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呼ばれて飛び出るツクモな彼氏〜美景の食療ダイアリー〜  作者: 猫屋ちゃき


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第一話 九月の長雨と、黄金のトウモロコシ土鍋ごはん

 あまり頭を揺らさないように、ゆっくりとした足取りで家までの道のりを歩く。

 体調が悪いときは、駅から家までの距離が短いってありがたいなと思う。そして、早退しやすい職場なのも。

 少し前の私の生活なら、考えられなかったことだ。

 おじいちゃんの遺した家を継ぐことになって、古き良き時代の空気感の残る町へ引っ越した。

 戦火を逃れ、木造住宅が今でも多く残されている。

 落ち着いた雰囲気なのに、少し電車に揺られればこれまでの職場には行ける立地だ。

 とはいえ、通勤時間が伸びたことと元々激務だったことで体調を崩して、今の職場に転職したわけである。


(まあ、転職しろって彼らがうるさかったからねぇ……)


 結果的に、今の職場はブラック気味の前職と違いホワイトで、通勤時間も短くなって、万々歳なわけだけれど。

 何だかんだ、おじいちゃんの家を相続してから人生が好転していっている気がする。


 築七十年。木造二階建て4LDK、小さな庭と離れ付き。

 これが私の今の棲家だ。


「ただいまー……誰かぁ、助けてぇ……」


 頭痛と目眩が極限に達してしまって、私は玄関を開けてダメ元で声を発してみた。

 ひとり暮らしだと知っている近所の人にもし見られたら、きっと頭がおかしくなったと思われてしまうだろう。それか、防犯意識が変な方向で高いと思われるか。


「虫が潰れたような声がしたと思えば……帰ったのか。今日は早いのだな」

「頭が痛くて目眩もしたから、早退してきたんだ」


 引き戸を閉める気力すらなく玄関で崩れ落ちそうになった私の身体を、すっと何者かの腕が受け止めてくれた。

 硬い板間に叩きつけられる覚悟をしていたのに、包み込まれたのは圧倒的な温もりと、ふわりと漂う上質な茶葉と木蓮の香り。


「……まったく。自分の身体の声に耳を傾けられるようになったのは感心するが……もっと早くに気づけなかったのか、美景」


 耳元で響く、低く澄んだ声。

 視界がぐるぐると揺れる中、すっと背中と膝裏に腕が滑り込んできて、身体が浮き上がった。姫抱っこだ。

「ウー……レン、さん……」

「喋るな。顔色が最悪だぞ」


 呆れ顔で見下ろしてくるのは、チャイナボタンのついた上衣を優雅に着こなす、息をのむほどの美形。

 長い黒髪を半分後ろで結い上げたその姿は、台湾ドラマに出てくる美形の俳優のようだ。

 人間離れしたイケメン同居人、というわけではない。

 そもそも彼は人間ではない。

 おじいちゃんが台湾の友人から譲り受けたという、最高級の台湾茶器の付喪神だ。

 そう──この家には、付喪神たちが住んでいる。

 ……うん。怪異だね。

 でも私、今年で二十六歳。元ブラック企業の社畜。

 前職で揉まれすぎたせいか、「イケメンの付喪神が家に棲みついている」くらいの異常事態、割とあっさり受け入れてしまった。

 だって、おじいちゃん家を相続して都心のブラックからこの近くのホワイト企業に転職できたのは大正解だったし、家賃は浮くし、何より勝手に出てきて世話を焼いてくれるイケメン(人間じゃない)がいるのだ。

 悪いことじゃないし、人生、細かいことを気にしていたら負けである。

 それに、この家を私が相続するときに何となくわかっていたことだった。

 誰も積極的に欲しがらないこの家、きっと何かあるなって。

 最初は、長男である伯父さんが継いで管理しようかという話だったのだ。

 うちの両親たちは他県での暮らしが気に入っていて東京の家に興味がなかったし、管理をするなら都内にいる伯父さんのほうが適任だろうということで揉めなかった。私も異論はなかった。

 でもすぐに、伯父さんが依頼した不動産会社から「言いづらいが妙な気配が……」との報告が入り、伯父さん自身も「オバケを見たかも」だなんて言い出して、この家の相続や管理を巡る話は一旦白紙に戻ったのである。

 そして、私の両親から「あんただって東京にいるんだから一回は見に行ったら?」と打診された。

 乗り気ではなかったものの、見に行かないわけにもいかなかったから一応足を運んだ。

 そのとき、ほんのりと「オバケってことは、おじいちゃんがいるのかも」と期待していたわけだけれど。

 様子を見に行ったときには何もなくて、でも不思議な居心地の良さがあって。

 不動産屋さんや伯父さんが感じたような〝負〟の感覚はまったくなかった。むしろ、〝私はここに住むんだろうな〟という予感すらあった。

 そんなわけで、私はこの下町の古民家を相続したわけである。

 もっとも、まさかイケメン付喪神たちがついてくるとは思っていなかったのだけれど。

 雨蓮(ウーレン)さんは私を居間の大きな座椅子まで運ぶと、優しく腰掛けさせてくれた。


「ここで座って待っていろ」


 そう言い残し、彼は軽やかな足取りで台所へと向かう。

 雨蓮さんは茶器の付喪神だ。だからこうして、何かにつけてよくお茶を淹れてくれる。

 しばらくすると、湯気の立つ湯飲みを手に彼が戻ってきた。ふわっと香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。


「雨蓮さん、これ何のお茶?」


 湯飲みを受け取り、くんくんと匂いを嗅ぎながら尋ねてみた。

「黒豆茶だ。体内の余分な水分を排出させる効果がある。今の美景には必要だろう」

 雨蓮さんは私の顔を覗き込みながら、淡々と効能を教えてくれた。

 言われた通りに一口飲む。香ばしさと優しい温もりが、身体の奥にじわーっと染み渡っていくようだ。

 温かいお茶を半分ほど飲み干すと、少しだけ頭の重さが和らぎ、顔色が戻ってきた。


「よし。少し落ち着いたな」


 私の様子を確認した雨蓮さんは、満足そうに頷いた。


「今の症状を和らげる食事を作ろう。美景、台所へ立ちなさい」


「えー……雨蓮さんが作ってくれたらいいのにー」


 体調不良を盾にして、私は座椅子に深々と沈み込みながら口を尖らせた。

 せっかくイケメンと同居しているのだから、至れり尽くせりで甘やかされたいという下心もある。

 でも、イケメン付喪神は甘いだけの男ではなかった。


「甘えるな。俺が作ることは簡単だが、それでは意味がない」


 雨蓮さんは腕を組み、真面目な顔で私を見下ろす。


「日頃から自分の体質や悩みに向き合って、それに合わせた食事作りをできるようになってほしいんだ。食べることが、何よりの薬になるのだからな」

「あー……医食同源、だっけ?」

「そう。季節や自分の体調に合わせた食物選びをできるようになるだけで、美景の健康状態はかなり改善するはずだ」


 ビシッと言い切られてしまった。


 なんだかイケメンとの甘い同居生活というより、厳しくも優しい家庭教師の先生と一緒にいるみたいだな、と思う。

 でも、不思議と嫌な気はしない。むしろ、ちょっと楽しいくらいだ。

 雨蓮さんの持つ豊富な東洋医学やお茶の知識。それは、おじいちゃんや、それ以前にこの茶器を大切に扱ってきた昔の人たちから受け継がれてきたものなのだろう。

 そう思うと、胸の奥があたたかい光で満たされるような気がした。


「……はーい、わかりました。先生」


 私は苦笑しながら座椅子から立ち上がり、雨蓮さんの後を追って台所へと向かった。

 台所に立つと、雨蓮さんは迷いのない足取りで冷蔵庫を開けた。

 野菜室をじっくり見渡し、フッと小さく口元を緩める。


「まあ……それなりのものは作れそうだな」

「だって雨蓮さんが、旬のものはとりあえず買ってみなさいって教えてくれたでしょ? だから色々買ってきてはみてるんだよ」


 胸を張って答えると、雨蓮さんは少し呆れたように溜息をついた。


「食材は買うだけでは意味がない。使って、食べろと言っているんだがな……」


 雨蓮さんはそう言いながら、冷蔵庫からいくつかの食材を取り出し、ステンレスの作業台の上に並べた。

 冬瓜、トウモロコシ、そしてシメジや舞茸といったキノコ類だ。


「美景、お前が苦しんでいる目眩や頭痛、体のだるさの原因は、東洋医学でいう『水毒(すいどく)』という症状だ」

「すいどく……?」

「体内に入った水分の代謝が滞り、余分な水が溜まって悪さをしている。いわば、体の中が水浸しになっている状態だな」

「そういうことか……梅雨とか台風のときとかによくなるんだ、この症状」


 もともと頭痛持ちの自覚はあったけれど、雨のときには薬も効かない目眩までしてくる頭痛に悩まされるなと思っていたのだ。

 ひどいときは起き上がれないほど激しい痛みと目眩だったから、その症状の正体を掴めたのはありがたい。


「じゃあ、冬瓜とトウモロコシが私の症状に効くの?」

「どちらも高い利尿作用があり、体の余分な水分を外へ抜いてくれる優れた食材だ」

「へぇ! むくみが取れるってわけか。……トウモロコシは好きだからいいけど、冬瓜はどうやって食べたらいいかわかんないな」


 正直、雨蓮さんに言われるがまま、近所の青果店で見かけて買ってはみたものの、完全に持て余していた。

 実家にいた頃にも食卓にのぼった記憶がない、私にとっては馴染みのない野菜だ。


「今日はキノコと一緒にスープにする」

「スープなら食べやすいかも! それにしても、何で『冬の瓜』って書くのに、夏が旬なの?」


 ふと気になって尋ねると、雨蓮さんは皮の硬い冬瓜を撫でながら教えてくれた。


「丸ごと冷暗所で保存すれば、冬まで持つからだ。収穫時期は初夏から晩夏、ちょうど今頃だがな」

「へぇ〜! 冬までもつから冬瓜なんだ。……じゃあ、今のうちに買って保存しておけばいいのか。まずは、美味しく調理する方法を知ってからだけど」


 私は袖をたくし上げ、まな板の前に立った。


「まずは米を研ぎなさい。トウモロコシは米と一緒に炊くから」

「トウモロコシご飯か、いいね」


 言われるがままにボールへ米を移し、手際よく研いでいく。社畜時代、土鍋なんてキッチンのただの置物でしかなかったのに、今はほぼ毎日稼働している。

 炊きたてご飯の美味しさを思い出せたのも、今の暮らしのいいところだ。


「次はトウモロコシの皮をむいて、ヒゲと実に分けるんだ」

「ヒゲも入れるの?」

「ヒゲに一番薬効があるからな。実は芯から包丁で削いで。芯も一緒に炊いてしまうから、そこまで神経質にならなくていい」


 雨蓮さんの指示に従って、トウモロコシの準備を進めていく。トウモロコシのヒゲなんて、いつもなら迷わず捨てていた部分だ。これが薬になるなんて、やっぱり不思議な感覚。


「それらを研いだ米の上に乗せて、醤油と酒と顆粒出汁を入れるんだ」

「え? 昆布とかでイチから出汁を取りなさい、とか言われるかと思った」

「現代には出汁を粉状にしたものがあると幸雅(ゆきまさ)が教えてくれたからな。便利なものがあるなら使うといい」

「へえ……おじいちゃんともよく一緒に料理をしたの?」

「もちろん。男やもめになり、ほとんど何もできなかった幸雅に、きちんと食事をするよう教えたのは我らだぞ」


 雨蓮さんの口から出たおじいちゃんの名前と、昔話。

 私は手を動かしながら、おじいちゃんの余生に思いを馳せた。

 五十代でおばあちゃんを亡くしてから、実家を伯父さん夫婦に譲り、この山の手の町の古民家を買ってひとり住んでいたおじいちゃん。

 周りからは『ちょっと変わり者で、ひとりで趣味に没頭している』なんて思われていたけれど。雨蓮さんたち付喪神と賑やかに、楽しく暮らしていたんだと知って、なんだか無性に嬉しくなった。


「よし、トウモロコシご飯は土鍋にセット完了! 次はスープだね」

「次は、冬瓜の皮をむいて。まずは半分に切ったらワタを外して、食べやすい大きさに切っていきなさい」

「食べやすい大きさって……ひと口大ならいいのかな」

「少し隠し包丁を入れておくといい。味がしみやすくなる」


 あまり小さく切りすぎて、煮込んだあとに影も形もなくなってしまうのは嫌だな。探り探り、ゴロッと存在感が残る大きさに包丁を入れていく。


「あ、これ、しっかり煮込んだほうが絶対に美味しそう! 電気調理鍋使っちゃお!」


 思い立って、棚の奥から電気調理鍋を抱えてきた。

 これも前の生活では完全な無用の長物だったけれど、最近はすっかり大活躍している家電だ。元々はこれで角煮を煮たり、ホロホロの牛すじカレーを作るのに憧れて買ったものだった。


「それは……あの便利な鍋だな。魔法のように煮込み時間が短くなるやつか。それならキノコは最初から一緒に煮てはだめだ。跡形もなく消えてしまうぞ」

「はーい、キノコは後入れね。スープの出汁は、鶏ガラにしちゃおう」


 私は言われた通り、冬瓜と出汁、そしてたっぷりの水を電気調理鍋の中へとセットしていった。

 電気調理鍋の蓋をしっかりと閉め、煮込みボタンを押す。

 カチッという軽快な操作音とともに、鍋が静かに仕事を始めてくれた。


「よしっ、これで冬瓜は放置でOK! 魔法の鍋、バンザイ!」

「ほう……火を使わずに勝手に圧力をかけて煮込んでくれるのか。時代の進歩というのは大したものだな。だが美景、浮かれるのは早いぞ。トウモロコシご飯とスープの仕上げ、そしてキノコを入れるタイミングを見極めねばならん」

「はーい、雨蓮先生」


 腕を組んで佇む雨蓮さんに、私は軽めの敬礼で返した。

 雨蓮さんは「まったく……」と小さく呆れつつも、まな板の上に残ったキノコへと視線を向けた。


「キノコ類──特に舞茸やしめじは、水分代謝を助けるだけでなく、胃腸の働きを補ってエネルギーを巡らせる作用がある。水毒で弱り切った今の美景の身体には、絶好の補給源だな」

「へえ〜、キノコってただのヘルシー食材じゃなくて、ちゃんとパワーがあるんだね」

「当然だ。無駄な食材などひとつもない。……ほら、キノコを手で小房に分けておけ。包丁で切るより手で裂いた方が、味が染み込みやすくなる」

「はーい!」


 私はしめじと舞茸を手でサクサクとほぐしていく。キノコの独特な、どこか深い森を思わせる良い香りが手元から立ち上る。

 作業を進めていると、隣で雨蓮さんが静かにコンロへ向かい、土鍋の様子を伺っていた。


「そろそろだな。トウモロコシご飯の火を止める」

「あ、土鍋のご飯って、火を止めたあとの蒸らしが大事なんだっけ?」

「よく覚えているな。ここで焦って蓋を開けては台無しだ。十分ほどじっくりと蒸らし、米の芯まで熱と旨味を行き渡らせる」


 ふう、と息をついて雨蓮さんがこちらを振り返った。

 おしゃべりをしているうちに時間が経っていて、電気調理鍋が『ピー、ピー、ピー』と軽やかな電子音を鳴らした。冬瓜の加圧調理が完了した合図だ。


「よし、圧力が抜けたな。キノコを投入するぞ」

「了解!」


 私が蓋を開けると、一気に白い湯気がフワッと立ち上った。

 甘く、どこか懐かしい出汁の香りが台所いっぱいに広がる。中に沈んでいた冬瓜は、先ほどまでの固い緑色から一変して、うっすらと向こう側が透けて見えそうなほどトロンとした状態になっていた。


「うわあ……! すごい、煮えてトロトロになってる!」

「ふむ、悪くない煮込み加減だ。ここに先ほどほぐしたキノコを入れ、ひと煮立ちさせろ。キノコは火が通りやすい。加熱しすぎると食感も香りも飛んでしまうからな」


 私はほぐしたしめじと舞茸を鍋に投入し、軽く混ぜ合わせた。

 ひと煮立ちさせると、キノコから出た深みのある香りが冬瓜の甘い湯気と混ざり合い、とてつもなく食欲をそそる匂いへと変化した。


「雨蓮さん、味付けはこれで大丈夫かな?」

「どれ、貸してみろ」


 雨蓮さんがスッと私の隣に寄り添った。

 お玉でスープをすくい、小さな木製のお椀に少量注ぐ。

 そして、湯気が立つお椀からスプーンでひと匙すくうとふーふーと優しく息を吹きかけ、温度を冷ましてから──私の方へと差し出してきた。


「え?」

「味見だ。お前が美味いと感じる塩梅でなければ意味がない」


 雨蓮さんは何でもない顔をして、私にスプーンを差し出してくる。

 とんでもないイケメンに〝あーん〟してもらうなんてイベントが私の人生に発生するなんて……。


「どうした? 冷めたぞ。早く飲め」


 恥ずかしくて断りたかったけれど、飲まなければ終わらない雰囲気だ。というより、恥ずかしいのは私だけで、雨蓮さんは何も感じていないみたいだ。


「あ、うん……」


 至近距離にある雨蓮さんの顔。

 長いまつげと、吸い込まれそうなほど綺麗な切れ長の瞳。ほんのり漂う上質な台湾茶の香り。

 心臓が跳ねるのを誤魔化しながら、私はスプーンに口を付けた。


「 美味しい……!!」


 ひと口含んだ瞬間、思わず声が漏れた。

 出汁の旨味と冬瓜の優しい甘み、そしてキノコの豊かな風味が絶妙なハーモニーを奏でている。

 塩気は極控えめなのに、素材の味がしっかり染み出していて、じんわりと身体に染み渡るような深い味わいだ。


「どうだ?」

「完璧! めちゃくちゃ美味しい! 身体が『これをお腹に入れて!』って叫んでる感じがする!」

「ならば合格だな。盛り付けるぞ」


 雨蓮さんは満足そうに口元を和らげると、手際よく深皿へとスープを注いでくれた。

 続いて、蒸らし終わった土鍋の前に立つ。

 私が両手で重い土鍋の蓋を掴み、期待を込めて一気に持ち上げた。


「わぁ……!」


 立ち上る真白な湯気の向こうに現れたのは、一面に広がる鮮やかな金色の粒。

 ふっくらと炊き上がったお米の上に、たっぷりのトウモロコシの実とヒゲ、そして中央に鎮座する芯。

 醤油と酒の香ばしい香りが、トウモロコシの弾けるような甘い香りと混ざり合い、部屋中に広がっていく。


「見て雨蓮さん! すっごく綺麗に炊けてる!」

「芯を取り除き、底からサックリと切り混ぜろ。おこげができているはずだ」


 言われた通りにしゃもじを底へ差し込むと、カリッとした心地よい手応えとともに、狐色に色づいた香ばしいおこげが顔を出した。

 トウモロコシのヒゲも、しんなりとお米に馴染んで全く違和感がない。


「うわぁ、美味しそう……! ヒゲも全然邪魔になってないね」

「言っただろう。ヒゲこそが『玉米鬚(ぎょくべいじゅ)』と呼ばれる立派な生薬なのだと。さあ、冷めないうちに居間へ運ぶぞ」


 二人で協力して、居間の低い木製テーブルに料理を並べた。

 透き通った冬瓜とキノコのスープ。

 黄金色に輝くトウモロコシご飯。

 そして、雨蓮さんが淹れてくれた香ばしい黒豆茶。

 豪勢なごちそう、というわけではない。けれど、今の私の身体が一番欲しているものが詰まった、究極の「養生ごはん」だ。


「それじゃあ……いただきます!」


 手を合わせ、まずはお茶碗に盛ったトウモロコシご飯をひと口。

 口の中でトウモロコシの粒が弾け、ジュワッとフレッシュな甘みが広がった。

 追ってやってくるお米の旨味と、出汁醤油の香ばしさ。そしてカリッとしたおこげの食感。

 噛めば噛むほど味わい深く、いくらでも食べられそうだ。


「んん〜〜っ! 甘い! トウモロコシの甘みがすごくて、ご飯とめちゃくちゃ合う!」

「噛む回数を増やせよ。唾液を分泌させることも、消化を助け、体内の巡りを良くする第一歩だ」

「はーい」


 続いて、スープを蓮華ですくい、フーフーと冷まして口へ運ぶ。

 ゴロッと大きく切った冬瓜を噛むと、中でギュッと凝縮されていた旨味スープが溢れ出してきた。トロッととろけるような口当たりで、噛む必要すらないくらい柔らかい。キノコのシャキシャキとした食感が良いアクセントになっている。

 熱いスープが胃の中に落ちていくたび、お腹の底からじんわりと温かい波が広がっていくのがわかった。


(……あ、すごい)


 気づけば、帰宅したときに私を苦しめていた、あのズキズキとした激しい頭痛と目眩が、嘘のように引き始めていた。

 頭全体を覆っていた重い雲が晴れていくみたいに、視界がスッキリと明るくなっていく。

 重だるかった肩や首筋も、驚くほど軽い。


「雨蓮さん……すごいよ! 頭痛も目眩も、すっごく楽になってきた!」

「フッ……だから言っただろう。食材の力を正しく使えば、身体は必ず応えてくれるとな」

 向かい側に座る雨蓮さんは、自分の前にあるお茶を嗜みながら、誇らしげに口元をほころばせた。


「お前は頑張りすぎる悪癖があるようだ。前職のブラック企業とやらに毒されていたせいもあるのだろうが、自分の不調を『大したことない』と無視し続けるのは一番の愚策だ。不調は、身体が出している救難信号なのだからな」

「うっ……耳が痛い」

「だが、今日はよく自分の不調に気づき、早退して帰ってきた。そして、自分で包丁を握り、体に良いものを食べた。……よく頑張ったな、美景」


 そう言って、雨蓮さんはスッと立ち上がると、私の隣へ歩み寄ってきた。

 そして、大きな長くて美しい手を、私の頭の上にそっと乗せる。

 ポンポン、と優しく頭を撫でられた。


「あ……」

「来週も、その先も、季節は巡る。不調になれば、その都度正せばいい。俺がついていてやるからな」


 不意打ちの言葉と、頭に伝わるじんわりとした温もり。

 雨蓮さんの柔らかな微笑みが至近距離で見つめてきて、胸の奥がキュンと跳ねた。

 ちょっと待って、このイケメン付喪神、無自覚にキュン死させにきてない!?

 顔に熱が登っていくのをを感じて、私は照れ隠しに勢いよくご飯をかきこんだ。


「……! ごちそうさまでした! 美味しかったです、雨蓮先生!」

「ふふ、元気になって何より──」


 雨蓮さんが満足そうに目を細めた、その瞬間だった。

 居間の隣にある書斎の引き戸が、激しい音を立てて開け放たれた。


「ズルいぞ雨蓮! 自分だけ美景ちゃんと良い雰囲気になりやがってー!」


 甲高い声とともに突進してきたのは、橙色の着物を着た一人の少年だった。

 頭の上にはぴんと立った狐の耳、お尻にはふさふさの尻尾が見える。

 おじいちゃんが台湾から連れてきたという、狐の形の茶玩(ちゃがん)の付喪神──狐白(フーバイ)くんだ。


「狐白、騒ぐなと言っただろう。美景は体調不良で早く帰ってきたのだぞ」

「だって! 僕だって美景ちゃんに頭撫でてほしいし、美味しそうな匂いさせるからお腹空いちゃったんだもん!」


 狐白くんは私の膝の上にポーンと飛び乗ってくると、「美景ちゃん美景ちゃん!」と甘えるように擦り寄ってきた。可愛い。可愛すぎるけれど、尻尾が私の顔に当たってくすぐったい。


「やれやれ、相変わらず騒々しい子供ですねぇ」


 続いて、ゆったりとした歩調で現れたのは、墨色の羽織を優雅に羽織った渋い男の人だった。

 落ち着いた眼差しと、整った髭。おじいちゃんが愛用していたという上質な筆の付喪神──玄斎(げんさい)さんだ。


「美景殿、体調は少しは良くなりましたかな? 幸雅(ゆきまさ)殿が生き返ったかのような見事な手際、陰ながら拝見しておりましたぞ」

「玄斎さん、ありがとうございます! 雨蓮さんのおかげで、すっかり良くなりました」

「ほう、それは重畳。……しかし雨蓮どの、香ばしいトウモロコシの匂いを家中に充満させておきながら、我らを仲間外れとは少々意地が悪いのではないかな?」

 玄斎さんがクスクスと楽しそうに笑う。

 すると、その背後から扇子をパチンと鳴らしながら、派手な着物を着流した長身のイケメンがぬうっと顔を出した。


「まったくだよ〜。オレなんて、美景ちゃんの美しいお顔を掛け軸の中から見守ることしかできなくて、寂しさで干からびるかと思ったよ?」


 さらりとキザな台詞を吐きながらウィンクしてみせるのは、役者絵の付喪神──薫(かおる)さんだ。

 一歩間違えればただのナンパ男になりそうな台詞も、彼ほどの美丈夫が言うと絵になりすぎて怖い。


「薫さんまで……! みんな、起きてたんだね」

「当たり前だろ。美景ちゃんが早退して帰ってきたって聞いて、みんな心配してたんだよ? ねえ美景ちゃん、オレにもそのトウモロコシご飯、あ〜んしておくれよ」

「こら薫、調子に乗るな。美景に馴々しく触れるなと言っているだろう」


 雨蓮さんが速攻で薫さんの顔面に扇子を叩き込み、割り込んできた。

 さっきまでの過保護で優しい「先生」の顔はどこへやら、一瞬で厳しい顔になってしまった。


「痛いじゃねぇか! 雨蓮、美景ちゃんはお前だけのもんじゃねぇからな」

「黙れ。美景、こいつらの戯言は気にしなくていい。美味いお茶でも淹れ直してやるから、ゆっくり休み続けろ」

「あー! 雨蓮だけずるい! 僕もお茶飲む! 美景ちゃんのお膝で飲むー!」

「私にも一杯淹れていただけますかな、雨蓮どの」


 一瞬にして、静かだった居間が大騒ぎになった。

 美形揃いの付喪神たちが、私の周りを取り囲み、あーだこーだと賑やかに主張し合っている。

 ……うん、やっぱりすごくうるさい。

 でも、すごく温かい。

 かつてブラック企業で終電に追われ、冷え切ったコンビニ弁当を一人で食べていた頃の私には、こんな未来は想像もつかなかった。

 おじいちゃんが遺してくれた、築七十年の古民家。

 そこに棲みつく、ちょっと厄介で、最高に過保護なイケメン付喪神たち。


「……ふふっ」


 思わず笑いがこぼれた。


「何がおかしい、美景」


 雨蓮さんが不思議そうに眉をひそめる。


「ううん、何でもない! みんなの分のご飯、まだ土鍋に残ってるから、分けてあげるね!」

「本当? 美景ちゃん大好きー!」

「美景殿、かたじけない」

「ハーイ、美景ちゃんの手料理楽しみにしてるぜー」


 賑やかな歓声が上がると同時に、私の心と身体は、すっかり満たされていた。

 身体の不調を体に良い食事で癒やしながら過ごす、四季折々の古民家暮らし。

 大変なこともたくさんありそうけれど──この家に来て、本当に良かったな。

 私は雨蓮さんと目を合わせ、笑顔で小さく頷いたのだった。


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