黒い残響
事件から数日、東京湾岸は静かな緊張に包まれていた。黒いKIMENの影は、まだ街の片隅に残っている――。
2045年10月4日 午前4時32分
湾岸エリア
未明の東京は、まだ昨夜の傷跡を残したままだった。
高架道路の上では、何台もの車両が横転し、砕けたガードレールの破片が夜風に転がっている。
黒く焼け焦げたアスファルト。
崩れた高架の側壁。
海沿いの倉庫街には、まだ焦げ臭さと鉄の匂いが残っていた。
赤色灯が絶え間なく点滅する。
規制線が張り巡らされ、無数の警備ドローンが空中を巡回している。
炎上した輸送車両の残骸を、大型無人重機がゆっくりと持ち上げるたび、歪んだ鉄骨が軋む音が響いた。
現場では、防護マスクをつけた作業員達が慌ただしく動き回っている。
だが、その表情は誰も同じだった。
疲労。
動揺。
そして、言葉にできない恐怖。
上空では、報道用ドローンが何機も旋回していた。
『昨夜、湾岸第七高架道路付近で発生した大規模違法KAMEN事件について、警視庁は現在も逃走した違法装着者の行方を追っています』
『現場では複数の改造KAMENが確認されており、違法売買組織との関連も視野に捜査が進められています』
『なお、SNS上で拡散されている“黒い鬼”に関する情報について、警視庁は「事実確認中」としており――』
都内各所の大型モニターには、同じニュース映像が繰り返し流されていた。
だが、現場にいた者達が見たものは、そんな言葉では到底説明できなかった。
トラックを殴り飛ばした黒い影。
違法KAMENを素手で叩き潰した異形。
煙の中で赤く光る双眼。
そして、耳の奥に焼きつくような、あの咆哮。
『あれ、人間じゃなかった』
『黒い鬼がいた』
『違法KAMENとか、そんなレベルじゃない』
『最後に立ってたやつ、怪物だった』
SNSには、昨夜の現場を撮影した映像が無数に投稿されていた。
手ブレした動画。
遠くから映された黒いシルエット。
燃え上がる炎の向こうで、一瞬だけ赤く光る眼。
だが、動画は次々と削除されていく。
投稿アカウントごと消えるものもあった。
それでも、拡散は止まらない。
“黒い鬼”
“新型軍用KAMEN”
“都市伝説”
“政府の隠蔽”
様々な言葉が飛び交う中で、ひとつだけ確かなことがあった。
昨夜、東京で何かが目覚めた。
◇
東京湾沿い。
自動搬送車が並ぶ巨大医療施設。
白い廊下の奥で、結菜は無言のまま椅子に座っていた。
腕には簡易固定具。
頬には浅い擦り傷。
白閃はすでに回収され、彼女の手元には何もない。
壁際では、医療用ドローンが低い音を立てながら行き交っていた。
「外傷は軽度。脳波異常なし。KAMEN同調率も正常範囲です」
淡々とした声で医師が告げる。
結菜は、小さく頷くだけだった。
視線は、自分の手に落ちている。
まだ、震えていた。
怖かった。
何もできなかった。
戦えなかった。
けれど。
脳裏から離れない。
炎の中に立っていた、あの黒い影が。
あの異形のKAMENが。
誰よりも恐ろしかったはずなのに。
誰よりも目が離せなかった。
結菜は、自分の右手を強く握る。
あの時。
ほんの一瞬だけ。
黒い鬼がこちらを見た気がした。
赤く光る眼。
荒い呼吸。
傷だらけの身体。
それなのに。
なぜか、知らない誰かを見るようには思えなかった。
「……あれ、誰だったの……」
誰にも聞こえないほど小さな声が、白い部屋に溶けた。
◇
一方。
東京外れの廃ビル。
誰も使わなくなった暗い一室の中で、大和は床に座り込んでいた。
制服は裂け、全身に包帯が巻かれている。
右腕だけが、異様に熱かった。
息を吐くたび、鈍い痛みが胸を走る。
昨夜の記憶が、断片的に頭の中を流れていた。
拳。
悲鳴。
血。
砕ける装甲。
自分の腕で、自分じゃない何かを殴っていた感覚。
「……っ」
大和は、右腕を押さえる。
包帯の隙間から、赤黒い線が皮膚に浮かび上がっていた。
まるで、血管そのものが焼け焦げたみたいに。
その瞬間。
頭の奥で、低い声が響く。
『楽しかっただろう?』
『壊した』
『潰した』
『踏み砕いた』
『あいつらより、お前の方がずっと怪物だった』
「……黙れ」
大和は歯を食いしばる。
だが、声は消えない。
『もっと欲しい』
『もっと戦え』
『お前は、ああいう場所でしか生きられない』
「黙れッ!!」
叫んだ瞬間。
部屋の隅に置かれていた黒いKIMEN――GOUが、わずかに赤く光った。
静かな部屋の中で、低い駆動音だけが響く。
大和は息を切らしながら、それを睨む。
昨夜、自分は何をした。
何を壊した。
本当に、自分だったのか。
それすら、もうわからなかった。
◇
同時刻。
都内某所。
地下深く。
冷たい金属の壁に囲まれた巨大施設。
薄暗い格納庫の中、無数のカプセルが静かに眠る。
軍用。実験用。封印指定。
その中央で、黒い布に覆われた一体だけが鎮座していた。
モニターには、昨夜の湾岸高架道路での戦闘データが映し出される。
違法KAMEN群。赤く光る双眼。
そして、黒い鬼――GOU。
白衣の女は画面を見つめ、口元をわずかに歪めた。
「やっぱり……起きたんだ」
その瞬間。
低い警告音が格納庫に響く。
布の中で、何かが蠢く。
赤いランプが点滅し、金属が軋む。
そして、一つの巨大な腕がゆっくりと持ち上がった。
棘だらけの異形の鬼腕。まるで生き物のように脈動している。
モニターに、新たな文字列が浮かぶ。
『KIMEN:RASETSU』
『SYNC RATE : 03%』
『適合者、捜索開始』
深い闇の中、RASETSUの目がゆっくり開いた。
毒々しく光る紫色の瞳が、まるでこの都市を見据えるかのように。
――東京のどこかで、もう一つの戦いが、今、動き出す。
【お知らせ】
第4話を読んでくれてありがとう。
湾岸の夜で目覚めた大和とGOU、そして新たに動き出すRASETSU――物語はここで一旦区切りです。
ここから先に向けて、少しだけ物語の構成や世界観を整理しながら、第5話の執筆に入っています。
大和、結菜、そしてRASETSU。
それぞれの戦いは、ここからさらに動き出します。
第5話公開まで、もう少しだけ待っていてください。
――大和の戦いは、まだ終わらない。




