな了見の男なのだ、秋元真凛の父親は。

 

「えっと……、田上さん。マリンちゃんとはどういったお知り合いっスか? まさか、その……」

 口数の少なくなった耕平の横で、遠慮がちに後輩の慎吾が聞いてきた。

 彼らのやり取りなど興味がないらしく、久雄とマリンは相変わらず二人だけで会話を交わしている。

 耕平はむしゃくしゃして、グラスの中のカクテルを煽った。

「ああ、お前の考えてる通りだよ。さっき散々話してた相手」

「えっ! じゃあ……、マリンちゃんは子持ち?!」

 そう言って目を白黒させて彼女を見つめている。

 驚くのも無理はない。彼は耕平が話題にしていた人物を、中年の女性と勘違いしていたのだから。

 だがそんな誤解をしなくても、『マリン』は子持ちには見えない。彼女のスレンダーな体型は、妊娠出産を経験した体とはまるで思えないのだ。

 少しも崩れたところがない見事なプロポーションを惜し気もなく晒して、久雄と笑顔で話し込む真凛の母を、耕平は忌々しく思いながら大きなため息をついた。

 

「て、ことは旦那もちか……」

 慎吾はがっかりしたように肩を落とした。

「そりゃそーだろ。なんだお前へこんでんのか?」

「へこみますよ! 言ったっしょ。可愛い女の子目当ての客もいるって」

「……その客ってのは、もしやお前のことか?」

 可愛い女の子とは、秋元真凛の母親のことだったようだ。確かに見た目だけなら、女の子に見えてしまうから仕方ない。

「オレだけじゃないっスよ。現に田上さんのお父さんだって」

「ああ、そーだな」

 耕平は苦い表情で傍らの二人に目をやった。若い女に入れあげた、孫までいる父親を恥ずかしく思う。しかも相手は、孫の友達の母親なのだ。困ったことに母親にはまるで見えないが、実際そうなのだから問題があるだろう。

 父は彼女のお得意様らしく、同じテーブルに着いていても耕平達は無視されていた。

 彼女の立場では当たり前なのかもしれないが、そのあまりに見え見えな態度に、これも嫌がらせの一種ではないかと穿った見方をしたくなる。

 後輩との会話のついでに、彼女達の方を向いた耕平は驚いて息を飲んだ。

 こちらに視線を合わせたマリンが、彼の顔をじっと睨むように見つめていたからだ。

 彼女の隣の久雄は、いつの間にかソファーに背中を預け、ほろ酔い加減でいびきをかいている。

 

 

「なあに、私の話? まさか悪口じゃないでしょうね」

 トロンとした眠そうな目をしてマリンは絡んできた。

「い、いや何でもないよ。そんな悪口なんて。マリンちゃんが田上さんのお知り合いだと知って驚いていただけで」

 慎吾が即座に否定をする。しかしそれは、どうも地雷だったようだ。

「ええっ! ちょっと田上さん、中田さんに何話したのよっ?」

 目を吊り上げた赤い顔のホステスが、耕平に噛みついてきた。

「何って本当のことしか話してませんけど」

「あのね、冗談はやめてよ! 私はお客様に夢を売るのが仕事なの。ホントのことバラして何が楽しいのよ。営業妨害しないでくれる」

「なるほど、夢を売る仕事ーーですか?」

 むきになる彼女をからかうように笑う耕平に、マリンは更に怒りを増幅させていく。

「何よ?」

「いや、どんな夢を売っていたのかなと思って。凄く興味ありますね」

「なっ、また馬鹿にした!」

「してませんよ、馬鹿になんて」

「してるわよ。その言い方すっごくムカつく」

 キーとムキになった彼女が、腕を振り上げて抗議をしてきた。その様子がとてもおかしくて、耕平はついつい笑い声を出していた。

 

「すんません、田上さん。オレ今夜は帰ります」

 

 しばらくすると突然慎吾が立ち上がり、耕平に頭を下げてきた。

「なんか色々ありすぎて、正直頭がついていきません。今夜はお開きで」

「はあ? 何だよいきなり。お前相談に乗るって……」

 真凛の母と笑い合っていた耕平は、驚いて後輩の手を掴む。

 自分だけ残されるなんてたまらない。知り合いのホステスと二人だなんて、気まずいったらないのだ。

「本当にすんません。申し訳ないんですが、今夜は相談には乗れないってことで……。お先しまっス……」

「お、おい」

 耕平の手をいとも簡単に振り払った後輩は、ママに挨拶をするとそそくさと店から出て行った。

 その間、数分。引き止める隙すらなかった。彼は、たった今まで慎吾が座っていた、誰もいない席を呆然と見つめる。

 テーブルの上には、直前に注文した酒が、きっちりと飲み干されてグラスだけになっていた。割り勘とかほざいていたが、この酒も耕平の支払い金額にちゃっかり含まれているのだろう。

 

 

「中田さん、帰っちゃったじゃない。私のお客さん、田上さんのせいで減っちゃったわ」

 真凛の母親が責めるように耕平を睨んだ。

「まだ減ったと決まった訳では……」

「田上さんが悪いのよ。私に子供がいること話したでしょ? 秘密にしてたのに」

 彼女の言い分は自分勝手なものだ。

 耕平は保育園での彼女とのあれこれを、慎吾と話題にしたのは確かだが、それは店へ来る道すがらのことであり、ましてや彼女がこの店にいるなど思いもよらなかったのだから。

 スナックへ腰を降ろしてからは、彼女と耕平の言動から慎吾自身が勘を働かせたわけだし、それらを全部彼のせいにされるのはどう考えても違うと思う。

 耕平の気分は、又しても下降していた。

「元はと言えば秋元さんが、小さい娘がいる母親のくせにこんな時間に働くのが悪いんでしょう。男に囲まれて楽しかったですか?」

 案の定、目の前の彼女は彼の言葉に反発してきた。

「何よ、その言い方。私がチヤホヤされたくてこんな仕事をしていると?」

「違うんですか?」

「違うわよ! あんたって本当に失礼な奴。お金のために決まってるでしょ。うちはお金を稼げるの私だけなんだから、やりくりが大変なのよ」

「えっ? ご主人は」

 驚いた耕平にマリンはふて腐れたように続ける。

「旦那はいないの。別れたのよ、三年前に」

 耕平は愕然として一瞬言葉をなくした。と言うことは、この派手な格好をしたいけすかない女も彼と同じシングルなのか。

 だが、同時にあることに気が付く。では今、真凛は誰といるのだろうか。

「子供は? 真凛ちゃんは今どこに?」

「上の子と一緒に家にいるわよ」

 いよいよ嫌な顔になってマリンは答えた。

「上の子?」

「私、中学生の娘がいるのよ。来年受験だから大変なの! もういいでしょ、放っといて」

 喚くように口にしたマリンに、耕平は思わず大声で質問を繰り返していた。

「えっ? 中学生? あんたいったいいくつなんだ?」

「あんたね、女に年を聞くなんてどういうつもり?」

「や、だって。その格好で中学生の娘とか、詐欺だろ色々」

「上の子は十七で産んだの、文句ある? それからこれはね、コスプレなのよ。私にとっては」

「コスプレ?」

 マリンがさらりと言ってのけた告白は、酷く彼の内面を乱していた。

 十七で産んだということは、現在三十一ぐらいということか。彼よりずっと若いと思っていた彼女は、なんてことはない、同世代だったのだ。

 信じられない、嘘だろう?

「そうよ。例えばこれは、『夜の蝶』ってとこよ」

 彼の驚愕になど気付きもせず、マリンは身に付けているなまめかしいワンピースをさりげなく指で撫でながら、妖しい笑みを浮かべて小首を傾げた。

 出るべき所は出て、締まるべき所は締まってる、魅力的な体を強調するかのように胸を反らす。

「夜の蝶?」

 何だ、それは。

 なんとなく追い詰められているような気分を振り払いながら、耕平は余裕を見せて笑った。だが心の中の動揺は消えはしない。

 何だと言うんだろう。彼には全く分からない。

「そう、夜の蝶。ホステスのことよ。なかなかイケてるでしょ。私昔から洋裁得意で、好きなキャラクターの洋服作って着たりしてたんだ。それの延長なの、これも。やりだしたら凝っちゃって髪を染めたりカラコン入れたり、お陰で若く見られて働き安いし。そうそう、娘達の服も手作りしてんのよ。可愛いでしょ、うちの子」

 そう言って、真凛の母親は屈託ない顔をして微笑んだ。

 彼女は自分の指をかざすように広げながら「指だけはね、ご飯作るから爪が伸ばせないのよ。つけ爪も面倒くさいからやらないし、だから全然お洒落出来ないのよね〜。ほらっ」と短く切った爪を押し付けてくる。

 耕平は戸惑うばかりだった。

 目前で親しげに振る舞う女性は誰なのか。本当に、彼の一番苦手な秋元真凛の母親なのか?

 酒に酔って潤んだ瞳はほんのりと色気を感じさせ、そのくせクルクルと変わってじっとしてない表情は、仕掛けた悪戯に引っ掛かる大人を、陰からわくわくして覗き見する子供のよう。

 

「『マリン』だなんて悪趣味だ」

 彼はやっとの思いで嫌味を口にした。喉がカラカラで潰れたような声だった。

「えっ?」

「娘の名前を使うなんて悪趣味ですよ」

「ーーああ、だって……」

 マリンは恥じらったように目を伏せる。

「私の名前、ちょっと古いのよ。源氏名ぐらい、好きな名前にしてもいいじゃない。だからね、……」

 彼女はごく自然に耕平の耳元に唇を寄せてきた。

 それからこっそりと、内緒話を始めるかのように小さな声で囁く。

 

「私の名前、正子って言うの。正しい子と書いてまさこ。ねっ? ちょっと古いでしょう」

 

 耳に心地よいその声は、賑やかでうるさい店内の中でも、ストンとまるで落ちるように彼の中へと入ってきたのだった。




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