1.ゴーストライターの誕生
セラヴィはインクの匂いが好きだった。白紙に文字を書き連ねて世界を創る、その時間が好きだった。しかし、それは家族に秘密にしていた時間だった。家族は口を酸っぱくして言った。「貴女は勉強だけしていればいいのよ。」理由はその時によって違ったが、根本は同じだ。長女なんだから。夫に尽くすために。それらは結局、貴族の娘であるせいだった。セラヴィは毎日本を読み、勉強をし、家庭教師にマナーを教わり、そしてたまに茶会に参加する。それだけが許されていた。不自由な生活だが、セラヴィはあまり気にしていなかった。自分のための、自分だけの世界がそこにはあったから。
だが、その生活は唐突に終わりを迎えた。
「 ねぇお姉様。お姉様の書く物語ってすごく面白いのね。」
「……え?」
顔面蒼白とはまさにこの事。ニコニコと笑う妹──フルサードとは対照的に、セラヴィの顔から血の気が引いていく。親にでも言われたら、きっとその時間は取り上げられてしまう。フルサードの言葉が頭をグルグルと駆け巡る。どうしよう、という気持ちでいっぱいのまま誤魔化そうと口を開く。
「気のせい、じゃないかしら。」
「あら、そんなことないわ! お姉様の部屋に落ちてたし、あの筆跡はお姉様のものでしょ?」
まさに目の前が暗くなる気持ちでいっぱいだった。フルサードはセラヴィが書いたことを確信しているし、筆跡は誤魔化しようがない。きっとフルサードは両親に言うのだろう。フルサードは「良い子」なのだから。この生活も終わってしまうのかと思うと、酷く胸が締め付けられる。物語を書く時間は、全てを制限され、全てを諦めてきたセラヴィにとって至福の時間だ。それと同時に、今を生きる活力の源でもあった。
セラヴィは俯いてぐっと涙を堪えた。ここで泣いてしまうのは、姉としての矜持が許さなかった。
「お願い、お母様達には言わないで。」
「ふぅん? 言って欲しくないのね。ま、お姉様は勉強しなさいってずっと言われてるしね。そうだ!」
名案を思いついたと言わんばかりに目を輝かせるフルサード。嫌な予感がしつつも、続きの言葉を待つ。それは案の定、セラヴィにとっては最悪な言葉だった。
「私が書いたことにして本にしましょうよ!」
「……ぇ。」
小さく零れる意味の無い音。自分のために書いていた自分だけの世界が奪われてしまう。しかし、告げ口されてしまってはそもそも書く時間すらなくなる。十歳と幼いながらにも聡明だったセラヴィは嫌々ながらにも頷いた。そのことに気を良くしたフルサードは原稿を持って足取り軽く自室へと帰って行った。
そしてフルサードがその原稿を自分の字で写し、両親に見せると両親は大喜びだった。フルサードは稀人──この世界よりもより発展した世界の知識を持つ転生者──だったにも関わらず、今まで何の成果も挙げられていなかったからだ。
「私はあまり知識はないけれど……物語を書いてみたの。」
そう言って差し出されたそれを両親は印刷所に持ち寄り、そしてまず親しい人に配った。するとその人達は小説の面白さをお茶会などで伝える。何件か貰えないか、という問い合わせが来た後に小説を販売すると面白いほどによく売れた。その後も何度か販売を重ね、フルサードは瞬く間に大人気天才小説家になった。このとき、フルサードはまだ九歳だった。その年齢でこれだけの文章を書くという意外性はさらに反応を呼び、波紋が広がるようにフルサードの人気は高まっていった。
一方、セラヴィにとってそれは地獄だった。今までは自分のために書いていたため、フルサードの要望通りに書くのは至難の業だった。もうセラヴィはインクの匂いが好きじゃなかった。インクの匂いはセラヴィにとっての鎖になっていた。睡眠時間を削り、なんとか紡ぎ出した物語はまたもや大ヒットした。見た目も愛らしいフルサードは家族からも愛され、愛らしいとは言えず才能もないと思われたセラヴィは冷遇され、フルサードを支えるよう命令された。
「次は学園ものがいいと思うの! 最近流行ってるでしょ?」
人目につかないところでまた来たフルサードからの次の要望に、セラヴィはうんざりしながらも頷いた。ちやほやされ、持て囃されるフルサードを見て自分が書いたのに、と思わない訳ではなかった。しかし、糾弾するにはあまりにも諦めることに慣れてしまっていた。学園の初等部に通っていたセラヴィは、数少ない友人がフルサードの話をする度に、微笑みながら黙って聞いていた。読み上げられた言葉はセラヴィが己を削ってなんとか紡ぎ出した言葉たちであり、世界であった。セラヴィはとっくに疲れ果てていたが、それでも顔に出さずに聞いていた。
セラヴィの物語を読んだのは婚約者も同じのようだった。
「君の妹はすごいな。これだけの文章は僕らの年齢でも厳しいだろうに、一つ下のフルサード公爵令嬢が書くなんて。」
「……そうでしょう?」
微笑みながら妹を立てる言葉を吐いたが、心の中はいつまでも苦しいままなのであった。




