78 貴女とあなた
数カ月後。
「よしっ、どーよ雪?」
病室で会う陽葵は、いつもと雰囲気が違っていた。
メイクをして、私服を身に纏っていたからだ。
白シャツに黒いベストを重ねてジーンズ姿のシンプルな装いだったけど、いつもの事ながら素材がいいのでとにかく映える。
……いや、いつもと言うには少しだけ時間が空いてしまったかな。
「似合ってるよ、相変わらず可愛いね」
「……そこまで言われると照れるんだけど」
はにかむ陽葵。
でも、こうして元気な姿を見られて本当に私は嬉しかった。
あの日から、陽葵は必死にリハビリに取り組んできた。
先生が言っていた通り症状は一過性のもので、陽葵の体は日に日に感覚を取り戻していった。
若さによる回復力の高さと、何よりも本人の努力によって着実に回復してきたのだ。
そうして徐々に退院の目途がついて、今日に至る。
「退院前に外出できて良かったよね」
「うん、体はもうだいぶ良くなったし、実際に外に出ないと分からない事もあるから許してくれたみたい。条件付きだけどね」
その条件が“見守りの人が必要”という事で白羽の矢が立ったのが、私というわけだ。
今の陽葵はほとんど自由に動き回る事が出来る。
それでも段差につまずいたり思わぬ所でバランスを崩しかける事があるそうで、実際に外の環境に慣れていく必要があるとの事だった。
その確認の為、外出の許可が下りたのだ。
でも正直な話、そんなのは私にとって建前になってしまっている。
陽葵と一緒に出掛ける事に心が躍ってしまっているからだ。
今だけはそんな浮ついた気持ちを許して欲しい。
ホールを経由し、玄関へ向かう最中だった。
「あ、羽澄さーん」
「……うわ、先生だ」
声を掛けてくれたのは陽葵のリハビリの担当の先生だった。
よく知っている仲だろうに、なぜか陽葵は顔をしかめていた。
駆け寄って来る先生の手には、杖があった。
「まだ危ないから一応使ってもらうのが外出の条件だったよね?」
「……ワスレテマシタ」
うん、絶対確信犯だ。
私には分かる。
「すっかり体が良くなったから忘れる気持ちは分かるけど、そういう時こそ油断出来ないからね。気を付けて行ってきて」
「……アリガトウゴザイマス、キヲツケマス」
そのカタコトはどうにかならないのか。
陽葵は渋々といった様子で、杖を握っていた。
先生は安心した様子でその場を去って行く。
「陽葵、それも条件だったの?」
私が聞いていたのは“見守る人が必要”だけだった。
「……まぁね、病院の人って心配しすぎだから無視しようと思ったんだけど」
「ああ……」
どちらの気持ちも分かるというか、よくある構図な気がした。
とん、と杖をついた陽葵の姿が窓から反射していた。
自身の姿を見た陽葵は、溜め息ともつかない愁いを帯びた息を吐いた。
「必要な物だし、大事なのは分かってるんだよ。うん、あたしもこれを使って頑張った時はあったしね。でもさ、やっと元に戻れたような気がしてたのに、やっぱり今まで通りじゃないんだって、昔のあたしにはなれないんだって言われてる気がして、それが嫌なだけ」
それは実体験に基づく、重い告白だった。
陽葵は早くこの場所から抜け出して、元いた場所に戻ろうとしている。
それでもまだ彼女の理想から遠く感じているのだ。
「じゃあ、貸して」
「はい?」
陽葵から杖を預かって、私は貸し出し用のロッカーにその杖をしまい込んだ。
すみません先生、見守るべき私が条件を破ってしまいました。
「雪もなかなか大胆じゃん、うん、なくてもいいよね」
少しだけ嬉しそうに、でもどこか罪悪感めいたものを感じながら、陽葵は自分に言い聞かせているようだった。
けれど、私はただ反抗を促したいわけじゃない。
「いや、先生が言うんだから必要だと思うよ。素人が勝手な事したらダメだと思う」
「……? 雪が持って行ったんだけど?」
首を傾げる陽葵、当然の疑問だけれど私はちゃんと任務は遂行する。
私は陽葵に手を差し出した。
「手、繋ごう」
過去の陽葵に戻らなくてもいい、これなら新しい私達になれるから。
だから、そんな俯かないでほしい。
「いつでも私が支えるよ」
「……うん」
陽葵の手が重なる。
その瞳は少し潤んでいて、声も揺らいでいた。
「行こう陽葵」
「ありがとう雪」
いつからか、ちょっとだけ陽葵は涙もろくなった。
扉が開くと髪がなびく。
あれだけ暑かったのが嘘のように、肌寒い秋風が吹いていた。
それでも繋いだ手は温かくて、その風はシトラスの香りを運んでくれた。
◇◇◇
「……ぐず」
い、いかんいかん。
どうも最近は雪に泣かされる事が多い。
これもどれも久しぶりの雪とのお出かけという事にテンションが上がってしまうせいだ。
多分そうだ、絶対そうだ。
鼻をすすって、目を擦って、どうにか平静を取り戻そうとする。
あたしは雪の姿を盗み見る。
ベージュのシャツジャケット、同系色のシャツをインナーにし、黒のロングスカートとブーツを合わせていた。
それは以前あたしがコーデをした洋服だった。
雪って、こんなに可愛かったっけ……?
そんな感情が沸いていた。
何だろう、何か変わったわけではないはずなのに。
昔よりずっと雪は綺麗で可愛くなったような気がする。
いや、もともと思ってはいたんだけど、磨きがかかったと言うか……。
「大丈夫?」
なのに見られたくないタイミングで雪は顔を覗いてくる。
悪気なくこういう事をしてくるから質が悪い。
「大丈夫だって、ほら何の支障もないでしょ?」
少し早足で歩く。
あたしの体はもう健在である事を、誰よりも雪に知って欲しかったから。
「でも危ないから無理しないで」
繋いでいた手をぎゅっと強く握られる。
「……あ、うん」
「今日はまだゆっくりでいいから」
そうして雪に手を引かれる。
なんだろう、この感覚。
雪にリードされる事のむず痒さと、ちょっとした高揚感。
あたしの事を心配して尚且つ守ってくれようとする愛情のような何か。
……いや、何かじゃないんだよね。
これは愛情なんだ。
だって、あたしと雪は、つ、付き合ってるんだから。
という事はこれはただの外出と言うよりはデートなわけで、つまり雪は彼女なわけで。
「つまり全部雪のせいだな」
「何が?」
いつもより可愛く見えるのも仕方ない。
あたしの目の前にいる雪はこれまでの雪とは違う、あたしだけの雪なんだから。
そりゃ違って見えて当たり前だった。
とは言っても久しぶりの外出で、あまり無理は出来ない。
以前より体力は落ちてるし、名目は体を慣らす事だ。
街までタクシーで移動し、雪とウィンドウショッピングをして、カフェで一息ついて、それで終わりの予定だった。
以前のあたしなら当たり前にしていた事が、今ではこんなにも輝いて思えるのはきっと雪のおかげだろう。
街に降り立つと、賑わう雑踏に少しだけ面食らう。
気付けばこんな日常からずっと離れていて、自分がすっかり病院という閉ざされた世界に慣れてしまっていた事を感じる。
「それで陽葵はどこ行きたいの?」
「あ、うーんとねぇ……」
でも、嫌な感覚じゃない。
ちょっとずつ確かにあたしの感覚が戻っていくのを感じるから。
湧き立つ心に従ってどうしようかと考えている、そんな時だった。
「羽澄さんと……白凪さん?」
声を掛けられた。
そこにいたのは一応先輩の夏川で、隣には見知らぬ男もセットだった。
相変わらず彼氏を取っ替え引っ替えしているのだろう、知らんけど。
「へえ、奇遇だね。こんな所で会うなんて」
妙なしたり顔でこちらを見る。
あたしは会いたくなかったなぁ……。
「街で会う可能性は普通にあるんじゃないですか? 田舎なんでここくらいしか集まる場所ないですし」
「……相変わらず突っかかって来るね」
「そうですか? 当たり前の事を言ってるだけだと思ったんですけどー」
どーにも空気が合わない人間というのは存在する。
それは仕方ない。
問題は向こうから絡んでくる事だ、放っておいてくれたらいいのに。
「……ひ、陽葵、行こうよ」
ぐいぐいと雪に手を引っ張られる。
あたしの心配もあって無駄な衝突は避けたいんだろう。
でも声を掛けて来たのは向こうなんだから、こっちが引き下がる必要はない。
「やっぱり遊び呆けてるだけなんだね、ふふ、気楽でいいね一年生は」
ああ……夏川にはあたしが学校をサボっているだけにしか見えないだろう。
こっちはどれだけ大変な思いをしてきたのか知らないんだから。
昔のあたしなら速攻でキレる所だけど、今日は許してあげよう。
なぜなら今日のあたしはとっても気分がいいからだ。
雪とのデートに、夏川に使う時間は無駄でしかない。
――グギギギギッ
「い、痛っ!?」
と、思ってたのに、雪の握力が異常に強くなっていた。
横顔を見ると憤怒の表情を浮かべて、明らかにあたしよりご立腹だった。
おい、そっちが怒るのか、さっきまで退散しようとしてたのは雪の方なのに。
「私の方が人生の先輩だから、教育してあげてもいいよね……?」
だいぶおかしな事を囁いていた。
雪よ、大学の先輩である夏川は基本的に人生においても先輩だ。
あたしと雪が幼馴染である限り、夏川の人生を超える事はないんだよ。
そんなあたし達の様子を察したのか、夏川はやれやれと言わんばかりに肩をすくめる。
なんだよ。
「分かってるさ、もうデートの邪魔はしないよ」
「「……え」」
瞬間、あたしと雪の呆けた声が重なった。
「なんだい、それで隠してるつもりかい? そんな堂々と手を繋いで見せびらかせておいてさ。どうりで羽澄さんは誰にも靡かず、白凪さんも彼女を独占しようとするわけだ」
「「……はぁ」」
分かる、手を繋いでいるから分かる。
お互いに手が熱くなっていた。
「いいさ、それならそれで私には好都合。謎は解けたし、君たちが邪魔者ではない事は分かったからね。もう学校でもわざわざ絡んだりはしないよ、お幸せに」
そう言って夏川は男と一緒に街の風景と化していく。
何だろう、とっても複雑な気持ちになった。
「……夏川って、ほんとはそんなに悪い奴じゃないのかな?」
「……分かんない」
あたしも雪もこの新しい関係性に慣れていないから、あんな感じでも祝福の言葉を投げかけられると気を許してしまうのかもしれない。
あたし達がチョロすぎるだけなのかも。
「ま、いいや。とにかくあたし達にとっても邪魔者はいなくなったから、これで存分に楽しめるね……そ、その、で、デートが」
まだ照れてはしまうけど、夏川のおかげで“デート”という単語の口滑らかさは良くなっていた。
最初で最後の彼女に対する感謝だな。
「……う、うん、そうだね。デート、だね」
そうして、はにかむ雪に、ただただ幸せを感じる。
今までと変わらないはずの、あたしと雪との時間。
それなのに関係が変わるだけで、景色はこんなにも色を変える。
きっとこんな時間を重ねて、新しい雪との関係性を築いていくのだろう。
そんな予感に胸を躍らせていた。




