07 きっと照れ隠し
家に帰って胸元を擦る。
制服の下には陽葵の噛んだ跡が残っている。
どうして彼女はこんな事をしたのだろう。
そんなに私が憎いのか、腹を立てていたのか。
“罰”という一言で全てを包まれてしまって、その真意は見えてこない。
分からない事を考え続けても仕方がなくて、私はスマホを手に取った。
【学校の登下校って、今後どうするの?】
私はしばらく迷いに迷って、陽葵にラインを送った。
絶交してからの私はずっと一人で登校していたけど、今は暫定とは言え友達……のはず。
このままずっと一人で行く事になるのか、それとも友達になれば一緒に行くようになるのか確認したかった。
既読はすぐについた。
【雪はどうしたいの?】
……。
主導権を渡されてしまう。
私の気持ちを吐けば、何か変わるのだろうか。
希望が叶わなかった時にショックを受けたくないから、“どっちでもいい”と送ろうとして――。
【出来るなら一緒に行きたい】
――送ろうとして、自分の正直な気持ちを打ち明けた。
言わなかったあの日をずっと後悔していたのに、いまさら何を守ろうとしているのかと自分に発破を掛ける。
【最初からそう言いなよ】
心の内が見透かされているようで、ただ恥ずかしかった。
◇◇◇
「おはよ、雪」
翌日、学校に行くため扉を開けた先には陽葵の姿があった。
「……お、おはよう」
数拍を置いて、私も朝の挨拶を返す。
本当に陽葵がいる事に驚いて、頭が一瞬思考を停止していた。
「何、その顔」
「いや、陽葵がいると思って」
あの頃と少しずつ変わっている日常に、新鮮さがあった。
「何それ、雪が呼んだんでしょ」
「それは、そうなんだけど……もう来てくれないと思ってたから」
「暫定だけど一応は友達だからね、前みたいにはするよ」
「……そうなんだ」
それはまぁ、良かった。
“暫定”という表現には違和感しかないけど、絶交するよりはずっといい。
「それともなに、やっぱり一人で行きたくなったの? それなら、あたし先に行くけど」
「そんな事言ってない」
陽葵と一緒にはいたいけど。
それを素直に喜べないのはまだ不確定な関係性だからであって。
でもそれを作り出したのは私だから、あまり文句も言えない。
歯がゆい状況だった。
「じゃあ、いいでしょ。ほら行くよ」
「あ、うん」
陽葵は先へ歩き出す。
私はその後を追って、今日は二人で学校へ向かう。
「陽葵と仲直り出来たんだね」
教室に着いて、席に座っていると北川さんが話しかけてきた。
きっと私と陽葵が登校する姿を見て、そう結論づけたのだろう。
陽葵の席を覗くと、たまたま席を立っていたので彼女の話をしても問題はなさそうだ。
「ごめん、北川さん。昨日は相談に乗ってくれてたのに途中で終わっちゃって……」
まず最初に昨日の事を謝りたかった。
「ああ、いいよ。陽葵の気まぐれでしょ? 白凪さんのせいじゃないから気にしないで」
「あ、ありがと……」
相変わらず優しい。
というより、陽葵に対する理解度が高いのだろう。
陽葵の行動に対して、北川さんはかなり懐が深い。
「それで何がきっかけで仲直りできたの?」
「あ、いや……」
そう見えるのは仕方ないと思うのだけど、正確には私と陽葵はまだ仲直りが出来たわけではない。
ずっと親身になって話してくれている北川さんには伝えておかないといけないだろう。
「まだそうとも言えなくて、陽葵が言うには暫定的な友達らしい」
「え、なにそれ」
こっちが聞きたい。
だけど、その不満を北川さんにぶつけるのは間違っていて。
私は努めて冷静に状況を伝えようとする。
「まだ私の事は信用出来ないから、その信頼が回復するまではクラスメイト以上 友達未満の関係なんだってさ」
「……はぁ」
肯定とも否定とも言い切れない曖昧な返事だった。
気持ちは分かる、私もそんな気分だった。
一体何を基準にしたら信頼が回復できるのか、元通りに戻れるのかも分からないし、全てが曖昧だった。
「でも、仲直りには近づいてるから、いいんじゃない?」
そうフォローしてくれる。
関係性が改善に向かっているのは間違いないのだから、多少は喜んでもいいのかもしれない。
北川さんもこう言ってくれているのだし。
「喧嘩するほど仲がいいとも言うし」
「それは、どうかな」
よく聞く言葉だけど、それで納得きるほど私は楽観的になれなかった。
喧嘩というには、アレは私の一方的な拒絶から始まった出来事だった。
それにどんな理由があったにせよ関係性に傷が生じないのなら、それに越したことはない。
その綻びが全てを崩壊させる事は、私が証明していた。
「……そういう受け答えは似てるんだね」
「え?」
北川さんがボソッと呟いたが、その真意を図る事が出来なかった。
「ううん、こっちの話。でもさ、その気がないなら友達に戻るのを匂わせたりはしないんじゃない?」
「そうだといいんだけど」
「だからさ、ポジティブに受け取ろうよ」
私ももう少し楽観的に捉えたい気持ちはある。
あるけど、この先で陽葵との関係が途切れた自分を知っているから、また戻ってしまうのではないかと言う不安がどうしても頭をよぎる。
それに陽葵は今の状況を楽しんでるだけという可能性も捨てきれない。
だから、私が思う所としては――。
「この期間が短い事を祈るばかりだよ」
「それはほら、陽葵の照れ隠しだと思えば」
暫定の関係も、罰も、照れ隠しで私に与えるのだとしたら、ちょっと陽葵はSっ気が強すぎると思う。
私はそんなに打たれ強くはないから、もう少しでいいから寄り添ってくれると嬉しいのだけれど。
「相変わらず一人なんだ」
昼休みになると陽葵が私の席の前に現れた。
私はどうしたものかと困っていると、陽葵はそのまま私の前に座り、机の上にそのままお弁当箱を置いた。
「……えっと、これは?」
「見ての通りお弁当だけど」
「……え」
陽葵はこの時期に友人達と食べる事が多くなって、絶交をきっかけに完全に私と食べる事はなくなった。
だから、こうして一緒に食べる事があるとは思っていなかった。
「何よ、嫌なの?」
「いや、嫌じゃないけど……陽葵の方こそ、いいの?」
「いいから来てるんでしょ」
それは嬉しいけど……。
「どーせ一人だと心細くて、その内あたしに泣きつくんでしょ? オチが目に見えてるからね」
……確かに学生時代はそんな周りの目を気にした事があったかもしれない。
だけど、社会人になれば一人でご飯なんて当たり前で。
むしろ、昼食は一人で黙って食べたいとすら思うようになってしまった。
いや、陽葵と食べるのは全然いいんだけど。
むしろ大歓迎なんだけど。
「ほら、図星なんでしょ?」
「陽葵と食べれた方が嬉しいよ」
「なら最初からそう言いなよ」
「でも私の事を気にしてくれるのは嬉しいけど、友達との関係性に悪影響が出るようなら無理しなくていいからね?」
勿論一緒に食べられるに越した事はないけど。
でもこの曖昧な関係のせいで、陽葵の人間関係が悪化してしまっては本末転倒だ。
登下校は陽葵も一人だったから良かったけど、昼休みになると彼女の人間関係も関わって来る。
陽葵にはなるべく負担を掛けずに、私との関係性の改善を考えて欲しいと思っている。
「……別に、そこまで気にしてないんだけど」
「え、あ、そう?」
少し不満そうに唇を尖らせる陽葵を見て、私は何か反応を間違えたのかと内心慌てる。
逆に気を遣い過ぎてしまっただろうか?
「あたしの気分でこうしてるんだから、他は関係ないから」
「あー……」
陽葵の気分……それって……。
「友達より私優先って認識でいい?」
果たして暫定友達という謎の単語の定義すら怪しくなってくるけど。
「気分だって言ってるでしょ、変な深読みしないで」
「え、あ、うん……」
どうしてか陽葵は不満げに声が刺々しくなる。
また何か悪い事をしてしまったのかと思ったけど、陽葵は座ったままお弁当箱を開いて食べる準備を進めている。
どうやら私と食べる事に変更はないようだ。
「何でそんなに落ち着いてるんだか……こっちが逆に肩透かしなんだけど」
「ん、何?」
「なんでもない」
やっぱり陽葵の態度には愛想がない。
それでも一緒にはいてくれるから、機嫌が良いのか悪いのか。
よく分からなかった。




