73 私が強いた事
「陽葵、調子はどう?」
今日も私はお見舞いに病院を訪れる。
「おっす雪ー。調子はいつも通りかな」
「そっかそっか、これプリンね」
病院に通い、こうして陽葵と過ごす時間にもすっかり慣れてきてしまっていた。
それはそれでどうなのかなとは思うけれど、陽葵がいる場所にしか用がないのだから仕方ない。
自分の部屋のように冷蔵庫を開けて、今日持ってきた手土産を入れておく。
結構、詰まっていた。
「そんな毎日お見舞いの品々持ってこなくていいからね?」
「……え、あ、そうかな」
陽葵からはやんわりと断られる。
毎日来て、毎回送られるのもありがた迷惑だったのかもしれない。
とは言え手ぶらもなぁ……なんて思ったりするのは、私が陽葵の為に何か出来ている実感がないせいだろうか。
「心配してくれるのは嬉しいけど、負担にはなりたくないからさ」
そうして陽葵は力なく笑う。
気のせいかもしれないが、ここ最近の陽葵は弱々しく笑う事が増えてきた。
入院してから三週間ほどが経ち、疲れが溜まってきていてもおかしくはない。
「……そっか、それじゃ程々にするよ」
体の状態に関しては、私から直接詳しくは聞いていない。
陽葵から口にするまでは聞かないようにしていた。
「ていうかお母さんも結構持ってくるから食べきれないんだわ」
「なるほど」
確かに冷蔵庫の中はいつもパンパンだった。
どうやら陽葵のお母さんからの差し入れだったらしい。
「……ん? ていう事は私より、お母さん優先?」
私のお見舞いの品よりも、お母さんの品を優先されている気がする。
それはそれで複雑だ。
「対抗心を燃やすな燃やすな、お母さんにも食べきれないって言ってるから。どっちも公平だよ」
「そっか……あと、対抗心は燃やしてないよ」
ちょっと気持ちの整理に時間を要しそうだっただけだ。
他意はない。
「そんなムッとした表情しといてよく言うよ」
「そんな表情してません」
強いて言うなら困惑の表情だ。
そもそも陽葵のお母さんに対して何の対抗心が芽生えると言うのだろう。
おかしな話だ。
「はは……あたしは、もうお腹いっぱいなんだな……」
そう言う陽葵は、窓の外を見つめていて表情を読み取る事は出来ない。
今にも搔き消えそうな声は、以前の陽葵にはないか弱さを感じさせた。
◇◇◇
翌日になっても、私がする事は変わらない。
陽葵のお見舞いに病院を訪れる。
行き交う患者さんやスタッフの方々の顔を覚える程度には、慣れた場所になっていた。
「あら、雪ちゃん?」
「え」
そうして待合室を歩いていると、私の名前を呼びかけられる。
年上の女性がこちらを見ていた。
「久しぶりね、分かる?」
暗めのブラウンの髪色をした女性は、どことなく陽葵の面影を感じさせる。
かなり昔の記憶だったけど、思い当たる節はあった。
「陽葵のお母さん……ですか?」
「そうそう、今陽葵のお見舞いが終わったところでね。あの子から話は聞いてたけど、雪ちゃんもいつもお見舞いに来てくれているのよね? ありがとう」
こうして面と向かって会ったのは幼少の頃以来で、病院に毎日来ていればこういう事もあって当然だった。
微笑む陽葵のお母さんは実年齢よりもずっと若く見える。
陽葵も将来こうなるのだろうか、と勝手な妄想を膨らませてしまった。
「いえ、その……私がしたくて勝手にしてるだけですので」
「ふふ、そのドライな感じも変わらないのねぇ」
いきなりグサッと刺された気分……私はそんなドライなつもりはないのですが。
私の不愛想な態度がそんな印象を持たせてしまうのだろう。
さすが陽葵の母親、容赦がない。
「その調子で陽葵にリハビリを頑張るよう厳しく言ってあげてね、あの子最近ちゃんと出来てないみたいだから」
「……え?」
それは初耳だった。
思わず聞き返すと、陽葵のお母さんも不思議そうに目を丸くする。
「あら、知らなかった? そっか……陽葵も隠してたのね」
「何かあったんですか?」
一瞬口ごもる陽葵のお母さんだったが、迷いながらも口を開いてくれた。
「多分……気持ちの問題なのかしらね。黙ったまま何もしないで終わったり、そもそも病室から出なかったりするらしいの。先生もちょっと困ってるみたいだけど……本人がやる気にならない事にはどうしようもなくてね」
知らなかった……どこか元気がないとは思っていたけど、そもそも何もしていないとまでは想像すらしていなかった。
「治療の経過は良いそうだから、後は本人が積極的に運動していく事が重要って先生から言われてるのに……どうしたのかしらね」
そうして、頬に手を当てて首を傾げる。
陽葵のお母さんは、娘に対する距離感を測りかねているように思えた。
「教えていただいてありがとうございます……あの、私からも言っておきますので」
「こちらこそありがとう、これからも仲良くしてあげてね」
私は会釈をして、病院を後にする陽葵のお母さんの背中を見送った。
「……行かないと」
黙っているだけでは良くなるものも良くならない……。
それは当然の事で、陽葵も理解はしているはずなのに。
聞いてみよう。
陽葵の悩みを共有する事くらいなら、私にも出来るはずだ。
いつもより足取りが重いまま病室に向かう。
扉の前で少しだけ深呼吸をしてから、ノックをする。
――コンコン
「どうぞー」
陽葵の声を聞いて扉を開ける。
ベッドに座る彼女の姿はいつもと変わらない。
「こんにちは陽葵」
「こんにちは雪、今日も来てもらって何だか申し訳ないねぇ」
「あ、うん……でもほら、今日は手ぶらだし」
陽葵に言われた事を守って、今日も差し入れは持って来ていなかった。
「そっかそっか、でも毎日病院に来てもつまらないでしょ? あたしはこんなんだから毎日変わり映えしなくて話題が増える事ないし」
「あ……えっと、その……」
話したい話題はある。
機会を逃すと、ずるずると後伸ばしにしてしまいそうだった。
「どうかした?」
「いや、その……陽葵、最近リハビリやってないって聞いたんだけど……」
空気が変わる。
「……あー……うん」
「あ、えっと……」
陽葵にとって触れて欲しくない話題だったのか、空の返事だけで、その先を語り始める気配はない。
重たい沈黙だけが病室の空気に流れていた。
「あの、体調が優れないなら休むのも仕方ないとは思うんだけど……」
「そうだね」
いや、これはあまりに他人行儀すぎる。
毎日一緒にいるのだから陽葵の体調が安定しているのは知っている。
「なに、誰から聞いたの?」
「あ、えっと……さっき陽葵のお母さんに会ってね」
「……あー、そういうこと」
やはり、陽葵は多くは自分からは語らない。
この重い空気に言葉を濁しそうになるけれど、このまま素通りしても何も変わらない。
「でも、大丈夫な時は頑張らないと……体も良くならないと思うから……」
「あたしが頑張ってないって言いたいの?」
陽葵の声が嫌に冷たい。
こんな声を聞くのは、絶交したあの日以来である事を思い出す。
「そうじゃないけど……でも、やれる事はまだあるんじゃないかなって」
「やれる事って?」
「だからリハビリを……」
「この体で何をしろって?」
心臓がぎゅっと縮まるのを感じる。
陽葵の触れて欲しくない場所に土足で踏み込んで、彼女の気持ちを逆撫でしている事だけが分かる。
「皆、陽葵の為を思って……」
「だから、この体で何が出来るのって聞いてんだけどっ!」
陽葵の声が荒れる。
喉の奥が閉まって、うまく声が出てこない。
「……え、えと」
「頑張れって言うけどさぁ、あたしの気持ちとかどうでもいいわけ?」
「そうじゃない……何かあるなら言って欲しい……聞くよ」
「だからさ、そーいうのが嫌なんだって。話せるわけないじゃん、あたしの体の事話して、雪に何が分かんのっ!?」
「分からないかもしれない……けど、だからって知ろうとしないのも違うのかなって……」
「分かるわけないじゃん。あたしの気持ちが分からない人に話したくないし、無責任に頑張れとかも言われたくないっ」
「……あ、えっと……」
そう言われてしまうと、返す言葉が何も見つからない。
確かに私は陽葵の痛みを知らない。
だから、その痛みを知らない者に何も言われたくないのなら、私にはどうする事も出来ない。
「だからさ、毎日来られても困るんだよね。一日でそんな変わるわけないじゃん、ずっと同じなのに良くなる事ばっかり期待されても困るんだけどっ」
「……そう、なんだね」
きっと、それは本音で。
私は、陽葵の負担になってしまっていた。
私の想いは、陽葵にとって重荷になってしまっていた。
「こうやって毎日来るのもさ、大学行ったら一人で面倒だからあたしの所に来てるだけなんじゃないの?」
「……それは」
そんな事はない、はずなんだけど。
その側面を全否定するのは難しい。
陽葵を心配している事に嘘はない。
だけど、大学を休みがちな理由に陽葵のお見舞いを口実にしているのも事実だった。
「高校の時もそうだよね、雪が一人になったらあたしと仲直りしようとしてさ。あたしって別に雪の暇を埋める人じゃないんですけどっ」
「そんなつもり……なかったよ」
「つもりはなくても実際そうじゃん。あたしを都合のいいように使ってるだけじゃん」
そんな事はない、はずなのに。
陽葵の言っている事に心当たりが全くないかと問われれば、嘘になる。
その機微を言い当てられて、彼女の心を掴めていない私が伝えるべき言葉は見つからなかった。
「……ごめん」
陽葵の為に何かしたいと思って、その為に今の私がいると思っていたのに。
ようやく出た言葉が、これだった。




