08 恋愛事情
「雪っていつもお昼テキトーだよね」
陽葵は私が取り出したメロンパンを見て、呆れているようだった。
売店は混むので面倒だから、学生時代は前日に昼食を買っておいた。
「面倒くさいからね、これでいいし」
「栄養偏るでしょ」
「夜はまだ頑張ってる方だよ」
私は一人暮らしなので、基本的にご飯は全て自分で用意しないといけない。
朝食は食べず、昼はパン、夜は割と作る事が多い(元気があれば)。
一応、社会人生活も含めれば一人暮らし歴はそこそこなので、必要最低限の料理なら出来るようになっている。
「もうちょっとちゃんとした物、食べた方がいいと思うんだけど」
すると陽葵は自身のお弁当箱を開く。
色とりどりの栄養価のバランスが良さそうなラインナップだった。
それだけに私の怠惰な感じが許せないんだと思う。
でもこのスタイルは社会人になっても変わっていないため、今すぐ直せる見込みは正直薄い。
「そのうちね」
「やらない奴の台詞なんだけど」
肯定すると改善しなきゃいけないし、否定すると口論になりかねない。
ふわっと回答しておくのが一番穏便に済む。
「だいたい雪は全体的に意識が低いのよ、水とかも全然飲まないし。もっと肌とかにも気を遣って生活していかないと――」
ああ、陽葵の説教モードが始まってしまった。
女子力の高い陽葵には、ずぼらな私が許せないらしい。
何度かこの手の熱い指導は受けた事はあるけど、正直生活スタイルはあまり変えていない。
そもそも私に女子力などというものを期待する人がいないからだ
求められていないものに応えても意味がない。
「皆が皆、陽葵みたいに女子力高めじゃいられないんだよ」
そりゃ陽葵のように愛らしい容姿を持っていたら、私ももう少し自分磨きを考えていたかもしれない。
でも私はそうじゃない。
人には適材適所がある、全員が横並びで努力する必要もないと思う。
「そうやって最初から諦めてる人がいるから言ってるんだけど」
「……それも、ごもっとも」
正論すぎてぐうの音も出ない。
出来ない人の気持ちも分かって欲しいけど。
「だけど、私はそういうの諦めてるからいいんだよ」
この先、大学生から社会人になっても浮いた話はゼロだった。
期待してたわけでもないけど。
おかげさまで自分の立ち位置は理解している。
そんな私が何の為に自分磨きをするのか、意味が見出せない。
「なんでよ」
「……陽葵みたいな美人さんが隣にいるせいかな」
身近にいる人間とこうも差をつけられていると、その幅があまりに大きすぎて何かをしようと思えなくなる。
それは決して悪い事ではなく、その差を認めている私は素直に陽葵の容姿の良さを褒める事が出来る。
「反応に困るんだけど」
気付けば、陽葵は気まずそうに視線を反らしていた。
珍しい反応だった。
「言われ慣れてるでしょ?」
「雪には、そんな事言われたことない」
「……あれ」
そうだったのか。
そうだったかもしれない。
でも、それだけ私の中で陽葵に伝えたかった言葉が眠っていたんだと思う。
昔から私はコミュニケーション能力が低いから、あまり対話を好まなかったけど。
それが多少の年月を経て、自分なりに思いを人に伝える事が出来るようになったのかもしれない。
「でも前からそう思ってたよ、皆もそう言ってるの聞いた事あるし」
「いいって、恥ずいんだけど」
そう言って陽葵は話を遮ってしまう。
陽葵は端麗な容姿の持ち主で、コミュニケーション能力も高い。
それなのに彼女に浮いた話一つないのは、どうしてだろうとは昔から思っていた。
少なくとも高校時代はそういった話を聞いた事がない。
「告白とかされてるんじゃないの?」
「されても興味ないから意味ないし」
そうだ、昔からずっとこの調子だっだ。
せっかくモテてるのに、誰かと付き合うような素振りは一切見せない。
「好みのタイプがあるとか?」
「タイプって……」
陽葵がきょろきょろと見回した上で、視線が私に戻って来る。
お互いに見合って少しの間だけ沈黙。
「教えてあげない」
陽葵は早口で言い切ると、黙々とお弁当を食べ始める。
結局、陽葵の恋愛事情は分からずじまいだった。
◇◇◇
放課後。
何となしに陽葵の方を見やる。
いつもの事だけど、彼女の周りには人が集まる。
その明るい性格と、持ち前の容姿で人を惹きつけてしまうからだ。
気分屋さんな所もあるんだけど、それも案外分かりやすいから割と好意的に受け入れられている。
あの様子を見るに、下校は別々だなと判断して私は鞄を持って立ち上がる。
陽葵達とは反対側の扉に向かって歩く。
ふともう一度そちらを向くと、今度は北川さんと目が合った。
無視もおかしいなと思って、頭を小さく下げた。
北川さんもそれに反応して、軽く手を振ってくれた。
「……ちょっと、雪」
「え」
廊下に出ると、少しだけ怒気が混ざったような声で陽葵が肩を掴まれていた。
陽葵が目の前に立つと、背が高い彼女は私を見下ろす形になる。
「なんで先に帰ろうとしてんの?」
「え、あ、陽葵は友達と帰るのかと思って……」
思っていたよりも強めの口調に、私の声音は先細りしていく。
陽葵が不機嫌になると、私は比例して委縮してしまう。
「登下校一緒にしようって言ったの雪だよね?」
「え、あ、うん、そうだけど……」
「また嘘つくんだ?」
「こ、これは嘘じゃ……」
ケースバイケース、臨機応変。
そんな言葉が頭に浮かぶけど、陽葵の様子を見ると自然と消えていく。
「何よ、文句ある?」
「文句ないけど、お友達はいいの?」
さっきまで友達と談笑していたのに、私に時間を割いてもいいのだろうか。
「いいから、それよりここじゃ目立つから場所変える。あたしまだ雪に言いたい事あるから」
「……え?」
私の困惑を気にも留めずに、陽葵は私の手を取る。
その手を強めに引かれて歩き出す。
ふと視線を感じて後ろを振り返る、扉から顔を覗かせている北川さんともう一度目が合った。
目が合って、反らされた。
「ほら、いいから行くよ」
「分かった、分かったから」
それよりも強引に腕を引く陽葵に気を取られてしまう。
何をそんなに急いでいるのか、陽葵は早足のまま廊下の真ん中を歩いた。
羽澄陽葵は学校の中でも有名人だ。
そんな彼女が放課後の廊下を大股で闊歩していけば、自然と注目が集まっていくのを感じる。
その要因になっている私自身は羞恥心を覚えていた。
「早く入って」
着いたのは玄関ではなく、空き教室だった。
最近になってから、この寂れた教室の常連客になってしまっている。
「はい、そこ」
「え、ちょっと」
陽葵に手を強く押し出され、机に腰を預ける。
バランスを立て直している内に、張本人である陽葵は私の瞳を覗いていた。
「はい、それじゃ罰ね」
「罰?」
罰を与えられるような事をした覚えはない。
それでも陽葵は情状酌量の余地はないと言わんばかりに、私との距離を縮めてからその指先で私の首筋を撫でた。
「紗奈と絡むの、許可した覚えないんだけど」
やはり身に覚えのない罪状だった。