57 あたしが見据えてること
「暇なら家、寄ってく?」
雪のマンションが見えてくると、ぶっきらぼうな声で誘われた。
もう何度も雪の家には行ってはいるけど、特に予定もせずに彼女の方から声を掛けてくるのはレアな方ではある。
「寄ってあげてもいいけど?」
可愛くない誘い方をされたので、こっちも可愛くない返しをしてみる。
気持ち的には行く気満々なんだけど、そんな上から目線の誘いでホイホイ付いて行くほど安い女ではないのだ。
自分の価値は高く売り出さないとね。
友達相手に何してるんだっていうツッコミは受け付けません。
「……別に無理はしなくていいけど」
「ムリもしてないけど?」
だけど大丈夫だろうか、こういう会話運びをすると雪が拗ねて“じゃあ来なくていい”と言いかねない気もしてきた。
どんな反応するのかを見る為だけに、あたしは墓穴を掘っている可能性が高い。
「陽葵の好きなようにしていいよ」
「雪が来て欲しいなら行ってもいいよ」
だけど、一度始めたら止められないんだなぁ。
さぁ、素直になりなさい雪ちゃんよ。
来て欲しいから言ったんでしょ?
「……」
「……どっちかにゃ?」
とりあえず空気が重くなってる気がしたから、緩衝材で猫の真似。
イタイ?
放っといて。
「……捨て猫は拾って面倒みてあげないとね。上がりなよ」
「誰が捨て猫だっ」
あと、拾ったならちゃんと最後まで面倒みないと無責任だぞー。
とは言わないけどさ。
雪に体のいい誘い文句を自分から作ってしまったような気もするけど、まぁまぁ、これは雪の方が一枚上手だったと我慢しよう。
「前から思ってたんだけど、階段じゃなくてエレベーターつけて欲しいよね」
雪の部屋は二階にあり、当然ながら階段を上っていく必要がある。
もう何年も住んでいる家のはずなのに、いきなり謎の苦言を呈していた。
「二階の往復するだけならエレベーターまでいらないでしょ」
「疲れる」
「……捨て猫を拾ってくれたのは、おばあちゃんだったか」
先に階段を上っていく雪の背中がゆっくりと左右に振らついている。
よっぽど階段を上るのが大変なのか、面倒なのか。
とりあえず、もうちょっとしっかりした足取りになって欲しい。
将来が心配だから。
「お、おおっと」
とか言ってたら、階段を踏み外してしまう。
手すりがあるからすぐに掴まってバランスを取ったけど、ちょっとビックリ。
雪の背中に気を取られ過ぎた。
「ねぇ、おばあちゃんはそっちなんじゃないの?」
振り返りジト目を向けられる。
確かに人の事は言ってられない醜態を晒してしまった。
「じゃあ、似た者同士の仲良しってことで」
「……馬鹿言ってないで気を付けてよ、怪我とか怖いから」
すると、思っていた以上に真剣な声音を向けられた。
もうちょっと小馬鹿にされるのかなと思ったので、面を食らってしまう。
「ご、ごめん」
こっちが何だか謝ってしまう。
あたしが一人で勝手に危なくなっただけなんだけどね。
「はい、どうぞ」
「お邪魔しまーす」
特に変わり映えのない雪の部屋。
何度も来ているのですっかり見慣れていて、居心地の良さすら感じるようになっていた。
だけど……。
「相変わらず何もないねー」
雪の部屋は物が少ない。
必要最低限の家具や家電は揃えてはいるのだけど、それ以上もないのだ。
それはそれでシンプルで落ち着いているし、あたしも慣れてしまったけど、年頃の女の子の部屋ではないよなぁとは思う。
ファッション含め、雪は自分を着飾る事には無頓着だ。
「何でもあるでしょ」
「生活する上で必要なものはなね」
「他に何いるの?」
「好きなポスターとか張ったりとか、ぬいぐるみ揃えるとか、メイク道具とか趣味の物に溢れかえってるとか」
とりあえず、その人らしさが出るような物がある事が多い。
だけど雪にはそれがない。
それが雪らしいと言えばそうなのだけど、この域に達する事が出来るのはあたしくらいじゃないかな。
「……落ち着かなくない?」
「うん、そうだよね。雪はそれでいいと思う」
人それぞれ、自分の部屋なんだから自分の好きなようにしたらいいよね。
あたしはそんな雪が面白いからいいと思うよ。
「……なんか若干、笑われてる気がする」
「気のせい気のせい」
あたしの含みには敏感だった。
「まぁいいけど、何か飲む?」
そう言って雪が戸棚を開けて、いくつかの箱を持ってくる。
ティーバッグが収められた箱で、緑茶・アールグレイ・レモンティーの種類があった。
今まではコーヒーかカフェオレのラインナップしかなかったので、新メニューを用意してくれたらしい。
「じゃあ、アールグレイで」
「分かった」
雪はキッチンに足を運び、ケトルでお湯を沸かす。
マグカップを用意したりてきぱきと準備をする姿を見て、さっきの会話のせいもあってか未来の雪を想像する。
会社で働く事務員 白凪雪の姿を。
「……雪って、社会人になってモテるパターンじゃね?」
雪はすらっとした体をしていて、その静かな佇まいは大人の余裕を感じさせる。
自己主張の少ないおしとやかな人間性に、それでいながら艶やかな黒髪に白く透き通る素肌。
うーん、何だか社会で働く男性方にめっちゃモテそうな気がしてきた。
「モテないし、仮にモテたら辞める」
謙遜ではなく本気で嫌みたいだった。
「何でさ」
「そんな職場居づらくて仕方ない、職場の恋愛事情ほど面倒なものはないよ」
「ええ……なんか良くない? 大人の恋って、ビタースウィートみたいな?」
自分でもびっくりするくらい表現力がスカスカだった。
何だったらダサくて恥ずかしい。
「泥沼って感じだよ」
雪の表現も大概だった。
もうちょっと夢見ようよ。
「そしたら雪、本当にずっと人付き合いしない感じなの?」
そこまで行くと逆に不安になってくる。
誰にでもほいほい付いて行く雪も嫌だけど、全員から距離を取りすぎて精神的におかしくなるような雪も見たくない。
「大丈夫、仕事上の付き合いとしてだけドライにやってくよ」
この簡素な部屋で一人、職場の付き合いもドライで過ごしていく雪。
大丈夫だろうか、不安要素しか感じない。
そんなあたしの心配をよそに、雪は両手にマグカップを持ってローテーブルの上に置く。
あたしの前にはアールグレイを、雪の前にはコーヒーだった。
「そっかぁ……あたしは雪の社会人生活が益々心配だなぁ」
マグカップに口をつける。
ベルガモットの爽やかで上品な香りが通り抜けた。
いや、でもしかし?
という事はやはり雪は他人に興味がないわけで。
自分から常に安全地帯にいるのだから、あたしの心配は雪の孤独による心のバランスだけになる。
だけど、それはあたしがいればきっと解決できるわけなんだから。
もうそれは、いずれそういう関係になるのが既定路線って事じゃない?
違う? 違わないよね?
「こうなったらお互い社会人になったらルームシェアだね」
「何でいきなり?」
いや、それは雪を囲う為……じゃなくて、精神安定剤としてあたしがいる為に。
あくまで雪の事を心配しての事だ。
「ルームシェアっていい響きだよね」
「話し聞いてる?」
同居とか同棲とか言うとさ、ほら、何かそういう感じになっちゃうけど。
英語にするとプラトニックな感じになるよね。
そこから外堀を埋めて内側から徐々に……雪を見守りたいんだよね。
うんうん、そういうこと。
こういうのは順番が大事だから、ね。




