第五話 ナメクジ、一言申し上げる
大広間のような開けた空間、ゴブリン君はひた走った。
こちらに逃げてくるゴブリンたちに混ざって、フードマントたちに近づいていく。
体を低くしたゴブリン君は、奴らの足元を抜けながら、刃で足首を撫でていった。
「いてぇ!」
「一匹ヤバいのがいるぞ!」
四人程度に傷をつけたところで、ゴブリン君の存在がバレた。
だが同時にヤツらの大量失血が始まった。
カラカラに乾いた地面がジクジクと赤い水たまりに変わる。
ここからが本番だ。
ナメクジも覚悟を決めた。
傷口に触覚を伸ばして全力で吸い上げる。
「な、なんだこの管――あああ」
あの時の熊のように、人間がミイラになっていく。
あっという間に吸い切りそうで拍子抜けだ。
「マス・ブラッドヒール」
「え?」
ミイラが紅く輝くと、みるみる体がハリを取り戻していく。
失血で倒れた連中も膝をつきながら立ち上がった。
「司祭様! ありがとうございます!」
「おお、奇跡だ」
ナメクジが思考停止していると、フードマントの集団が割れた。
ジャラジャラ装飾品をつけた壮年の男が前に出てきた。
「ゴブリン君あいつだ!」
「はいっ!」
ナメクジがぼやついている間にも、生徒は止まっていなかった。
ゴブリン君には戦闘では一番偉そうなやつを狙えと教え込んでいる。
前に出てきたバカに思い知らせてやれ。
ゴブリン君は、雑魚マントどもをつむじかぜのようにすり抜け、司祭の前で飛び上がった。
ナイフを振り抜こうとしたゴブリン君に、病的に白い手が差し出された。
「コラプション」
「ギャッ!」
どす黒い瘴気の霧が噴射され、小さなゴブリン君の体は壁に打ち付けられた。
霧を浴びたところ皮膚が、紫色になり腐っていく。
ナメクジに傷はなかった。
その代わりにナメクジを庇った緑色の手が爛れている。
ナメクジは急いで傷口に肉ジュースを注いだ。
前に出てきたバカは自分達だったのかもしれない。
「プリセプター・スラッグか? 珍しい。いい触媒になるかもしれんな」
もう一度呪文を唱えると、連中は皆立ち上がり、それぞれ武器を構えて腰を落とした。
やっぱりつえーじゃねえかクソが。
選ばなかった未来が立ち塞がっている。
敵は、サングイン・プリーストだった。
※
立ち上がったゴブリン君は冷静さを取り戻していた。
フードマントの連中の中には飛び込まず、浅くは踏み込んでは小さな傷をつけては距離を取る。
スライム相手に鍛えた基本戦闘術だ。
吹き出した血を司祭がブラッドヒールで回復した。
「左!」
「はい!」
「ぐあああ!」
ゴブリン君は、指示を聞くなり地面に飛び込んだ。
頭の上を黒い霧が通過して、不憫なフードマントの顔面を焼いた。
司祭の動きはナメクジが注視している。
いい子だ。
生徒は全ての指示を完璧にこなしている。
「お前の仕込みかね? ナメクジよ」
瘴気にのたうつフードマントを背に、司祭が投げかけた。
ゴブリン君ではなく、ちっぽけなナメクジを見ている。
「司祭様、あたしはチンケな寄生虫でございます」
「ふん、たかが小鬼にこんな戦い方はできん。プリセプターのスキルか?」
消耗線だがやれるかもしれない。
そう思ってゴブリン君を見たナメクジは、体のうねりを止めた。
「し、しじを、ください」
体が揺れて、呼吸が荒い。
まだやれるのか?
「あれだけあれば、神への供物は足りている。お仲間の小鬼も逃げ出した。どこへとも行くがよい」
「そ、そうだ、失せろモンスター共」
哀れな肉壁どもが腰の引けた声で同調した。
彼らは何度もミイラになったり、瘴気のフレンドリーファイアを喰らっていた。
ブラッドヒールがなければとっくに死んでいる。
突撃の熱が去ったナメクジは、プルリと震えた。
小鬼たちを逃がした今、ここは泥沼なのだ。
武器を構えた男たちがこちらを見ている。
ゴブリン君は良くやった。
そうだよな?
ナメクジはゴブリン君を見上げた。
握り込んだナイフはギチギチと音が鳴っている。
うちの生徒は血走った目で司祭を睨みつけている。
伸ばした触覚目が、だらりとうなだれた。
俺が出した方針だ。
『褒めてもらうのは戦闘が終わってから』
『戦闘を終わらせることがワンアクション』
それがなんだ、このざまは。
ふざけんじゃない。
「ナメクジ様?」
生徒に顔向けできん。
見とけオラッ!
ナメクジはゴブリン君の腕から抜け出して、地面にペチャリと着地した。
糸を引きながらゆっくり前に出て、一匹戦場のど真ん中に陣取った。
フードマントたちが後ずさる。
目と口を伸ばして下から司祭を見上げる。
「司祭様。不肖ナメクジが諫言申し上げます」
「なんだ小賢しい。言ってみよ」
司祭は角ばった顎を撫でながら眉を顰めた。
「供物が足りてるとか足りてないとか、あんた神様と商売してるんですか?」
「……なんだと?」
「使徒たるもの、尽くすために尽くすのだ! 不信心もの!」
「死ね」
眼前に迫る致死の霧に、ナメクジは触覚を前に出した。
「フレッシュ・シールド」
触覚の先が大きく膨れ上がった。
分厚く白い肉の盾が広がり、腐食の霧を遮断した。
「ふん――コラプション」
再び霧が吹き荒んだ。
肉の盾のあちこちに穴が開き、入り込んだ瘴気がチリチリとナメクジを焼く。
フレッシュ・シールドは今にも消えそうだった。
ナメクジは触覚目を後ろに向けた。
ゴブリン君は太ももに力を漲らせてこちらを見ている。
我慢できてえらい!
「指示をください!」
「助けはいらんから好きにぶっ殺せ! 俺に供物を捧げろ!」
「はい!」
指示は二つだ。
今のゴブリン君なら大丈夫。
這うように飛び出したゴブリン君は、間近な敵を斬りつけた。
フードマントの集団は硬直している。
標的が二つに分かれたからだ。
そのまま背中にぬらっと回ると、ドロップキックをかました。
ゴブリン君は振り向かない。
勢いそのまま切り込んでいく。
うちの生徒は優秀だ。
「お前の部下は指示待ちヤロウばっかりだな!」
体をくねらせて司祭を煽っていると、転がってきたフードマントの男と目があった。
「こんにちは」
「や、やめて」
傷口に触覚を伸ばして力の限り吸い上げる。
肉の盾がミチミチと厚みを取り戻していく。
「小鬼のみに集中せよ!」
司祭が的確に指示を飛ばした。
そうだ、ノロマなナメクジには攻撃手段は乏しい。
距離を取られれば自分は無力だ。
司祭もフードマントたちもナメクジから距離を取る。
数の圧力に押されるゴブリン君に小さな傷が増えていく。
早く助けてやらないといけない。
だが、何故かいつもより動きが良くなっている。
「小鬼のくせに!」
「ギッ! く、供物を捧げます!」
ゴブリン君が背中を切られながらも、再びフードマントを供給してくれた。
そして彼の体がうっすら紅く光る。
スキル『蛞蝓信仰』ってこれか?
だが多勢に無勢は変わりない。
ちょっと待っててくれよ?
ナメクジは目の前に転がる男のおでこに、触覚を一本張り付けた。
触覚目を伸ばして、男が半狂乱になって首を横に振る姿を、じっと見つめる。
ナメクジは一人目の男を吸い切った。
そしてミイラの顔がよく見えるように、皮の張り付いた頭蓋骨を震える男の前に置いた。
男は涙と鼻水に塗れながら、首を縦に振った。
そしてふらふらと立ち上がり、司祭のところに戻っていった。
「司祭様あああ」
「ぐあっ! なっ、何をする!?」
フードマントたちは、司祭の声に振り向いた。
男は司祭を斬りつけていた。
おでこに真っ赤な紋章が輝いている。
「ゴブリン君、おかわりは?」
「はい!」
優秀な生徒は前だけを見ていた。
ナメクジは触覚を組んで頷いた。
広間に剣戟が響く中、哀れなフードマントがゴロッと転がってきた。
男が涙に塗れた顔で、ウヨウヨ蠢く触覚を見ている。
「こんにちは」
「……神よ、お助けください」
男の嘆きを知ってか知らずか、能天気な声がナメクジに届いた。
「ナメクジ様! お助けありがとうございます!」
クリクリのお目々にはなんの迷いも浮かんでいない。
うなだれた男の額に紋章が浮かび上がった。
「……不信心者らめ!」
青白い仏頂面が初めて歪む。
舌打ち一つして、後ろに振り向くと、黒いマントがはためいた。
司祭は戦場を背に、亡骸の山に歩いていった。
読んでいただきありがとうございます。
もしよろしければ、ブクマ・評価いただけると励みになります!
金曜日に定期更新です。




