71 私なりの笑顔を浮かべて
「え、なにそれ、手術は終わったって……」
だらりとベッドにしなだれる陽葵の右腕を見て、私は声を震わせてしまう。
だって、そんなの聞いてない。
手術が成功しているのなら、陽葵の状態は良くなるはずなのに。
それなのに、体が動かなくなっているなんて考えられない。
「……その、手術直前にもだいぶ体の動きは鈍くなっててね。だから手術だけでおかしくなったわけではないから」
それも初耳だった。どうして教えてくれなかったのだろう。
いや、それはいい。
それすらも治っていれば、問題はないはずだったんだから。
なのに……。
「それでも、良くなってるはずじゃないのっ!?」
「……えっと」
押し黙る陽葵を見て、我に返る。
落ち着け、落ち着け、落ち着け。
私が動転して声を荒げてどうする。
当の本人である陽葵が冷静に話してくれているのに、私が彼女を責めてどうする。
一番辛いのは陽葵のはずなのに、どうして私がもっと苦しめるような事をしているんだ。
「ご、ごめん……違うの、陽葵を責めたいんじゃなくて……」
何に憤っているのか自分でも分からない。
未だに陽葵に巣食う病魔に怯えているのか、変化している陽葵の姿を認められないのか、無力な自分に絶望しているのか。
どれも当てはまっている気がして、胸の中を抉られる気分だった。
「大丈夫だよ雪。これから感覚は戻るし、力が抜けてるのは今だけみたいだから」
「……そう、なの?」
言葉に詰まる私とは対照的に、陽葵はすらすらと病状を説明してくれる。
本人である陽葵の方がよっぽど冷静だった。
「先生はそう言ってた。でも時間は掛かるし、リハビリはしなきゃいけないみたいだから、それで退院がいつになるかは分からないんだよね」
それを聞いてほんの少し、本当に少しだけ安心はしたけれど。
それでも正直、不安はどうしたって付きまとう。
もしかすると、病気が悪化する可能性だってゼロじゃない。
他に何か原因があるのかもしれない。
体が元に戻る保証だって……素人の私には正直分からないし……。
疑い始めるとキリがない。
どうしよう、陽葵の事を信じたいのに、嫌な想像ばかりが膨らんで行ってしまう。
「おーい、そんな顔しないでよ。大変なのはあたしであって、雪じゃないんだぞ」
どんな顔をしていたのかは、自分でも分からない。
ただ、気付けば陽葵の左手が私の頬に触れていた。
顔を上げると、引き攣った笑みを陽葵は浮かべている。
「……そういう陽葵も、あんまりいい顔してないけど」
「それは、まぁ、あたしは笑ってるだけ合格でしょ」
それは……そうかもしれないけど。
「じゃあ、私は不合格なんだ」
「だね。もっと笑ってくれないと、その雪の元気をあたしは貰うんだから」
「……そんな元気、私には元々ないと思うんだけど」
「あるよ、雪が気付いてないだけ」
私は陽葵の力になりたい。
だけど今の私には出来る事が見つからなかった。
彼女を救う手立てが私にはない。
「でも嬉しい気持ちも本当はちょっとあるよ、あたしの事を想って傷ついてくれてるんだね」
そんな事を言われても、軽々しく頷けない。
陽葵の痛みは、当事者である陽葵にしか分からない。
私の想像だけで、“傷ついた”なんて言葉はとても口には出せなかった。
「大丈夫だよ、ちゃんと治るから……治すから、もうちょっとだけ待っててよ」
「……」
私に特別な力があって、一瞬で陽葵を救う事が出来たらいいのに。
実際には、ただ隣にいて見守っている事しか出来ない。
「面会制限って……もうないんだよね?」
「あ、そだね。手術は終わって後はリハビリがメインだから、特に問題ないと思うよ」
それでも私に何か出来る事があるとするのなら。
陽葵が言ってくれた言葉を信じるしかなかった。
「じゃあ、毎日お見舞いに来るよ」
せめて、それくらいはしたかった。
陽葵が私の元気を貰えると言ってくれたから。
だから、私は笑った。
「あはは、雪、笑うの下手だなぁ」
分かっている。
感情がグチャグチャすぎて、表情と心が一致していない。
でも、それでもやらないと。
「でも陽葵も笑ったから、ちょっとは元気出たでしょ」
「……それは、そうかもね」
私達はお互いに不器用に笑った。




