第一話 ナメクジ、甘露をすする
なにこれ死ぬよ! 死んじゃうよ!
とにもかくにも何か飲みたい。
喉の内側が渇きすぎて、ベッタリ張り付いているようだ。
何か飲まないと息ができないくらい、体が水分を求めている。
身動きを取ろうにも指一本動かない。
目も見えないし耳も聞こえない。
助けを呼ぼうとしたが、張り付いた喉から出るのは、か細い空気だけ。
息が、息がしたい。
「……!」
ふと、唇に何かが触れた気がした。
パキパキに乾いた唇が、潤いを取り戻しているのを感じる。
思わず舌を出して口の周りを舐った。
うまい!
水分だと思う前に、脳天を突き抜けるような甘さに、味覚が揺らされた。
体が動かないなら、舌だ舌!
視界は回復しないが、それどころじゃない。
自分が何を舐めているのかも分からないまま、必死で水分を求め続ける。
――進化条件の一部を達成しました。
――幼生段階の適応が完了。
――ベビー・ケイブ・スラッグ Level2→4
――スキル『感覚器官生成』Level 1を得ました。
――ユニークスキル『論理』Level 1を得ました。
周りがなにか言っている。
人が死にそうだってのにゲームでもやってんのかよ。
ムカついたら少し元気が出てきた気がする。
まずは状況を確認しなければいけない。
ここはどこなんだろう。
――スキル『感覚器官生成』にて眼球を生成します。
また何か言っている。
眼球がどうとか言っているし、もしや自分は手術を受けている最中なのだろうか。
目の手術で麻酔が切れたとか怖すぎる。
早く止めなければ。
霞んでいた目が見えてきた。
ゆらめく水面のようなものがうっすら見える。
――ん?
目を凝らしていると少しずつ焦点が合ってくる。
テラテラとした質感の頭部に、触角のようなものが二本揺れている。
黒い粒のような目が、こちらをじっと見ている気がした。
なんだこれ、悪夢か?
どうやら自分はナメクジになっていた。
※
目を覚ましたいが、手もないこの体では顔をパンパンすることもできない。
向こうに見える岩壁に体当たりをしてみたが、スピードが出ないわ、体はフニフニだわ、湿った岩壁が気持ちいいわでどうにもならない。
結局今は始めの水場に戻って水面をペロペロやっている。
――進化条件の一部を達成しました。
――ベビー・ケイブ・スラッグ Level 5→7
――スキル『溶解液』Level 1を得ました。
さっきから脳内でケイブ・スラッグだの、レベルがどうだのと色々言っているが、何のことかわからない。
どうせ夢なんだ。
起きる前に夢みたいな甘い水をたっぷり啜ってやる。
周りを見渡すとここは洞窟の入り口のようだった。
薄暗くてよく見えないが、少し登ったところにある小さな入りから、淡い月の光が差し込んでいる。
自分が舐めているこのお水も、あの入り口から小さな滝のように岩壁を伝って流れ込んでいる。
あんまり水を飲みすぎて催しても困る。
少し冒険してみよう。
視界がだんだんクリアになってきている。
今の自分には、取ってつけたような目ん玉が、二本の触覚の間から生えている。
元々のおまけみたいな目は、ほとんど何も見えない。
感覚器官のレベルがどうとか、そんなの知らない。
気合を入れたら目のついた触覚が増えたのだ。
以上。
それにしても、水面を見て思う。
気持ち悪いな、と。
どうせこんな夢を見るなら、オーガとかデーモンとかの夢が良かった。
ずりずりと川を伝って移動して小一時間、ナメクジは入り口を見上げる崖、その麓までやっとこさたどり着いた。
そして差し込んでくる月明かりの下、川の流れの色を見て初めて気づいた。
水が赤い。
そして崖の下には血だらけで横たわる背中が見える。
光が淡くて見づらいが、緑色の肌に子供のような体だった。
犬小屋の毛布のようなボロ切れを身につけている。
恐る恐る正面に擦り寄ると、そいつは白目を剥いて気絶していた。
頭部に小さな二本角と、半開きの口から鋭い犬歯が覗いている。
どうやらゴブリンというやつではないだろうか。
血がドバドバ出て小さな川を作っている。
背筋はないがゾッとした。
自分はゴブリンの血を啜っていたのだ。
「……」
軟体ボディをフルフルさせて震えていると、何か聞こえた気がした。
ゴブリンの口元がうっすら動いている。
なんだ、生きてんのか? 逃げるか?
そんなことも考えたがナメクジが逃げられる相手などいない。
なんか死にそうだし、遺言でも聞いてやるか。
――スキル『感覚器官生成』にて耳を生成します。
頭から耳のついた触覚を生やし、瀕死の化け物の口元に近づけた。
そして音を拾った耳がブルリ、と震えた。
「――おかあ――さん」
ナメクジは急いで自分のスキルを思い起こした。
自分は薄情なナメクジだった。
夢だろうがなんだろうが関係ない。
自分はこいつのおかげで生きているのだ。
なんとかしてやらないといけない。
人間じゃなくても、せめて人道的なナメクジにはならなければ。
――スキル『論理』にて記憶を整理します。
――ベビー・ケイブ・スラッグ Level 7。
――獲得スキル『溶解液』『感覚器官生成』『歯舌』『論理』
――ろくなもんがねえ!
ないならどうする。
ないなら手に入れるしかない。
簡単なロジックだ。
俺はナメクジだが、人間のクズにはなりたくない。
気合を入れるように体を捩らせると、ナメクジはザラザラと削るように、水面に広がるゴブリンの血を舐め始めた。
読んでいただきありがとうございます。
もしよろしければ、ブクマ・評価いただけると励みになります!
金曜日に定期更新です。




