65 あたしが感じるもの
今日はあたしの誕生日だ。
特に変わり映えのない一日なはずなのに、たったそれだけで光景に彩が添えられる。
それはきっと祝ってくれる人がいるからで、だから今日は良い日になるに違いない。
「……と思ってたのに、頭痛で起きるんだなぁ、これが」
朝早くに目を覚ましたのは頭痛に苛まれたせいだ。
わくわくで眠りが浅かったとかそういう可愛い理由じゃなくて、頭の奥をガンガンと叩かれたように起こされるのだから叶わない。
薬を飲めば割と収まるんだけど、最近は本当に偏頭痛が増えていた。
「水でも飲むかな」
まだ薄暗い家の中。
ベッドから起きる前にトントンと足で地面を叩いて慣らす。
寝起きは特に調子が悪い時が多いから注意しないといけない。
どこか感覚の鈍い右足を庇いながら、階段へ向かう。
壁際に手を這わせる。
無意識に壁や手すりを探すようになったのはいつからだろう。
頼らなくても出来るのだけど、あった方が安心するようになっていた。
――トン、トン、トン
一つずつ階段を確かめながら降りていく足音。
軽快なリズム感をなくした足音にも、すっかり慣れてしまっていた。
◇◇◇
「よし、帰るかっ」
それでもお昼頃には体調は幾分マシになっていく。
頭の奥に少しズキズキとした痛みは残っているけど、テンションで乗り切れる程度にはなっている。
というよりテンションが痛みを緩和しているまである。
雪が誕生日を祝ってくれるのだから、これが一番の薬に決まっていた。
「今日は動き早いんだね」
その雪の何気ない一言に、一瞬だけ胸がざわついた。
だけどすぐに、あたしの体の違和感が伝わっているわけじゃない事は察する。
別に隠そうとしているわけではないけれど、ただの夏バテごときで要らない心配を掛けたくもなかった。
「あったり前でしょ、なんであたしの誕生日だってのにいつまでも学校にいる必要あんのよ。帰る帰る」
だから、その違和感を消し去るために、いつも以上に早足で歩き始める。
「誕生日、他の人からの誘いとかなかったの?」
雪の声がすぐ耳元に届いて、あたしはその顔を覗く。
「大学に入ってからほとんど雪としか絡んでないのに誰に誘われんの。さすがに皆も空気読むでしょ」
雪はあっさりとあたしの隣に並んでしまっている。
今まではあたしが先導を切っていたはずなのに。
いつからか、雪の後ろ姿を見る光景が日常になりつつあった。
◇◇◇
「あー、階段もだるいー」
冗談めかしては言うけれど、本当にだるい。
電車に揺られて、立って、歩いてを繰り返して、その最終地点が階段はツラすぎた。
「もうちょっとだよ」
「分かってるー」
雪の方が涼しい顔であたしを応援している。
あれか、やっぱり雪の方が暑さに強いのだろうか。
名前的にはあたしの方が暑さに強いはずなんだけど……いや、そんなの関係ないのは分かってるんだけどさ。
「ただいまー」
「陽葵の家じゃないよ」
「もう半分はあたしの家みたいなもんでしょっ……と、んん」
ようやく雪の部屋に辿り着いたのに、今度は靴を上手く脱ぐ事が出来なかった。
あたしは浮かれすぎているのかもしれない。
「ああ、もう、急ぐと逆に時間掛かるよねー」
「分かる」
結局、指先を踵に入れて靴を抜いだ。
そんなきつい靴でもないんだけど、浮腫んだのかな?
いやだいやだ、誕生日にまで浮腫みを気にする日にはしたくない。
あたしは大して気にする事もなく、雪の部屋のリビングへと急いだ。
雪がエアコンを点けてくれたから、その風に当たる。
少し涼んで休んでいくと、体も自然と軽くなっていく。
やっぱり、暑さと疲労による体への影響は大きいみたいだ。
「はい、陽葵」
そうして休んでいると、陽葵はいつものトーンであたしの名前を呼ぶ。
何かと思って振り返ろうとした最中に、隣に置かれたショッパーに気付く。
明らかに、タイミング的に、プレゼントだった。
「んー……って、おおっ、いきなり、プレゼントッ!?」
「うん、誕生日おめでとう」
ぱち、ぱち、と妙に間の空いた拍手を送ってくれる。
拍手というより、手拍子みたいだった。
「はやっ」
「……タイミング分かんないから」
自分でも思い当たる節があったのか、雪は何とも言えない顔で頬を掻いていた。
ああ、いや、プレゼント貰えるだけでありがたい事なのに文句を言う気はないんだけど。
ただ、驚いただけ。
「開けていい?」
「もちろん」
でも、気になるのは雪が何をくれるかだ。
何を貰っても嬉しいけれど、雪があたしの事をどう考えてくれたのかを感じる事が出来るのが嬉しいんだ。
袋の中を覗き込むと、そこには小さな白い箱にブランドの文字が綴られている。
「おおー……香水だ」
箱を開けると、透明なガラス瓶に収められた香水があった。
見た事はあるけど、お高いヤツだから手を出した事はない。
あたし目線で勝手なこと言うけど、センスあるなと思った。
「どう?」
「ちょっと、試してみる」
雪が食い気味にあたしの反応を確かめてくるから、香水を手首に吹きかける。
正直、かなり好みの香りだ。
「どう?」
「聞きすぎだって」
まだ香りを確かめている最中なのに、更に食い気味で聞いて来る雪が可愛くて笑ってしまう。
あたしが気に入るかどうかを早く確かめる為に渡してくれたんだな、多分。
自分が贈った物が気になるのは、きっとそれだけ贈る相手を大事しているからだ。
だから、その気持ちがあたしは嬉しい。
「でも、本当にありがとう、嬉しいよ」
「……それなら、良かったけど」
お礼を言うと、雪は恥ずかしそうに視線を反らす。
それだけ本気で選んでくれたって事なんだと思う。
「うんうん、あたしは気分がいいよ。さっそく料理しよっかなー」
雪がここまでしてくれたのだから、あたしもその気持ちに応えたい。
いつまでもこうして休んではいられないと、心が動いて立ち上がる。
体はまだ若干重たいけど、無視だ無視。
そんなの気持ちで凌駕してやるさ。
「今日は何作ってくれるの?」
「それは出来てからのお楽しみ―。雪は大人しく待ってくれたらいいからねー」
とか言いつつ、あたしも若干緊張してきた。
得意でもない料理を自分から申し出たのは、あたしも雪に何かしたかったからだ。
貰ってばかりじゃ申し訳ないから、出来る事をしたい。
あたしなりに今日の為に準備をしてきたんだ。
あたしの料理も喜んでくれるといいなと願う。
そんな期待を胸に秘めて、キッチンへと向かう。
その時だった。
「……いづっ」
頭を殴打されたような激痛が走る。
一瞬、本当に叩かれたのかと思ったけど、そんなわけない。
そんな事を雪がするわけない。
じゃあ、この痛みは何?
分からない、分からないけど、痛みは引かない。
視界が黒く染まっていく。
刻一刻と光が失われていく世界から、残されたのは頭を弾く様な激痛だけ。
右の手足は痺れてバランスを失っていた。
――ガンッ
と、生々しい音が最後に聞こえた気がする。




