68 私も貴女も同じ
病院は無機質で、整然とした空気感がある。
さっきまでガヤガヤとした大学にいた対比もあって、余計にそう感じてしまうのかもしれない。
どこにいたって馴染める人間ではないけれど、ここは特に疎外感を感じる。
長い渡り廊下を歩いて、ようやく陽葵の病室に着いた。
――コンコン
「どうぞー」
扉越しに陽葵の声が返って来る。
その声だけで、さっきまで感じていた疎外感を忘れる。
「お見舞いに来たよ」
「悪いね」
扉を開けると、病衣を着た陽葵がベッドに座ってこちらを見ていた。
窓を背に差し込んでくる光が妙に眩しい。
「これ、買って来たよ」
コンビニに寄ってプリンとかヨーグルトとかゼリーとか、とりあえず片っ端から買ってきた。
「めっちゃあるじゃん」
コンビニ袋から覗ける量の多さを見て、陽葵が目を丸くする。
「消化に良さそうな物とか、食べやすそうな物とかをとりあえず買ってみた」
「気持ちは嬉しいけど、あたし別にご飯とかは普通に食べれるからね? 体自体はめっちゃ元気だから」
そう言って陽葵は笑顔を浮かべる。
本人も言っている通り思っていたよりもずっと元気そうだった。
それなのに病院という空間で病衣を着ていると、必要以上に心配をしてしまう。
「元気ならよかったけど」
買ってきた物は冷蔵庫に仕舞わせてもらって、丸椅子を寄せて座る事にした。
ベッドの高さの方が高くて、私が陽葵を見上げる形になる。
「そういう雪こそどうなのさ。一人での大学、楽しくやってるー?」
陽葵はニヤニヤと悪い笑みを浮かべている。
私がどんな状態でいるかなんて想像がついているだろうに、意地悪だ。
「つまんないよ、一人でいても虚無なだけ」
あれは筆舌に尽くしがたい退屈な時間だった。
かつての私の大学生活を思い出す、あんなに彩のない生活を送っていたのだと思うと、陽葵といた時間がどれだけ有意義だったかが分かる。
「あはは、想像つくなー。ぽつんとつまんなさそうにしてそー」
「仕方ないでしょ、誰もいないんだから」
とは言え、あんまりにも陽葵が面白そうにしていると、さすがに私も黙ってもいられなくなる。
私が誰とも上手く行かないのは自覚しているが、かと言って陽葵のオモチャにされるのは話が別だ。
「怒るな怒るな、あたしも同じようなもんだよ」
「……怒ってないけど、そうなの?」
「うん、知らない人達の中で検査して、終わればこの寂しい部屋で一人で暇してるだけ。あたしも虚無ってるよ」
「……それは大変だね」
何か気の利いた事を言えたらいいのに、幼稚な言葉しか出なかった。
私は自業自得だけど、陽葵は不幸な結果だ。
それを同列には扱えない。
「だからお互い暇な者同士、自然と集まるようになってるわけだ」
なのに陽葵は笑う。
私はまいったな、と思わず頬を掻いた。
どうして私が陽葵に元気づけられているんだろう、本当は私がそうしなくちゃいけないはずなのに。
「なら、早く良くなって、また学校に来てよ」
それが私の望んだ未来。
きっと私がこうしてまた陽葵と出会った意味であるはずだから。
「もちろん、すぐに行くよ」
陽葵はすぐに頷いてくれる。
だから、もう大丈夫なはずなんだ。
全てが上手く行く方向に進んでいるのだと信じている。
「寂しがり屋な雪ちゃんは、あたしがいないと学校にも行けないみたいだからねー?」
「……」
……だと言うのに、どうして陽葵はちょっと余計に攻撃してくるのだろう。
ほくそ笑んでいるから、その魂胆はすぐに透ける。
「学校には行ってるんだけど、暇ってだけで」
「本当かなー?」
「事実でしょ、今日だって行って来たし」
なのに陽葵の表情は緩みっぱなしだ。
何だ何が言いたいんだ、私は嘘は言っていない。
「本当はまだ受ける予定の講義あったのに、あたしのお見舞いを口実にサボって来たんじゃないのー?」
「……それは」
バレていた。
と言うか、陽葵と一緒に単位を取っているんだからスケジュールも把握されていて当然だった。
私が迂闊過ぎた。
「そうだよねぇ、一人で寂しいからあたしに会いたかったんだよね? 大学よりも、あたしのいる場所の方が安心だもんね?」
「……うるさ」
図星すぎて、思わず自己防衛をしてしまう。
端的に言うと恥ずかしかった。
自分の依存している部分を曝け出されて、それを手のひらで転がされたら誰だって羞恥心を感じるはずだ。
「照れるな照れるな」
「うるさいって」
そして、その自己防衛に至る心の動きも読まれているんだから手に負えない。
恥ずかしいからこっちを見るなと手で顔を覆っても、その手を易々と掴んで顔を覗き込んでくるのだ。
質が悪い、それを全て分かった上でやってくるんだから悪い女だ。
「あたしは嬉しいよ、雪があたしを優先してくれる事がさ」
最初からそれだけ言ってくれたらいいのに、どうしてその手前であたしで遊んでくるのだろう。
心が右往左往しすぎて、落ち着かない。
それも全部、陽葵のせいだ。
「当たり前でしょ」
「うんうん、当たり前だね。一人が寂しくてサボってあたしに会いに来るのは雪の当たり前だね」
……だから。
「しつこいって」
「あはは」
陽葵が入院してなかったらパンチの一つでも入れてやりたい所だった。
今日の所は勘弁してあげるけど無事に退院した時には見ておけよ、と心の中で誓う。
その時には絶対に仕返しをしてやろう。
◇◇◇
「……って、もうこんな時間か」
もう陽は沈みかけ、気付けば面会終了時間のギリギリになってしまっていた。
「うわ、ほんとだ。はやっ」
陽葵も同じ気持ちだったみたいで、驚いたように声を上げる。
大学にいた時は永遠のように時計の針が進まなかったのに、陽葵といると時間は一瞬で過ぎ去ってしまう。
「それじゃ、今日は帰るね」
「え」
残念だが面会時間は待ってくれない。
陽葵がお世話になる病院に迷惑は掛けられないから、あたしは急いで立ち上がる。
この病室から待合室までは遠いから、早足で急がないといけない。
「よし、じゃあ帰――」
そう思っていたのに、足は進まなかった。
歩き出そうとした瞬間、私の右腕が掴まれていたからだ。
「……陽葵?」
振り返ると、陽葵は俯いたまま私の手を握っていた。
弱々しく、無言のままで。
「……っと、ごめんごめん、帰るんだよね。うん、気を付けてね」
何事もなかったかのように陽葵が顔を上げると、そこには笑顔が張り付いていた。
私でも分かる、さっきまでの陽葵にあった心からのものじゃない。
離された手も、陽葵の本心じゃない事は分かっている。
私も同じ気持ちだからだ。
だから。
「ごめんね陽葵、寂しいよね。また来るから、いい子にして待っててね」
だから、さっきの陽葵のように私も少し意地悪をする事にした。
微笑みながら、陽葵の頭を何度も撫でつける。
さらさらとミルクティー色の髪が揺れた。
「……う、うざ」
陽葵の頬が染まる。
ついさっきの私と立場が逆転したから、気持ちは痛いほど分かる。
でも、だからこそ容赦はしない。
「照れるな照れるな」
「そのやり返しがうざいんだって」
私と陽葵も同じ気持ちでいるんだと思う。
遠ざかってしまった距離を埋めようと、もがいている。
「またね陽葵」
「……うん、またね雪」
廊下に出て、手を振りながら扉を閉める。
陽葵も手を振り返してくれるその光景が焼き付いて離れなかった。
この無機質な空間に彼女だけを残してしまう事に、胸が締め付けられる。
もうこんな思いはしたくない。
またあの日々に戻れる事を願っている。




